高くそびえる、空から生えた塔がある。
 見上げる大地に突き刺さる円錐の塔は、まるで人工の太陽のよう。
 塔の裾野に広がるのは影。輝く光の強さだけ、底なしに深く、黒い闇がわだかまる。

 がらがらと檻が積み上がる。
 からからと鎖が鳴いている。

 塔の作った暗がりに、見渡す限りの虜囚達。

 助けを求める声がする。
 痛い、と切実な悲鳴が上がる。
 逃げろ、とガオガエンの怒鳴る声。

 怨嗟と痛苦と哀願の木霊する中で、ただひとり、桃色の髪の女だけが笑っている。
 面頬にトサカ頭の大男と、スキンヘッドに出っ歯の小男。ふたりのシモベを従えて、踏みつけるのはマーシャドー。

 神様なんてバカバカしい! あるのは商品、それだけですわ!

 焼かれながらも女がうそぶく。
 自分を焼いて、街を焼いて、そうして罪科は燃え尽きる。
 罪ある者も罪なき者も、等しく神は焼き滅ぼす。

 怨嗟の声が木霊する。
 痛苦の声が木霊する。

 とーさま、かーさまと三つ子が遠くで泣いている。
 背後でどさりと音がする。
 血だまりに伏したグラエナが、かそけき声で囁いた。

 ――賢い子、主のいとし子。決して、来てはいけません。……

 強い光が網膜を灼く。

 ――怒れる神が、降りてくる。



 ■  ■  ■


 も゛っ。

「……?」

 起き抜けに、何もかもが遠い夢の彼方に置き去りになっているというのはままあることだ。たくさん力を使って、へろへろになって寝落ちした時なんかは特に。
 視界を占める肉々しいピンクに、ツキネは思考停止したまま動きを止める。頭に謎の圧迫感があるが、しっとりと温かいそこは感触だけで言えばなかなかに心地いい。

「何やってんだおまえー!?」

 動揺しきったメタングの絶叫と共に、しっとりピンクがツキネをぺいっと放り出す。
 馴染んだ固い腕に受け止められて、ツキネは目をぱちくりさせた。

「むぬ?」
「またお味見に来るのよぉ~! ばっあぁーい☆」
「二度! とっ! 来るなぁーっ!」

 まるころとしたピンク色の空飛ぶ花柄クッション。もといポケモンが、ぴゅいーんと素早く飛び去っていく。
 遠ざかる背中に目を吊り上らせてそう怒鳴り、メタングはツキネを見下ろして一転、心配も露わに問いかけた。

「ごめんツキネ、気付くの遅れた!
 あいつツキネの頭もぐもぐしてたけど大丈夫!? 痛いところとか、おかしいところない!?」
「いえ。むしろやや爽快というか意外にも快調な方というか」

 むしろ適度に力を振るった後の、ほどほどにガス抜きができて身体と力の釣り合いが取れている時の調子の良さだ。久しぶりに結構消耗した自覚があるだけに、ツキネとしてもこの良好さは意外だった。弱った身体にいつもなら容赦なく負荷をかけてくる分のエネルギーが、ごっそりどこかへ消えてしまったかのような――

「あれ」

 いつもなら、こんな時は何かしら予知夢を見ているものなのだが。
 しかし記憶はまっさらで、何事も無かった日の目覚めのように、断片的にすら残っていない。
 かろうじてうっすら残っているのは悪夢にうなされた後のような、淡い恐怖を伴う不快感だけである。

「どうしたのツキネ、やっぱりどっかヘンな感じする!?」
「そういうのでもないのですが……」

 しいて言うなら、原因が分からなくて座りが悪い。
 そもそも、寝ていたって害意のある行動なら、ツキネはサイコパワーで弾いてしまう。
 だからあくタイプでも無い限り、メタングの目をかいくぐってツキネに危害を加える、なんてそうそう出来る事でもないのだ。メタングに抱きかかえられたまま、ツキネはむーんと首をひねり。
 ややあって思い出した情報に、ぽむ、と手を打った。

「そっか。今飛んでったの、ムンナなのですよ!」
「ギッ。……ギゥッそうかゆめくいポケモン!」
「ムンナって予知夢も食べるのですねえ」

 これはあくまで予想だが、おそらくは予知夢と一緒に、ツキネの余分な力も食べていったのだろう。
 だから身体と力の釣り合いが取れているし、食欲対象が夢だったから、ツキネの無意識ガードにも弾かれなかったのだ。ツキネの頭をはむはむしていたのも、ムンナ的にはお皿を舐めている、くらいの感覚だったのかも知れない。
 引っ掛かりが解消されてスッキリ顔のツキネ、「まあ夢なら食べても……いやでもやっぱ無断ゆめくいとか厚かましいな……」と難しい顔でうなるメタング。
 食べられた予知夢で何を見たのか、という部分については気にしない。予知夢は、あくまでも〝現時点で一番そうなる可能性が高い未来〟の覗き見だ。この間見た塔の夢のような、自分に関係ない事柄を見る事だってままあるのだから、気にするだけ時間の無駄だ。
 きゅるるるる。腹の虫が、それよりこっちが優先だ、と言わんばかりに空腹を訴える。

「おなか空いたのですね。いま何時なのです?」
「午後二時だよ。おそようツキネ」
「おそようですめた。午後二時か……まあ早くに起きれた方なのですね」

 あれだけ力を振るった後だ、もう二時間は後だと思っていたのだが。
 髪を手ぐしで整えながら、ふよんとメタングの腕から降りてぐるりと周囲を見回してみる。
 ポケモンセンターのロビーの片隅。室内が一望できるように向きを変えて置かれたソファの上に、どうやら寝かされていたらしかった。
「つよいの起きたー」「首ある? 首ある?」「取れてないよー」「大丈夫っぽい」「つよつよエスパーニンゲンさすがぁ」わらわらと寄ってきたポケモン達が、口々にそんな事を言いながらも身体や鼻をすり寄せたり、お辞儀したり、大きなハサミをカチカチ鳴らしたり、それぞれの種族のやり方で挨拶してくる。
 転がしておいた犯罪者ふたりの姿はない。寝ている間に回収されていったようだ。
 同じ、あるいは近い流儀でそれぞれに挨拶を返しながら、ツキネは首を傾げた。

「数が少ないのですね」
「ここにいるのは外敵警戒組。残りはシャワーズ心配して病室に詰めてる」
「それは……珍しいのですね」

 見れば確かに、いるのはトドグラーやフローゼル、シザリガー等、助けた中でもレベルの高いポケモンばかりだ。
 ここに連れてこられた経緯を思えば、庇護者の有無に関わらず、警戒しない方というのは有り得ない。むしろ、情はあってもわりとシビアな野生界において、そうまでして心配されるシャワーズの慕われっぷりの方が意外だった。
 床に落ちたコートをサイコパワーで引き寄せ、もそもそ着込むツキネにメタングは「だよね」と頷く。

「一番心配されてるのは〝ホトリ〟で、シャワーズはついでみたいな感じはあったけどさ。に、したってすごいよね」
「なのですね。生半なまなかなヌシではないのでしょう」
「ツキネー!」

 救出の決意も新たに、やるべき事を脳内で指折り数えるツキネに向かって、カウンターからぴょーん! とルリリが跳ね出てきた。驚いた様子でセンターのポケモンらしきすうにんのアンノーンがぴゃっと引っ込む。「おっと」でででででと床を勢いよくバウンドながら跳ね寄ってきたルリリを、メタングが空中でキャッチする。
 ぷらんぷらんと大きな尻尾を揺らしながら、ルリリが足をぱたぱたさせつつ元気に叫んだ。

「おはようなのじゃ! めたもおはようじゃー!」
「いや、自分達は今朝も挨拶……言う方が野暮か。おはようルリリ」
「おはようなのです。シャワーズ、容態はどうなのです?」
「ヨータ……? よく分かんないけど、草は全部むしったのじゃ。まだ死んでないからきっと大丈夫じゃ!」
「〝やどりぎのタネ〟は全部摘出したから、後は体力勝負だってさ。経過は順調みたいだよ。もう二、三日すれば意識も戻るんじゃないかな」
「そう。なら良かったのです。……ところでめた、あそこで団子になって睨んできてるモブども何なのです? あの顔ぶれ、昨日叩き出したアレでは無かったです?」
「あー、アレ? ここのタブンネに懇願されたから入れた。このままだと凍死するって」
「ふうん。他所へは行かなかったですか」
「オウオウオウ! 昨日はよくもやってくれたなぁサイキッカーちゃんよぉ!」

 ポケモンセンターの正面玄関手前でみっちみちになっているニンゲンの群れから声が飛ぶ。
 昨日用水路に叩き込んだ後着替えてもいないらしく、全員やたらと小汚い。
 一番ツキネ達に近いところにいる色違いのドブ色長ランが、足をがっくがっくさせながらこちらを指差し、たぶん世間一般的には怖いだろう顔で、裏返った声で叫ぶ。

「リベンジマッチだ、オモテ出ろやぁ! ちょびーっとサイキッカーとして、そう、サイキッカーとしてっ! 強かろうとも! ポケモンバトルではオレ様たち〝祖怒無ソドム〟の方が上だってことを! そうっ! トレーナーは指示以外だけしかっ! しないっ! ルールを守ったっ! ルールを守ったッ!! ポケモンバトルで! 思い知らせてやっからヨォ!!」
「おっおっ? やるのじゃ? バトルするのじゃ?」

 メタングに捕まったまま、好戦的にルリリが尻尾でシャドーボクシングをする。

「寝てる間に何かしたです?」

 用水路に叩き込んでやったからだけとも思えないビビりっぷりに問えば、メタングは「そこまでの事はしてないけどなぁ……?」と本気で不可解そうだった。ポケモン達が口々に証言する。「線しゅーってしてただけー」「なんにもだよ?」「ねー」「こっち僕らのナワバリなって威嚇したぐらいだぞ」「寸止めでした、何も無かったと同じでは?」「ひとりくらい氷漬けにしても良かったと思うー」
 モブどもの足元を見れば成程、確かに線が引かれている。
 なんとなく小競り合い未満のナワバリ争いがあったらしいな、と察し、ツキネは両手を腰にあてて顎をしゃくった。

「全員相手してやるですよ。外出るのです」
「あれ。相手してやるの?」

 意外そうに目をパチクリさせるメタングに、ツキネは重々しく頷く。
 あそこまでビビった様子なのに他所へ行かなかったのだから、おそらくこのモブ達、他に行き場が無い。
 無害ならいたって別に構わないのだが、なにせ初対面時の行動が行動である。
 当面はここを拠点に動く予定でいる以上、妙な気を起こさないよう、ポケモンバトルでも敵わないと骨の髄まで叩き込んでおくべきだろう。
 それに、だ。ツキネはくうくう主張するお腹を押さえた。

「持ち金はなくとも、食べ物くらいは徴発できるでしょう」
「だから待ってって言ったのに……」


 ■  ■  ■


 全員ルールを守って順序良くワンキルした。
 メタング(実行犯の片割れ)は述懐する。「途中から公開処刑の順番待ちみたいな空気になってた」――と。


 ■  ■  ■


 人間社会は解し難い。
 多くのポケモンの類に漏れず、マーシャドーにとってもそうだ。

「マーシャドー。行くぞ。旅立ちだ」

 だから男が開口一番そう言って、マーシャドーを引っ張って行こうとした時も何一つとして理解できはしなかった。

「待て待て待て待て。何を言い出すんだオマエは! 王になったのではなかったか!?」
「上が死んで、兄らの子が幼いから繋ぎでしぶしぶ選ばれただけだ。お飾りなら赤子でも変わらん」
「それでも責務は責務だろうが!」

 当時、火の国は長らく続く天候不順による不作と災害、トドメとばかりに流行った疫病によって、滅亡か、水の国の属国となって長らえるのかの二択を突き付けられていた。
 軟禁に等しい扱いを受けていた男ですらもそれを知っていたのだから、相当ひどい有様だったのだろう。
 マーシャドーには分からなかった。ただ、そういうものなのだとしか受け止めていなかった。
 在る事に何の労も必要としなかった彼にとって、人間社会の営みも、生きることに汲々きゅうきゅうとする者達の絶望も、ただ遠くから眺めているだけのものだったから。
 だからただ、責務を投げ出そうとする行いに腹を立てた。それだけだった。

「こんなとんでもない、外れクジ以外の何物でもない仕事をやれと言うか。お前は本当に酷い奴だな」

 人間社会に詳しかったら、無責任なばかりに思えたあの行いを、肯定してやれただろうか。
 外れクジ、などと友が評した責務の重みを、共有してやることができたのだろうか。

「ヒドいのはオマエの方だ。ワタシはプロメウ様の影衛かげまもり。この地を離れることはまかりならん」
「それはお前が自分で自分に定めた役割だろう。……海の向こうもいいし、災禍さいかの荒野の先を目指すのだっていい。お前と一緒なら、何処にだって行ける気がするのに」
「まったく。オマエなら必ずや、善き王になれる。今は違っても、皆、必ずオマエを認めるはずだ。やる前から放り出してどうするんだ」

 生まれてからずっと、ずっと独りきりだった。
 群れを率いた事も無ければ決まったナワバリを持った事も、ヌシであった事すら無い。
 玉座の重みなど知りもせず、友を支えてやる事など考えもせず。何の確証もなかった癖に、どうしようもない無責任さで告げた、能天気極まりない世迷い事。
 さぞかし滑稽だっただろう。賢い彼女からしてみれば、尚更に。

「ほほほほ。ふられてしまったのう、はふり殿?」
「バルジーナ」

 伝承に語られる、テセウスを唆した誘惑者。
 いつしか王宮に出入りするようになった彼女を、警戒できたのは最初の内だけだった。
 聡明で思慮深く、何よりプロメウ様への献身を旨とする彼女を、疑い続ける事はできなかった。
 魔女の汚名を被っていてなお揺らぐことの無い信仰に、心密かに、仲間意識すら抱いていたのだ。……その本性を、最後まで見抜くこともできずに。

「ちょうど良かった、アナタからも言ってやって欲しい。コイツ、王になったというのにあまりにやる気がなさすぎる!」
「そうよなぁ。あまりに、あまりにやる気に欠ける。だがのぉ、影衛かげまもり殿。強大に過ぎるはふり殿にとって、民とは須らく遠きモノ。彼等をおのが民として導くなど、そうそう実感が湧かぬのも致し方あるまいよ」
「む。……そういうものか?」
「良い良い。案ずることなど何一つとしてありはせぬ。なにせ、妾が付いておるゆえな」
「そうなのか! 失礼した、アナタのような賢者の助けがあるなら、道をあやまつ事などないだろう。……おい、オマエの話だぞ。逃げるな」

 賢い彼女も、友も、きっと分かっていた。
 火の国はもはや、独力で立て直せるような状態にないと。
 足りないものを奪うことでしか――水の国から奪わなければ、滅ぶのみだと理解していたのだ。
 分かっていなかったのは、マーシャドーだけだった。

「いいか、ちゃんとバルジーナ殿の助言をよく聞くんだぞ?」
「……。そうだな」
「なに、大丈夫だとも影衛かげまもり殿」

 午後の陽差しの差す庭で。
 慈愛と確信に満ちた微笑みと共に、バルジーナは言っていた。

はふり殿は優秀な御方。必ずや比類なき王として、素晴らしい偉業を成し遂げるであろうよ」

 友が、認められることが嬉しかった。
 賢い彼女が、肯定してくれたことが誇らしかった。
 国を立て直す事の困難さも、その先に待つ惨劇を欠片とて思い描く事も無く。


 ……燃える。燃える。燃える。
 ヒトが燃える。ポケモンが燃える。街が燃える。日常が燃える。
 一切合切の価値あるものが収奪され強奪され、抵抗する者は殺され壊され犯され弄ばれ――あらゆるものが蹂躙される。

「そうまでして富が欲しかったか! 何もかも奪い尽くさなければ、満足できなかったというのか!? 皆の命を、尊厳を踏みにじって! この外道の行いに、何ひとつ恥じることなどないと!?」

 そんなつもりじゃなかった。
 そんなはずじゃなかった。
 ただ王として、友が皆に受け入れられて、認められればいいと思っていた。
 本当に、本当に。それだけだったはずなのに。

 愚かだったと知っている。
 そうして今も。マーシャドーは、間違えている。




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