周囲をラベリングして分類するのは、知性体の性とでも呼ぶべきか。
 そうしてそのラベル付けは、往々にして所属するグループの色が濃く現れる。

 例えば、それは人種というラベル。イギリス人。アメリカ人。ロシア人。中国人。日本人。
 例えば、それは魔法使いか否か、というラベル。マグル。スクイブ。穢れた血。純血。半純血。
 例えば、それは宗教というラベル。司祭。信徒。異教徒。異端。

 世界という盤の上、幾重にもグループ/文化は折り重なって横たわる。だから、いくつものグループに所属している者も決して珍しくはないのだ――ペチュニア・エバンズもまた、そのうちの一人に過ぎない。
 彼女が所属し、人生の大半を費やしてきたグループが、その存在を知る他の多くのグループから恐怖と共に囁かれ、狂気と同義で語られているのだとしても。

 イギリスの地は、古くより在る偉大な神の食卓である。
 蜘蛛達が崇め、仕える神。ン・カイの深淵なる谷間にて巣を張り続ける、大いなるアトラック=ナチャの娘にして代理人。ロンドンの地下深くにおわす蜘蛛神こそが、ペチュニア・エバンズの師であり、奉仕すべき神であった。

 差し伸べられた手を取ったその日より。約定が違えられぬ限り、枯れる事無き薔薇を胸元に。
 そうして両手に恭しく抱え持つのは師へ捧げられる、定命の薔薇の花束だ。
 赤い薔薇を、彼女の神は何より愛している――そして、かの神には赤い薔薇以上に相応しい花は無い。特に、食卓に飾るのであれば尚更だ。晩餐の席には、必ず深紅の薔薇を携えていく。それがペチュニア・エバンズが彼女と過ごす日々の中で定めた、第一の規則だった。

「やあ、我が弟子。よく来てくれたね」

 豪奢極まりない食堂で、多足の侍従達を従えた女が笑う。
 雪のように白い肌、長く艶やかな黒檀の髪。薔薇より赤く魅惑的な瞳。
 この世の誰よりも美しく輝かしい。それでいて吐き気のするほど邪悪な、相反する印象を見る者に与える女。
 侍従に薔薇を預け、ペチュニアは深々と頭を下げる。

「我が師におかれましてはご機嫌麗しく。本日はお招き頂き、誠にありがとうございます」
「ぅふふ。構わないさ、君を欠いては晩餐も味気ないからね。さ、立ち話も何だ。かけたまえ」
「はい、先生」

 今日は特別な晩餐だ。そして、前々から進めていた交渉が首尾良く運んだ祝いでもある。ペチュニアも師の望みを叶えるべく、昼夜を問わず奔走してきたものだ――労が報われるのは、彼女にとっても嬉しい事であった。
 頬を緩ませてペチュニアは頷き、定位置となっている席に腰掛けた。
 多足の侍従が食前酒を運んでくる。“スパイダー・キッス”の名を冠するそのカクテルは、その名ゆえに、特別な晩餐においては定番の一品であった。

「我が愛の順風なる事に――乾杯!」

 高らかに師がグラスを掲げるのに合わせ、ペチュニアも同様にグラスを掲げた。
 不定期に開かれてきたこの“特別な”晩餐も、今宵を最後に舞台を変える事となるだろう。の愛しい男、その魂を納めた分霊箱は半数が既に彼女の愛の供物となっている。そして、残るはあと四つ――うち一つは、今宵の晩餐で饗される。
 残る分霊箱も、既にかの女神の皿の上。今日までの歩みを思えば、感慨もひとしおであった。

「ぅう……イグ殿、ほんっとうに怖かった……! ヴォルがイグ殿の筋じゃなければこんな苦労はせずに済んだのに……!」
「お疲れ様でございます、先生。ご苦労が報われた事、弟子として喜ばしく思っております」
「まあ、言ってみれば両親への挨拶、みたいなものではあるのだろうけれど……。放置について言質をもらうだけでこの苦労! まったく、魔法族の所有権は入り乱れすぎていていけない」

 拗ねたようにがぼやく。それでもその表情が清々しいのは、達成感ゆえだろう。
古くより生きる蜘蛛らの支配者と言えど、彼女は唯一絶対の神ではない。“旧支配者グレート・オールド・ワン――太古の昔、この地球に降臨した神々の中で、彼女は地殻の変動や星辰の変化による影響をさほど受ける事が無く、現在に至るまで比較的自由の利く身の上であるというだけだ。神々の中では、は若輩者なのである。
 いかに身動きが取れなかろうと、自分より強大な神々には対応も慎重に成らざるをえない。そして、この度交渉を進めていた“イグ”殿――あまねく蛇達の神もまた、より強大な神々のうち一柱だった。

「サラザール・スリザリン以降、かの血筋に善き司祭も信徒もいなかったのは本当に幸運だった……」
「……先生。彼等魔法族が信仰も、仕える神々をも忘れ果てたのはやはり、混血が進んだ結果なのでしょうか?」
「いや、そうではないさ。クトゥルフのところの信徒達を思い出してご覧。彼等もだいぶ混血が進んではいるが、信仰を忘れてはいないだろう」
「“深きものども”ですね」

 過去に出会った彼等の信心深さを思い返しながら、ペチュニアは頷いた。

「そう。彼等のように信仰厚い者達もいれば、神へ直接奉仕することを生まれながらに許された種族でありながら、神を敬う心を忘れる者達もいる。かつてイグ殿に仕える蛇人間達から、ツァトゥグァおじさまに鞍替えする不心得者が出たようにね」
「それは……。さぞ、かの蛇神はお怒りになった事でしょう」
「うん。いやはや、あの時は凄かったなぁ……」

 その時の事を思い返しているのだろう。の顔が、深い憂いと陰りを帯びる。
 神の怒り。ペチュニアにとっても、響きだけで身震いするほどに不吉な単語だ――同時に、その不心得者が同門の信徒等ではなかった事実に安堵する。
 慈悲深くも偉大な神の顔を曇らせる裏切りなど、存在してはならないのだから。

「そもそも、だ。混血とは何か? その定義がおかしいんだよ」
「ご教授頂けますでしょうか、先生」
「そうだね。今日は客人もいない訳だし、久方振りに講義としようか」

朗らかにが笑う。

「混血、という単語が出るという事は純血、という発想があるという事だけれど。“純血”という単語からはどういったイメージを抱くかな? チュニー」
「では、私見となりますが。“種”としての純粋さ、即ちその種族においての平均的能力、あるいは外見的素養を備えている事を総括してそのように呼称するものであると思われます。魔法族の場合は“魔法を使える事”――そして、遡った血族が全て同様に“魔法を使える”素養を保持し続けている事、でしょうか」
「ぅふふ、よく分かっているじゃあないか。では、ここに一人、“魔法を使える”けれど“魔法を使えない”血筋出の魔法族がいたとしよう。そうしてその血筋の子々孫々がことごとく“魔法を使える”才を備えたと仮定して、だ。果たしてこの血筋は、いったい何代続けば“純血”と呼称されるに至るかな?」

 ペチュニアはの問いに、難しい顔で手を止めた。

「……周囲の記憶から、その家系の初代が遠い存在になった時点、でしょうか。ですが先生、それはあくまでも認識の話でしょう。種としては、また別の話になるのでは?」
「いやいやチュニー、同じ話さ。何事にも始まりがある。もちろん、魔法族もね」

が悪戯っぽく瞳を煌めかせた。

「かの種族の発端は、我等との争いの中で、敵側……旧神達が特に信仰厚い者等に力を与えた事が始まりだ。それまで魔法族というのは、非魔法族となんら変わるところは無かった――ふむ、このあたりの出来事については昔講義したんだったかな」
「はい、先生」
「では、おさらいを兼ねて続きというこう。旧神の加護、詰まるところ“魔法が使える”という性質というのは、言ってしまえば後付けの機能だ。そういう意味では、魔法族とそうでない者達はさして変わるところはない……少なくとも、種としては“深きものども”より遥かに近しい。交配にも差し障りはないしね」

 完全な異種であれば、子を成す事など不可能だ。奇跡的に子を授かったとしても、何らかの外的要因がない限り、その血筋が続く事はあり得ない。
 この辺りは講義を受けるまでもなく、生物学の分野を囓っていれば自明の事である。しかし魔法族に限って言えば、魔法族出身ではない魔法使いのように、ひょっこりその特質を発現させる者もいる。彼等は本質的には地続きの存在なのだ――血統主義に凝り固まった者達であれば、顔を真っ赤にして否定しそうな事実ではあるが。

「種族の括りを作る場合、必然的にその命題は“その遺伝的性質の保持”となってくる訳だけれども。では、チュニー。同族、それもより性質の濃い者ばかりを選んで番っていった場合、必然的に起こりうる問題は何だと思う?」
「近交弱勢です、先生」

 ペチュニアは淀みなく答えた。
 個体数が少ない動物は、可能性に翻弄される。生き延びて病気や悪環境に順応する能力が衰え、増殖率と生存率が下がり、個体群内部で有害な遺伝物質の量が多い、すなわち遺伝的荷重が大きい状態になる。犬猫などはその分かりやすい例だろう。血統書付きのものと、複数の性質を持ち合わせる雑種。どちらが病気にかかりにくく、健康で、子を成しやすいか。わざわざ考えるまでもなく、答えは明白だった。
 が「パーフェクトだ、チュニー!」と上機嫌に笑う。

「“魔法が使える”のであれば魔法族として何ら差し障りはない――むしろ、眠っていた因子を顕在化させるに至った、新しい有用な遺伝性質の運び手ですらある。しかし彼等は自分達が築いてきた文化によって、彼等を真実同族とは認めず、自分達より劣った、一段低い存在と見なす傾向がある。ま、そうでない者達もいるようだがね」
「……文化面での“純血”の定義と、純粋に種としての“純血”の定義にずれがある、という事でしょうか」
「その通り。そして、この文化面での定義というのが曲者でね。理性と感情は別物だ……チュニーにも覚えがあることだろう?」
――若気の至りですわ、先生。今となってはお恥ずかしいばかりです」
「ぅふふ。あれはあれで可愛らしかったけれどね」

 昔話を交えながら、晩餐を兼ねた講義は穏やかに進んでいく。
 長らく師弟関係を続けているだけあって、その講義も応答も、互いにとって過不足はない。

「結局のところ魔法族が信仰を失ったのは、彼等自身の責任だ。旧神の加護も時を経て少しずつ薄まっている……例え彼等曰くの純血を保とうと、あと二、三千年も経つ頃には魔法を失うだろうね」
「旧神への信仰を取り戻せば問題ないものなのでしょうか?」
「地上を去って久しい神々だ、また加護を受けるのは困難極まりないよ。それこそ、再び以前の信仰を地上に取り戻せれば話は別だろうけれど。かつての戦争の影響で所有権も入り乱れているから、現状を維持したいと願うのであれば、旧神の庇護者であるナイアおじさまか大帝の信徒になるのが一番現実的だろうね」

 講義が丁度良く終わるタイミングを見計らっていたのだろう。多足の侍従が、今日の晩餐におけるメイン・ディッシュをの前へと饗する。
 それは、巨大な蛇だった。大きな銀のトレーの上、標本のように何本もの黒い串で刺し貫かれて虫の息の。蛇神イグとの交渉、そしてペチュニアの奔走にとって、ようやく今宵、饗する事の叶った一品。今日という日の晩餐が“特別”であるその理由。
が「ご覧、チュニー」と囁く。

「この蛇は、かつて魔法族だった。……イグ殿の筋のね。信仰を忘れたに飽き足らず、信仰を穢した愚者の血筋。信仰無くしては、せっかくの手厚い恩寵も呪いにしかならない。……神へ背くとは、こういう事だ」
「はい、先生」
「ぅふふ。ヴォルが同じ筋でなくて助かったよ。イグ殿、とても執着の強い方だから」

 ナイフとフォークを華麗に操り、が蛇を切り分け、口に運んで咀嚼する。
 かつて魔法族であったという蛇が絶叫する。生きて解体される痛苦に、固定された身を捩り、あらん限りの声で泣き叫んでいる。の愛する男が、分割した己の魂の一部を封じた蛇。少しずつ食べ進められながら、それでも死ねない地獄への絶望が伝わってくるようだった。は笑っている。笑いながら、フォークを口に運び続ける。
 丹念に、じっくりと味わいながら咀嚼し、また一口。
 今までとは違い、物が巨大な蛇だ。歓談しながら、は時間をかけてそれを胃の腑へと収めきった――ただ一欠片、白く漂う“ナニカ”を残して。

「ああ、逝って構わない。私が欲しいのはヴォルだけだ、君に用は無いからね」

 “ナニカ”に向かって、がおざなりに退席の許可を与える。
 白いソレはお辞儀をするように瞬いて、そして、ふっと空気に溶けて霧散した。

「やれやれ、せっかくの余韻が台無しだ。
 ……けれど、我が愛の成就は近い。チュニー。君には期待しているよ」
「はい、先生」

 愛しげに己の腹を撫でる師に、ペチュニアは仕える神そっくりに微笑んで頷いた。




BACK / TOP / NEXT