ホグワーツでの二年目は、去年に比べればひどく穏やかに過ぎていった。
 ドビーという屋敷しもべ妖精からの不穏な警告に、ホグワーツ特急に乗り遅れかけるというアクシデントと始まりこそ散々だったが、蓋を開けてみればそれなりに大変だけれど、命の危険と呼べるほどのものは無かった。
 ギルデロイ・ロックハートが『闇の魔術に対する防衛術』教授に赴任したことで授業が酷いことになったり、後輩のコリン・クリービーにつけ回されたり、決闘クラブでドラコ・マルフォイとやり合ったり、ハリーがパーセルマウスだとみんなに知れ渡って少し遠巻きにされたり。バレンタインにあったことなんかは、ちょっと思い出したくない。
 そうして飛ぶように日々は過ぎ去り、試験の勉強にもうろうとしながら過ごしていた夏学期末のある日のこと。ホグワーツの廊下で「ハリー・ポッター!」と喜びに満ちた声に呼び止められ、ハリーは振り返ってギョッとした。

「ドビー!」

 あの屋敷しもべ妖精が、ぴかぴかの礼服を着てそこに立っていた。
 ドビーはハリーが振り向くと、床に細長い鼻の先がくっつくぐらい低くお辞儀をした。

「ハリー・ポッター。ドビーめは、あなた様にお礼を申し上げに参りました!」
「お礼? ドビー、なんのこと? その服も、いったいどうしたの?」

 ハリーは目を白黒させた。

「あの服は屋敷しもべ妖精が、奴隷だということを示していたのでございます。しかし、ドビーめの境遇を憐れんでくだすった偉大なお方が、ドビーを解放させたのでございます。この服も、そのお方が下さいました!」
「偉大なお方? それって、まさかヴォル――
「あのお方はそのような卑小な魔法族ではございません!」

 ドビーは甲高い声で怒鳴った。
 ハリーは思わず「ごめん」と言った。はっとした様子で、ドビーが深々と頭を下げる。

「ああ、申し訳ございませんハリー・ポッター! ただ、かの偉大なお方はヴォルデモートなど比べものにならぬ素晴らしく、力に満ち溢れた、とても美しく気高いお方なのです! どうぞお間違えなきよう!」
「うん、ごめんねドビー。でも、それならどうして僕のところにお礼に来たの?」

 ハリーは戸惑いながら尋ねた。ドビーは困った顔をした。

「ドビーめを偉大なお方にお目通りさせてくだすった方が、ハリー・ポッターにとっても近しい方なのでございます。その方は、決してあなた様に名前を言わないで欲しいとおっしゃいました。ドビーは、ご恩ある方とのお約束を守りたいと思うのでございます」
「僕に近しい人……?」

 ハリーに近しい人と言われ、まっさきに思い浮かんだペチュニアおばさんをハリーは首を振って追い払う。屋敷しもべ妖精が「ヴォルデモートより偉大なお方」と言うような知り合いが、マグルのペチュニアおばさんにいるとは思えなかったのだ。
 もじもじしながら、ドビーが言う。

「ハリー・ポッター。あなた様は私ども屋敷しもべ妖精にとって、とても大切なお方なのでございます。ドビーは覚えております。ヴォルデモートが権力の頂点にあったとき、私どもは害虫のように扱われたのでございます」

 ドビーのテニス・ボールのようなグリグリ目玉が涙で潤んだ。
 ズズーッと大きく鼻をすすり上げ、ドビーは涙声で続ける。

「でも、あなた様が打ち勝ってからというもの、私どものような者にとって、生活は全体によくなったのでございます。ハリー・ポッターが生き残った。闇の帝王の力は打ち砕かれた。それは新しい夜明けでございました。暗闇の日々に終わりはないと思っていた私どもにとりまして、ハリー・ポッターは希望の道しるべのように輝いたのでございます……」

 ドビーは零れそうになる涙をぐっと堪えて、熱っぽく言った。

「そうして今度も、ハリー・ポッターのおかげでドビーは救われたのでございます! ご恩ある方はおっしゃいました。今後は誰にはばかる事無く堂々と、ハリー・ポッターが困っていたら助けてやって欲しいと!」
「あ――うん、それは嬉しいけど――

 手紙のことを思い返しながら、ハリーは困惑しながら聞いた。

「ねえ、ドビー。結局、世にも恐ろしいことってなんだったの?」
「ヴォルデモートの闇の罠が仕掛けられていたのでございます」

 ドビーはぶるりと身震いしながら、声を潜めて言った。

「ですが、その罠すらも偉大なお方は打ち砕いてしまわれた! ハリー・ポッターがのびのびと過ごし、おおいに学ぶことを、ご恩ある方はお望みでいらっしゃいます!」
「そうなんだ……」

 どんな人なんだろう。見えない誰かに守られているという実感はまったくないけれど、ハリーはなんだかむず痒いような、不思議な気持ちになった。
 でも、一つだけハッキリ言えることがある。

「ドビー。助けようとしてくれるのは嬉しいけど、今度からは、何かする前に相談してくれると嬉しいな」

 困ったようなハリーの言葉に、しもべ妖精の醜い茶色の顔が急にぱっくりと割れたように見え、歯の目立つ大きな口がほころんだ。

「じゃ、僕、行かなくちゃ。ロンやハーマイオニーと、試験勉強する約束をしているし……」

 ドビーはハリーの胴のあたりに腕を回し、抱きしめた。

「お困りになったら、どうぞいつでもドビーめをお呼びになってください。ドビーは必ずやハリー・ポッターのお力になります。さようなら、ハリー・ポッター!」

 最後にパチッという大きな音を残し、ドビーは消えた。
 そして試験が終わり、結果も発表された。ハリーもロンも、それなりによい成績だった。ハーマイオニーは今年も学年トップだった。寮対抗優勝杯を逃したのは惜しかったけれど、優勝したのはレイブンクローだったのでハリーも素直に祝うことができた。
 特にダンブルドア校長が「ロックハート先生は今学期限りで学校を去る。なんでも、ブリチェスターのファンから熱心な招待を受けているとの事で」と発表したことには、かなり多くの先生達までが生徒と一緒に歓声をあげた。ハーマイオニーはとても残念そうにしていた。
 それと、もうひとつ。体調を大きく崩したとかで、ルシウス・マルフォイがホグワーツの理事をやめた。さすがのドラコも父親が心配なようで、意気消沈した様子だった。

 あっという間に洋服だんすは空になり、旅行かばんはいっぱいになった。「休暇中魔法を使わないように」という注意書きが全生徒に配られた。
 ハグリッドが湖を渡る船に生徒たちを乗せ、そして全員ホグワーツ特急に乗り込んだ。
 しゃべったり笑ったりしているうちに、車窓の田園の緑が濃くなり、汽車はマグルの町々を通り過ぎた。みんなは魔法のマントを脱ぎ、上着とコートに着替えた。
 キングズ・クロス駅の九と四分の三番線ホームに到着した時、ハリーは羽ペンと羊皮紙の切れ端を取り出し、ロンとハーマイオニーの方を向いて言った。

「これ、電話番号って言うんだ」

 番号を二回走り書きし、その羊皮紙を二つに裂いて二人に渡しながら、ハリーがロンに説明した。

「君のパパに去年の夏休みに、電話の使い方を教えたから、パパが知ってるよ。家に電話くれよ。オーケー? 電話なら家にいれば必ず通じるから。去年みたいに手紙が届かないなんてことがあったら、僕耐えられない……」

「オーケー、ハリー」ロンがニヤッとして言った。
「必ず電話するわ!」ハーマイオニーがクスクス笑った。
 そして三人は一緒に柵を通り抜け、マグルの世界へと戻って行った。




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