天高くそびえる塔がある。
 空から生えた細長い円錐形の、おおきな、おおきな塔がある。


 積み上げたごうの結実だよ。しゃがれ声で誰かがささやく。
 積み上げた罪の祭壇だよ。しゃがれ声で誰かがささやく。

 高らかに響く甲高い女の笑い声にかぶさるように、男が朗々と謳い上げる。

 サァサてめえら、目ン玉かっぽじってご覧あれ。
 地には悪徳と悲嘆が満ち、傲慢の香りはいかにも芳しく、有象無象の転落愉快!

 ――だから、罰が下るのさ。

 しゃがれ声で誰かが笑う。
 炎に巻かれる大地の中、塔は灰も残さず焼け崩れた。



 ■  ■  ■


 深夜一時四十五分。
 ツキネはパチリ、と目を開けた。

「ぬむ」

 ぼやけた意識がするすると輪郭を露わにする。
 そうして現実を認識したツキネは、先程まで見ていたものを思い返して結論した。
 なんだ、ただの予知夢か。
 とんでもなく不穏な内容ではあったものの、マシロ周辺に高い塔なんてモノは無い。
 どこで、いつ起きるかも分からない未来の不確定情報を脳内のどうでもいいものボックスに放り込み、無意識にふわふわ遠く離れていってしまったマットレスへ落ち着きなおそうとパタパタ手足を動かす。
 起きるには早すぎるし、何よりまだまだ眠かったのだ。――マットレスが遠ざかる一方だったので、潔く諦めたツキネはもそもそ空中で動いて、ベストポジションを確保する。

 かたん。

 音が聞こえた。ちょうど斜め下、屋根の上の方からだ。
 風だろうか。そんな思考が過ぎるも、そうと決め込んで寝直すにはどうにも引っ掛かりを覚えて、ツキネはあくび混じりに千里眼で外を見る。
 まっくろな夜空は普段よりもさらに暗く、分厚い雲が垂れこめている。かろうじて顔を覗かせている満月が、おぼろげな光で、地上を頼りなく照らしていた。
 屋根の上には、周囲の闇に溶け込むような影がひとつ。
 灯火のような目が、ツキネを捉えた。

「!?」

 偶然かも知れない。
 それでも、産まれて初めて千里眼越しに見返されたという衝撃は、眠気が吹っ飛ぶには十分だった。
 少し迷って、ツキネはベッド横のメタングを見る。ぐっすり眠っていた。
 千里眼越しのマーシャドーは、もうツキネを見ていない。そのまま屋敷に戻るでもなく、どこかに行こうとしている後ろ姿に、ツキネは慌てて毛布ごと、屋根の上へとテレポートした。

「どこ行くのですか!?」

 あれだけのケガである、まだ動き回るのは辛いはずだ。
 部屋に戻ってフネ寝したツキネはその後どうなったのかを聞いていないが、少なくともガオガエンもグラエナも、最低限、ケガが治るまでくらいは滞在するのを許しているはずだ。
 驚くでもなくツキネを振り返ったマーシャドーが、風の囁くような声で答える。

「成すべき事をしに」
「なすべきこと? でも、ひどいケガだったです。もっと回復してからでも……」

 マーシャドーは、首をゆっくりと横に振った。

「それでは遅い。間に合わなくなる」
「そんな体では無茶なのです!」
「できる、できないの問題ではない。やるか、やらないかなのだ」

 素っ気ない、それでも断固たる決意が伺える口調でマーシャドーが言い切った。

「事情を聞かせてくれないのですか?
 力になれるかもなのですよ。おじさまもおばさまもとっても強いし、私や、めただって――
「必要ない」

 強い拒絶の意思に、ツキネは気圧されて口をつぐんだ。
 あまりにも濃く、重たい後悔が、自分の感情であるかのように胸をずしりと圧迫する。
 自然と、涙があふれてくる。こぼれた涙で視界が歪む。……悲鳴があちこちから聞こえる。逃げ惑っている音がする。惨劇の気配が、背後からツキネの目を覆う。
 動かなくなったマフォクシーを抱きしめて、血まみれの女のひとが吐き散らす。

 ――のろわれろ。

 悪鬼の形相で。
 憎悪を込めて、怨嗟を込めて。喉も裂けんばかりに絶叫する。

 ――おまえたちの行く先に災いあれ! 相争って死に絶えよ、汚らわしい略奪者ども!

 もう遅い。遠くで嘲り笑う声が、耳の奥に反響する。
 ありありとした落胆と共に、沈鬱な、落日の目をした男が告げた。

 ――残念だ、友よ。

「もう、誰とも交わらないと決めている」

 幻影が消える。
 一瞬の閃きと記憶が、シャボン玉のようにパチンと弾ける。
 マーシャドーの消えた寒空の下。
 ツキネは胸を抉る絶望に、自失して呆然と立ちすくんだ。


 ■  ■  ■


 何もかもを裏切った。
 だから、どこにも居場所は無い。

「お前、強いな」

 天神……当時は火の神として崇められていたプロメウの影から、マーシャドーは生まれた。
 ゴーストとしての性質を持ち合わせるマーシャドーは、産まれながらに〝生きていくための努力〟を必要としない身の上だった。飢えず、老いず。影さえあれば、どこにでも在れる。だから、住処の心配すら必要ない。
 強大なプロメウの影から生じたからであったのか。それとも、単純に時間を持て余していたがためか。
 どちらにせよ、マーシャドーは発生からさして時間をかける事もなく、強きモノの域へと到達してしまった。
 同種は存在せず、生きるための摩擦も軋轢も発生しようがなく。
 加えて他を圧倒して余りある力を持っているとなれば、誰との交情も芽吹く余地はない。切っ掛けがない。誰かと穏当には関われず、そのすべも知らない。学ぶ事ができない。
 プロメウの影から生じた、という唯一つのよすがを手繰って、〝にじいろのはね〟を持つ者達を監視し、査定するようになったのは、あるいは寂しさからの行為だったのかも知れない。

「いるな、マーシャドー。遊ぶぞ。出てこい。構え」
――あのなっ」

 そんなマーシャドーにとって、男は初めての存在だった。
 影に同化していた自分を、当然のように認知する。それだけでも驚いたというのに、男はマーシャドーを影の奥から引っ張り出した。出てこざるを得ないように叩き出した、といった方が適切な、荒っぽいやり方だった。
 そんな風に、下手をすれば一日中だって追い回されていたものだから、最初はそのままバトルしていたのが、言葉でもやりあうようになるまでにそう時間はかからなかった。

「ワタシは影衛かげまもりいたずらに表に出るべきではない存在なのだと、何度説明すればいい!? 毎度毎度、ワタシを強制的に引きずり出して何がしたいんだオマエは!」
「遊びたい。構え。俺と対等に遊べるのは、お前くらいしか身近にいない」
「人間で言えばオマエもう大人の部類ではなかったか!? 仕事をしろ仕事を! 王子というのはそんなヒマではないのだろう!」
「そんなものは無い。王子といえど末席で、壊すしか能の無い大外れだからな俺は」

 勝手な男だった。
 勝手で、呆れるほどに強くて、そうして孤独なはふりだった。
 かつて。遠い昔、人間とポケモンが別たれる事無く、愛を持って婚姻を結んでいた時代の遺物。当時にあってすら異端だった、種の交雑が生んだ奇形児達。
 ポケモンの言葉を解し、ポケモンのごとき異能を備えながらも、人間の姿で生まれてしまった〝なりそこない〟。
 人間の輪にもポケモンの輪にも入れない、どっちつかずの半端者。

「ッ――
「だから遊べ。構え。喋れ」
「そうだなそういうヤツだよなオマエはっ!」

 敬して遠ざける、とはよく言ったものだ。
 天候を自在に操る異能を備え、けれど戦う力は持ち合わせなかった海の巫女。
 有用であると徹底して隔離、教育されてきた彼女もまた、正しい意味では人間ともポケモンとも相いれなかった。
 彼等がはふりなどという呼び名で敬われるのは、無視できない異能を持っていたからに過ぎない。あからさまに疎外して、彼等が災厄へ転じる事のないようにと押しつけられた願望の鋳型。
 マーシャドーは部外者だった。そこに在るために何の努力も必要としない、輪の外側の存在だった。
 ……外れもの同士の傷の舐め合いに過ぎなかろうと、そう思っていたのが、マーシャドーだけだったとしても。それでも確かにあの頃、男とマーシャドーは友達だった。
 だから、思わずにはいられない。悔いずにはいられない。
 英雄になんてならなくて良かった。
 誰しもが友に、それを望んでいたのだとしても――民を救うため、罪を犯す必要なんて無いのだと。
 誰でもなく自分こそが、言ってやるべきだったのに。

「のろわれろ」

 死んでしまったマフォクシーを抱きしめて、海の巫女が怨嗟する。
 赤色に染まった惨劇が、炎が、夜を灼いて燃え盛る。

「おまえたちの行く先に災いあれ! 相争って死に絶えよ、汚らわしい略奪者ども!」

 果たすべき役割を放棄した。〝鈴〟を盗んだ。罪を重ねた。
 許されざる略奪者らしく、罪も咎も全て奪おう。
 神の怒りを彼の民から。友から、とこしえに遠ざけ続けよう。
 誰とも関わらず交わらず、永遠に孤独であり続けよう。

 間違っていると知っている。
 それでも。たったひとりの友達に、生き続けていて欲しかった。




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