龍洞内は視認できるほどの濃い魔力光によって、人工の光を必要としないほどに明るかった。
騒々しく突入した者達を歓迎するように、足元から立ち昇る瞬きが陽炎の如く揺れる。
―― aAA―――― LaAaaaa ――――
騒音を透過し、全ての音を雑音にして。
反響して幾重にも響き渡る音色が、魂をゆるりと絡め取る。
妙なる楽に、意識を惹かれた者達の視線がその主――の姿を捉えた。
舞う。
踊る。
指先が乞うように差し伸べられ、足がくるりと軽快にステップを踏む。
動きに合わせて翻る金髪の上で、きらきらと金の燐光が輝き華やぎを添える。
反らされたおとがい、艶めいた唇から零れるのは人声ではなく音符を紡いだ楽の歌。
女の足元で、岩肌を覆い隠すように草原が揺れる。
煌めく黒い眼差しは、夢見るように蕩けて遠い。
誰かが、うわごとのように呟いた。
「………きれい」
固有結界。否、固有結界とは呼べまい。
確立せずに瓦解する幻想、術者の心象風景は固定化されず、草原は広がる端から解けて消える。魔法の域に至る手前。魔法の域に手をかけた魔術。唄う音律はのびやかに軽やかに、聞く者の心を浚っていく。
龍脈を通じ、大聖杯へと流れ込む膨大な魔力。それを堰き止め、還元するためだけの奉納歌は、魅了の魔力が籠らずとも、聴衆を惹きつけるだけの魔性が備わっていた。
けれど、歌は所詮は歌。傾ける耳を持たなければ、それは雑音にすらならない。
「ぅふ、あはぁあああははははああああっ!
みぃんな纏めてぇ、大聖杯にぃ、くべてあげるわあああぁぁぁあぁぁああ!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■――ッ!」
ジープが大きく傾き、バーサーカーのマスターが喜悦に頬を上気させる。
狂気に満ちたその様を冷然と見据えながら、は無造作にサキをライダーの胸元目掛けて放り投げた。
「ぅきゃっ!?」
「征服王、サキをお願い致しますね」
「ッおう、任せておけい!」
ほぼ反射だろう。細い身体を軽々と抱え込んで、正気付いたライダーが力強く請け負う。
機体が軋む音をBGMに綺礼が離脱し、も助手席の切嗣を回収してジープから跳び下りる。直後、ジープがバーサーカーによって真っ二つされた。サキが悲鳴を上げる。
「ああぁっ! 折角いっぱいオプション付けたのに!?」
「って気にするのそこかよ!」
投げ付けられたジープの半分を避け、はバーサーカーとの距離を測りながら綺礼の方へと切嗣を蹴り転がす。イイ角度で入ったらしく苦痛の呻きが上がったが、まぁ命に別状はあるまい。視線を向けずに告げる。
「では、手筈通りに」
「心得た」
ふ、と僅かに緩んだ口の端をそのままに、は改めてバーサーカーに向き直った。
剣閃が交差し、白い火花が散る。最早白い軌跡だけを幾重にも描いて、セイバーとバーサーカーが鍔競り合う。
サーヴァントを挟んだ向こう側、うそ寒くなるような笑みを刻んだままに少女の眼差しがすぅいと細まる。視線をに固定したまま、少女は己の指先を食い千切った。
滴る血に、傷口に、蟲が殺到する。
ぐちゃ、ぶじゅり。
殺到した端から、蟲達の背が次々裂ける。
その内側からまろびでるのは、そっくり同じ姿をした複数の翅蟲だ。
産まれ、瞬く間に親と同じ大きさまで育った蟲の群れを従え、バーサーカーのマスターはおどけた調子でくるりと回る。
「♪ 産めよ増やせよ大地に満ちよぉ、飢えて餓えて求めやれぇええええ! あっはははははぁ!!」
翅蟲が鳴く。
耳元で風切音。けれど、視線を向けるまでも無い。幾ら凶悪な牙を備えていても、所詮は虫。速度は警戒に値せず、行動パターンも既に読み切っている。――それ以前の問題として、己の間合いを無防備に許す程、は気を緩めてはいない。
無造作に歩を進める後ろ、“折り”殺された蟲達がばらばらと墜ちた。
令呪のブーストをかけられた猛攻に押され、騎士王が大きく跳んでバーサーカーと距離を取る。その横に並べば、複雑そうな一瞥が向けられた。
「………下がっていろ、こいつの相手は私がする」
「片腕使えぬのでしょう?騎士王。無理は身体に障りますよ」
おっとりと、しかし有無を言わせぬ微笑みで返して騎士王の前へと出れば、す、とバーサーカーが剣を構えた。その視線は変わらず、セイバーのみを見つめている。
は笑みを崩さず、「それに、」と付け足し。
「今の貴方では加減できますまい。必要なのは足止めです故」
「――ッ!?」
セイバーの片手を掴んで引き摺り倒し、勢いそのままに後方へと放り投げる。
弾かれたようにバーサーカーがセイバーを追って走り出す。
しかし、遅い。
「駄目よ? 御前の相手はこの私」
セイバーのみに集中していたバーサーカーである、間合いに入るのは酷く容易い事だった。
理性があればに対しても警戒を怠らなかっただろうが、狂戦士にそれを求めるのは酷というものだろう。吸い込まれるように、バーサーカーの腹へと掌打が叩き込まれる。
弾き飛ばされるように、巨体が宙を舞った。
内功はたっぷりと練ってある。きちんと入っていれば、甲冑くらいは貫通出来たという自負がある。だが。
「――…………」
後方へ跳んでダメージを削いだのだろう。
さして応えた様子もなく、けれど、敵意を明確にしたバーサーカーがを見据える。
それまでのたおやかなものとは打って変わって、獰猛に笑う。
「結構」
片手で拳を作り、掌へと押しつける。
前世から変わらぬ、”死合い”前の一礼だ。
「さて。お付き合い頂きましょうか、狂戦士よ!」
それを合図に、は大きく踏み込んだ。速く、静かに。そして鋭く。
同じように、バーサーカーも踏み込んだ。速く、騒々しく。そして重く。
生身の人間とサーヴァント。
けれども両者共に、常人では在り得ぬ速度の踏み込みだった。
瞬く間も無く距離が縮まり、風圧を伴う銀閃がの首筋へと迫る。
そのままであれば、首を撥ね飛ばされて終わりだろう。故には、更に踏み込んでバーサーカーへと肉薄した。何事にも間合いは存在する。無手であるならばその基本となるのは腕の届く範囲内、武器使いであるならば武器の届く範囲内。
だが、無手と武器使いの大きな差異。
その一つが、懐に飛び込まれた際の対処にあった。
「――ッ!?」
バーサーカーの巨躯が宙を舞う。
セイバーが投げられたのと同じように、しかし、その片腕はの手に掴まれたままだ。
両者の間には大きな体重差がある。そのまま掴んでいるだけであれば、自身も不様を、そして致命的な隙を晒す羽目になる。
掴んだままでいれば、だが。
ごきん、
鎧の向こう側で、骨の砕ける異音が響く。
するり、と自然な動作で折り砕いた腕を這い上がり、上下反転して落下するバーサーカーの首に、の両手が掛かる。甲冑越しに口づけるような至近距離、いっそ優しくすらある動作のまま、バーサーカーの首に圧力が加えられる。サーヴァントと力比べができる程強い力ではない。けれど、骨を砕くには十分な――人体の構造、そしてバーサーカーの骨の耐久力まで把握しているのであろう、絶妙の加減であった。
一閃。
無造作な、けれど下手に受ければ致命傷は間違いない一撃。
頭蓋を両断しかねないそれを、は手甲で受け流しながら間合いを取り直す。身体を引くタイミング、受け流しの角度、力の加減。ほんの少しでも誤れば、受け流す手ごと顔面から叩き斬られるだろう。金属が擦れ合って悲鳴を上げる。
剣から重みが消え、両者の間に距離ができる。バーサーカーの足が地につき、跳躍。
「■■■■■■■■■■■■■――ッ」
片腕をだらりとぶら下げたまま、獲物の喉笛を狙う野獣めいた動きでバーサーカーが肉薄する。至近距離からの、体重の乗り切った跳躍。受け流せなくはない。が、先程使った手甲が見事に抉れている事を考えれば、何度も使える手ではない。生身で受け流せばその傍から肉を削がれる事請け合いである。
「ふふ……っ」
そもそもサーヴァントと違い、は生身の人間だ。
一撃、それだけで致命傷となり得る。
戦い慣れているとはいえ、長時間の戦闘は疲労を産み、産まれた疲労は精神を尖らせ、余裕を殺す。そうしてできる隙は、ほんの僅かの誤差も許さぬ死合いにおいて、彼女を死へと至らしめるだろう。
思考も判断も一瞬。躊躇いは必要ない。抉れた手甲で剣を受け流す。想定通りに重く、そして鋭い。完全に鋼が抉れ、皮膚を掠めて鮮血が刃金を汚す。こちらの意図を察知してか、交えた剣は加えられた力の流れに逆らう事無く逸らされ、翻って胴を狙う。身体を反らしてそれを避ければ、残像すら残さぬ速度で剣が振り下ろされる。
「ッ!」
反転したの両脚がバーサーカーの腕を絡め取る。
相手を捉えてから。それこそ、が“死合い”に特化させた武術の、最も得意とする間合いだ。
振り払うには既に遅い。
鎧が軋む。
殺った――
瞬間。
飛来した幾つもの宝具に、バーサーカーとは互いを突き飛ばすように場を離脱した。
轟音と共に地面が抉れ、もうもうと土煙が立ちこめる。
ものの見事に水を差される形となり、は一転して憮然とした表情を浮かべた。嘆息混じりに問う。
「……英雄王は敵、と云う事で宜しいのかしら? 綺礼。
大聖杯がああですし、破壊に加担せずとも傍観を選ぶだろうと踏んだのですけれども」
「残念だが、な…。師の意向とアレの気紛れが一致したと見て良かろう」
「やれ、面倒な」
こと此処に至っても、呆然と大聖杯と向き合うセイバーを横目で見やりながら、駄目になった手甲を捨てて服の裾を破き、片手の止血をする。出血は酷いが、さほど深く抉られた訳でもない。手も問題なく動く。戦闘に支障はなさそうだった。
「征服王方は?」
「アーチャーの相手をしてもらっている。今は固有結界の中だな」
「サキが無傷で、が流れ弾を喰らわぬのであれば何でも良いけれど………その時間稼ぎは間に合いそうなの?」
ちらり、と綺礼に視線をやれば、無表情ながらも力強いサムズアップで返された。そこはかとなく目が輝いている。問題は無さそうだ。頷き返し、収まりつつある土煙の向こうへと目を眇める。
小休止は終了のようだ。
「では、もうひと働きして参ります」
「頼んだぞ。こちらも手早く片付けるとしよう」
言いながら、綺礼が足元に転がる衛宮切嗣の腕へと黒鍵をあてがう。
そんな友人にひらり、と背を向けたままで手を振って、はバーサーカーへと向かって走り出した。
「――待てッ! 貴様何を――」
背後で、呆然としていたセイバーが悲鳴にも似た声で叫ぶのを聞きながら。
■ ■ ■
ふ、と知らず詰めていた息を吐き出し、そこで初めて、遠坂 時臣は自身が疲れている事を理解した。椅子に深々と身体を預け、目頭を押さえて再度、溜息をつく。心無しか頭痛さえする。
このような事態になるなど、予想外にも程がある。
それが彼の、偽らざる心境であった。
否、誰が想像し得ただろうか。魔術師による崇高なる聖杯戦争、そこにまさかあのような慮外者が乱入し、あまつさえ目をかけていた弟子が加担しているなど。裏切りは魔術師の常であるとはいえ、それが許せるか否かは話が別である。が、現状において問題となるのは不肖の弟子では無い。
「大聖杯、か」
視覚共有を通じ、目にする事になった儀式の要。御三家の技術の粋。
根源へ至るべくして創られた、魔術儀式。
時臣とて愚かではない。
サーヴァントの目を通してだとて、大聖杯が異様な瘴気に塗れている事は理解できたし、それが純粋な龍脈のエネルギーを集積して運用している聖杯としては異常な事も理解している。
しかし、それがなんだというのか。
遠坂時臣は決して愚かな人間ではなく、また、無能な人間でもない。
魔術師としてもこれまで多くの研鑽を積んできた。だからこそ、聖杯が願望機として正常に作用するか疑わしい事くらいは理解できていいる。かの魔術儀式を組み上げた偉大な先人達、彼等の残した術式を完全に解析するだけの能力が無い事も理解している。
だが。
願望機として聖杯を求める者と、遠坂 時臣の決定的な相違。
「……根源へ至るには、問題ないと見るがね……」
それが、彼の下した結論であった。
冬木の聖杯戦争のシステムを作り上げた御三家の本来の目的は、サーヴァントとして召喚した英霊の魂が座に戻る際に生じる孔を固定して、そこから世界の外へ出て“根源”に至る事。小聖杯は溜め込んだ七騎分をもって大穴を空けるためにある。
そして、その大穴を開けるのに、力の性質は問われない。
そう。や綺礼達にとっては都合の悪い事だが、“根源”に至る為だけであれば、聖杯の機能に問題はないのだ。
今後の戦略を考えなおしながら、時臣は紅茶を淹れ直そうと立ちあがろうとし。
「――?」
片手の感覚が、
否。
腕が無かった。
時臣の視線が本来であれば手のある場所、消えた肘、そして鋭利な断面を晒す二の腕へと到達する。
脳がその事実を把握するより早く、思い出したように傷口がぶしゅう、と音を立てて鮮血を吹き上げて頬を、髪を、スーツを濡らし。
「 妄 想 心 音 」
玲瓏とした声が、敵襲を理解した遠坂時臣を床へと沈める。
急速に闇へと呑まれる意識の中、それでも必死で動かした目で最後に捉えた敵は。
「アーチャーに、令呪を以って命ず――」
凡俗と組み。彼を裏切った弟子の、サーヴァントの姿であった。
■ ■ ■
すべて見ていた。
常人には視認できない、バーサーカーと友人の死闘も。
固有結界の中で展開される、アーチャーとライダーの勝敗の決まり切った戦いも。
確実に魔力枯渇へと追い込まれていく、バーサーカーのマスターの姿も。
そして、綺礼とセイバーのやりとりも。
( 待て、いったい、なにを… )
( セイバーよ、令呪を全て重ねて命ず―― )
龍洞へ、己の魔力回路を拡張し。
龍脈から大聖杯へと向かう魔力の奔流を、調整しながら。
魔術行使時特有の、苦痛と恍惚。浮遊感に脳髄を蕩かされながら。
は、すべて見ていた。
( ――宝具を以って、 )
部外者であり、
乱入者であり、
この場においては最も情報を握っている転生者である女は、とっておきの特等席で結末を俯瞰しながら考える。
フェイト知識をよりはるかに多く持ち合わせ、自身でも物語の方向性を決めた自覚のある女は、自らがもたらした結果を見ながら、考える。
( や、まて、まって―― )
( 大聖杯を、破壊せよ! )
持ち主の意に反し、エクスカリバーが振り下ろされる。
極光が、違わず大聖杯を完膚なきまでに呑み干して果てる。
その影で、魔力枯渇からマスターへと襲いかかったバーサーカーと、それを仕留める友人が、その耳元で囁いた言葉まで知覚しながら、なおもは歌を紡いで考える。
「 では御機嫌よう、裏切りの騎士 」
よっしゃコンサート旅行ゲッツ。
結局の所。
という転生者にとって、“原作”とはさして価値有るものでなかった。
物語の部外者は部外者以外の何物にもなろうとせず、ゆえに、其処に感慨などあるはずもなかった。
かくて混沌の一夜は明け、運命は始まりへすら至らない。
各々に、ただ憂鬱な後始末だけを置き去りに。
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