情報は武器である。
倉庫街にてサーヴァントとマスターが一堂に会する事を知っていたからこそ、衛宮切嗣の捕獲はスムーズであったし、停戦宣言で参加者達を適度に煽り、迷いや反発を誘発する事ができた。
事が起きるおおよその時刻が分かっていたからこそ、大聖杯の元まで誘導するために最適なルートを吟味し、幾らか小細工を弄する暇も持てた。
転生者の存在、そして彼等が集めた情報があったからこそ、イレギュラーの存在や今後起こり得る展開についての最悪を想定しておくことができた。
「誠、順風に過ぎる程だこと」
轟々と、風が唸る。生き物の気配が薄い暗い道路、街灯さえもまばらな道を、ジープと戦車が競り合いながら疾走していた。めまぐるしく通り過ぎていく風景を横目に、は後方から猛追する漆黒の狂戦士を眺めやる。
その肩では無数の羽蟲を従えたマスターの少女が、髪を振り乱して自身のサーヴァントに檄を――というか罵倒を飛ばしていた。
蟲の羽音と風に紛れて発言までは聞き取れずとも、雰囲気とおおよその表情で言わんとする事は読みとれる。
「順風、かね?」
足元の切嗣を足拭きマットにして悠然と隣に立つ綺礼が、そこはかとない疑念と不満を織り交ぜて問い返す。牙を剥き出しに、彼女達を喰い殺そうと飛来する蟲を文字通りに叩き折り棄てながら、は不思議そうな視線を隣に向けた。地に墜ちてもがく蟲は主のサーヴァントに踏み潰され、追いついた蟲共に喰い尽くされて跡形と残らない。
「斯くも計画通りに事が運んでおりますに。此れを順風と呼ばずして何と云うの?」
「幾人か置き去りにしたように思うが」
「幾人かは釣れたもの。論じるまでも無い、瑣末事でしょう」
法定速度ガン無視で爆走するジープは、人外枠にあるはずのサーヴァントと余裕で走りを競える程度には魔改造されている。故に、本気で追う心算の無い者や、判断に迷いの生じた者は倉庫街に置き去りになるという寸法だった。軋んだ金属音の悲鳴が響き、ガードレールがジープと火花を散らす。
がくりと一瞬傾いた車体は、しかしアスファルトの道を踏み外す事無く際どいラインを保っていた。再度、スピードが上がる。
「……現物を見せ、停戦を納得させる予定だったろう」
「招きに応えぬ程度の執心なれば、相手をする必要はないでしょうよ」
ゆるく束ねた髪を風に弄られるままにしながら、は穏やかな語調で切り捨てた。
事が聖杯戦争の根幹に関わる重大事項だ。
一般人の戯言、無才者の妄言と一笑に伏すならばそれまで。
あの宣言とて、そもそも事が終わった時に言い抜ける為の予防線に過ぎない。
「……ランサー陣営は追って来ないようだな……。
正直、あの居丈高なマスターなら誅罰でも下しに来そうだと思ったのだが」
「ああ。在れは追って来ないように事前にが手が打っておりました故」
「……。聞いてないぞ?」
「今言いましたもの、当然でしょう。あそこは相手するのだるい、とかなんとか……。
まあ後で騒ぐでしょうが、余り喚くなら黙らせます故」
のほほんと物騒な発言をするはけろっとした顔をしている。微塵も問題だと感じていない顔だった。
しかし綺礼は苦悩を滲ませた様相で天を仰ぎ、掌で顔を覆った。
悩ましい溜息と共に、喘ぐような声が零れる。
「苦情処理で今から頭が痛い……」
見上げた夜空には、月光の下でも自己主張激しいアーチャーの宝具が飛行している。
頭を過ぎる秘匿の二文字に、ただでさえ酷い頭痛が増した気がして綺礼は呻いた。教会所属ならではの嘆きである。他方、乱入してても根本的な部分で立ち位置:部外者をキープするは呑気にのたまう。
「御前、本当に真面目ね? 弱者の囀りなど捨て置きなさいな」
「……言うがな、。この惨状の後始末も教会なのだぞ?」
改めて、は後方へ視線を向ける。
事前に被害を想定し、倉庫街から大聖杯へ向かうルートは元より、なるべく街灯すらまばらな閑散とした道路を選んである。加えてごく簡易ではあるが人払いの呪いを施してあるため、この道を通る車は皆無といっていい。
が。
「……。」
――ぅわんぅわんぅわんぅわん――
羽蟲が鳴く。否、羽音だ。
無数の蟲の翅が擦れ合い、唸る風鳴きすら透過して、鼓膜に爪を立てるような不協和音が木霊する。
通り過ぎる風景の端、視界の隅を時折民家が過ぎるたび、蟲の軍勢の一部が蜜を求める蟻のような貪欲さで殺到していく。何を求めての行動なのかは察して余りあるところであった。
再度、と綺礼の視線が交錯する。
「……真祖三で如何?」
「魔術師十で手を打とうじゃないかね」
足元のコンクリートを粉砕しながら疾走するバーサーカーが、通りすがりざまに街灯を折り取って槍投げ宜しく投擲する。それを蟲と同じ要領で軽く軌道を逸らせば、そのまま道路に突き刺さって天然の前衛アートと化した。
差し掛かったカーブにがくん、と急激なGがかけられて車体が傾き揺れるが、二人の体幹は揺らぐ様子も見せない。道端で会話でもしているような安定感でジープの後部座席に立ったまま、難しい顔では頬に手を添えた。
「……五では駄目かしら」
「八だな」
「六では?」
「七。これ以上は譲らん」
「……仕方ありますまい。それで手打ちと致しましょう」
「~っあ・ん・た・ら・さあっ!
さっきからすっっごいのんきにっ! なんのっ! はなしをっ! してるんだよっ!?」
堪え切れぬと言わんばかりの憤慨を込めて、横合いから全力のツッコミが轟いた。
法定速度ガン無視で爆走するジープは、人外枠にあるはずのサーヴァントと余裕で走りを競える程度には魔改造されている。
ゆえに現状、走りを競うサキとライダーは時折イイ感じに獰猛な笑みを交わしながら着実に好敵手への友誼を育んでいる真っ最中である。言葉は要らない、そんな漢の友情がそこにはあった。結果として影がセイバー用釣り餌兼足拭きマットさん並に薄くなっていたライダーのマスターを、そういや居たなと言わんばかりの目で見て二人は揃って首を傾ける。
「「……事後処理の代価について?」」
奇しくも同じ台詞で答えた二人は、互いへと視線を向けて頷き合う。
「大事な話だな」
「ええ。これ以上なく大事な話でありましょう」
「そうだな。では教会の方にもこれで話を通しておくとしよう。
上を納得させる取引材料としても、金銭より実働の方がありがたい」
「私からも、知己に後押しを頼んでおきます。事後承諾は常の事。如何にでもなりましょうよ。
……やれ、また暫し煩く勧誘されそうなこと」
人間など骨ごと食い千切る牙を剥き出しに、蟲達が重力の法則に従って罅割れたアスファルトの上へと墜ちる。既に街灯も、民家すら点在しなくなった道は月光とジープのヘッドライトだけが先行きを照らし出している。
そんな視界の悪い状況であるというのに、常人であれば当然不可能な所業を、それこそ視線すら向けず作業的に行う友人を眺めながら、綺礼はしみじみといった調子でぼやいた。
「私としても、お前には代行者になって欲しい所なのだがな」
「基督は我が神に在らず。縋るは己が悪運強さのみと定めております。
其れに、代行者になったら確実に仕事時間が増えるではありませんか。仕事で忙しいのは好みません」
「心の贅肉だな。楽をしようという発想は良くないぞ」
「いや、説得を面倒がったアンタが言うなよ!?」
とっても正論だった。
実際問題、と、綺礼の三人が伝手を駆使すれば、聖杯戦争の停戦について“話し合い”をする席を設ける。それくらいはできた。礼を尽くし手を尽くし、言葉を弄して知り得る知識全てを総動員すれば、或いは正式に聖杯戦争を無期限延期にまで持ち込むことだってできたかも知れない。
だが。
「何故私が魔術師に配慮せねばならんのだ」
「~ばっかにしやがってぇえええええ「捕まっておれ坊主!」えぎゅっ!?!」
ライダーが鋭く警告を飛ばす。
悪路に蟠る闇の中、競り合う戦車とジープにまたがるように、目を灼く白光が突き刺さった。
グォオオオンッ!
重厚な機械音の咆哮。
咄嗟の事に目をやられたらしい。ジープが蛇行し、綺礼が即座に反転してハンドルを奪う。
ガードレールとジープの間に火花が飛び散り、距離の開いた戦車との隙間へと落ちるように、アスファルトを抉りジープの側面を削りながら、風を纏ったバイクが割り込んだ。
夜目にも鮮やかな金の髪。白く、中性的な美しい貌。麗人とでも評すのが相応しい乗り手。
「あら」
通ってきた道路の傾斜を上手く利用したようだ。
正しく上から“降って湧いた”セイバーが、感心したように呟くへと鋭い視線を投げかける。
「キリツグを返してもらおうか!」
「もう暫し御辛抱下さいな、冬木の夜明けまでにはお返し致しますので」
「ありがとう綺礼。もう大丈夫よ」
「了解した、任せたぞ。……ふむ、夜明けまであと六時間といったところだな」
ノートの貸し借りでもするような軽さでの断わりを、綺礼は回復したらしいサキに運転を譲りながら時計を確認して補足する。
「安心したまえセイバー。ただし死体で、などというオチなどつけんさ。君が我々の敵でない限りはな」
「く……この外道めがっ!」
「嫌だ綺礼、今の御前まるきり悪役顔よ?」
幼子の悪戯を見守るご近所さんのような微笑みで、はセイバーへと振りかぶられたガードレールを破片へと変えた。短くなった、けれど鋭く尖ったガードレールを即席の武器にしたまま、此処に至って確実に距離を詰めてきたバーサーカーが咆哮する。
「Aaa■A■――■■LaL■A■■■■aLa■■■ie■■ァaア!!」
セイバーしか見えていない。
言葉にするまでもなく明確なバーサーカーの狙いに、涙目で口を抑えて悶絶していたウェイバーの顔色が更に悪化する。綺礼が投擲する黒鍵が蟲達を的確に削っている事も、バーサーカーの狙いの的でない事も救いにはならない。ライダーがこの場を離脱しない限り、戦いに巻き込まれるのは明白だった。
おっとりと小首を傾げ、は黒い狂戦士を手で示す。
「随分と情熱的なこと。騎士王、貴方の生前の御知り合い?」
「生憎、あのような狂乱の徒に知り合いはいない」
セイバーが苦々しげに吐き捨てる。
は狂戦士を一瞬だけ見やり、「それは失礼」と笑みを含んだ謝辞を返した。
アスファルトの道路が途切れ、土と砂利だけが敷かれた簡素な道へと変貌する。既に人払いの呪いは無い。けれど争いの気配を察知したのか、はたまた場に漂う魔力にあてられたのか。生き物の気配は不自然なまでに薄かった。
蟲が鳴く。
「ほんっとぉ、駄犬んんぅ……っ!」
バーサーカーのマスターが、音高く舌を打つ。
ただでさえ運用に過大な魔力を必要とするサーヴァントだ。同時併用しているのが“改造”で運用コストを抑えた蟲で、更に手当たり次第にあちこちから魔力をかき集めていても、少女の負担は相応に大きい。
それでも、追うのを止めるという選択肢は存在しない。此処で諦めれば聖杯は確実に失われると、理屈でなく直感で理解していたが故に。
「令呪を以ってぇ、命ずるわぁあああ……!
――みぃんなぁ、さっさと殺しなさいよぉおおおおおお!」
「Aa■■LaL■A■■■aLa■La■■■■■■■■■■■■■■■――ッ!」
少女の右手から一画が失われ、バーサーカーが注がれる魔力に狂喜する。
「ひっ、き、きたきたきたきたぁぁあぁあああっ!」
「わめくでないわ、小僧!」
ウェイバーが叫び、ライダーが一喝した。
ジープ目掛けて勢いよく振られるガードレールを、常人には到底視認できぬ速度で次々と受け流しながらも、は眉を潜めた。捌けない速度ではない。が、行動範囲を大幅に制限される現状、守るものが多いの方が分が悪い。
後方で繰り広げられる激しい攻防に、運転席のサキが苛立たしげに唇を尖らせる。
「無粋だわ、もうっ! 、それ何とかできない?」
「御免なさいね、サキ。辛抱して頂戴な」
最早道とすら呼べぬ悪路、激しく震動する車体に、ブレの無かったの手元に狂いが生じる。宝具化されたガードレールの刃が、勢いよく座席へと突き立てられた。そのままジープを手繰ろうとするも、サーヴァントと争える程度の性能を誇る改造ジープだ。バーサーカーを引き摺り減速しながらも、その車体は前へと進む。競り合っていたライダーに抜かれながらも、サキは艶然と笑って叫ぶ。
「うふ、うふふっ! 面白くなってきたじゃない! 巻き返すわよぉーっ!!」
「ふはははっ、良き胆力よ! それでこそこの征服王と競うに相応しいわ!」
テンションハイかつ楽しそうな運転手組とは間逆に、ずり、ずり、とバーサーカーが引き摺られながらもジープの中へと這い上がる。叩き落とすには既に遅く、引き剥がすにしてもぅわんと群れる蟲達が邪魔だ。
綺麗に整えられた指先をへとつぅいと差し出し、恍惚としながら少女が唇を舐めて嗤う。
「まずはぁ、おまえからよぉおぉおぉぉお……?」
年齢にも場にもそぐわぬ、男であれば下半身を直撃しそうな淫靡な誘いを侮蔑を込めて一瞥し、は乱暴に切嗣を助手席へと放り込んだ。自身も集る蟲を必死に追い払いながら、ウェイバーが「もうやだぁぁあああああ」と悲鳴を上げる。
「おい! 一先ずバーサーカーを迎え撃つべきではないのか!?」
高く舌打ちし、横目でバーサーカーを警戒しながらセイバーが鋭く問う。
しかし先行きを確認して、綺礼は「必要あるまい」と獰猛な、狩人の顔で断言する。
「もう着く」
悲鳴、蟲の羽音、誰かの哄笑。
諸々をBGMに、一行は縺れ合いながら龍洞へと雪崩れ込んだ。
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