窮地を脱してからも大変だった。
 意識を取り戻したスネイプによってハリー達はホグワーツへ運び込まれた――疲れ切ったハリーには、それに抵抗できるだけの力は残されていなかった。予想通り、道中から医務室まで、ハリーは逆上しきったスネイプの相手をさせられる事になってしまった。
「白状しろ、ポッター!」スネイプが吼えた。

「いったい何をした?」
「なにも」

 堂々巡りの詰問に、ハリーはうんざりしながら答えた。
 蜘蛛たちと、ミセス・ノリスのことは言わなかった――ダンブルドア校長は、明るい青い目でハリーをじっと見つめていた。ハリーは、ダンブルドアは何が起きたのか知っているんじゃないかと思った。
「スネイプ先生!」校医のマダム・ポンフリーが金切り声を上げた。

「場所をわきまえていただかないと!」
「こいつがヤツの逃亡に手を貸した。わかっているぞ!」

 スネイプはハリーを指差して喚いた。顔は歪み、口角から泡を飛ばして叫んでいる。
「セブルス」ダンブルドアが静かに言った。

「ハリー一人で、いったいどうやってブラックを隠したと言うのかね? しかも、何十といた吸魂鬼を相手にしながらじゃ……誰も死ななかったのは奇跡と言っても良い」
「こいつがやったんだ。わかっている。こいつがやったんだ――

「自分が何を言っているのか、よーく考えてみるがよい」ダンブルドアが落ち着いて言った。

「これ以上ハリーを煩わすのは、なんの意味もないと思うがの」

 グラグラ煮えたぎらんばかりのスネイプが、ダンブルドアを睨みつけた。ダンブルドアはメガネの奥でキラキラと目を輝かせていた。
 スネイプはくるりと背を向け、ローブをシュッと翻し、病室から嵐のように出ていった。

「さて、わしもお暇するとしよう。後はゆっくり休むといい」

 ダンブルドアはハリーにニッコリ微笑んだ。ダンブルドアが病室を出ていくと、マダム・ポンフリーがドアのところに飛んでいき、鍵をかけた。
 マダム・ポンフリーから差し出されたチョコレートを黙って食べていると、病室のむこう端から、低い叩きが聞こえた。ロンが目を覚ましたのだ。ベッドに起き上がり、頭を掻きながら、周りを見回している。
「ど――どうしちゃったんだろ――」ロンがうめいた。
 ハーマイオニーも目を覚ましたようだった。

「ハリー――私たち、どうしてここにいるの? シリウスはどこ? ルーピン先生は? 何があったの?」
「後で説明するよ」

 マダム・ポンフリーをチラッと見て、ハリーは言った。

「長い話になりそうだから」


 ■  ■  ■


 ハリー、ロン、ハーマイオニーは翌日の昼に退院したが、そのとき城にはほとんど誰もいなかった。
 うだるような暑さの上、試験が終わったとなれば、みんなホグズミード行きを十分に楽しんでいるというわけだ。しかし、ハリー達には他にするべき事があった――三人は校長室へ赴き、ブラックの無実をダンブルドア校長に訴えなければならなかったのだ。校長室にはルーピンもいた。

「校長先生、僕たち、ほんとうにぺティダリューを見たんです――
――ぺティグリューはルーピンが狼に変身したとき逃げたんです」
「ぺティグリューはネズミです――
「スキャバーズがペティグリューだったんです――
「ぺティグリューの前足の釣爪、じゃなかった、指、それ、自分で切ったんです――
「ぺティグリューが僕を襲ったんです。シリウスじゃありません――

 しかし、ダンブルドアは手を上げて、洪水のような説明を制止した。

「君たちの言っていることを証明するものは何一つない。十三歳の魔法使いが三人、何を言おうと、誰も納得はせん。あの通りには、シリウスがぺティグリューを殺したと証言する目撃者が、いっぱいいたのじゃ。わし自身、魔法省に、シリウスがポッター夫妻の『秘密の守人』だったと証言した」
「ルーピン先生の証言もあれば――

 ハリーの言葉に、ルーピンは悲しそうに首を振った。

「狼人間は信用されていない。狼人間が証言したところでほとんど役には立たないだろう――それに、わたしとシリウスは旧知の仲でもある――
「でも――

「よくお聞き、三人とも」ダンブルドアが、静かに言った。

「シリウスも無実の人間らしい振る舞いをしなかった。『太った婦人』を襲ったグリフィンドールにナイフを持って押し入った――生きていても、死んでいても、とにかくぺティグリューがいなければ、シリウスの無実を証明するのは無理というものじゃ」
「でも、ダンブルドア先生は僕たちを信じてくださってます」

「その通りじゃ」ダンブルドアは落ち着いて言った。

「しかし、わしは、ほかの人間に真実を悟らせる力はないし、魔法大臣の判決を覆すこともできんのじゃよ……」
「昨日が満月でさえなかったら!」

 ロンはひどく悔しげだった。
 結局、ハリー達はなにもできなかったのだ。ハリーは唇を噛んでうつむいた。
 ふさぎこんで床を見つめるハリーを慰めるように、明るい声で「そうだハリー、君の守護霊のことを話しておくれ」とルーピンが言った。
 それに戸惑いながらも、ハリーは素直に何が起きたのかを話した――蜘蛛たちと、ミセス・ノリスのことは除いて。

「きのうの夜……僕、守護霊を出したとき……父さんの姿を見たと思ったんです」

 そう告白したハリーに、ダンブルドアもルーピンも、やさしく微笑んだ。

「愛する人が死んだとき、その人は永久に我々のそばを離れると、そう思うかね? 大変な状況にあるとき、いつにも増して鮮明に、その人たちのことを思い出しはせんかね? 君の父君は、君の中に生きておられるのじゃ、ハリー。そして、君がほんとうに父親を必要とするときに、もっともはっきりとその姿を顕すのじゃ。そうでなければ、どうして君が、あの守護霊を創り出すことができたじゃろう――プロングズは昨夜、再び駆けつけてきたのじゃ」

 ダンブルドアの言うことを呑み込むのに、一時が必要だった。

「ハリー、君は昨夜、父君に会ったのじゃ……君の中に、父君を見つけたのじゃよ」
「君のお父さんは、動物もどきになる時、いつも牡鹿に変身した。……だからわたしたちは、プロングズと呼んでいたんだよ」

 ルーピンが優しく言った。

 学期末が近づき、ハリーはあれこれとたくさんの憶測を耳にしたが、どれ一つとして真相に迫るものはなかった。
 いったいペティグリューはいまごろどこにいるのだろう。
 ヴォルデモートのそばで、もう安全な隠れ家を見つけてしまったのだろうか。
 そんな思いが頭を離れない。シリウスからの便りもなく、便りのないのは無事な証拠だし、うまく隠れているからなのだとは思ったが、もしかしたら三人で暮らせたかも知れないことを考えると、そしていまやそれが不可能になったことを思うと、ハリーはひどく落ち込んだ気持ちになるのだった。
 ハリー達に『キス』――処刑を執行しようとした事で、吸魂鬼達がアズガバンに送り返された事だけは喜ばしい出来事だったと言えるだろう。

 学期の最後の日に、試験の結果が発表された。
 ハリー、ロン、ハーマイオニーは全科目合格だった。
 魔法薬学もパスしたのにはハリーも驚いた。ダンブルドアが中に入って、スネイプが故意にハリーを落第させようとしたのを止めたのではないかと、ハリーはピンときた。
 この一週間のスネイプのハリーに対する態度は、鬼気迫るものがあった。
 ハリーに対する嫌悪感がこれまでよく増すことなど不可能だと思っていたのに、大ありだった。ハリーを見るたびに、スネイプの薄い唇の端の筋肉がヒクヒク不快な疫撃を起こし、まるでハリーの首を絞めたくて指がムズムズしているかのように、しょっちゅう指を曲げ伸ばししていた。
 グリフィンドール寮は、おもにクィディッチ優勝戦の目覚ましい成績のおかげで、一昨年ぶりに寮杯を獲得した。
 そんなこんなで、学期末の宴会は、グリフィンドール色の真紅と金色の飾りに彩られ、グリフィンドールのテーブルはみんながお祝い気分で、一番にぎやかだった。
 ハリーもこのときばかりはみんなと一緒に、大いに食べ、飲み、語り、笑い合った。
 翌朝、洋服だんすは空になり、旅行かばんはいっぱいになった。毎年恒例、「休暇中魔法を使わないように」という注意書きも全生徒に配られた。
 ハグリッドが湖を渡る船に生徒たちを乗せ、そして全員ホグワーツ特急に乗り込んだ。
 特急の中で、ロンが落ち込み気味のハリーを元気付けるように言う。

「ハリー、今年の夏はクィディッチのワールド・カップだぜ! どうだい、ハリー? また泊りにおいでよ。一緒に見にいこう! パパ、たいてい役所から切符が手に入るんだ」
「喜んで行くよ! おばさんもどうせ仕事ばっかりだろうし……」

 効果覿面な慰めにずいぶん気持ちも明るくなり、ハリーはロン、ハーマイオニーと何回か「爆発ゲーム」に興じた。やがて、いつもの魔女がワゴンを引いてきたので、ハリーは盛り沢山のランチを買い込んだ。午後も遅い時間になって、ハリーにとってとても嬉しい出来事が起こった……。

「ハリー。そっちの窓の外にいるもの、何かしら?」

 ハーマイオニーの言葉に、ハリーは振り向いて窓の外を見た。
 何か小さくて灰色のものが窓ガラスのむこうでピョコピョコ見え隠れしている。
 立ち上がってよく見ると、それはちっちゃなフクロウだった。大きすぎる手紙を運んで、走る汽車の気流に煽られ、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ、でんぐり返ってばかりいる。
 ハリーは急いで窓を開け、腕を伸ばしてそれをつかまえるとそーっと中に入れてやった。フクロウはハリーの席に手紙を落とすと、コンパートメントの中をブンブン飛び回りはじめた。任務を果たして、誇らしく、うれしくてたまらない様子だ。
 ヘドウィグは気に入らない様子で、嘴をカチカチ鳴らし、威厳を示した。クルックシャンクスは椅子に座り直し、大きな黄色い目でフクロウを追っていた。ロンがフクロウをサッとつかんで、危険な目線から遠ざける。
 手紙はハリー宛だった。封を切り、手紙を読んだハリーが叫ぶ。

「シリウスからだ!」
「えーっ!」

 ロンもハーマイオニーも興奮した。

「読んで!」



ハリー、元気かね?
君がおばさんのところに着く前にこの手紙が届きますよう。
おばさんが、ふくろう便に慣れているかどうかわかわからないしね。
わたしは無事隠れている。
この手紙が別の人の手に渡ることも考え、どこにいるかは教えないでおこう。
このフクロウが信頼できるか、どうか、少し心配なところがあるが、しかし、これ以上のが見つからなかったし、このフクロウは熱心にこの仕事をやりたがったのでね。
吸魂鬼がまだわたしを探していることと思うが、ここにいれば、わたしを見つけることは到底望めまい。もうすぐ何人かのマグルにわたしの姿を目撃させるつもりだ。ホグワーツから遠く離れたところでね。そうすれば城の警備は解かれるだろう。
短い間しか君と合っていないので、ついぞ話す機会がなかったことがある。
ファイアボルトを贈ったのはわたしだ……。



「ほら!」ハーマイオニーが勝ち誇ったように言った。

「ね! ブラックからだって言った通りでしょ!」

 クリスマスにファイアボルトが届いた時、ハーマイオニーは強固にそう主張したのを思い出してハリーは苦笑しながらうなずいた。
 バラバラに分解して呪いがかかってないか確認する、という話しになった時は本気で絶望しかけたが――

「ああ、だけど、呪いなんかかけてなかったじゃないか。え?」

 ロンも同じ事を考えたようで、からかい交じりにそう切り返した。



クルックシャンクスがわたしにかわって、注文をふくろう事務所に届けてくれた。
君の名前で注文したが、金貨はグリンゴッツ銀行の711番金庫――わたしのものだが――そこから引き出すよう業者に指示した。
君の名付親から、十三回分の誕生日をまとめてのプレゼントだと思ってほしい。
わたしが必要になったら、手紙をくれたまえ。君のふくろうがわたしを見つけるだろう。
また近いうちに手紙を書くよ。

シリウス

追伸
よかったら、君の友人のロンがこのフクロウを飼ってくれたまえ。
ネズミがいなくなったのはわたしのせいだし。



 ロンは目を丸くした。

「こいつを飼うって?」

 興奮してホーホー鳴いているチビフクロウをしげしげと見て、驚くハリーとハーマイオニーの目の前で、ロンはフクロウをクルックシャンクスの方に突き出し、匂いをかがせた。
「どう思う?」ロンが真剣な顔で猫に聞いた。

「まちがいなくフクロウなの?」

 クルックシャンクスが満足げにゴロゴロと喉を鳴らした。
 「僕にはそれで十分な答えさ」ロンがニッコリ笑って言った。

「こいつは僕のものだ!」

 キングズ・クロス駅までずっと、ハリーはシリウスからの手紙を何度も読み返した。ハリー、ロン、ハーマイオニーが9と4分の3番線ホームから柵を通って反対側に戻ってきたときも、手紙はハリーの手にしっかりと握られていた。
 ハリーはすぐにペチュニアおばさんを見つけた。ウィーズリー夫妻と一緒にいる。
 ハリー達に気付いたウィーズリー夫人が、ハリーをお帰りなさいと抱き締めた。ロンとハーマイオニーに別れを告げて、カートにトランクとへドウィグの籠を載せ、ペチュニアおばさんの方へ歩き出したとき、ロンがその後ろ姿に大声で呼びかけた。

「ワールド・カップのことで連絡するからな!」
「うん、楽しみにしてる!」

 ハリーも大きな声でそう返した。
 おばさんが、いつも通りの物憂い様子でハリーを迎える。

「試練にあった時は」

 ハリーをまっすぐに見て、落ち着いたソプラノ・ボイスが言う。

「生きて帰って来られれば上等よ。――おかえりなさい、ハリー」
「……はい! ただいま、おばさん!」

 なんだかとてもほっとしたような、誇らしいような気持ちになって、ハリーは満面の笑みで返事をした。
 そうして、前のほうでへドウィグの鳥籠をカタカタさせ、おばさんと連れだって駅の出口へと向かう。どうやら、今年も楽しい夏休みになりそうだ。




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