バッキンガム宮殿下に広がる空洞、ロンドンに張り巡らされた蜘蛛の巣の中心。
 胸には約定が続く限り枯れえぬ薔薇を、手土産には師が愛してやまない真っ赤な定命の薔薇の花束を。
 そうして今日もまた、魔法使い達ですら知り得ぬイギリスの深淵で晩餐が開かれる。

「この善き日、特別な晩餐に新たな友人達を迎えられたことを祝うとしよう」

 豪奢極まりない食堂で、多足の侍従達を従えた女が笑う。
 雪のように白い肌、長く艶やかな黒檀の髪。薔薇より赤く魅惑的な瞳。
 この世の誰よりも美しく輝かしい。それでいて吐き気のするほど邪悪な、相反する印象を見る者に与える女。
 自身の定位置である席に腰掛けたペチュニアは、朗らかな師へと従順に頷いてみせた。

「はい、先生」
「ぅふふ。まあ、今はまだ友人『候補』なのだけれど。さ、君達も楽にしたまえね」

 親しみを込めて、が美しく微笑んで告げる。
 ペチュニアは、無礼にならない程度に客人達の様子を伺う。

 一人は非魔法族の礼装を身に纏った魔法族の男だ。銀髪に尖った顎、何処となく高慢そうな顔立ち。けれど今は薄い灰色の目に明確な恐怖を滲ませ、元々血の気の薄い顔を真っ白にして椅子の上でひたすら身を縮こまらせている。

 もう一人は、背の高い椅子に腰掛けたしもべ妖精だ。
 だぶついた皮膚、つるりと禿げ上がった頭、コウモリのような大耳に、テニスボールのように大きな緑の目。非魔法族のアイロンのきいた礼装を身に纏った妖精は緊張と不安、興奮が入り交じった表情で、他の席に座る者達の様子をちらちらと窺っている。
 しもべ妖精はペチュニアと目が合うと、大きな目を更に見開いて椅子の上で大きく跳ね上がった。はずみで落ちたカトラリーを多足の侍従が拾い上げ、新しいものを妖精の席に置く。妖精はその間、終始目を白黒させていた。

「彼等の名前は――ええと、何だったかな? チュニー」
「魔法族の方がミスタ・マルフォイ。しもべ妖精の方がミスタ・ドビーです。先生」
「ああ、うんうん。そういえばそんな名前だったね」
「ミスタ・マルフォイはミスタ・ヴォルデモートの腹心だとか。何もお願い・・・せずとも『特別』な晩餐のメニューをご用意下さった優秀な方ですので、彼が新たな友人となれば、さぞ先生のお役に立つかと」
「おやまあ、彼の! ぅふふ、ぅふふふふっ! ヴォルの部下が気を利かせてくれるだなんて――ああ、やはり彼と私は運命の赤い糸で結ばれているのだね!」

 ペチュニアの言葉に、がぱっと頬を染めて身悶える。
 その姿は初々しい乙女のように可憐でありながら、娼婦のように艶めかしい。ペチュニアは慎み深く目を伏せた。師の背後に伸びる巨大な蜘蛛の影を、決して視界に入れないように。

――ふう、いけないいけない。エキサイトしすぎたね。ああ、でもチュニー。何故ミスタ・ドビーをこの晩餐へ招待しようなんて言い出したのかな。しもべ妖精の友人はもう十分いるだろうに。個人的に欲しくなったのかい?」
「いいえ、先生」

 今にも気絶しそうなマルフォイ氏を一瞥して、ペチュニアは淡々と首を振った。
 客人達が口を開くことはない。けれど師弟はそれをさして気にする様子も見せず、晩餐は粛々と進んでいく。

「ただ、夏休みの間、頻繁に甥を訪ねて来ておりましたので。
 キングズ・クロス駅にも見送りに来て下さったほど熱烈に我が甥と友誼を結びたがっている様子だったのですが、ミスタ・マルフォイの屋敷しもべ妖精であることを思えば、ミスタは良い顔をなさらないかと考えました。そこで、先生に彼等が友誼を結ぶことについてお口添えを頂ければ、とご同席頂いた次第です」

 マルフォイ氏がこれ以上なく頬を引き攣らせた。しもべ妖精が床へ飛び降りて頭を打ちつけようとして、恭しい態度の多足の侍従に止められた。

「おや。君だけではどうにもならないと思ったのかかい?」
「はい、先生。ミスタ・ヴォルデモートと甥の確執は魔法族では有名ですので、腹心であったミスタ・マルフォイは良い顔をならさないでしょう。私自身が非魔法族であることもあり、話し合いをまともに行える自信がありませんでした。長らく先生に師事しておきながら、我が身の力不足に恥じ入るばかりです」
「ああ、そういえば魔法族は非魔法族を劣っているものと決めつけてかかっているのだったね。困ったものだ。ミスタ・マルフォイ?」
――――ぁ、は――ぃ……」

 唇を戦慄かせながら、辛うじてマルフォイ氏が返答を絞り出す。
 構わず、は幼子に道理を説く教師のように嗜めた。

「君達魔法族がよく飼っているペットのフクロウ、あれが茶色だろうが白色だろうが些細な問題だろう。非魔法族と魔法族の違いもそんなものだ。その程度の事で話を聞かないのは良くないな。分かるね?」

 がくがくと震えながら、マルフォイ氏はかろうじて首を縦に振った。

「ではミスタ・マルフォイ。ミスタ・ドビーと甥が友人となるのを許して頂けますね?」
「……ぅうん。ねえチュニー。思ったのだけれど、友人になるのに雇い主の許可がいる、というのはおかしな話じゃないかな」
「いいえ、先生。ミスタ・ドビーは万事、雇い主の許可が無い行動には己を罰せねばならないほどに制限を受けております。――友愛を結ぶことも、同様に」
「だから許可がいる、か。なるほど、なるほど。家の不利にならないように、なのだろうけど……ナンセンスだ。まったくもってナンセンスだ。おのずから出た忠愛ゆえの行動ではない、なんて――とても、私好みではないな」

 が完璧な眉宇を寄せ、不愉快だという顔をする。
 ぎちぎちぎちぎち。影が鳴く。師の背後に伸びた蜘蛛の影が、おぞましい血の色をした複眼でマルフォイ氏を高みからぎろりと見下ろした。マルフォイ氏が半開きの口から、呻くような、うわごとのような声を漏らす。足下の床に水溜まりが広がる。

「では、先生。ミスタ・マルフォイがミスタ・ドビーを解雇すればよろしいのではないでしょうか。新しい就職先は、こちらで世話して差し上げればよろしいかと。ミスタ・ドビー。それで構いませんか? ミスタ・マルフォイの屋敷に今後とも仕えたいと考えていらっしゃるなら、失礼な申し出だとは思いますが」
――! ド、ドドドド、ドビーめはペチュニア・エバンズの言う通りにいたします! 様のおっしゃる通りにいたします! ドビーめは、ご主人様のお屋敷を、おいとましたく思います……!」

 痛々しいほど必死の形相で、ドビーが申し出に飛びつく。
 これを逃せば、もう二度と自由になる機会は巡ってくるはずがないと信じ切っている顔だった。不機嫌から一転して、が朗らかに、鈴を振ったような声でころころと笑う。

「では、決まりだ。ミスタ・マルフォイ。ミスタ・ドビーに……そうだな、ネクタイか、胸のハンカチーフを渡してあげなさい。君達は我々の新たな友人となるのだから、それが最低限のマナーというものだ」

 屋敷しもべ妖精の解雇は、家人が衣服を何か渡すことで成立する。
 恐怖からか、それとも内心不服に思ってでもいるのか。もったいぶるかのように、促されてもなかなか動く気配のないマルフォイ氏に、の目がすぅいと細まる。

――ああ、それとも」

 独り言のように呟き、可憐に小首を傾げて見せて。
 はぞっとするような目で、マルフォイ氏をひたりと見据えた。

「君は、我々の友人として迎えられるのが不服なのかな?」

 ひゅ、とマルフォイ氏の喉が鳴った。
 淡々とした声音で、食事の手を止める事無くペチュニアは言う。

「ミスタ・マルフォイ。新たな友人として迎えられるのがお嫌なら、今すぐ席を立って頂いて構いません。――幸い、従僕達は貴方をお送りする事を待ちかねているようですから」

 食堂の扉へと、ペチュニアは意味深に流し目をくれた。
 震え、強張ってもつれる指を無理矢理に動かして、無言のマルフォイ氏が顔も見ずにドビーの方へ胸のハンカチーフを突き出す。ドビーは席を立ち、マルフォイ氏のところまで歩いていって、それがこの世に二つとない宝物ででもあるかのような顔で、大事そうに受け取った。

「ドビーは……ドビーは自由だ!」

 噛み締めるように、頬を上気させてドビーが言う。
 げっそりと、一気に何十年も年を取ったような顔で力なくマルフォイ氏が椅子の背にもたれかかる。の愉快そうな笑い声が食堂に弾けた。ペチュニアは手を止め、顔を向けてドビーに告げる。

「ミスタ・ドビー。今後は誰にはばかる事無く堂々と、甥の友人として相談に乗ってやってね」
「ペチュニア・エバンズがおっしゃる通りに!」

ドビーは甲高い声で快諾した。

「チュニーは本当に親切な子だね。それでこそ我が弟子だ」
「ありがとうございます、先生」

 その後も他愛ない雑談を交えながら晩餐は進み、話が丁度良く途切れた頃。
 多足の侍従が、今日の晩餐におけるメイン・ディッシュをの前へと饗する。
 まっしろな皿の上に乗っているのは、一冊の黒い日記帳だった。ルシウス・マルフォイがジニー・ウィーズリーの教科書の間に滑り込ませ、ペチュニアが回収してきた一品。今日という日の晩餐が“特別”であるその理由。の愛する男が、分割した己の魂の一部を封じた魔法道具。
 古びた小さな日記へと、が優雅にナイフで切れ目を入れる。切れ目からインクが流れ出て、まっしろな皿へと広がっていく。悲鳴が日記から響いてくる。それは耳をつんざくような、ひどく寒々しい悲鳴だった。
は笑っている。笑いながら、フォークで切り分けた日記を優雅に口へ運ぶ。
 丹念に、じっくりと味わいながら咀嚼し、また一口。
 元々小さな日記だ。さほど時間をかけず、ヴォルデモート卿の――トム・マールヴォロ・リドルの日記は、の胃の腑へと収まった。

「……ぅふ。素晴らしい。本当に、まったくもって素晴らしい味だ。ああ、彼の全てを手にする蜜月が待ち遠しくてたまらない……チュニー。今後とも、友人達と共に私を助けておくれね」
「はい、先生」

 愛しげに己の腹を撫でる師に、ペチュニアはたおやかに微笑んで頷いた。




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