村に足を踏み入れた瞬間に飛来した銃弾の嵐に、少女は漏れそうになった悲鳴を寸でのところで噛み殺す。
恐怖に震える自分を叱咤し、華奢と呼べる程に頼りない首に腕をまわしてしがみついた。
細い腕は少女を苦もなく抱え込んで微動だにしない。肉付きが良いとも安定感があるともお世辞にすら口にできない小柄な身体であったが、それでもじんわりと染み渡るような安心感があった。
だいじょうぶ、だいじょうぶ。少女は胸の中で繰り返す。
震えが消える事はなかったけれど、それでもその人は必ず守ってくれるのだから、胸の中で言い聞かせる。
船の大人達から受けた注意事項を頭の中で復唱する。
悲鳴は上げないこと。
腰は抜かしてもいいから、暴れることだけはしないこと。
できる限り頭領のそばにいて、可能ならしがみついておくこと。
だいじょうぶ。ちゃんと、言いつけはまもれる。
破砕音と悲鳴、怒号が混じり合う中、こんな時ですら冷徹な声音が少女の耳元に囁きを落とす。
「離脱する。怖いのなら目を閉じておくといい」
「はいっ……!」
飛ぶように遠ざかっていく、ようやく戻って来れた生まれ故郷。
こちらを睨む海兵達に混じって、泣き叫ぶ両親の姿が見えた気がした。
■ ■ ■
旭海賊団は元奴隷の集まりであるという事実は、今更確認するまでもない現実である。
そしてそうである以上、浚われたり騙されたりした結果として奴隷に身を落とした者達が、故郷に帰りたい、もしくは無事を知らせたいと考えるのは当然の成り行きだった。
待ち伏せが多くなった、とは追手の海軍を蹴散らして疾走しながら内心呟く。
航海ルートを読まれているとは考えにくい。
基本的に旭海賊団は政府に進路を読まれないよう、ログポースではなくその時々で手に入れたエターナルポースを使って進路を決定している。これは海賊団結成当初、海軍からのあまりの追手の多さにとられた処置だった。
かといって、こちらの所持するエターナルポースからどのルートを辿るか逆算する事も難しいだろう。
正規ルートで入手する以外、元海賊だった面々が裏ルートで入手したものや略奪したものも含まれるからだ。
集められたエターナルポースの数は、既に十を超えている。
何人か生け捕りにして情報を絞り取るべきかもしれない。
地に転がって呻く海兵達に視線を走らせ、しかしすぐにはその案を放棄した。
常に広げている見聞色による探知に、船を停泊させた海岸へと向かう海軍らしき一団が、追ってきた連中以外にも引っかかった為だ。時間を使うのは得策ではない。捕獲はまた次の機会にすればいいかと結論を出す。
非戦闘員の少女を抱え直して速度を上げれば、船上に覚えのない気配が複数存在する事に気付いた。
海軍や賞金稼ぎの類にしては、周囲に存在している馴染みのある気配の面々に殺気が伺えない。
排除の必要はなさそうだと結論を下し、船へ向かって走る海軍の気配を更に探る。人数はさして多くない。
乗船している中に、脅威と呼べる相手もいないようだった。彼女達の追手に一人手間取りそうなのはいるが、このペースなら追いつく事は不可能だろう。
時折飛来する銃弾を叩き落とし、あるいは避けながら、停泊する自船へ乗り込むべく中空を駆け上がる。
水飛沫を撒き散らし、大口を開けた海王類のクイックが、の下半身を食い千切らんと牙を剥いた。
は殺気を完全に断った奇襲に慌てることなく、走る速度を緩めないままにがぱりと開かれた口内目掛けて拳を打ち下ろす。風圧を纏った一撃は、まともに喰らえば意識が飛ぶどころかそのまま内臓を貫通する程度には容赦がない。衝突する瞬間、武装色を纏ったクイックの尾が跳ね上がって致死に至るその一撃を受け止める。
優雅に身体を宙でくねらせて衝撃を受け流せば、とクイックの視線が刹那に交差した。
次は、喰う。
盛大な水柱と共に、海王類としては小柄な姿は海中へと消えた。
それを見届けることなく、は甲板に降り立つとぐるりと視線を巡らせる。
普段より緊張感と敵意を孕んだ空気が、船の真横で上がった轟音に一瞬で掻き消えた。
「頭領にコアラ、お帰りっすー」
「おいおいおい! 今のなんだよ!?」
「あ? 頭領がペットとじゃれただけだろ」
「出入りの度によくやるよなー」
船船内に蔓延していた緊張が緩み、そこかしこから帰船した二人に声がかけられる。甲板には感知した通り、船員でない男達の姿があった。唖然とした様子でこちらを見たり、手近な船員に喰ってかかって喚いている。
その顔ぶれに何処となく既視感を感じながら、駆け寄ってきた船員の一人に震えの抜けない少女を預ける。
「お疲れでした頭領。随分早かったですね?」
「ん。」
こくりと頷き、少女をあやす船員を尻目に声を上げる。
「海軍が待ち伏せていた、出航の準備を。早急にここを発つ」
各所から了解の返事が返り、一気に船内が慌ただしくなった。あやされる少女の横をすり抜けざま、似たような境遇の船員達がめいめいにその背や肩を叩いたり、頭を軽くかき混ぜて駆けていく。
「また待ち伏せか」
「最近よくあるな。海軍マジでうぜぇ」
「コアラしょぼくれんな。また機会はあるって」
「……う゛ん゛っ」
他方、船員でない男達は海軍が来るという言葉にも動き出す様子はなかった。
途方に暮れた表情で顔を見合わせたり、敵意も露わにを睨みつけたりしている。
ぶしつけに眺めてくる視線をものともせず、出航時の定位置である船尾楼へと向かう。
「おい、テメェ無視してんじゃ「やかましいわ痴れ者ッ!」げフぅッ?!」
「「「「 アーロン(さぁーんっ)!? 」」」」
「……はぁ」
慌ただしい船内に悲鳴と絶叫が轟き、タイガーは頭が痛いと言わんばかりに額を抑えた。
は叫ばれた名前に、成程、と感じた既視感に納得する。
アーロン。魚人至上主義で、原作では長期間に渡りイーストブルーの島一つを恐怖によって支配していた男だ。グランドライン出身者だったらしい。もう一人、やけに既視感を感じる男もおそらく原作に出てきた人物なのだろう。
タイガーに詰め寄って何か言っているが、時折に向ける視線は酷く敵意に満ちている。怒り心頭といった様子でアーロンを沈めた少女が、大仰なくらいに胸をそらして腕を組み、がなり立てる男共を一喝した。
「やかましいというておろう! 大体なんじゃ貴様等、いきなりやって来たかと思えばあれこれ文句をつけよって!」
「そうよそうよ、図々しい!」
「姉様ーもっと言ってやって!」
「んだと手前ェら!」
「喧嘩売りにきたってんなら買うぞ魚野郎共、あ″あ゛ん!?」
「その言葉は聞き逃せんなァ……!」
「下等種族が舐めてんじゃねーぞゴラァ!」
出航準備が整っていく中、転げ落ちるように険悪になっていく船員の一部と部外者達。
一触即発の空気に、纏めて気絶させておくべきか、と判断したが動くよりも先に、渋面のままでタイガーが拳を振り上げた。ごんごんごんごんッ! と連続して打撃音が鳴り響き、船員達と睨み合っていた中でも特に殺気立っていた面々が沈められる。深々とため息を吐きながら、タイガーは苦虫を噛み潰したような表情で頭を下げた。
「すまんな。こいつらには後でよく言い聞かせておく」
「副長! そなたがそんな態度だからこ奴等が、ったあ!」
「こんな連中海に叩きこ、いっでえッ!」
「ハンコック、ユーデル! ぬしらも自重せんか見苦しい!」
なおも喰ってかかろうとした二人の頭に杖を振り下ろし、小柄な老婆が鋭い叱咤を飛ばす。
むっつりと唇を尖らせ、海に放り込んでおけばいいと言わんばかりの口調で船員の一人がに問う。
「頭領、こいつらどうします?」
「彼等の船は」
「クイックが戯れに沈めてしまいましたな」
「そう」
老婆の返答に、彼等が乗って来たはずの船が見当たらない事に納得する。
クイックは好戦的な実力至上主義者だ。
旭の船員を襲わないのは、現状で彼より強いがそれを許可していないからに過ぎない。
虎視眈々と下剋上の機会を伺っているクイックは旭海賊団の船から半径五キロ圏内をテリトリーと定めているらしく、それを荒らす相手に容赦が無い。襲うつもりだった船を沈められ、戦闘の予定がサルベージに変更されたのは一度や二度ではなかった。アーロン達の船も、同様に沈められたのだろう。
「タイガー」
「ああ」
「彼等は何?」
「……おれの客、だな」
「そう。任せる」
その一言を合図に、魚人達と睨みあっていた船員が各々の持ち場へと散っていく。結果として乗り合わせる羽目になった魚人達が旭海賊団に正式に加入するのは、海軍の追手を振り切ったこの半日後の出来事であった。
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