強者の義務など知るものか。
 弱者に対する配慮など、鳥の餌にでもくれてやれ。
 万人が論ずる善悪道理に価値は無く、誰かが決めた正誤にも、同じ程度に意味は無い。

 この世においては力がすべて。弱い奴が、悪いのだ。


 ■  ■  ■


 先に仕掛けたのはツキネ達だった。
 接敵まであと十数秒。その距離にまで至ったメタングは、スピードを殺さないまま、腕を大きく後方へと引き絞る。
 ツキネの腕の間から、前方に向かってルリリが跳ぶ。直進する勢いを乗せ。メタングは拳の軌道上に、ルリリを捉えて振り抜いた。

「〝はねる〟!」

 ともすれば必殺の凶器と化す拳を足場に、大きな尻尾がきゅううっと極限まで収縮する。
 バベル屋上。その中央に立つビューティー目掛け、拳のスピードをも加算して、ルリリは直線軌道で跳ね跳んだ。

 ――ヒュゴッ!

 ツキネの瞳が燐光を強める。無形の圧力が、あくタイプのガオガエンを除くふたりへ重く伸し掛かる。
 あらゆる抵抗、挙動の一切を捻り潰す強烈なサイコパワーの波動に、ラグラージの足元で床材が悲鳴を上げてひび割れた。ビューティーの鞭が、空気を裂いて床を叩く。
 鞭を合図に、屋上全体を暴力的な虹色の閃光が染め上げた。
 即座にホワイトアウトした両目を閉じ、心の目へと切り替える。
光に驚いたムンナが「んゅあー!?」と叫ぶのに紛れ、ビューティーの唇が単語をかたどる。

「〝      〟」

 みるみる縮まる距離の中、ガオガエンらしきモヤが、大きく身を屈めるような動作をした。
 モヤの中央部分で、光が、炎が強く輝く。ルリリは対象外。射線上にいるメタングが、回避するには既に遅い。ツキネは吠えた。

「背後に!」

 判断は刹那。短距離間テレポートで灼熱の直撃を逃れ、ビューティーの後ろへ。
 阿吽の呼吸でツキネの考えを汲み取ったメタングが、転移と同時に急回転で進路を変える。目標はビューティーの背後、右斜め後ろで膝をついているラグラージ。
 ぐわん、とかかった遠心力に逆らわず、空中へとムンナと一緒に放り出されながら、ツキネは続けざまに命じた。

「〝アイアンヘッド〟!」
「〝アームハンマー〟」

 ラグラージの剛腕が、唸りを上げてメタングの頭突きを迎え撃つ。
 体勢を崩していたラグラージと、急回転はあれど、勢いそのままに突っ込んできたメタング。そのままであれば間違いなく、メタングが競り勝っていただろう。
 だが。狡猾な毒蛇のように、宙をのたうち鞭が躍る。
 まるで新体操のボールさながら、ルリリが鞭に軌道を変えて、メタングへ横から突っ込んだ。

「「――ッ!?」」

 予想だにしなかった神域の妙技に、完全に不意をうたれてメタングが弾き飛ばされる。
 コンクリートに打痕を残し、脱力したルリリが高く跳ね上がる。
 ベイビィポケモンは極端に体力が少なく、脆い。一撃でもかすればそれで終わり。そのまま勝敗が決まるまで、戦線離脱の可能性が高い。
 だからこそ、ルリリは先陣を志望した。
 一撃で勝負を決めてみせる、と。
 それを余裕でいなされた。ニンゲンだからと、見積もりを甘くした。ツキネのミスだった。悔やんでも悔やみきれない。
 けれど。このまま気絶して離脱なんて、誰より何より、ルリリ自身が自分に許せるはずもない!

「まりりぃ!」

 ツキネの活に応え、落ちるに任せていたルリリが尻尾を勢いよく引き戻した。
 空中で、ツキネはくるりと体勢を立て直す。
 目標変更、位置取り良好。

「そのままっ――〝とびはねる〟!」
「るぅーっ……りぃいいいいいいいいいいいい!」

 だんっ!

 先程よりも威力は劣る。けれど今できる全力を振り絞った、力強く床を打つ音。
 ラグラージに向かって、ルリリが高く跳ねかかる。
 ビューティーが冷酷に命じた。

「〝かえんほうしゃ〟」

 体勢を立て直したばかりのメタングに向かって、ぐう、とガオガエンらしきモヤが再度、身を屈める。
 はがねにほのおは効果抜群。母の育てたガオガエンのソレが、どれだけの威力を発揮するかは嫌というほど知っている。
 だからこそ、容赦なんて有り得ない。たとえ洗脳状態にあろうとも。
 エメラルドグリーンをした燐光が瞬く。強さを増す。
 ギラギラと屋上を染め上げる人工の虹色が、ただ一色に塗り替わる。

「落ちろ!」

 ゴガァアアアアアアアアアアアッ!

 薄い氷の板を割るようにバベルの屋上、続けてその下三階層が積み木崩しに崩落する。
 下階へ降り注ぐ瓦礫の雨。同じように落ちながら、ラグラージがぐぅうう、と四肢を縮こめる。
 水が吼える。水が猛る。ラグラージを中心にして解き放たれた〝だくりゅう〟が、周囲の瓦礫を巻き込みながら威力を増し、高波となってメタングを飲み込む。
 稲妻のように、ラグラージを追って〝だくりゅう〟の向こうへルリリが墜ちる。

「むー!」
「お任せなのぉ!」

 後を追って飛び込むツキネに威勢よく応え、ムンナがぽぉんと別方向へ飛び込み消えた。
 がらがらと積み上がり、圧し潰し、穴を作り、ビルを盛大に揺らして降る瓦礫の豪雨が、〝だくりゅう〟の海が、燐光を受けて法則を変える。流れを生んで渦を作る。
 瓦礫に紛れ、ガオガエンらしきモヤと距離を詰めるムンナ。
 ラグラージに渾身の〝とびはねる〟を叩き込んだルリリに、〝だくりゅう〟に揉まれながらも、〝サイコキネシス〟でダメ押しの追撃を食らわすメタング。
 ドローンに担ぎ上げられ上空に退避している、マーシャドーを納めた謎の機械。
 全てを見通す心の目は、物理的な障壁をものともしない。
 油断は無かった。侮りも。

――!?」

 足首を鞭が捉える。
 絡みつき、天から地へと引きずり落とす。
 瓦礫の渦が夢から覚める。思い出したように粉塵を巻き上げて下階の床へと突き刺さり、積み上がる。
 ぐぁん。世界が回る。心の目が途切れる。受け身など取れるはずもなく、ツキネは軽々、背中から瓦礫へ叩きつけられた。衝撃にヒュゥ、と肺から押し出された空気が口を飛び出し逃げていく。
 虹色の残光を引きずる網膜がチカチカと明滅する。全身を襲う痛みが呼吸を、思考を阻害する。
 死にかけのコイキングのように指一本、目線一つままならず、はくはくと唇をわななかせるツキネの目前で、桃色の髪がひらりと舞って。


「 ( だぁ―― めぇ   え ―― ッ! 」 )


 声とテレパシーが、二重になって大音量で響き渡った。
 直前までのあらゆる思考と感情が、ムンナの主張と感情に塗り替わる。圧迫される。
 一瞬の静止。しかし何事もなかったように、照準を合わせたピン・ヒールが、ツキネの首へギロチンの速度で振り落とされ――

「ちっ」

 ビューティーが身体を捻る。首を削って踵を鳴らす。
 短距離テレポートで場を離脱し、どうにか正常な機能を思い出した肺へ、短く呼吸しながら酸素を取り込む。どっと全身から脂汗が噴き出す。額をぐっしょり濡れた鋼の身体に押しつけ、痛みが過ぎ去るのを待つ。「むー!」メタングが叫ぶ。
 離れた場所に、何かが叩きつけられる音。返事は無い。
 焦るな。ツキネは自分に言い聞かせる。

「……」

 熱を持った首筋に触れる。ぬるりとした感触がした。
 足を引っ張った自身の未熟に荒れ立つ感情を鎮めながら、ツキネは心の目でもって戦局を推し量る。
 〝あくび〟を仕掛けに行かせたムンナは吹っ飛ばされ、時計塔の屋根でダウン中。
 ガオガエンはほぼ無傷。ビューティーも、最初に仕掛けた時点で平然としていた様子から見て、何かしらの強力なエスパー対策をしている。加えて、瓦礫の渦を無傷で渡り切るのみに留まらず、あの状況下で距離を詰め、攻撃まで行ってみせる脅威的な身体能力。
 メタングはダメージを受けている。濡れた身体にほのお技は通りが悪いが、タイプ相性は最悪。
 これが普通のポケモンバトルだったなら、一か八かの大博打に打って出ている場面だが。
 軽く片手を振って、気絶したラグラージとルリリを時計塔の鐘楼へと非難させる。

「……やりにくいな」

 メタングが苦々しく唸った。
 ガオガエン。ビューティー。
 後はついでに、上でヒュンヒュン飛び回っている機械。
 どれもこれも、一つずつなら対処可能な敵である。問題は、それら全てを同時に相手しなけれはならないという点だ。
 ガオガエンに勝とうと思えばビューティーへの警戒が疎かになる。その逆もしかり。
 上で飛び回って謎のカウントダウンをしている機械が一番与しやすそうだが、飛空艇や、その前の戦いを思い返せば壊すのには苦労しそうだ。
 テレポートの連続使用が現実的なプランではあるが、なにせ相手はツキネの想定をことごとく上回ってみせるポケモンハンターである。そのくらいの手には軽々対応して来るだろう。
 あのハンターの意表をつけるような、隙が作れる一手が要る。
 ツキネは歯噛みした。メタングか自分があとひとりでいいから増やせるか、せめて腕だけでも、任意のタイミングで任意の場所に生やせたなら――
 ふ、と。閃くものがあった。テレパシーでメタングに思考を共有する。「ィウギァ」とてもやりたくないという気持ちがたっぷり詰まった呻きが上がった。メタングの表情筋がニンゲン並みに柔らかければ、きっと顔をくちゃくちゃにしていたところだろう。
 葛藤すること約五秒。
 目まぐるしく回転していたメタングの思考が定まる。
 テレパシーを通じて逆に追加された提案に、ツキネは顔をくちゃくちゃにして「ぅえあ」と呻いた。
 メタングがむっつりしながら言う。

「やるからには徹底的に、だろ」
「難易度の上げ方がえぐいのです……!」
「ええっできないの? 自分の姉様なのに? 姉様のくせにいー?」
「おのれ愚弟」

 ツキネは青筋を浮かべて腹をくくった。
 明滅する人工の虹色が、周囲を淡く照らし出す。
 鞭がしなる。不安定な足場を蹴って、ガオガエンが、ビューティーが、滑るように駆ける。
 迎え撃つように両腕を広げて、メタングが姿勢を低くし構える。
 ツキネの両眼で燐光が輝く。瓦礫が投石の雨と化す。
 あのふたりの身体能力ならこの程度、抜けてくる事は分かっている。
 だから、これはただのフェイク。
 相手の動きを制限し、こちらの意図を誤認させる為の――

「〝じごくづき〟」

 しなやかな動きで、ガオガエンがメタングへ肉薄する。
 間合いへ踏み入ったビューティーが、ツキネの頸椎を砕き折らんと正確無比に鞭を振るう。
 テレポートの連続使用では遅い。間に合わない。
 だから、任意の場所に腕を転移させる・・・・・・・・・・・・・

――ッ!?」

 ガオガエンの突きが空を切る。
 ビューティーの鞭が、突如出現した鋼の腕に防がれる。
 かき消えそうな鈴の音と共に上空を飛び回っていた機械の背後に、両腕の無いメタングの身体が出現する。
 空間歪曲。サイコパワーで空間を歪ませ、離れた地点同士の距離を物理的にゼロにする、ツキネ自身使うのは人生二回目の能力だ。額に脂汗を滲ませて、元に戻ろうと激しく抵抗する空間を力任せに歪め、保つ。エメラルドグリーンの両眼を輝かせて、ツキネは力いっぱいに吼えた。

「〝とっしん〟!」

 渾身の一撃が、ガオガエンめがけてドローンごと、マーシャドーを縛める機械を叩き飛ばす。
 とっさにバックステップで飛び退いたビューティーが、猛然と迫ったメタングの左腕に、瓦礫へ叩きつけられる。
 突きを放った姿勢で伸び上がった無防備なガオガエンの腹に、残る右腕が炸裂した。

 ――ゴガァアアアッ!

 たたらを踏んだガオガエンに、上から降ってきた機械が直撃する。
 圧し潰される形で、ガオガエンがドサリと倒れた。とっしんと衝突の衝撃に、機械に大きくヒビが入り、何かの数字のカウントが止まる。
 歪んだ空間から即座に両腕を引っこ抜いて、メタングが上空から叫んだ。「やった!?」ツキネはゆっくりとサイコパワーを緩める。歪曲していた空間が、波打ち、微震しながら正常な形を取り戻す。ふーっと息を吐き出して、ツキネはあまりの疲労感に、へなへなとその場で座り込んだ。
「……、……」機械がもたらす苦痛から解放され、マーシャドーがまぶたを震わせ身じろぎする。

 空間はゴムのようなものだ。常に正常な形であろうとする。だから、空間歪曲を使う時は元に戻ろうとするのを上回る力で引っ張り合わせ続けなければいけないし、終える時も、余波で衝撃波が発生しないよう、ゆっくり戻していく必要がある。
 初めて使った時、それが分かっていなかった為に別宅の庭を半壊させてメタングと被害の大きさに震えたものだ。ほんの十メートルを縮めての余波がそれだったのだから、今回失敗した場合の余波は推して知るべし、である。メタングが二点を三点に増やしてくれたものだから余計にだ。どっと全身から冷や汗が噴き出す。
 ガオガエン、そしてビューティーに動く気配が無いのを確認して、ツキネは満面に笑みを浮かべて拳を突き上げた。

「やったのです!」
「よしっ!」

 勢いよくガッツポーズして勝利を喜び、「さてと」眼下の荒れ模様に、メタングは早々に次へと話題を切り替えた。

「どうしよっか、この惨状」
「賭けに勝ったんだから、後はあのロクデナシジムリーダーの仕事なのです。めた、おじさま背負うですよ。マーシャドーは私が。あのハンターは当分目を覚まさないでしょうし、先にラグラージ達を含め、皆をポケモンセンターで治療しましょう」

 運命を分けた要因を、一つ挙げるとするならば。
 知識不足。それ以外の何物でもない。
 プロメウ様が降りてくる。予知はあれど、ツキネ達に召喚手順についての知識は無く、具体的な手順など知る由もなかった。機械を破壊した段階で、招来のためのプログラムは停止した。しかしこの招来システムは、あくまでも草稿とビューティーの知識を元に、ワンダフォーが現代式に組み直したやり方である。

「ツキネのケガもね。ところで、あとどのくらい起きてられる?」
「うーん……三十分くらい……?」
「わぁ最短記録」

 本来のプロメウ招来方法。
 それはもっとも天に近い場所で、〝にじいろのはね〟、〝とうめいなスズ〟の二つを揃え、舞を奉納する――というモノ。そしてこの舞、剣舞の例を引き合いにするまでもなく、アローラ地方の祭りを知っていれば自明の通り。バトルでもって、代用が効く。

 りぃん

 鈴が鳴った。
 ツキネはそれに動きを止め、抱えたマーシャドーを見下ろした。

「ツキネ? どう――」バベルのへりで止まったツキネを振り向き、メタングが絶句する。
 機械に取り残された〝にじいろのはね〟から、おぞましくも不吉に輝く黒い奔流が、地から天へと迸る。
 メタングの反応に、同じように背後を振り返ろうとして。

 どん、

 衝撃が、へりの外側へとツキネを押し出す。反動で逆側へと放り出されたマーシャドーが、泣き笑いのような、救われた、とでもいうかのような安堵に満ちた表情をする。

 そうして、音も無く。
 灼熱がバベルを中心に、ゴートを白昼へと染め上げた。


 ■  ■  ■




 平伏へいふくせよ。謹聴きんちょうせよ。随順ずいじゅんせよ。

 我が半身を損ないし汝らの罪科、今こそあがないの時である。
 生死一切の区別なく、この地に在るすべての者等、ぬかづきて裁定を受け入れよ。
 われらによって汝らは生まれたのだから、われによって滅ぶがいい。

 それこそが道理であるのだから。




 ■  ■  ■


 時計塔の鐘が鳴る。
 警告のように。弔いのように。
 世界の終わりを知らせる、終末の鐘の音のように。
 高く、しかし濁りを帯びた音が、街中へとでたらめなリズムで響き渡る。

「……ぅ、――……」

 気絶から覚め、ツキネは呻きながら身じろぎした。
 全身を襲う痛みに顔を歪めつつ、直前までの記憶を思い返して重たいまぶたをこじ開ける。
 妙に明るい、大穴の開いた天井の向こう。
 ぶ厚く垂れ込めていた雪雲の消え失せた夜空を背景にしてゆっくりと、音の死に絶えた中に降りてくる光り輝く〝ソレ〟に、ツキネは思わず痛みを忘れた。

 〝ソレ〟は光だった。
 〝ソレ〟は鳥の形をしていた。
 〝ソレ〟は、ポケモンの姿をした、太陽だった。

 ビリビリと本能が震撼する。度の過ぎた恐怖が思考をマヒさせる。
 そうでなければいけない。そうでなければ耐えられない。
 この隔絶した存在の〝怒り〟を前に、今も呼吸しているという事実に――
 ふいに、震える手が馴染んだ鋼の肌にぶつかる。同じように震えるメタングの手を、ツキネは半ば無自覚にぎゅっと握り締めた。心を支配する恐怖が、少し小さくなる。
 ぎゅ、と目をつぶり、大きく息を吸って、吐く。改めて、目を開いて身体を起こす。瞬間、片足首を襲った一際強い痛みに顔をしかめて浮かび上がり、ツキネはぐるりと周囲を見回した。
 隣にメタング。すぐそばにはラグラージ、ルリリ、ガオガエンも一緒くたになって伸びている。
 どうやら、衝撃で鐘楼まで吹き飛ばされてきたようだ。
 上にいたムンナは……なんとか転げ落ちずに済んだしい。
 続いてバベルの屋上。ビューティーとマーシャドーへ心の目を転じ、ツキネは虚を突かれて瞬いた。
 先程まで、バベルがそびえ立っていたはずの場所には何も存在していなかった。困惑しながら空を見上げる。
 ひゅ、と喉が鳴った。空が異様に明るい。
 何かが来る。それも、ゴートシティのみならず、ラチナ全土を焦土にしかねないほどのエネルギーに満ちた何かが。

「……やっばいね、アレ。どうしよっか?」
「どうしよっか、なのですね……」

 投げやりに明るいメタングの言葉に、ツキネは途方に暮れながらそう返した。
 どうしようも何も、一言でいえば詰んでいる。
 たとえ絶好調だったとしても、あの存在にしてみれば、自分達なんて路傍の石くらいにしか感じられないだろう。そのくらいには隔絶していて、そのくらいには、存在としての次元が違う。
 たぶん、何かを間違えた。だからこうなってしまったのは、何か致命的なミスをしたのは、ツキネもメタングも分かっている。

 けれど。

「……このままやられちゃうのもムカつくですし、一発、殴りに行ってみるです?」
「確かに。このままやられるのはムカつく」

 ハンター達をぶっ飛ばして、ルリリが助けたがっていたナギサの仲間達も、ホトリも助けて。ガオガエンとグラエナだって取り返せた。これからふたりを連れて家に帰って、きっと泣いているだろう三つ子や、心配しているだろう家の者達を安心させてやるのはツキネ達の当然の義務だ。
 なのにここまでの頑張りが全部無駄だったみたいに、盤面ごとひっくり返すようなプロメウ様……プロメウの行いは、到底許せるはずもなかった。

「回復は」
「いらないよ。ヘロヘロなのはツキネだって一緒だろ。なくていい」
「む、言うではないですか。途中でバテたら指さして笑ってやるですからね」
「そっちこそ。疲れてるからって、途中で寝落ちしたりしないでよね」

 だから行く。だから歯向かう。
 理由なんてそれで十分。

 ――〝怒れる神が、降りてくる〟――

 相手が、神様だろうとも。
 ツキネを乗せ、音を置き去りにメタングが翔ける。
 ぐんぐんと高度を上げていく。天神へと、一直線に迫り往く。
 サイコパワーの膜で身を守っていようとも、熱気までもを完全に遮断する事はできない。
 近付くほどに呼吸が苦しくなってくる。撒き散らされる熱気が喉を、肺を焼く。メタングの肌が熱を帯び、じゅうぅ、と嫌な音を立てて触れ合うツキネの皮膚を焼く。
 近付くほどに圧倒される。畏縮する。
 立ち向かっていく相手の、底知れない強大さに。激しい怒りの感情に。それでも、膝を折る訳にはいかないのだ。

 翔ける。翔ける。

 皮膚が灼ける。
 肉体の限界を超えての過剰出力に、全身の細胞という細胞が悲鳴を上げる。口の中に血が溢れる。飲み下して歯を食い縛る。焼け爛れた手と腕で、メタングにしっかりとしがみつく。

 翔ける。翔ける。

 熱に炙られ嫌な臭いが鼻を掠める。前へ進む。
 エメラルドグリーンが、浅瀬の海の双眸が、深い蒼色になっていく。
 深く、深く、深く。深層の藍色、黒に見紛う深海の色彩が、燐光が、摩擦に火花を散らして白い輝きを帯びて輝く。

「っ……く、ぁ――!」

 地上から空へ。天翔ける小さな彗星が、太陽目指して突き進む。
 ふたりそろって、〝神〟の前へと立ち塞がる。
 〝にじいろのはね〟は地に生きる者等すべてにとっての試金石。所有の経緯なんて関係ない。招来の時、誰が持っているかが重要になる。
 その羽根が、悪心をもって用いられた――ゆえにこそ、怒りのままに地に在る者等を誅しようとするプロメウを、制約しうる枷も無い。

「「天神、プロメウ――」」

 プロメウの怒りは強烈だ。
 ツキネを引きずり、同調させてしまうほど。
 だから分かる。感じる。理解する。何に怒っているのかを。
 大切な相手を奪われたという怒り。
 奪った相手に対する憎しみ。
 どうしてそんな事をしたのか、という憤り。
 大事な時に、駆けつけてやれなかった。共に戦ってやれなかった。
 後から知って愕然とするしかなかった、己の不甲斐なさが悔しくて悔しくてたまらない。

 でも。だから、どうしたというのだ。

 神様の都合なんて知らない。
 そんな理屈は通させない。
 ツキネ達の大切なもの全部まとめて焼き滅ぼすなんて、絶対許せるはずがない!

 溶けて焦げた爪が割れる。
 身体のあちこちで血管が爆ぜる。
 眩む視界が霞んでブレる。
 意識が白に塗り潰されそうになる。
 それでも止まらない。真っ向から突っ込んでいく。
 体も魂も焼き尽くされて、それでも、神様へ挑んで顔を上げ続ける。

 唯一無二の相棒と共に。
 恐怖も苦痛も踏み砕いて、飲み下して虚勢を張る。

「「――っいい、加減、に――」」

 喉よ裂けろと張り上げ叫ぶ声はきっと、音にすらなっていない。
 テレパシーで叩き付けるこの激情はきっと、顧みられることなんてない。
 それでもいい。この思いも、衝動も、ぜんぶ薪にしてみせる。
 この一撃だけは絶対に――たとえ灰になったって、絶対に届かせてみせる!

「「――ひっこめ――!」」

 空が割れる。
 空が砕ける。

 白昼の夜空に、彗星が弾けた。




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