旭海賊団頭領、の辞書に協調性の文字は無い。
 その性質が分かりやすく現れるのが、補給や、元奴隷である船員達の帰郷を目的として陸に停泊している時だ。
 ふらりと陸地に降り立ったが最後、出港するまで所在を掴めないという出来事が再三あるに至り、幹部は持ち回りで頭領へ随行する事が副長権限で決められた。

 だからたぶん、それは偶然だったのだ。
 一部船員の帰郷の為に立ち寄ったのが砂漠の国アラバスタで、その首都・アルバーナであった事も。
 その時の随行担当者が、アーロンとジャブラだった事も。
 二人が額突き合わせて喧々囂々、言葉の殴り合いで一触即発の大喧嘩を始めた事も。
 結果として頭領をそろって見失い、罵り合いながら慌ててを探す羽目になった事も。
 ようやく見つけた頭領が、年端もゆかぬ少女の命を刈り取る寸前であった事も。
 その少女が、このアバラスタの王の一粒種である王女であった事さえも。


「「っだぁあああああああーッ!?!?」」


 例え今は海賊であったとしても、その所属はあくまでも“CP9”。
 政府直下の暗殺部隊員であるジャブラが、“世界会議”主要国家の王族各位の顔を知らないはずも無く。

 そしてそんな事など知らなくとも、兄同然に慕うタイガーから“むやみやたらと殺すな”と拳と共に叩き込まれ、また、多種族混成海賊団である“旭”で何年も過ごし、本人にこそ自覚は無くとも“原作”より人間に対する嫌悪感や憎悪が薄れているアーロンが、頭領の暴虐を見過ごせるはずも無く。

 ヒュ、と鋭い風切り音だけを残して、少女のいた場所を泥土の鎌が通過する。
 直前でその速度を緩めた、それでも一つの命を刈り取るには十分な一撃は、船員二人の血の気を引かせるのみで終わった。
 勢いそのまま、もつれながら転がっていった二人と少女を無表情に見遣りながら、はふるり、とゆるく頭を振る。の殺意そのままに、人を殺す事のみに特化した形状を模した複数の凶器が、ぐにゃりと泥土本来の不定形へと化し、次いで鉄色の、なんの変哲もない長い髪へと戻った。
 少女を背に庇うように自身と対峙したアーロンとジャブラを、無言で眺める硝子玉の眼差し。そこには悪意も殺意も敵意も怒りも、苛立ちすらも無い。けれど船員、それも戦闘員の中でも実力者に分類される二人は知っていた。
 彼等の頭領はその眼差しのまま、人を容易く殺してみせるのだ、という事を。

「……よぉアーロン、お前子電伝虫預かってたよな?」
「シャハハッ何言ってんだ、預かったのテメェだったろ」
「……」
「……」

 やばい。口に出さなくとも、その思いだけは確実に一致していた。頭領を止められそうな助けは呼べない。
 普段であればそのまま罵倒の飛ばし合いになるところであるが、頭領を前にしてそんな余裕などあるはずも無く。
 嫌な汗が背を、頬を、じっとりと濡らす。じり、と摺り足で間合いを測れば、無造作に踏み出されたの足が、そこに転がった男の頭をぶぢ、と踏み砕いた。ひぐ、と喘ぐように漏れた悲鳴を辿ってみれば、意識されはせずとも最初からいたのだろう。少女とさして年齢の変わらぬ少年少女達が顔を蒼白にして震えている。
 そして、同様に最初からいたのだろう。
 首の無い。あるいは腹を、首を貫かれ、四肢を断たれて絶命した男達の姿。

「あ゛ー……頭領? 随分ド派手にやったみたいですし、ここらで引き上げましょうや。
 あんま煩くすると国軍が来ちまう。出港予定日までまだ間もあるってのに騒ぎ起こすのはまずいですぜ」
「人間なんざ何人殺ろうがアンタの勝手だが、大アニキも面倒起こすなっつってたろ。
 たかがガキ一匹だ、放っとけよ」

 何が琴線に触れたのかは分からない。ここに至った経緯も知らない。
 彼等二人、どちらも頭領について詳しく知り得るほどには近い立ち位置ではない。ただ知っているのは、普段のは“人間のふりをしている人形”と評すのがしっくりくる程に感情に起伏の無い事。
 そして、無暗に人を殺しはしないが――殺す時は確実に仕留める、という事だ。
 虚無の視線がつい、と二人から逸らされる。

「あと」

 掻き消えそうな、か細い囁き。
 瑞々しいソプラノの、けれども抑揚に乏しい声。
 逸らされた瞳に影が落ちる。

「……ひとつ」

 半ば伏せられた無機質の眼差しが、二人を通り越して少女を見て。


「っうわぁあああああああああああああああああああーっ!!!!!!」


 呼吸すら許されない空気を振り払うように、棍棒を振り上げた少年がの後ろから躍り掛かった。
 それを合図とするように、アーロンが地面を蹴ってへと肉薄し、ジャブラが少女を小脇に抱え上げて。

「リーダー……っ!」

 抱え上げられた少女が叫ぶ。棍棒ごと少年が宙を舞う。
 繰り出されたアーロンの拳が指先ひとつで軌道を逸れ、顔面から地中へと埋まった。走り出そうとしたジャブラの眼前で鉄色の髪がふぅわりとなびく。咄嗟に方向転換するよりも早く、小さな手がジャブラの顔面を掴んだ。

「め。」

 嗜めるような囁きと共に、そのまま地面に叩き付けられた。ジャブラの眼裏で星が散る。
 投げ出された少女が地面を転がっていく。瞬く間に船員二人をいなしたが、ピン、と髪を一房弾く。きゅる、と穂先を尖らせた泥土の凶器が、少女の頭蓋へと狙いを定めて。

「っ“砂砂団”!! ビビをまもれぇえええええええっ!!!」
「「「「おおーっ!!!!!!!」」」」

 リーダーと呼ばれた少年が絶叫し、子ども達の何人かが、震えながらもの前へと立ち塞がる。
 突き出された泥土の槍が、子ども達の眼前で静止する。ゆるりと一つ瞬きすると、は己が転がした死体を見て、丘の向こうを見て、そうして少女を見る。加減されていたからだろう。ジャブラが頭を抑えながら立ち上がり、アーロンが「ふんっ!」と勢いをつけて顔、主に深々と突き刺さっていた鼻を地面から引っこ抜いた。

「ビビ! 今のうちに逃げろ!!」

 決死の形相で殴り掛かってくる、リーダーと呼ばれた少年。
 けれどもそこらのチンピラならまだしも、相手は“リトル・モンスター”である。
 そんな攻撃が通じるはずもなく、少年はたちまち泥土に足を絡め取られて再度転がる羽目になった。
 の眼差しが少年、アーロン、ジャブラと移る。

「……庇うの?」

 首を傾げて落とされた呟きは、何処となく不思議そうな響きを帯びていた。
 それに「あたりまえだ!!!」と叫んで返したのは、威勢よく身体をくねらせてもがく少年だ。恐怖が振り切れたのか、それとも怒りで勇気を奮い起こしているのか。少年は鋭くまなじりを吊り上げて、を睨み付けたまま怒鳴る。

「ビビはおれたちの友達だ! 友達を殺させたり、するもんかっ!!」
「……」

 尖った穂先が少年へと向けられる。
 ぎゅる、と泥土の槍が異音を立てて研ぎ澄まされる。

「リーダーに手を出さないで!!」
「ビビ!」
「ばか、はやく逃げろってば!」
「なにしてるのよっ!」
「欲しいのはわたしの命でしょ!? リーダーやみんなに、手を出さないで!!」

 制止を振り切って飛び出した少女が、震えながらも両手を広げ、と少年の間に割り込む。
 かくり、とが首を傾けた。横合いから、アーロンが弾丸の速度で突っ込む。重たい一撃を受けて、小さな身体が砂煙を上げて跳ね飛ばされる。砂の混じった唾を吐き捨てて、アーロンはその姿に中指を立てた。

「ちったぁ頭冷やしやがれクソ頭領ォ!
 人間のガキなんぞどうでもいいがなあ!! 今のテメェはイラつくんだよ!!!」
「す、すごい……」

 子どもの一人が呆然と呟く。
 吹っ飛んで行ったから視線を外さず、ジャブラは構えを取りながら苦い顔で忠告する。

「さっさと逃げろ。あの程度、うちの頭領にゃ時間稼ぎにもなりゃしねェよ」
「え? でも、だってあんなに……」
「いいから行け! クソ、今日は厄日か……!?」

 ジャブラの任務は政府に情報を流す事、そして可能なら頭領を暗殺する事だ。
 間違っても勝てない勝負を真正面から挑む、なんてものではない。船員相手という事もあってか、彼等に対しての攻め手は極めて緩いものだが、そもそも地雷が何処にあるか分からないのが“リトル・モンスター”である。
 が本気になれば、数分とかからず全員纏めて八つ裂きにされかねない程度には実力差がある事を、ジャブラは十分に理解していた。アーロンが、鼻息荒くの吹っ飛んでいった方を睨む。

「っきゃああああああああっ!?」

 背後から少女の悲鳴が響いた。
 アーロンが舌打ちし、少年や子ども達が「ビビ!」と叫ぶ。
 少女を泥土の触手で逆さ吊りにしたまま、は服についた砂埃を払った。

「友達だから、助けたい」

 反芻するように呟いて。
 硝子の眼差しが、ジャブラとアーロンを見据える。

「二人は」
「あ゛ぁ゛ん?」
「庇う意味」

 思いっきり顔を歪めて凄むアーロンに、けれど怯むはずも無く、が淡々と言葉を紡ぐ。
 その問いに、二人は揃って眉間に大きく皺を寄せた。

「んなもん、こんなガキ死なすのは胸糞ワリィからに決まってんだろ」
「ジャブラは」
「……つーか頭領、なんでこのガキに拘るんで?」

 先程よりはまだ話の通じる雰囲気を見て取って、ジャブラは気になっていた事を問う事にした。
 旭海賊団は、その結成理由もあってだろう。海賊としてはだいぶ“お行儀のいい”類に分類される。
 頭領自身の気性もそうだ。何処に地雷があるか以前に人並みの情緒があるかすら疑わしいところのあるが、感情を見せる事は極めて稀と言っていい。恐れを知らないお子様連中に好き放題されていても、等身大のお人形さながらになすがままにされている姿は、旭の船ではまま見られる光景である。

「あれらの同類だから」

 の答えは簡潔だった。
 耳の穴から氷の針を刺し込まれたような感覚に、意図せず二人は真顔になった。
 照りつける太陽は暑苦しいほどだというのに、この場だけが奇妙に寒い。急激に冷え込んだ空気に、ビビを返せと騒ぎ立てていた子ども達が一斉に口を噤んだ。たかだか言葉ひとつに込められた殺意がおそろしく重い。骨まで凍える空気を振り払うように、ジャブラは大きく溜息をついて、肩をすくめてみせた。

「……王族だからって、あんなクソ共の同類って訳じゃねェと思いますがね」

 王族と“同類”で、が“あれら”と評するのであれば、それは天竜人を置いて他にはいまい。
 まぁ普通は王族とかそこらに転がってたりしないしな、と分かりづらくて分かりやすい頭領の殺戮ポイントに若干遠い目をするジャブラの横で、アーロンが吊り下げられた少女をじろじろ見ながらマジかよ、と片眉を跳ね上げた。

「このガキが王族ぅ? 船のガキ共とさして違わねェな」
「…………」

 小鳥めいた仕草で、が小首を傾げる。
 そうして、透明な虚無の瞳が少女の顔を覗き込んだ。
 真正面から見詰められ、少女の顔が恐怖に染まる。
 震えながら目を見開く少女を覗き込んだまま、が平坦に、何処までも不可解そうに呟く。

「この国の民は、あなたを生かすか」

 拘束が緩む。受け身も取れず、少女が地面に落とされた。
 少年を拘束していた泥土の縄が、瞬く間に蕩けて大地に吸い込まれるようにして消える。

「っビビ!」

 リーダーと呼ばれた少年が少女に走り寄った。
 が踵を返す。

「船に戻る」

 頭領の姿がその場から消えると同時に、二人は深々とした溜息と共にへたり込んだ。
 疲れた。短いやりとり、自分達に向けられたわけでもない殺意。
 それでも、彼等二人の精神を削るには十分だった。化け物め、と内心だけでジャブラは毒づく。旭に入団し、行動を共にするようになって肌身に染みて感じるようになった力量の差。圧倒的という言葉すら生ぬるい、およそ年齢に見合わぬ戦闘能力と、理解の及ばぬ精神構造。

 誰より怖ろしくて近寄り難い、少女の姿をした小さな怪物。
 従う事が当然なのだと、逆らうべきではない相手なのだと本能で以って知らしめる、旭海賊団の頭領。

「もう頭領の子守りはゴメンだな……」
「まったくだ」

 叶うなら、二度と頭領の道行きを阻んだりなどしたくはない。
 互いの無事を喜び合ってギャン泣きする子ども達。それに力無く「うるせェ……」とぼやくアーロンの姿を視界の端に捉えながら、ジャブラは政府を裏切る事を、半ば本気で検討するのだった。



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