テレポートを使用するにあたって、もっとも重要なのは〝移動先座標の厳密な指定〟だ。
この指定を軽んじれば、そのテレポートは危険を伴ったものとなる――どころか、下手をすれば移動先が石の中、深海、マグマ、宇宙空間へとズレ込んだり、五体がそれぞれ別々の転移先へ生き別れ、なんて事故で即死しかねない。
ツキネは普段、千里眼を使って移動先座標の厳密な指定を行っている。目的の場所へ記憶を頼りに移動するより、目的地を見据えながら移動した方がはるかに楽だし、消耗も少なくて済む。千里眼で見ているからこそ、ツキネは一度も足を運んだことの無い場所へも安全にテレポートできるのである。
千里眼の視界が明瞭でないのに今回テレポートを行ったのは、〝ホトリ〟というトレーナーと、手持ちふたりの間にある縁が、アンカーとして機能するレベルで強固なものだったからだ。
移動先の状況次第では ※ かべのなかにいる ※ 状態になる可能性はあるものの、それだってサイコパワーの膜で全員を包んで移動してしまえば解決する。
はずだった。
「!」
例えるなら、ロープを握っていた手が滑ったような感触。
あるいは階段を踏み外した瞬間の理解。
指定したはずの座標がブレる。掴んでいたアンカーから滑り落ち/行き先がズレ込む。距離にしてみればほんの誤差程度、けれどテレポートを行使する側にしてみればたまったものではない狂いだ。同行者が複数存在するとなれば尚更である。着地を狂わせテレポートを阻害する磁場の干渉に、ツキネの内臓をひやりとした緊張感が撫で上げる。
流れに逆らうとまずい。刹那の間にそう判断し、座標修正を放棄。
視界が切り替わる。
刹那を無限に引き延ばす知覚が平常時のそれへと立ち返る。
「びゅぴぃいーっ!?」
床から飛び出してきた何本ものアームが、着地したルリリを四方八方から抑え込んだ。
「ふゅぁーぅ! お早い対応なのよぉ!」
「待ってて、すぐ外す!」
幸いにして、常日頃浮いているツキネやメタング、それにムンナは足を地につける習慣を持ち合わせていない。
即座にアームを引き剥がしにかかる一行の頭上から、「ヒョーッヒョッヒョッヒョ!」と独特な高笑いが響き渡った。
薄暗かった部屋がパっと明るくなる。床、壁、天井。あらゆる場所がモニターに代わり、多重に展開されたウインドウへ、ガイコツめいた出っ歯男の顔を映し出す。
出で立ちは、面頬ズルズキン頭……グレートと同じ。
ただし、つるりとした頭には作業用ゴーグル。黒いジャケットの下からは、複数の工具入れが吊られている。
ドローンから聞こえたのと同じ声をした男は、得意満面に鼻の穴を膨らませ、両腕を広げて嘲った。
「飛んで火にいるドクケイルとはまさにこの事でゲスねええ! このワンダフォー様の最高傑作にして無敵の移動要塞! 特殊防御コーティング加工をした我等がアジト、飛空艇〝ウルトラスペシャルデラックスパーフェクト号〟へテレポートで乗り込んで来た、そのパワーの強さだけは褒めてやるでヤンス!!」
オーバーリアクションな自称〝ワンダフォー〟氏のご挨拶だったが、あいにくと、聞いていたのはムンナだけだった。
「けっこう堅いねコレ」
「こういうのは繋ぎ目辺りが比較的脆いのです」
「テレポートでちゃちゃっと抜けたりとかできないのじゃ?」
「できるはできるですが」
力が強すぎるツキネにとって、細かいコントロールを要する作業ほど消耗は激しい。そういう意味では、テレポートはちょっと疲れる能力、という分類に入る。
後の戦闘を思うなら、正直、あまり無駄打ちはしたくない。
「このワンダフォー様のテレポート対策は万全完璧ッ! この飛行艇内の別の場所へテレポートしたところで、転移先は必ずこの部屋になるって寸法でヤンス!」
「敵の根城は抑えたんだし、外から攻略した方が早そう」
あからさまに罠が満載されていそうな部屋からスタートするよりは、その方が早いし安全か。退路を確保できるのも大きい。「さぁあああらぁあああああにっ!」なにやら勿体つけるBGMを聞き流しながら、ツキネは頷いた。
「では、その案で」
特殊防御コーティングとやらのせいだろう、千里眼がうまく機能しないものの、それはあくまでも船内に対してのみ。
上空――千里眼で見えるようになるギリギリの地点を狙ってテレポートすれば、ちょうどこの飛空艇の真上に陣取れる。
テレポートを発動させるのとほぼ同時。ワンダフォーがこれ見よがしに、どくろマークのボタンを押した。
「ポチッとな!」
ぶしゅうううううっ!!
頭上からツキネ達目がけて、蛍光パープルの煙が勢いよく噴射される。ガスの正体が何だろうが、テレポートしてしまえばどうといった事はない――が、その目論見は甘かった。
流れが狂う。座標がブレる。行き先がズレる。ほんの妨害程度、少し力の方向性を狂わす程度、だなんて可愛いものでは断じてない。さながらこの部屋は流砂のただ中。一歩足を踏み入れれば出る事叶わぬ、ナックラーの巣のようなものなのだと理解するには、それだけでツキネには十分だった。
ルリリをアームから解放する事はできたものの、ここからテレポートで逃げるのは、高レベルのエスパーポケモンでも難しい。
「ヒョーッヒョッヒョッヒョ! どくタイプですら昏倒させる催眠ガス、たあぁあああっぷり味わうがいいでヤンス! なぁーに殺しはしないでヤンスよ。ルリリはともかくムンナにメタング、サイキッカー! 中々のレア商品ラインナップ――」
流れるBGMを完全無視し、一行は煙を裂いて上へと飛んだ。
ガスには空気より重いものと、軽いものの二種類がある。軽ければガスは自然と上へ集まっていくし、重ければ床に集まっていく。二択だったので上へ飛んでみたが、どうやらこれで正解だったらしい。
もうもうと重たく折りかさなっていく毒々しい色の煙に、天井スレスレに陣取ったツキネは、モニターに向かって傲岸に顎をそびやかした。
「ハッ」
「ウギイィイイイイイイ! 最近のキッズってのはこれだからイヤなんでゲスよ! おとなしく床でオネンネしていればいいものを~!」
ワンダフォーがのけぞり返ってフレームアウトしながら地団太を踏んだ。「しかああああああっし!」勝ち誇った様子で画面に復帰し、嫌らしく笑う。
「この部屋は完全無敵の絶対防御っ! バンギラスが暴れようとも大・丈・夫!! ガスが部屋中くまなく充満するまで、せいぜいそこで念仏唱えているでゲス~!!」
「ヒョーッヒョッヒョッヒョ!」と耳障りに反響する笑い声の余韻を残し、ウインドウが消える。薄暗さの戻った室内で、メタングの上に乗ったルリリが、天井とメタングの間を高速バウンドしながら叫んだ。
「びぃぁあああああぅ! がだい゛の゛じゃ゛―!!」
「まりり止まって止まって! 自分が痛い! 痛いから!」
「バンギラスが暴れても大丈夫、とか言ってたですね」
さすがに誇張だと思いたいところだが。
サイコパワーに引っ張られ、ルリリがメタングの上からツキネの腕へと移動する。
ルリリを真似てぺちぺち天井を叩いたムンナが、うぇえ、という顔をした。「ヤな感触なのよぉ」
ツキネも同じく、サイコパワーを乗せた手で、天井を軽く叩いてみる。ただ堅いでも分厚いでもなく、力を加えた端から拡散されている感じ、とでも言うべきか。真っ向勝負でこの壁を壊すのは無理そうだ。
着々と積み上がって差し迫る蛍光パープルの催眠ガスを眼下に、一行はううんと首を捻る。
「すぐ殺す気はなさそうなのよぉ。むーちゃん、捕まってみるのもアリアリだと思うのー」
「自分は反対。コイツ等、使ってくる道具の技術レベル相当高いよ。捕まるのは悪手だと思う」
「はいはい! 吾、ガスを吸ったフリしてだまし討ちとかいいと思うのじゃ!」
「悪くはない手なのですが、アームに催眠ガスも仕込んである設備レベルなら室内のバイタルチェックとかもできそうなのですよね」
今はいいが、持久戦になればツキネ達の分が悪い。
最悪、この飛空艇がラチナを離れるまで飲まず食わずで放置され続ける可能性も十分にある。早く出るに越した事は無いし、敵のリアクション待ち、というのは賭けが過ぎる。
天井から生えるようにいくつもせり出したガスの噴出口――その付け根に目を留めて、ルリリが閃いた! と尻尾を興奮気味に振り回した。
「あそこ! あの出っ張ってるの引っこ抜いたら、上、抜けれるのではないかの!?」
ツキネとメタングは顔を見合わせた。
このアジトが飛空艇である以上、安全に空を飛ぶためにも重量には相応の制限がかかる。もちろん船自体を含めて、だ。
この部屋の壁や天井も、単純にぶ厚いから頑丈、という感触では無い。甲羅持ちのポケモンだって、そこ以外は脆いものだ。試してみる価値はある。
「やってみよう。ツキネ、ガスがこっちに来ないようにしてて」
「分かったのです。むー、ちょっとまりり預かっててもらって良いのです?」
「お任せなのぉ」
ふよん、とルリリの身体が宙に浮く。ぷかぷか浮き沈みを繰り返すルリリとムンナが少し離れた場所へ退避するのを見届けて、ツキネはサイコパワーでガスの噴出を押し留めた。メタングの両腕が、ガタガタと異音を上げるガスの噴出口を、付け根からガッチリと抱え込む。
「いっせーのー……でっ!」
威勢のいい音を立てて、繋ぎ目から噴出口が割れ砕けた。
勢い余って下に吹っ飛ぶメタング。止められていた鬱憤を晴らすかのように、開いた穴から指向性を失ったガスが四方八方に撒き散らされる。ぶわりと視界を埋めかけた催眠ガスを即座に明後日の方向へ飛ばしながら、ツキネは天井に空いた穴を観察した。
機械が露出し、いくつものコードがパチパチと火花を散らして垂れ下がっている元噴出穴は、一番小柄なルリリであっても、通り抜けるには狭すぎる。
しかし、おそらくこの部屋の高耐久のタネは、材質や壁の分厚さでなく、構造や加工に頼ったもの。
ツキネはすううっと息を吸い込んだ。露出した機械を、無形の力がわし掴む。
「えいやーっ!」
気合一閃。
綱引きよろしく周囲の天板ごと、天井がまとめて崩落した。
■ ■ ■
喘ぐような呼気を最後に、どさり、と男の身体が崩れ落ちる。全身に重くのしかかる疲労感に細く、長く息を吐く。蒼銀の髪をした少女、ホトリは壁にもたれ掛かって呼吸を整えた。
「ッハァ、はー……よしっ!」
小さくガッツポーズをし、周囲を見回す。見つけた鍵束を回収して、中身の入った数少ない檻を手当たり次第に開けていく。
何かあったらしく出て行ったもう一人の見張りが、いつ戻ってくるか分からない。急がなければならない。
一つ開けるたびに、じくじくと傷が痛み、熱でどろりと思考が濁った。べったりと張りつく倦怠感を無視し、なかなか合わない鍵に舌打ちしながら差し込み回す。檻の中からは当惑や警戒の眼差しが返ってきた。最後の檻を開くと、煤で真っ黒なコータスが、じ、と首を伸ばして見上げてくる。
「……ごめん」
もっとたくさんのポケモンが檻に入っていたことを知っている。彼らがおそらくは、売られるために連れていかれてしまったことも。
何も出来なかった。
ホトリは擦り傷と真新しい痣の残る顔を歪めた。
本当ならこのポケモン達を保護し、故郷に帰してやりたい。連れて行かれたポケモン達を一匹残らず取り返したい。
けれど今できることには限界があって、ここでまだやるべき事があって、絶対に捕まえなくてはならない人間がいる。
――ドォオオオ……ン
轟音が轟き、大きく床が振動する。
立っていられず、しゃがみ込んでそれに耐えれば、少しの間を置いて、サイレンがけたたましく鳴り始めた。
何かが起きている。視界の端、薄汚れたチラーミィ達がか細く鳴き交わしているのを捉えながら、ホトリはそう確信した。摘発ではないだろう。ここはゴートだ。ジムリーダーの飼い犬である警察が、まともに動くはずが無い。レンジャーも、この街では大手を振って活動できない。
となれば捕獲してきた大型のポケモンが暴れでもしているか、一般トレーナーでも乗り込んで来たか。
何にせよ丸腰のホトリにできる事は少ない。奪われた手持ちも、どこに連れていかれたのかは分からない。
……手持ちは、ナギサから浚われていったポケモン達は、どうしているだろうか。特に、苦しみ、もがきながらもあの黒い輪に、激しく抵抗していたシャワーズの安否が気がかりだった。
生きていて欲しい。生きていれば次がある。――その次を、自分が必ず繋ぐ。
(狙い目はワンダフォーとか名乗ってる奴)
伊達に数日間、この飛空艇内でハンター達とかくれんぼしていた訳ではない。
コックピットまでの最短ルートを脳裏に描きながら、ホトリは音を立てないよう、息をひそめてドアを押し開け――息を呑んだ。
「ギヒッ」
面頬を付けた大男。グレートが、小さな目を嗜虐に歪めた。
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