――…… 〝神〟の招来方法は特権階級の中でも更にごく少数、ほんの一握りの特別な存在にだけ許された知識である。
神話の時代、王と神官はイコールだった。とある国では神官とは民の祈りを神に届ける存在であり、別の国では神を従える存在だった。雨を降らせ、太陽を照らし、大地を隆起させ、海を広げ、植物を育たせ、病を癒し、災厄を遠ざける。民は多くの恵みを神に求め、神官に求めた。祈り敬い信仰し祀る対価としての祝福を求めた。
時代が下ると共に神官である王の権威は確立されていったが、その権威は〝神〟の威光あってのものである事に変わりはなく、だからこそ、むやみやたらに知る者を増やす訳にはいかなかった。
神々にとって血統で継承された玉座にある〝王〟は、必ずしも従うに値する〝トレーナー〟とはなり得ない――王権を守るためにも、王の血統外で資質を備えたトレーナーに現れられては困る、という保身が働いていたのは間違いない。
しかし当然ながら、人間側のそんな努力もむなしく、神と呼ばれるポケモンと人間の契約は、大抵が一代限りに終わっている。
それはラチナにおいても同様であり、トモシビの神殿からも、その招来方法は失われて久しい。
ただ、ホウオウはラチナのみでなく、ジョウト地方や、テンセイ山近郊においても神として知られるポケモンだ。各地に残る古い神話や石板に刻まれたアンノーン文字を事細かに追い、共通項を探っていった結果、おそらく招来方法についてはそこまで大きく異ならないのではないか、という結論に至った。
ホウオウ/プロメウ招来の上で、不可欠と考えられる道具は以下の二点となる。
英雄の証とされる〝にじいろのはね〟。
そして、古代ラチナ統一王の死と共に喪われたと伝えられる神具、〝とうめいなスズ〟だ。
王の死に伴って到来した群雄割拠の戦乱により、神具の行方はもはや辿る手がかりすら無い状態だが、可能性があるとするなら、ナギサタウンに古くから残る〝いのりの灯台〟ではないだろうか?
最上階にある鐘は灯台のできる更に昔、海底から引き揚げられた頃から時折、鈴の音が聞こえるという風聞がついて回っている。〝とうめいなスズ〟はホウオウ/プロメウの神具だ。〝天神の影衛〟として神話の時代にのみ語られるマーシャドーが、後の戦乱から鈴を守って遠く神殿を離れた海に至り、鐘と共に眠っていたのではないだろうか。夢見がちな空想の域を出ない仮説であるだけに、灯台への立ち入り許可が下りない事が残念でならない。
何にせよ、ジョウト地方エンジュシティに現存する伝承の一族へ研究協力が取り付けられれば、ラチナにおけるホウオウ/プロメウの研究はより深まり、ひいては神話という物語になる過程で歪められた真実も明らかになるものと――……
「それで」
鼻を鳴らし、ビューティーは手書きの草稿を無造作に放り捨てた。
バスルームの床に散乱するそれは、ホウオウ招来を目前とした今となってはもはや無用の長物である。
ゴートシティ最大のカジノにして高級ホテル〝バベル〟。スイートルーム備え付けの展望バスルームで、ビューティーは優雅に泡の中で伸ばした足を組みかえ、言葉を継いだ。
「招来に向けての準備は、万全ということでよろしくって?」
『勿論でヤンスよビューティー様!』
すりガラスの向こうでホバリングするドローンが、ワンダフォーの声で自信満々に請け負った。
『あの草稿だけだったならまぁーずまず不可能でヤンスが、ビューティー様の知識と合わせれば心配ご無用チョチョイのチョイ! アッシのこのハイパーな頭脳にかけて、百パーセントの成功を保障するでヤンス!』
何も知らない人間が聞けば、男の発言はまず間違いなく物笑いの種になった事だろう。
現実が見えていない、絵空事を頭から信じている馬鹿、大ぼら吹きの戯言……。けれど、ビューティーは「よくってよ」と上機嫌に目を細める。この下僕の頭脳を正当に評価しているから――というのもあるが、一番は、ホウオウ招来の上で草稿には欠けていた知識を埋めたのが、他ならぬ彼女自身であるからだ。
「今となってはかび臭いだけの、下らない教えだとばかり思っていましたけれど……。こうして役に立つなら、存外あの古臭い実家も、ほんの少しは評価すべき点があったということですわね」
『ビューティー様のご実家といえば、確かジョウトの旧家でヤンスか』
「ええ。このあたくしの溢れんばかりの才覚に怖れをなして勘当した、どうしようもない無能共でしてよ」
『いやまったく! ビューティー様ほどの才能を追い出すなんて、凡人ってのは本っ当に理解不能な生き物でヤンスねぇ~!』
追従と嘲笑を交えて、男が大げさに嘆く。
勘当された、という点については腹立たしくも屈辱的に感じたものだが、どうせ捨てるつもりでいた家だ。その報復も、家を出る時に済ませている。
「理解できなくて当然でしてよ」
冷ややかな嘲りを覗かせながら、ビューティーは嫣然と口角を吊り上げた。
「道具ごときを本気で〝神〟などとうそぶき、いまだに崇めているような連中ですもの。無能の気狂い共に、道理を説いても意味などありませんわ」
『おっと、それもそうでヤンスね!』
これはしたり、と男がおどけて笑い声を上げる。
ビューティーは慈悲深い微笑みを美しい面差しに刻んだまま、はらりと零れてきた髪を払った。
湯が波打ち、落ちた飛沫が石造りの床を濡らす。ざぷん。白いバスタブから立ち上がり、ビューティーは無造作に濡れた草稿を足裏に敷いて、笑いを収めた男に告げた。
「ウォーミングアップがてら、マーシャドーはあたくし直々に回収しましてよ。あなたは邪魔者連中についての詳細データでも準備なさい」
『それについては取り急ぎ行いますでヤンスが……エーッと。時にビューティー様? その、飛空艇と本体についてなんでゲスがね? あのぅ、処遇はどのように~……』
一転して顔色を伺う男……もとい、ワンダフォーの疑似人格を与えられたAIに、ビューティーは形の良い眉を寄せる。お使いどころか留守番すらできない役立たずなど、飼っておく趣味をビューティーは持ち合わせていない。
飛空艇を失ったのは手痛いが、元々、国際警察のマークが厳しくなってきたのもあって、この仕事が片付いたら規模を縮小するつもりでいたのだ。順番は前後してしまったが、そういう意味では手間が省けて良かった、と言える。
それに。いかに無法の街であろうと、これだけの惨事を引き起こしておいて見逃してくれるほど、あのジムリーダーも酔狂では無いだろう。そんな内心はおくびにも出さず、シャワーヘッドを手に取って「今夜次第ね」と答える。
「あのジムリーダーにも面子というモノがありましてよ。ショーを失敗すれば、あたくしの身すら危うい……けれど、成功すれば飛空艇は無理にしても、あなたの本体の返却願いくらいは通るでしょう。しっかりお働き、マークⅢ」
『誠心誠意努めさせて頂きますでヤンス、はい!』
「よくってよ。――ああ、そうそう。今回の件の詫びとして、連れて来ていた下僕は全員質に入れるから、それを念頭に仕事へあたるように。いいわね?」
『はっ! ではでは、ビューティー様の御心のままに!』
ドローンが、すりガラスの奥へと姿を消す。
下僕を全て在庫処分するとなれば、さすがに規模縮小ではなく当面の間休業、とした方が適切か。いっそホウオウの売値如何によっては、引退を視野に入れるのも悪くない。
今後についてあれこれと思いを巡らしつつ、ビューティーはシャワーのコックを捻る。
泡の残滓が肌を滑り落ち、ふやけてボロボロになった草稿の破片と一緒に、排水口へと消えていく。
――……プロメウ/ホウオウは、多くの逸話においてその非情さ、苛烈さが語られている。
曰く、人間の争いを止めるために大地ごと武器を焼き尽くした。
曰く、自らを利用せんと企てた王を、国ごと焼き滅ぼした。
曰く、心悪しき者が呼び出せば、ホウオウは幸いではなく災いをもたらす。
〝にじいろのはね〟を心悪しき者が持つとき、羽根からは輝きが失せ、黒く染まると言われている。ジョウト地方では自身を利用せんと驕った人間のいさかいに怒り、友誼の証であったスズの塔を焼き滅ぼして交流を断ったという伝承も。語られる個体が同一であるかどうかには議論の余地があるが、数々の逸話が示唆する警句は、およそ一言に集約される。
即ち。みだりに〝神〟を呼び出すなかれ。
その傲慢がどのような代価で贖われるのか、知った時にはもはや手遅れなのだから――……
■ ■ ■
も゛っも゛っも゛っも゛っも゛っ。
「苦味が舌先に残るほどの芳ばしさ……それでいて基本はあくまでも格調高く、何層にも積み上がった多種多様の旨味が調和をお口の中で醸し出す……食感はふんわりさを残しつつもずっしりしっかりと……う~ん、ウェルダンに近未来なお味なのよぉー!」
「へえ」
慎ましく光る身体の模様とは裏腹に、テンション高くツキネの夢を食レポするムンナへ、メタングはあくびを噛み殺しながら適当に相槌を打った。
どうにかハンター達から勝利をもぎ取る事に成功したものの、それで終わりかと言えばさにあらず。
飛空艇を堕とした時点でツキネは力尽きて寝落ちたが、だからといって、メタングまで何もせずにいる訳にはいかないのだ。
地面へ垂直に突き刺さった飛空艇。その周囲に集まり、手際よく規制を行う警察の姿を無感動に眺めやりながら、ため息混じりにぼやく。
「……あーあ。もうちょっと時間あると思ったんだけど」
昨日――いや、もう一昨日になるか。
ポケモン違法売買の犯罪者共を引き渡すべく連絡した時とは、天と地ほどにも差がある対応速度だった。
ニンゲンのいない旧市街地とはいえ、街中に飛空艇が落下したのだから当然といえば当然の対応ではある。
ただ、まあ。この落差は警察としての常識、あるいは良識的な職業理念に基づいた仕事ぶりというより、ゴシュジンサマであるゴートジムリーダーのご意向に忠実な仕事ぶり、というのが正解なんじゃないかな、というのがメタングの見立てだ。
おかげで当初の目的であるホトリの救出、グラエナの奪還は叶ったものの、ハンターに使われていたポケモン達は少ししか開放してやれなかった。大変遺憾である。
「んー? まりり起こしてぇ、蹴散らしながらならもっといけたと思うのよぉ」
も゛っも゛っとツキネの頭に吸いつき身体の模様をチカチカさせながら、ムンナがそんなコメントをする。
「いけないよ」考えるそぶりさえ見せず、メタングは即座に却下した。
「テレポートが使えるツキネが寝落ちてるんだ。全部終わるまで、退路を維持し続けるのは自分達だけじゃ無理がある。それに、公組織っていうのはハンター連中以上に厄介なんだよ。それもゴートの警察なんて倫理観の薄そうな奴ら、相手するのはごめんだね」
「ふぅん? むつかしーこと考えるのねぇ。むーちゃんよく分かんなぁい」
「いいんじゃない、別に。理解する道理も無いし」
くぁ、とあくびを噛み殺す。
ポケモン達を全員解放はできなかったが、退路はいくつか作っておいた。逃げ出せるかどうかは賭けだが、あの状況下なら、ポケモンの逃亡は目溢しを受ける公算が大きい。
あのままだったなら使い潰されて終わっていただろう事を思えば、最低限の手助けはできた、と言っていいだろう。
泥のように眠るツキネを静かに背負い直し、メタングは夜陰に紛れて飛空艇へ背を向ける。ツキネの頭からぽよんと滑り降り、ムンナが煤けた黒い煙を吐きながら、くるりんと宙返りして横に並ぶ。
「お疲れねぇ。まだきずぐすりあるのよー?」
「きずぐすりを疲労回復の用途で処方するな。次やったら使用上の注意事項と用法用量を暗唱できるまで頭に叩き込むからな」
「ふゅあーぅ!?」
善意で言ったのに何故なのか!? という涙目でムンナが距離を取る。何故いけないのか。別に理詰めで一から丁寧に説明してやっても構わないが、やったところで一割だって頭に残るとは思えない。
なのでメタングは端的に、しかし断固たる口調で宣告した。
「きずぐすりで、疲れは、とれない」
「!?」
ムンナはバックに雷を背負った。
なん……だと……と言わんばかりの顔で地面へぽてんちょと落ちて大の字になったムンナを置き去りに、ポケモンセンターへ向かいながらメタングは思考を巡らせる。
行動原理はどうあれ、警察まで大挙して駆けつけて来た以上、ハンター達の脅威は去ったと見ていいだろう。
自分達の目的は達した。取り逃したハンターがいたとしても、後始末込みでその辺りの仕事は全部ゴート警察や、遅くとも明日には到着するだろう国際警察に丸投げで構うまい。
「ジム挑戦しに行く暇、あるかなー……」
ルリリの依頼が片付いたら、と考えていたものの、それはあくまでグラエナの件が判明する前。ジムリーダーに挑戦者を受けつけている暇があるかどうか。
三つ子も召使い達も大騒ぎしているのは間違いないし、突入前の電話時点で不在だった事を考えれば、確実にシンオウの父は動き出した後である。ガオガエンだって、自分達の家出に加えてグラエナの誘拐だ。今頃どうしている事やら。
ツキネと家を飛び出した時には、ガス抜きには丁度いいかな、くらいの感覚でいたのだが。
今後起きるだろう問題にあれこれ思いを巡らせ、頭痛がしてきたのでメタングは思考を打ち切った。
ひとりで悩んでいても仕方ない。起きてから、ツキネと頭をひねった方が建設的だ。
くぁ。あくびを噛み殺す。「んゅふあぁぁあー!」唐突に背後で悲鳴を上げたムンナが、ぱぴゅーんと追いついてきてひっしとメタングの背にある突起にしがみついた。
「いま! いまそこにお目々が浮いてた! いっぱい浮いてたのよぉおおおおお!」
「ィウゥ……そんなのポケモンセンターのアンノーンか、そうでもなかったらゴーストだろ。ビビりすぎ」
「ふっと振り返ったらいっぱいのお目々がこっち見てたとか、誰だってびっくりするのよぉ!」
「それは確かに。あいつらやたらと気配薄いもんね。背後取られて気づけない、っていうのは怖いな」
ぴゃあぴゃあ騒ぐムンナに相槌を打ちながら、メタングはポケモンセンターのドアをくぐる。
「……あ、そうだ。後でおまえのぶん要るな。モンスターボール」
「えっむーちゃん縛られるのきらぁい」
「しばらく一緒にいるつもりなんだろ、我慢しなよ。ツキネなら言えばボールマーカー外してくれるし」
「うぅんんん……ちょっと考えさせて欲しいのよぉ」
「いいけどさ。早めに決めなよ? おばさま、その辺りはすっごい厳しいから」
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