“旭”において船内の諸事は、結成当初に決められた基本ルールか話し合いによって決定される。
 これは本来ならばその差配を取るべきが、君臨すれども統治せず、船団の基本指針以外には口を挟むどころか興味を示すそぶりさえ見せない故に取られた措置であった。
 各種族、元があらゆる立場の者達で構成された彼等の中で誰か一人がリーダーシップを発揮したとしても、はいそうですかと従うほど素直な者は圧倒的少数派である。現在では事実上頭領の右腕、副長として認められているフィッシャー・タイガーや、航海士兼ご意見番として一目置かれるグロリオーサ、通称ニョン婆とて、船員全体から支持されている訳ではない。
 短くも濃い航海の日々の中、船員達の中でも特に突出した者達がリーダーとしてそれぞれグループを作り、船内を纏めるようになったのはある意味当然の成り行きだった。
 現在では頭領であるを頂点とし、次に纏め役として副長であるタイガー、航海士のニョン婆と続いて各グループを統括するリーダー達、といった構成に落ち付いている。

「そなたらの傲慢が原因であろうが痴れ者め!」
「ハッ! なんの強みもねぇ人間に魚人の俺達が譲る道理はねぇな!」
「……ジンベエよぉ。お前さんとこの隊なぁ、ちっとはどうにかならんのかあ?」
「なるようにしかならん」
「止める気無いだろあんた! 辞めてくんない辞めてくんない!? マジ迷惑なんだけど!」
「蛇首野郎と巨人のジジイは黙ってろ! 俺ァ今このクソ女と話してんだ!」
「おいアーロン! ハンコックがクソ女ってのはいいとしても、ジェスとギリオンに対してンだその発言はよぉ!」
「ひぎゃー! テーブル蹴るの辞めるですのユーデル!」
「ウロちゃんだいじょーぶー? あたちのポケットはいりますー?」
「ユーデルぅ! ぬしともいい加減話をつけねばならんようじゃなぁあああ!」
「迷惑って言えばぁ、ウィリアムのトコの新人君。ちょぉっと血の気多いんじゃなぁい?」
「ふん。欲求不満を持て余す君よりはましな手合いであると思うがね、ロート」

 だがしかし。大半が元奴隷同士といっても、彼等の仲が良いだけのものであるはずもなかった。
 そもそも海賊団の結成当初とて、無作為に奴隷全員を受け入れているし、最近では元奴隷以外の船員も増えてきている。頭領の放任も相まって、主義主張を違える船員同士の衝突はそれなりに多かった。
 基本ルールで船員同士の暴力沙汰が禁止されていなければ、船医組の仕事量は目もあてられない事になっていたに違いない。実力的にも性格的にも主張の激しいリーダーの面々が揃う“話し合い”の場においては、特にその傾向が顕著であった。程度の低い口げんかや罵詈雑言、嫌みの飛ばし合いはもはや風物詩の域に達している。
 そしてその風物詩に頭を抱えるタイガーとニョン婆の姿も、既にお馴染みの光景となりつつあった。

「……はどうした?」
「……知っておったら連れてきてるわい」

 罵詈雑言飛び交う話し合いを纏めるのは、毎度ながら骨の折れる作業なのである。
 例え話し合いに一言たりとも口を挟まなかったとしても、頭領であるが場にいれば各々もう少し理性が働くし、ヒートアップした果てに乱闘騒ぎ、なんて事態だけは避けられる。
 頭を抱える二人の言葉に、テーブルの上に座ってお茶を啜っていた医療部隊長の小人族が元気よく手を挙げた。

「はいはい! コトロ知ってるぬ! 頭領、カルトレイメにお願いされて魚狩りだぬ!」
「……と、いう事は遠出しているな」

 旭の糧食管理を担うカルトレイメが依頼した魚“狩り”となれば、即ち海王類狩りに他ならない。
 いつ頃出て行ったのか確認したい所だが、件のカルトレイメ料理部隊長はと言えば、サブリーダーのウロを残して退席している。そろそろ夕食の仕込みだそうだ。揃って二人がため息を吐くのと、船が不自然に揺れるのは、ほぼ同時であった。
 あまりのタイミングの良さに、三人は顔を見合わせる。他の面々はと言えば、言い争いに夢中で気付かなかったようだ。そろそろ手が出そうな雰囲気に、タイガーが腕組みを解いて腰を上げた。

「噂をすれば、じゃな。どうやらお戻りにニャったようじゃニョ」
「そのようだな。コトロ、すまんが迎えを頼めるか」
「了解ぬ!」


 ■  ■  ■


 ぴょんこぴょんこと跳ねるようにしてコトロが外へと出てみれば、甲板は奇妙な緊張感に包まれていた。
 海王類の上半身が、甲板にででんと乗っかっているのは別にいい。頭領が狩りから帰ってきた時はいつもこうだ。多分下半身はクイックが食べたか、船団の他の船にでも乗っているのだろう。
 だが、遠巻きに何かを囲うようにする船員達の表情には隠しきれない不安と動揺がある。はてな、と左右に首を傾けて、コトロは近くにいた船員の肩に飛び乗った。

「どうしたぬー?」
「あ、コトロ隊長! 良かった、丁度呼びに行こうかって話してたところなんですよ!」
「コトロに用だぬ? 誰かケガでもしたぬ?」
「いや、なんといいますか……」

 どうにも歯切れの悪い返答に、コトロはぴょい、とその頭に飛び乗った。
 そこから船員達の視線を辿ってみれば、そこにいるのは予想通りに頭領と、何やらモフモフした黒い塊と、斑の肌をした少年だった。医療部隊の人間も近くにいる。はてな、とコトロは首を左右に傾げた。
 コトロをわざわざ呼ぶ必要があるような怪我人は、見た所ではいないようだが。
 頭領の視線がコトロを捉えた。静謐で無機質な、奈落の眼差し。
 条件反射で直立不動になったコトロを、平坦な声が呼ぶ。

「コトロ」
「っはいはいはいだなーっ! 今いきますだなっ!!」

 敬礼して全速前進。船員達の頭の上を文字通りに跳び渡り、頭領の前へ着地する。きっかり五秒の早業だった。
 つい、と頭領の視線がモフモフと少年へと向けられる。モフモフが、少年を庇うように前に出た。隠しきれない警戒が見て取れる態度に、頭領とモフモフを交互に見やる。
 モフモフがやけに殺気立っているが、気にする必要はないだろう。頭領がいる以上、暴れる前に鎮圧されるのは目に見えている。しかしこの警戒具合、何かひと悶着あったようだ。

「頭領……何があったですかな?」
「病人。子供の方」
「病人な?」

 首を左右に傾けて、コトロはモフモフに庇われる少年を見た。
 初めて小人族を見たらしいその子供は、警戒と好奇心が混ざった目でコトロと頭領を睨んでいる。
 動く元気はあるらしい。子供へにぱーと笑い返しながら、頭から爪先までざっと見やる。
 視診で分かる異常は、肌に白い斑がある事くらいか。
 モフモフと少年を遠巻きにする部下の一人が、耐えかねるように叫ぶ。

「こ、コトロ隊長! そいつ“珀鉛病”ですって! 頭領にも早く追い出すように言ってくださいよぉー!」
「“珀鉛病”? ああ、それで肌が白くなってるぬ」

 道理で覚えがある、とコトロは得心して手を叩いた。
 あれは頭領の手配写真が上がってきたくらいの頃だったか。
 当時一面を占めるのは旭か、“白い街”フレバランスと、そこに蔓延する珀鉛病についての話題ばかりだった。

「感染経路は」
「ぬ?」

 思わずコトロは頭領を見上げた。凪いだ海のような、深くて昏い奈落の眼差し。
 コトロは周囲を遠巻きにする船員達を見て、引け腰の部下に視線を向ける。
 成程。ようやく状況を把握し、コトロはじろりと部下を睨んだ。
 心のメモに要再教育と赤字で書き込み、周囲にも聞こえる声で頭領に応える。

「気にする必要はありませんな。“珀鉛病”は中毒な、他人に感染する事はないですな」
「そう。治療法は」
「確立されてはいないですな。うちの設備で治療できるかは、詳しく診察しないと何とも言えないですな」
「任せる」
「分かりましたですな!」

 端的な言葉に、コトロは力強く請け負った。コトロが得意とするのは外傷や骨折の治療等の外科分野ではあったが、他ならぬ頭領の依頼である。必ずや何らかの結果を出して見せよう。
 周囲を取り巻いていた船員もコトロの断言に安心したのか、顔を見合わせて一人、二人と持ち場へと戻っていく。
 握り拳で意気込むコトロに、しかし水を差したのは子供の保護者なのだろうモフモフ男だった。

「おいおいおい!? ちょっと待てお前らァ!」
「ぬ? なんだぬモフモフ」
「モフモフ!? いやいやいや! それはそうと、何で勝手に話を進めてるんだお前ら!」
「のっ。でも病人がいたら医者は治すのが仕事ぬ?」
「拾った。その責は負う」
「ほらうちの頭領もこう言ってるぬ。
 そんなピリピリしないでも大丈夫ぬ、せいぜい滞在費と治療費分酷使されるだけぬー」
「不安しかねェよ!!!」

 納得できないらしい。解せぬ。
 もう面倒くさいしモフモフ沈めた方が話が早い気がする、とコトロは思った。
 どうせ珀鉛病の治療には時間がかかる。どう見ても血の繋がりもなさそうな子供を庇っているのだから、悪い人間ではないだろう。旭の船員になるにせよ客分として滞在するにせよ、時間さえかければ船員達とも上手くやっていけそうだ。子供が不安と、わずかな期待が伺える表情で、躊躇いがちにモフモフの裾を引く。

「……コラソン、おれ……」
「ロー! お前も相手にすんな!
 海賊船なんざロクな設備もねェ! 街にいきゃあもっと信頼に足る医者は山ほどいるさ!!」
「ぬー……?」

 “珀鉛病”の情報は少ない。コトロとて海軍の船から徴発した書物で、偶然中毒だと知った位だ。
 勿論コトロが知らないだけで、一般の医師の間では普通に出回っている情報だという可能性はある。
 だが、“珀鉛病”の蔓延していたフレバランスは隔離処分の果てに滅亡したはずだ。確かに設備が足りないのは否定できないが、だからと言って街の医者が信頼できるかは疑わしいと思うのだが。
 どう説得したものか。警戒の解けない二人の姿に、コトロは横目で頭領を伺ってみる。
 いつもと同じ、人形めいた無表情。
 喜怒哀楽、感情の片鱗さえ存在しないその横顔からは、何を思っているのか読み取ることはできない。
 ふと、頭領の視線が二人からそれた。つられてコトロがそちらを見れば、船の縁を蹴って、一人の男が甲板へと着地を決めている。得意げにガッツポーズをすると、三白眼のその男は、笑顔でこちらに向かって親指を突き立てた。

「ッしゃ、一番乗りィー! 頭領! クイックが壊した船、直し終わりましたぜ!」
「ご苦労」

 ドヤ顔で笑う男に、鷹揚に頭領が頷いて見せる。
 遅れて甲板に上がってきた二人が、後ろから男をドツき倒した。

「てめぇジャブラぁ! なぁに我が物顔で報告してやがる!」
「だべだべ! おめのせいで修繕箇所増えたべよ!」
「うるせェよ! おれぁ船大工じゃねェってのに、お前らが強引に手伝わせたんだろ!」
「賭けに負けたら何でも一ついう事聞くって条件出したのジャブラからだべ。
 賭けたのが金ならおめは素寒貧だべや!」
「クソが、これならトイレ掃除でも押し付けた方がマシだった……あそこまで使えねぇとか……!」

ぎゃあぎゃあ言い争う三人の横を、子供を抱え上げたモフモフが走り抜ける。
制止しようと前のめりになって、けれど足を踏み出す前に、コトロはたたらを踏んで立ち止った。

「なんで止めますぬ!?」
「追うの、不要」

 頭領が首を横に振る。いいんだろうか。
 言い争いを止めた三人が、不思議そうに首を捻りながらモフモフが飛び降りた先を覗き込んでいる。

「……なんだァ? あいつ」
「オイ今着地失敗しやがったぞ」
「あ、起きたべ」
「結構派手な音してたのにな。丈夫な奴」
「つーか、なんであんな必死の形相してんだ?」

 言いながらも、誰も彼等を止めない。
 何となくモヤモヤした複雑な気分で、頭領を見上げる。

「……。良かったですかな?」
「頼るも拒むも、彼等の自由」

 この人らしい、とコトロは心の中で呟く。
 “リトル・モンスター”とはよく言ったものだと思う。
 頭領は読めない。思想も感情も、人間らしい好悪すらも何もかもが。
 無言で佇むその姿は、人形よりも人形らしい。
 何処までも凪いでいて、けれどその瞳の奥底には、得体のしれない“何か”が潜んでいる。
 この人を理解できるとしたら、きっと副長のフィッシャー・タイガーくらいだろう。
 だけど。それでも、旭の船員なら誰しもが知っている事が一つだけある。

 頭領は、強要するのもされるのも嫌いだ。

「各自、仕事に戻る様に」

 成り行きを見守っていた船員達を一瞥して告げ、頭領は定位置である船尾楼へと歩いていく。
 その後ろ姿を見送りながら、コトロは無意識に肩に入っていた力を抜いて、深々と息を吐き出した。

「で、お前は待つぬ」
「あだぁっ!? 何すんですかコトロ隊長!」

 ばらけていく船員達に紛れて立ち去ろうとしていた部下を、蹴り転がして止める。
 抗議の叫びを黙殺して、コトロは憮然とした表情で腰に手をあてた。

「伝染病だと思ったのは別にいいぬ。知識不足は学べばいいぬ、責めないぬ。
 でも? お前医者だろうがぬ! 医者が! 患者に! 引け腰でどうするんだぬーっ!!」

 コトロが呼ばれた時のあの状況。大体想像はついている。
 頭領が拾ってきたあの二人に、このアホがむやみに伝染病だなんだと騒ぎ立てたんだろう。
 それさえなければモフモフの警戒具合はもっと低かっただろうし、あの子供もこの船で治療してやれたかも知れないというのに。憤懣やるかたない気分で、コトロはぎりぎりとアホ部下の耳を引っ張った。まったくもって腹立たしい。

「あだだだだだっ! で、ですが隊長! 伝染病ですよ!? うつるんですよ!?」
「それをなんとかするのが医者の仕事ぬ! 病気から尻尾捲いて逃げるなら医者なんぞやめちまえぬー!!」
「いやぁぁあああああだって怖いもんは怖いんですよぉおおおおー!」
「来いぬハナタレ! 根性叩き直してやるぬ!」

 例え体格が大いに違おうが、コトロは仮にも隊を一つ任される旭の幹部だ。
 暴れる部下の抵抗を難なくいなしながら引き摺って行く姿はある意味異様だったが、それにぎょっとするのはぺーぺーの新入りくらいである。
 怒れるコトロの説教は、一向に戻らないのを疑問に思ったニョン婆が呼びに来るまで続いたという。



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