ヴーッ ヴ―ッ ヴ―ッ!
けたたましくサイレンが鳴る。
天井をブチ抜き、飛空艇の外へ元気に飛び出した一行は――
「ギッ」「びゃ゛ぁ゛あ゛ーっ!?」「ぷむっ」「ふゅあーん!」
有無を言わさぬ暴風に、団子になってつるりんころりと押し流された。
普通ならそのまま地上まで一直線にまっさかさま、となりかねないところだが、よにん中さんにんが常時浮遊しているタイプのパーティーだ。ころころころりんと空中で体勢を立て直し、ムンナがぷゆんと全身を震わせる。
「今日は風が強いのよぉ」
「ごめんまりり、落としかけた!」
「ゴート来た時を思い出すのー」
メタングの両手に尻尾を挟まれ逆さづり状態で、ルリリが風に煽られながら遠い目をする。
押し流されて距離の離れた飛空艇は、自分達が空けたばかりの穴以外、完全に周囲の空に同化していて一見しての区別がつかない。ふと引っ掛かりを覚え、ツキネは眼下に広がる光景へと視線を転じた。
見えるのはにょきにょきとそこかしこに立ち並ぶ、背の高低差が大きなビル群の混沌とした様相だ。
巨大な奇形のビルに、ほとんど廃墟同然の、半ば以上崩落したビル。平べったく巨大な、無数のミツハニーが寄り集まったような形のビル。そんなビル群の狭間に埋もれてなお燦然と明るいPマーク輝くポケモンセンターと、飛空艇とで視線を上下運動する。
「……まさか」
初めてゴートのポケモンセンターを見た時、感じた違和感を思い出す。ツキネは今更ながらに気付いた事実に、ぶわわと髪を逆立たせて絶叫した。
「飛空艇、ポケモンセンターの上にずっといたのですーッ!?」
「ィウ!?」
「びゃやーっ!?」
絶叫の余波で生まれたソニックブームをぴょぴょいと避けて、ムンナが「そなの?」と半回転する。
「知らないよ!?」ルリリを逆さ持ちしたままメタングが叫び、悔しそうにぶんぶんと身体を揺らす。「でも普通しないよそんな事! 街中だよ!? ポケモンハンターだよ!? ステルス機能あったとしてもポケモンセンターの真上なんてリスキーな場所泊めなくない!?」
「びゃばばばばばばばばぶ」強風に加えての振動に残像と化すルリリ。してやられた悔しさと気付けなかった自分への怒りとで、ツキネは顔を覆ってもんどりうった。
「あ゛―っ! ムーカーつーくーでーすぅぅううううう!」
――ゴィイイイー……ン
絶叫と共に発生した一際大きなソニックブームが、飛空艇に当たって鈍い重低音を辺り一帯に響かせる。
ふーっとツキネは息を吐き出し、ぺちちょと頬を叩いて気持ちを切り替えた。
「よし! このままコックピット制圧なのです!」
「そうだねっ! くっそこのやるせなさもしっかり上乗せしてやるからなっ!」
「ふぁーいとぉー☆」
「おぉおおおおおうううううううぅう」
キャッキャしながらエールを送るムンナ、残像になりながらも気合十分のルリリ。
ステルス機能のせいで外観からサイズを測る事ができず、内部の様子も特殊防御コーティングとやらのせいかツキネの目でも見通せない。しかし、見えないナニカ、という形でなら、おおよその外観やサイズを捉える事はできる。
知識と空白の形であたりをつけ、一行は助走をつけて、ステルス状態のコックピット(目測)めがけて突っ込んだ。
ゴシャアアアアアアアアアアアアンッ!!
盛大な悲鳴を上げて、窓がフレームごと歪み飛ぶ。
鳥ポケモンの激突にすら耐えうる強度の風防が、脆い陶器のように砕けて割れる。
瞬間、四方八方から殺到した赤い光線に、ツキネは瞳の燐光を強く煌めかせ、ムンナが〝まもる〟を展開した。
――ィイイイ――ッ!
じゅうう、と壁がか細い煙を上げて焦げ付き、青と緑が入り混じった半透明の盾がばりんと砕ける。
雨あられと降り注ぐ割れた窓や焦げたフレームに、ハンター達が即座に回避行動に移る。
「甘いっ!」
高らかな咆哮と共に衝撃波が放たれ、ハンター達はモンスターボールに触れる暇さえなく、壁や床へと叩き付けられた。
「そーれっ!」
続けざまに、メタングがルリリを混沌の只中に投下する。
さながら獲物目がけて躍りかかる闘犬の如く。壁を、床を、計器類上を縦横無尽に跳ねながら、よろよろ立ち上がろうと、あるいはモンスターボールに手をかけようとしたニンゲン達を、ルリリが軒並み轢き飛ばしていく。ヒィヒィと喘ぎながら、画面越しに見た顔の男が白旗を振った。
「はいはい降参! 降さ「てんちゅーじゃーッ!」グッヘェエエエ!?」
知った事かとばかりに鋭角で顎を抉り抜いたルリリの尻尾に、出っ歯の小男――ワンダフォーが沈黙する。
「あらぁ」ムンナが瞠目した。空中でくるんと転がり、室内を見回して物足りない気持ちで呟く。「もうおしまーい?」
ヴーッ ヴ―ッ ヴ―ッ ――
コックピット内ではいまだ、元気いっぱいにサイレンが騒ぎ立てている。
あちこちで機械がピカピカチカチカ、ランプで画面でと自己主張にせわしないが、対応すべき乗組員は、既に全員床で沈没済みだった。しゅたっ! と跳ね回るのを止めたルリリが、ツキネを振り仰いで訴える。
「床ばりばりしてて痛いじゃなー!?」
口を開きかけ、しかし瞬間、世界が揺らぐ感覚に襲われてツキネはぎゅうっと目を閉じた。
「派手に壊したからね」つらつらと画面上を流れていくメッセージを心の中で読み上げながら、メタングが答える。
「ひとまず飛空艇を着陸させるよ。自動操縦のままだと、気流でオキイシ山に突っ込みかねない」
地方の中心に位置し、チャンピオンリーグを山頂に擁するオキイシ山は、高レベルポケモンの巣窟である。「それはやべーのじゃな……」ニンゲンのみならずポケモンにとっても試練の地である山の名に、ルリリは逸る気持ちをしゅるしゅると萎ませた。
「今のうちに回復しときなよ。コックピットは抑えたけど、これが全員って事はないだろ」
「それもそうじゃな。ホトリ探さねばならんしの!」
めまいをやり過ごすツキネの頭に、のしん、と既視感のある重みがかかる。
目を開けば、視界いっぱいにピンク色が密着していた。期待にうきうきわくわくしながら、ムンナが軽やかに弾む声音で問いかける。
「うっふふぅー。ツキネおねむ? ねえねえおねむー?」
「ねないです」
反射的に言い返す。
けれど耳に入ってきたのが、舌のもつれたような声であった事にツキネは憮然と顔を顰めた。
眠気を伴っためまいの理由は分かっている。感情の乱れで、コントロールがガバガバだったせいだ。
冷静になったつもりでいたが、どうやら、自分で考える以上にグラエナが洗脳され、いいように使われている事に腹が立っていたらしい。
「着陸手順はっと……? なんだこのプログラム」計器類を壊さないよう慎重に突いていたメタングが、画面を睨んだままで問う。「どのくらいで寝そう?」ツキネはもう一度ぎゅっと目を閉じた。深呼吸をひとつ、ふたつ、みっつ。波立つ力が静まると共に、野放図に入って来ていた周囲の感情/心の声がぷつんと途切れる。
いくらかすっきりした頭にツキネはふーっと息をつき、ムンナにポシェットを押しつけた。「まりりに」「回復なのね? はぁーい」くふふと笑いながら、ムンナが頭上を離れてルリリのところへ飛んでいく。
さて、メタングにどう答えたものか。
いつの間にかこちらを振り返り、だんだん胡乱な目になってくるメタングに、ツキネはちょっと気まずさを覚えながらも口を開いて。
ゴガァアアアアアッ!!
突如、コックピットのドアが弾け飛んだ。
一行の視線が集中する。何かを引きずりながらのっそり入って来たのは、グランブルを模した面頬の、メタングの二倍はあろうかという巨体の大男だった。
倒れている乗員達と同じ黒一色のぴったりとした服装に、ズルズキンを連想させる鮮やかなトサカ頭。ゴーリキー並みに筋肉質の体躯は、手足を覆うゴツゴツとした機械装甲も相まって、ニンゲンというよりはポケモンと対峙する時のような圧迫感とプレッシャーを放っている。
大男。グレートがメタングを視認した瞬間、強烈な喜びの感情が伝播する。
それは報復できるという喜び。
それは暴力をふるえるという喜び。
目の前の敵を思うさま殴って殴って、嬲り尽くして殺していい、という喜び。
タガをはめ直し、心を読まないようにしてなお伝わってくる、喜びと分類するには悍ましすぎる加虐の愉悦。
とうに成人しているだろうニンゲンにしてはあまりに異質なソレは、自制もためらいも罪悪感すら混じっていない、ひどく幼稚で原始的な情動だった。
グレートが、引きずっていた何かをメタングに向かって投げつける。
次いで響いた床を蹴る音に、ツキネはこめかみを押さえながらとっさに命じた。
「っ〝バレット――」
視界の端で、青色が跳ね駆ける。
ツキネの言葉を遮って、耳慣れた吠え声が室内を圧した。
「アォオオオ――ンッ!」
「――っ!」
「ふゅやぁーぅ!?」
〝ほえる〟は本能に訴えるわざだ。そこにレベルの区別はない。
反射的に安全圏へと逃れようとした身体を、意地と気合いで無理矢理ねじ伏せ従える。
しかし。その場を逃げ出さずにいられたとしても、瞬間的な、身体の硬直ばかりは避けようもない。
「る、ぅ、ぁああぁああああああ――ッ!」
己を鼓舞してルリリが吠える。
飛び掛かって振り下ろされたグレートの拳。迎撃しようとしたメタングの拳。
硬直の数秒。あるいは数瞬の間隙を縫うようにして、ルリリは投げつけられた何かを、両者の拳の間から体当たりで叩き出した。
複数の音が輪唱のように重なって、不協和音となって尾を引く。
安全とは言いがたい床へと、体当たりで叩き出された何か。蒼銀の髪をしたニンゲンが、赤い線を描いて転がった。
後を追うようにして吹っ飛んだルリリが、計器類に激突してそのままくたりと動かなくなる。
『ヒョ~ッヒョッヒョッヒョ! よくもまあ、ここまで好き勝手してくれたでゲスねぇ~!』
破壊を免れたスピーカーからノイズ交じりで響いた声に、ツキネは思わず床を見た。そこにはほんの少し前と寸分違わぬポーズで、完全に白目をむいたワンダフォーが伸びている。
コックピットのモニター群が、数字と文字の羅列から、白目をむいて倒れた男と同じ顔へと切り替わる。ツキネの疑問など予想済みだと言わんばかりに、画面向こうの男が得意満面でそっくり返った。
『アッシこそはこんなこともあろうかと! 本体が技術の粋を尽くして作り上げた最高傑作っ! 飛空艇のメインコンピューターにしてパーフェクト天才AIっ! アッシがいればもう本体いらないんじゃ? と大評判な絶対無敵のガーディアンっ! 本体がハンター稼業で稼いだ金でもって自己アップデータと強化を続け、いずれは世界に進出し機械による機械のための機械サイコーな世界を実現する人類の上位種にして未来の支配者!
〝スペシャル・パーフェクト・ワンダフォーマークⅡ〟ッ!!』
AIに向き合う傍ら、千里眼で状況を改めて確認する。
ゴ、ゴ、ゴ、ゴ! メタングへ馬乗りになったグレートが、悦楽の色を撒き散らしながら拳を交互に振り下ろす。ニンゲンの拳としては異常なほどに力強い暴力の音。メタングも抵抗はしているが、跳ね除けるのに手こずっている。
ルリリは完全に気絶している。
蒼銀色の髪のニンゲン……〝ホトリ〟と思わしき、満身創痍の少女も同様。
『ここまでやってきた事! 本体を倒してみせた事! ついでにオマケの下僕共も倒したその実力は評価に値するでヤンス――がっ!』
通常視野と千里眼の同時行使に、目の裏がじぃんと痺れたような痛みを訴え始める。
それでも、千里眼でドア前に陣取るグラエナを注視する事は止めない。洗脳されていようとも、その実力は骨身に沁みている。
正気でないぶん、加減が期待できない事を思えばなおさら無警戒ではいられない。
グレートには想定していたような先の戦闘のダメージ、疲労が見受けられず、下手をすれば一手で詰む。
犯罪者相手のバトルはどんな外道も許される代わりに、負ければ命の保障は無い。
残る全力を振り絞れば全員を連れてポケモンセンターまで逃げ切る事は可能だが、長期の寝落ちは免れようもなく、その後確実にあるハンターの攻勢を凌げないので却下。
自宅へのテレポートも同様だ。ポケモンセンターに保護したナギサのポケモン達、そしてハンターの執拗な追跡を受けているマーシャドーを置き去りにする形になってしまう。目が覚めて戻ってきた時、無事である保障は無い。
『せっかくアッシの本体がこんなこともあろうかと! で夢と希望とロマンと技術をふんだんに込め! ビューティー様の太鼓持ちをしご機嫌を念入りに取って勝ち取った改造許可と予算を惜しみなくつぎ込み! 猫の手にしかならない下僕共に頭を悩ましながらもコツコツ地道に夜なべして仕込んだギミックの数々だったっていうのに、あんな雑な力押しでパーにするとは最近のキッズに人の心はないでヤンス!? っていうかホントに人間でヤンスかその出力!!』
撤退がハイリスクローリターンである以上、無理を通してでも、ここでハンター共を行動不能にしなければならない。
手札が必要だ。この局面をひっくり返すための、一分を稼ぐための手札が。
飛空艇に開けた大穴の外まで退避し、こちらを伺っているムンナへと叫ぶ。
「むー! まりりにかけらを!」
「ふゅぁっむーちゃん!? つよいのいるのよ!? すぐそこなのよ!?」
『しかぁあああっし! どれだけアホ出力でわきまえ皆無なクソメスキッズであろうともっ! なんかチャッカリ逃げてる備品ズの反乱ごときに手ぇ焼いてる手下達ヌキであったとしてもっ! このアッシにかかれば分からせなどお茶の子さいさい朝飯前っ!』
キィイ――。
長ったらしいお喋りに超音波のような、高周波が重なる。
待ての姿勢だったグラエナが、ゆらりと低く前傾姿勢を取り――計器類を足場に、疾風の速度で跳ね、駆けた。
メタングとグレートを飛び越え、転がったホトリとルリリを眼中にも入れず。予想通り、一直線にツキネを狙って跳び上がる。
――ヒュガァッ!
千里眼を閉じる。力任せに剥ぎ取った鉄クズの盾が、衝撃に歪む。
鋭く尖った牙が食い込む盾ごと、床に向かって投げ落とす。
普段より動きが精彩を欠いているのは、前の戦いのダメージからか。長年の付き合いで行動は読みやすいが、ツキネひとりで倒せる相手でも無い。及び腰のムンナに叫ぶ。
「私が相手してるです、早く!」
「えー、うー、えー……!」
『という訳で売ると金になりそう感あるサイキッカー……いやこの出力でサイキッカーは絶対ねーでゲスよ仮査定だとこれだから嫌なんでゲスわ【侵入者の危険度を修正。適性ランクを上位互換へと更新】……エスパーとかいうハイパーレア異能スペックに顔面偏差値はとってもとっても惜しいでヤンスがっ! 現在進行形でマジ墜落の危険性考えないスタイルな破壊っぷりの恨みを込めっ! ここを墓場に眠るがいいでゲス~!!』
むーの心を読む。
野生としての、冷徹で的確な生存本能。食欲混じりの迷い。そして。
鉄クズの盾から牙を引き抜き、グラエナが吠え、跳躍する。
「瀬戸際のドキドキは! 格別に刺激的なのです――よっ!」
衝撃。
ぐぁん、と先程より派手な音が間近に響く。
至近距離へ迫ったグラエナを力任せに剥がした壁材で防いで叫ぶ。ムンナの内心で、恐怖に好奇心が競り勝った。
「むぁーん! ウソだったら承知しないのよぉー!?」やけくそ気味に叫んだムンナが、ポーチを携え一直線でルリリへすっ飛ぶ。
『エッ……最近のキッズってそんな瀬戸際が楽しい心理で生きてるでゲス……? 敵は安全圏から圧倒的パゥワーで一方的にブン殴りつつ煽って屈辱顔からの絶望堕ちさせるのがコスパ最高だっていうのに頭おかしいでゲスね……? グレートがビューティー様に鞭打たれてアヘってる並みに意味不明でヤンスね………』
内側に折れ曲がった外壁や計器を足場にし、グラエナが縦横無尽に駆け跳ぶ。
一撃でもまともに受ければ詰む。ニンゲンの反応速度も動体視力も、ポケモンには及ぶべくもない。ツキネだってそこは同じだ。
感覚を研ぎ澄ます。差し迫った危機感と、死の予感と向かい合う。数秒先、数瞬先に襲いかかる予感の実態を、直感でもってつかみ取る。
ガギィイッ!
盾にした元壁材が悲鳴を上げる。
鋼を挟んで間近に覗くグラエナの目は虚ろで、自我はおろか、感情の片鱗も伺えない。
まぶたを重くする眠気に、ツキネは歯を食い縛って抗った。ふつふつと込み上げる怒りのままに、ツキネはすうっと息を吸い、両腕を勢いよく上げ、振り下ろす。
「てやーっ!」
ゴガァアッ!
グラエナごと投げ飛ばした壁材が、メタングへ馬乗りになったグレートへと直撃する。
拳が止まり、押さえつける力が弱まる。その隙を生かせないほど、ツキネの相棒は弱くない。
グレートの巨体がオモチャのように吹っ飛ぶ。
「ホトリぶじじゃかのーッ!?」
視界の端で、跳び上がってルリリが叫んだ。予想通り、真っ先にホトリの安否を気にしたルリリに口の端を綻ばせる。
「無事! めた、畳みかけるです!」
「分かってる!」
『ムギ~ッあの攻撃をさばき切るとかキッズの分際で生意気千万な! そういう人類卒業スペックはグレートとかビューティー様だけで十分なんでヤンスよぉ~!!』
AIがオーバーリアクションでヒステリックに叫んだ台詞に、可聴音ギリギリの高周波が重なる。
当然のように起き上がったグレートの横で、ふらつきながらグラエナが、低く頭を下げて前傾姿勢を取った。
赤黒いオーラが床から沸き立つ。
「むー、〝まもる〟!」
床に散乱したモノを手当たり次第一纏めの盾にして、ホトリの前へと滑り込む。
轟。風が荒れ狂う。「ギゥッ……!」「ぴゅにゃあーぅ!?」波紋のように広がった〝あくのはどう〟が敵味方を問わず打ち据える。エスパーにとって、あくタイプのわざは〝こうかばつぐん〟だ。
どうにか〝まもる〟に成功したムンナが言い知れぬ感覚に名状しがたい悲鳴を上げ、ムンナの後ろ、〝まもる〟の恩恵に預かったルリリもべしゃりと床に伏す。
「っ、は……!」
ツキネもまた、例外ではない。盾でいくらか威力を減じようと、エスパーにとっては効果抜群、手加減ナシの〝あくのはどう〟に受け身も取れず床に落ちる。
チカチカと目の前で星が散った。揺らいで拡散しそうになる意識を、てのひらに走った熱を握り締めて繋ぎ止める。
『ヒョ~ッヒョッヒョッヒョ! やはりどれだけ人類の平均スペックも最頻値スペックも大幅オーバーなビューティー様系ヒューマンだろうともしょせんはキィイイイッズ! まだまだキャンディーのようにスウィーッツな行動ミス、サンキュー&アデューでゲスよぉ~!』
「――っせるかぁあッ!」
明滅する視界。伏したツキネの頭上を、メタングの叫びを伴って風が通り抜けた。
ゴガァアッ! 間近で何かが衝突する音に続いて、パラパラと金属片や何かのパーツが、手元まで転がってくる。
ぎゅう、と目を閉じる。呼吸を整える。まだだ。まだ、眠ってなんていられない。
「ィッ――くそ、まりり!」
「任されじゃーッ!」
『グギィイイイイイイッ! トレーナー動けなくしてるってのに、ほんっと的確に嫌な粘り方しくさりやがるでゲスねこのレア商品と紙装甲愛玩品ッ! グラエナァ! さっさとその愛玩青玉潰――アッヤベ潰したついでに本体が巻き込み事故った。ウワ面倒……下僕共に証拠隠滅させなきゃ、ってまぁだやってるでゲス? ちょっと本体、資金繰りのためとはいえコストカットが行き過ぎたでゲスねぇ……』
――ガガガガガガガッ!
打ち合う拳が絶え間なく火花を散らす。
どうにか眠気を押しやり顔を上げてみれば、視線ですら追えない速度の拳をグレートとメタングが打ち合っている。
メタングの思考を読む限り、速度は互角。威力は信じがたい事だがグレートがやや上。拮抗していられるのは、グレートの殴り方が単調で、力任せであるから。
間近に倒れたホトリの額に手を当てる。頭からの出血は無いようだ。これなら、多少雑な移動でもどうにかなる。
ワンダフォー(本体)の上で伸びているルリリを引き寄せ、ムンナへとパスした。
足をどれか負傷したか、ダメージが相当大きかったか。視線の先でグラエナが、明らかに無理のある動きで起き上がる。ハ、と呼気を吐き出す。ふつふつと沸き立つ感情はそのままに、まぶたを落とす。
「むー、ふたりを連れて退避」
「分かったのよぉ!」
わたわたと短い手足が宙を泳ぎ、ホトリの身体も浮き上がる。
大きく息を吸って、ツキネは星屑を宿したエメラルドの両目を見開いた。
「めた、磁力全開!」
エメラルドが燐光を増す。
強く、強く、強く。
透明度を増し、存在感を増して、光の粒が波濤のように煌めき舞う。
澄み渡る海の色。深層の蒼を透かして、浅瀬のエメラルドグリーンが更に深く、深く、深く、深く――。
『ヒョ~ッヒョッヒョッヒョ! 残念でゲスねキィイイッズ! コックピットはこんなこともあろうかと! であらゆる防護対策を施されたバトルフィールド化にすら耐えうる完・全・仕・様! グレートと殴り合いながらでも可能なコマンド選択は褒めてやってもいいでゲスが、残念無念、メタングの磁力ていどぉおおお……?』
飛空艇が揺れる。
風にしては奇妙な揺れ方で。
見えない手が、具合を確かめるかのような不穏さで。
ふたりを連れたムンナが、最高速度で大穴を飛び出す。どっと音が押し寄せる。サイレンが鳴る。
いつの間にか平常を取り戻していたはずの計器類が、思い出したかのように全力で自己主張を再開する。
たたらを踏んだグレートの懐へ、メタングが即座に飛び込む。
『【警告。オペレーション:アブノーマル。リソース優先順位を変更、疑似人格を一時凍結。自動操縦機構が正常に作動できません。エネルギーが不足しています。警告。オペレーション:アブノーマル。コックピットから強力なエネルギー磁場の発生を検知。平衡を維持できません】』
同じ速度、同じ力で打ち合えば自然、目が慣れる。身体が慣れる。パターン化する。
飛空艇が揺れた瞬間。繰り返しの打ち切られた刹那にすら、慣れは適用される。無自覚に、同じ行動を予期する。
体勢を崩しながらも予期に従って、メタングの攻撃を防ごうとしたグレートの腕。その動きを上回って、トップスピードでメタングは拳を繰り出した。
「そこっ!」
飛空艇が瘧のようにガクガクと揺れる。
強力な磁力とサイコパワーの波動を受け、ツキネの破壊からどうにか免れていた計器類が、悲鳴を上げて火花を散らす。
「――……!」
グレートが放物線を描いて計器類に激突しながら、坂になりつつある廊下へその他モブ達と一緒に転がり落ちていく。グラエナの首元で、黒い輪がばぢ、と異様な音を立てて焦げついた煙を吐き出す。ガラス玉のようだった瞳に、正気の色が瞬いた。
『【フライバイワイヤ破損――ステルス機能オールカット。自爆シークエンス、最優先保護対象者行動不能により凍結。安全装置停止。ジェットエンジンフルブースト。緊急避難プロトコルに基づき、一部データの転そ――ピ―――ガガガッ――】』
知覚が拡張する。力が膨れ上がる。
全力全開。
後先なんて考えず、ありったけのサイコパワーを振り絞って。
「墜ちろ――っ!」
黒い空に緑青の燐光が、天から地へと線を引く。
ゴートの喧騒を上書きして余りある騒々しさで、飛空艇は旧市街地へと激突した。
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