無秩序に乱立するいくつものビルから零れる光が、地上を照らして夜を払う。天に輝く星々の煌めきは人工のネオンサイトに掻き消され、月すらもこの街では背景以下に成り果てる。
眠らない街。ギャンブルの街。一発逆転、最底辺から成り上がるか、一夜にして身を滅ぼすか。有象無象が命は元より親兄弟自分の手持ちに至るまで、持ちうる全てを賭けてひしめき合う欲の坩堝。
〝不夜城〟、ゴートシティ。
ラチナ地方において、ジムリーダーとは街の〝王〟だ。
街の性質、ジムリーダーの気質や能力によっては街の上役衆が実権を握っているケースもままあるが、少なくともこのゴートにあって、ジムリーダーはこの街の表も裏も手中に収めた、彼等の頂く〝王〟である。
街を彩る混沌としたビル群の中にあって、ひときわ高くそびえる、目を引く奇形のビルがあった。
逆さにした細長い円錐を地上に突き刺したような、見る者に不安感を抱かせる巨大カジノホテル――ゴートシティジムリーダーの居城、〝バベル〟。その最上階、来訪者に感嘆と緊張を与えるもっとも豪奢な応接室にて。
特殊ガラスの壁を挟んで眼下に望むゴートの街を背景に、どっしりと黒革のソファにもたれかかって足を組んだ男が鷹揚に告げる。
「契約成立だ。クリスマス・イヴを楽しみにしてるぜ」
「感謝しますわ、ミスター」
男の対面に座るのは、桃色の髪に黒い羽根飾りの、ニンフィアを連想させる美貌の女――ビューティーだ。
ありきたりに殊勝な言葉とは裏腹に、その嫣然とした微笑は傲慢な自信に満ちている。
「感謝ねェ」
男がニヤニヤと、荒っぽいのに妙に品のある笑みを浮かべた。
「バベルのてっぺんで神サマ招来たァ、アンタもなかなかトんでるよなァ。さて、神サマってのは〝いくらで〟墜落してくれるもんなんだ?」
煽るような、揶揄を含んだ問いかけに、ビューティーは余裕たっぷり、 挑発的に縦ロールを払った。傲慢なまでの揺るがぬ自信を乗せて、サディスティックに目を細める。
「ミスターの財産すべて投げ打たせて差し上げましてよ」
額を抑え、のけぞって男はげらげら大笑いした。
「そんでお前は高飛びってわけだ! そりゃあいい!」
ラチナの神、〝天神プロメウ〟。
一般にはホウオウの呼び名で知られるかの神は、伝説の、と但し書きは付くものの、遠くジョウトの地において、実在の確認されているポケモンである。
しかしラチナの地において、神話で語られるより他に、ホウオウの目撃例は存在しない。
信仰の街と名高いトモシビの者達ですら知り得ないだろう、ホウホウの招来方法。それを何処の馬の骨とも知れないよそ者のポケモンハンターが、ゴートで実演するだけに飽き足らず、呼び出した〝神〟を競りにかけようと言うのである。頭がおかしい。気が狂っている。正気とは思えない――けれど本当だったとしたら、見世物としては極上だ。
「あー、そうそう。忘れるトコだった」
商談も丸く纏まり、収まり切らない笑いの余韻を残す中。席を辞そうとしたビューティーに向かって、男が天井を見上げて付け足す。
「ナギサのジムリーダー、そろそろ値札はついたか?」
「……あたくし、人間は取り扱っていませんの。
でも、そうですわね? 入荷の折には、喜んでお取引させて頂きますわ」
倫理観を欠いたやりとりを軽い口調で交わし合い、ビューティーは控えていたディーラー服の女侍従が広げたコートに腕を通した。ドアが音もなく開き、客人へ無言のうちに退室を促す。
軽く目礼し、毛足の長いコートを優美に翻すその背に、男はうすら寒いニヤニヤ笑いで言った。
「じゃあな、ハンター。〝また〟会おうぜ」
ショーをしくじればどうなるか。
ともすればそんな不安を揺り起こす、気紛れな秋空と同じ、ぞっとするような薄氷の双眸。
沈黙は数秒。高らかなヒールの音を残して、応接室のドアが閉まる。
部屋のあちこちで壁紙と同化していたアンノーン達が、ぱらぱらと落ちて女侍従の元へと集まっていく。
ソファの真後ろでだらしなく寝そべってポケモン雑誌を広げていたスリーパーが、弾かれたように顔を上げ、窓の外へと視線を転じる。
いつも通りのゴートの風景。それでも、エスパー特有の感覚が、特異なサイコパワーの波動を感知していた。一拍遅れてアンノーン達の目が、示し合わせたように同じ方向へと向けられる。
サイコパワーで髪を引っ張り知らせてくる相棒に、男の目に好奇の色が差す。
王から下される命令を予期し、女侍従がアンノーン達を整列させる。
傾いた太陽の弱々しい陽射しが、空を赤黒く染めていた。
■ ■ ■
電光石火、一撃必殺短期決戦。
ツキネの基本方針だ。寝ている時間が長い、というのは起きていられる時間が短い、という事でもある。
時間が有限である以上、優先順位の決定、時間をかけるべきか否かの峻別は極めて重要。そうして連れて行かれた仲間達の救出、というルリリの依頼は父の仕事から得た経験則上、早急に片付けるべき問題だった。
ドガァアアアンッ!
千里眼でルリリとの縁を辿ってテレポート、からの居場所特定して監禁現場即強襲。
出現座標が上にズレ過ぎる、というちょっとしたハプニングはあったものの、正しく電光石火の早業であった。
安っぽく弱々しい電灯に照らされた、いかにも、といった感のある埃っぽい監禁現場をぐるりと見回す。
狭苦しい室内一杯に積み上げられた檻の壁に、ツキネは大きく顔を歪めた。
キイキイ、キュウキュウという弱り切ったすすり泣きがそこかしこから響いてくる。それぞれの檻には、デカデカと汚い走り書きがされた紙が貼られていた。
〝売約済み→12/28出荷 カント―地方 R行〟、〝期限一週間以内 雌雄セット20%OFF〟、〝ボールマーカー有 剥製処理応相談〟、〝レア特性持ち 繁殖にピッタリ!〟、〝大安売りコーナー ※購入後すぐ死亡しても返金は致しかねます〟……。
ツキネは視界に入った紙ごと、檻の前面を力任せにねじ切った。
下敷きにした店員らしきニンゲン達の上から浮かび上がり、メタングが素早く狭い室内を索敵する。
「うん、他にはいなさそうかな。ねえルリリ……えっルリリ? ルリリー?」
「はっ! こ、ここは――」
メタングに突かれ、カッ! と目を見開いたルリリは、周囲をきょろきょろと動かした。
カウンターの残骸から飛び降りて、檻が立ち並ぶ暗がりに跳ね寄りながら叫ぶ。
「助けにきたのじゃー! みんな生きてるかのー!?」
脅えと諦めが色濃く漂っていた空気が、攪拌されて揺れ動く。
「……いまの、一発屋の声……?」「ルリリ?」「ルリリー」「たしかにイッパツヤっぽかったけど……」ひそり、ひそりと囁き合う声。そろそろと、なんにんかのポケモンが警戒と困惑を等分にして檻から顔を覗かせる。「ルリリだ。目を合わせると危ないって評判の」「知らないのもいる」「うっそぉ……あの血の気多い子が協力プレー……?」「ニンゲンといっしょー」「にんげん?」「人間かなあれ」「わっほんとに一発屋だぁ」「ホトリいない……」「これついてって平気? だいじょうぶ?」
漏れ聞こえてくるひそひそ会話に疑問がわかないでもなかったが、ひとまず棚上げし、ツキネも声を張り上げ呼びかけた。
「ルリリの言った通り助けに来たのです! 危ないニンゲンは倒したから、出てきて大丈夫なのですよー!」
「逃げるから全員一ヶ所に集まって!」
続いて叫んだメタングが、少し考えて付け足す。「自力で動けないようなら教えて、運ぶから!」
少しのためらいと沈黙ののち、檻からそろそろと、傷を負ったポケモン達が姿を見せる。
元カウンターの前。他より広めの場所でルリリがぴょこぴょこバウンドしながら、「みんなこっちに集まるじゃ! 足りない仲間とかいるならちゃんと教えて欲しいのじゃー!」と元気に足をバタつかせた。
カウンターの残骸と一緒に散らばる、あるいは壁際の棚へ無造作に積まれた書類の数々に、メタングが難しい顔で唸る。
「ここ、販売店だよね。誘拐犯とはニアミスかあ」
「なのですね。……ナギサには生息してないポケモンも混じってるですか。よそでも浚って来てたか、他にも卸すゴミモブがいるのか……」
「後者じゃないかな。ちょっとやそっとの営業期間、って檻の使用感でもないし」
「ジムリーダー無能なのですかね……。
まあいいのです。雑に扱える情報源も捕まえたですし、ひとまずはここのポケモン達を助けるですよ」
「賛成」
目を回している店員らしきニンゲンふたりを、メタングが手早く元・檻をぐにゃんと曲げてぐるぐる巻きに拘束する。
それを尻目に、ツキネは散らばった書類を手元に手繰り寄せ、さっと中身に目を滑らせていく。
「えーっと、この中身全部に、あとは……あれとこれと、それと……」
ついでとばかり引き出しを全部ひっくり返し、取り出した書類の山から重要そうなもの、犯罪の証拠になるものをより分けて片っ端から適当に拝借した袋に突っ込んでいく。
せっせと略奪行為を働くその背後。ルリリが驚愕も露わに叫んだ。
「シャワーズ! どうしてこんなところにいるのじゃ!? ホトリ達はいったい……!」
「ツキネやばい、ひとり重傷! しかも発熱してる!」
続いて檻に入ったメタングの言葉に、ツキネはより分け途中だった書類の残りを、まとめて袋に押し込んだ。
振り返れば、メタングがシャワーズとルリリを乗せて檻から出てくるところだった。「しっかりするのじゃ!」全身を覆い尽くさんばかりのツタを手当たり次第にむしり取りながら、ルリリが大声で呼び掛けている。
「ここにはもう誰もいないですね?」
一ヶ所に集まり、見上げてくるポケモン達の不安げな視線をまっすぐ見下ろし、確認する。
「いないのじゃ!」ツタと格闘しながら、顔も上げずにルリリが答えた。「他の部屋とかは無いってさ。これで全員でいいみたいだよ」メタングが補足する。
ツキネは頷くと全員まとめてサイコパワーの膜で包み、部屋を文字通りの意味で飛び出した。
ゴガァアアアアアン!!
問答無用で天井をブチ抜かれ、ぐらぐらと建物が振動する。
空から見下ろす街は、にょきにょきとそこかしこから背の高低差が大きなビルが立ち並び、なんとも雑然と、混沌とした様相だった。後から付け足していったと思わしき部分がでこぼことくっつけられた巨大な奇形のビルに、ほとんど廃墟同然の、半ば以上崩落したビル。平べったく巨大な、無数のミツハニーが寄り集まったような形のビル。
ツキネ達のいたのは街の外周部らしかった。古ぼけて背の低い、半ば崩れた廃ビルの占める割合が多い。
街の中心地らしき方角を見れば、まだ少し暗くなってきた、くらいの時間帯だというのに既にカラフルなネオンが遠目からも確認できた。中でも目を引くのは、古めかしい大時計のあるビルと、そのビルに伸し掛かるような影を落とす、ひときわ背の高く、圧迫感を与える巨大なビルだろう。
どんな建て方をしたのか、逆さまにした細長い円錐を地上に突き刺したような、今にも倒れるんじゃないかという不安感を見る者に与える、独特の形状をしている。そこへ更に、建て増しに建て増しを重ねたような凹凸がくっついているものだからインパクトは抜群だった。
陰影やギラギラした光も相まって、そこだけ空が削り取られたような錯覚すら覚える。
「うーん……」
全体的にケバケバしいわ目に痛いわで、ポケモンセンターが見つけづらい。
〝空を飛ぶ〟を使うトレーナーに不親切な街設計に、ツキネはこの件が終わったら、ポケモン協会経由でクレームを入れる事を心のメモ帳に書き留めた。
「高い高いたかぁーい!?」「たかいねー」「おー! とおーい!」「アクアジェットでいけるかな」「元気だったらワンチャン」「おそらとんでるー!」「ほとりほとり助けてほとりぃいー!」「押すのやぁー!?」「落ちちゃう! 落ちちゃう!」「もしや空って泳げるのでは」「天才か?」
「はいはい大丈夫だから押さない慌てないチャレンジ精神で飛び出さない」
いろんな意味で大興奮なポケモン達とそれを宥めるメタングの声をBGMに、眼下の風景とにらめっこしたツキネは、五分ほどかかってようやくビル群の狭間に埋もれるポケモンセンターを発見した。
お馴染みのPの看板が、すすけて曖昧な光で明滅している。
「……?」
何か。
原因の分からない違和感が、眼下のポケモンセンターにあった。
が、仮にも重傷者を抱える身である。
ひとまず違和感を棚上げして、ツキネはポケモン達を引き連れ、滑るようにポケモンセンターへと飛び込んだ。
「お邪魔します! 急患なのです!」
「えっ……、……えっ?」
目を点にしたジョーイの口から、ぽとり、と煙草が落ちる。
じゅう、と肌を焼いた灰の熱さに、ジョーイは「あぎゃああ!?」と飛び上がって悲鳴を上げた。
「あつい? あつい?」「おいしゃさんー」「シャワーズ元気になる!」「ここの臭い嫌いぃ……」ツキネにならってカウンター前に寄ってきたポケモン達が、寄り集まってわいわいと騒ぐ。
構わずツキネは受付前ど真ん中に陣取って、大声でジョーイと、その背後に繋がる控室へ訴える。
「急患! なのです! 重傷者もいるので迅速にお願いするのです!」
しかし反応があったのは、前ではなくて後ろからだった。
「オイオイオイ、人様のシマで勝手してんじゃねーぞコノヤロー!!」
センターの正面玄関ドアを蹴り開けて入って来たのは、黒い長ランにおそろいの派手な刺繍、といった出で立ちの若いニンゲンの男達だ。顔のあちこちにたくさんピアスをつけていたり刺青が入っていたり、髪型もリーゼントや剃り上げズルズキン頭とバリエーション豊かにガラが悪い。
父の仕事関係以外では馴染みのない人種に、ツキネはぱちぱちと瞬いた。
「待ったみんなストップストップ。わざ出さない。こっち集合」
「なんで止めるのじゃ!?」
「ポケモンセンター内だからね。こういう時、野生ポケモンがぶっ飛ばすと後が面倒なんだよ」
真っ先に襲いかかろうとしたルリリをサイコキネシスで急停止させ、メタングが手招きで誘導する。
威嚇の唸りを上げ、あるいはルリリに続こうとしていたポケモン達は、ツキネの方を気にしながらも、メタングに従ってじりじりとニンゲン達から距離を取った。
そんなポケモン達のリアクションに気付きもせず、ニンゲン達はツキネに大股で歩み寄って勢いよくオラついてくる。
「つーかポケセン前でたむろってたオレ等ガン無視こいてんじゃねーよオラァ!」
「ポケモン引き連れて空から急降下してくんじゃねー怖いだろーがゴラァ!」
「おかげで何人かビビって腰ぬかしちまったんだぞウラァ!」
「ちょっと空飛べるからってチョーシ乗ってんじゃねーぞ、ああん!?」
〝天上天下唯我独尊〟、〝業都爆走特攻隊〟、〝喧嘩実力激最強〟、 〝羅血拿極悪餌簾派唖道〟……。
なんとなく目に入ってきた刺繍の文字を脳内で読み上げる。なるほど分からん。そして特に意味のある内容を訴えてくる訳でも無いので、ツキネはカウンターのジョーイへと向き直った。
「急患だと言ってるですが」
「当然のようにガン無視くれてんじゃねーぞオルゴファッァアアアアアアァ!!」
「「「アキニィイイイイーッ!?」」」
わざわざ真横まで寄ってきて至近距離で叫んだ男を壁まで張り飛ばして、ツキネは冷淡に吐き捨てた。
「汚い。唾を飛ばすな」
着崩れ白衣のジョーイは「どうしよう」とでかでか顔面に描いた状態で、ツキネと男達、張り飛ばされた男、そしてポケモン達と視線を彷徨わせている。
「アニキ! ケガは無いっすかアニキー!」
「う、うぅ……。へっ、安心しな……これっぽっち全然ヨユーよぉ!」
「アニキ! さすがっすアニキ!」
「クソが、ちょっーとばかし優しくしてやればつけ上がりやがって!」
「オレらのベストプレイスによぉ……ズカズカ踏み込んだばかりじゃあ飽き足らず……!」
カチカチカチッ、とボールの開閉音が続けざまに響く。
「ちょっ……! アンタ達、それはダメだって!」
焦燥を滲ませてジョーイが叫ぶが、男達の耳には入っていないようだった。ポケモン達が一斉に殺気立つ。
今にも飛び掛かろうとする皆を片腕で制し、メタングが告げた。
「大丈夫、すぐ終わるから」
ツキネは軽く千里眼を使ってポケモンセンターの外を見回す。
丁度近くに用水路がある――ここでいいか。
「小汚ねぇポケモンども連れ込みやがって!」
「ブッ潰してやんぞゴラァ!!」
きっかり十秒後。
襲いかかってきた連中を真冬の用水路へボッシュートし、ツキネは改めて、受付へと向き直った。
「治療」
「ッはい喜んでー!!」
■ ■ ■
力を使いまくっていれば、当然、疲労するのも早い。
ジョーイを始めとした医療スタッフ達の治療がひと段落し、ゴートのポケモン警察へ通報が完了する頃には、ツキネは押し寄せてくる疲労感に、スリープモードへと移行しつつあった。
「みんなへの聞き取り調査は自分がやっておくよ。情報は多い方がいいしね」
「んむ」
「当面はここを拠点にするとして……。ああ、みんなにはひとり行動厳禁、何かあったら自分のところにすぐ来るように、を徹底しとく。ツキネがぶちのめした不良達、また戻ってくるかもだし」
「ぬ」
「そういえば、まだ誘拐時の詳しい経緯とかも聞いてないね。明日ルリリにちょっと記憶を見せてもらおっか」
「むめ」
「……ねーツキネ、ほんとにこいつらのサイコメトリ今するの? 寝落ち寸前だけど」
「ぷぬん」
「だから警察に連絡するの、後にすればよかったのに。ツキネ、ミスってこいつらの記憶トバすのだけは勘弁してよ? ここの警察、いつも付き合いがあるヒト達じゃないんだから。絶っ対後処理で時間ロスする事になるからね?」
「なう」
「はいはいNOWNOW」
かっくんかっくん舟をこぐツキネの前に、メタングは犯罪者ふたりを並べて転がした。
心を読むテレパシーは、あくまでも〝現在〟を読む力だ。過去を覗こうと思うなら、別の能力が必要になる。
サイコメトリ。触れた物体の、〝記憶〟を読み取る能力だ。そして対象となる物体は別に、生体であろうとも構わない。ただこのサイコメトリ、ツキネ基準では〝難しい〟のカテゴリに入る。
ツキネは出力が高いぶん、細かい作業が不得手なのだ――特に生体へのサイコメトリは、うっかり壊さないよう気を使う必要があるだけに、難易度が極端に高くなる。それをこんな寝落ち寸前の状態でやるのだから、この先の展開は予想がついた。「皆、ちょっと煩くなるから耳塞いでおいてねー!」ツキネの手が伸びるのを眺めながら注意喚起し、メタングは自分の耳を塞ぐ。三、二、一。
「ほぎゃぁあぁあああああああああああっばばばあばあばばばああああがががあdsfdささfds!?」
断末魔のような絶叫が、男の喉から迸った。
バクオング並みの大音量にも構わず、ツキネはうつらうつらしている。耳を塞いでいても聞こえてくるレベルの叫びに、ルリリ他数名を除く、起きていたポケモン達は驚き顔だ。「びっ……くりしたあ」「そいつら息の根止めるんです?」「おにく? おにく?」「ニンゲンっておいしいのかな」「食べたことないから知らなーい」「海藻に勝るものなし」「わかる」「ポケモンフードがいちばんだと思うけどなー」それでも、続く会話に恐怖の色は無い。ポケモン、特に野生の世界では力の序列こそが大前提だ。
そうして、その牙が自分達を庇護するものである以上、脅える理由など無いとよくよく理解しているのである。
ただしその理解は、あくまでもポケモンに限った話だ。
「…………」
「…………」
「…………」
治療のため、忙しく立ち働いていたニンゲン達が思わずといった様子で足を止め、青褪めた固い表情でこちらを凝視する。そこにはある種見慣れた、得体の知れないものに対する恐怖の色が含まれていた。
ツキネが彼女達に対しては一切手を上げておらず、絶叫した男が今まさに警察の引き渡しを待つ身の上の犯罪者であると知っていてなお、このリアクションである。
何をしているのかと問い質すなり、犯罪者ふたりの状態確認をしようとする者がひとりふたりはいるんじゃないか、とメタングは予想していたのだが――。
「なるほど。ここのスタッフはこのレベルか」
手抜きの舞台背景でも見るような目でニンゲン達を観察しながら、メタングは無感動に呟いた。
もうひとりの絶叫が上がり、そして途絶える。
観察を切り上げ、メタングは振り返って重力のみならず上下左右の概念を手放したツキネを引っ張り戻す。
「どうだった? 犯人の顔とか分かった?」
「む」
「それっぽいの見えた? そっか、分かった。後は起きてからだね。お疲れ様、ツキネ」
まとめた証言にルリリの記憶、サイコメトリで得た情報を合わせれば、二、三日で片は付く。
家出同然に飛び出してきてしまった件についてだけは頭が痛いが、まあ。その頃にはツキネも頭が冷えているだろうし、その時悩めばいいだけだ。正直ひとりで考えたくない議題だったので、メタングは問題を棚上げした。
「みー……」
消え入りそうな返答と共に、ぽてむ、とツキネがメタングの背に倒れ込む。寝入ったツキネを収まりのいい位置に乗せ直し、メタングはよし、と気合を入れた。
「聞き取り調査、頑張るかあ」
時間と根気のかかる地道な作業だが、ツキネが目覚めるまでには終わらせておきたい。
ぷーぷーと大の字になって安らかに眠るルリリが、決意表明に応えるかのようにびたーん! と尻尾を大きく動かし寝がえりをうつ。
完全に夜も暮れた窓の向こう。遠く中心街のネオンサイトが、星のようにきらめいていた。
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