あふぁぁあああ。


噛み殺す気も無いあくびが、盛大に口からこぼれ出る。
朝の光が周囲を照らす中で思いっきり伸びをして、はこしこしと目をこすった。

「・・・・・朝かぁ」

昨日はとにかく面白かったなーと呟きながら、ベッドから立ち上がって近くの窓に歩み寄る。
大きく窓を開け放てば、勢い良く冷たい風が舞い込んできた。
明け方特有の澄んだ空気と、ひんやりとした風が眠気覚ましにはちょうどいい。
心地良さそうに目を細めながら、は伸びをしながら問いかけた。

「おはよう、影呪。気分はどうだい?」

窓の外の光景―――――朝も早い内から賑わうダイアゴン横町を眺めながら、言葉を紡ぐ。

外には早朝のためだろう、人もまばらな通りが見える。
花を売る陽気な魔女、原色バリバリのローブ姿の男、眠そうな顔で駆けていく青年。

通常とは少し違う、それでも「普通」に生活しているのが良く分かる光景。
窓辺に頬杖をついて、は楽しげに微笑んだ。



ぞわり、



沈黙の時間は、長くは続かなかった。
朝の光に映し出されていた彼女の影が、まるで生き物のように波打つ。
そこから響くのは、地の底を這いずり回るような耳障りな低音。
ノイズの酷いラジオを連想させる無機質なそれは、に恭しく応えて返す。


“は。多少動ける程度には回復致しました”


「そう。でも、しばらくは其処から動かない方がいいかもね。‘欠損’が酷い」


“ありがたきお言葉・・・・・身に余る光栄に御座います”


感情とは無縁としか思えない歪な音が、僅かに恍惚の響きを帯びる。
それにひらひら、と手を振る
主の意図を違うこと無く汲み取って、影は元通り、床へと縫い留められた。

「・・・・珠厨、無事だといいんだけどなぁ」

物憂げな様子で呟いて、窓辺を離れる。
‘影呪’、そして‘珠厨’――――――どちらも、に忠誠を誓っている存在だ。
無論、先程のやりとりからも分かる通り人間では無い。妖や鬼、魔物と呼ばれる分類の生き物である。
は外出時、常に何人かの鬼を連れて歩く。
反則極まりない実力を誇り、また、大概の事はこなせるには本来、側付きなど不要以外の何でも無い。
ただ、は興味の無い事には指一本動かしたくないし実際しない、究極的に駄目な人でもあった。
そのため、露払いや細かな雑事をさせるために“魔”に属する者達の中で特に気に入った者は直属の配下としている。
魂の底からの忠誠と従属を誓った配下は、主である彼女の不興を買うようなまねはせず、有能かつ勤勉に働いてくれるのでもそれなりに重宝して、外出時にも付き従う事を許可していた。

ただ、それが今回は裏目に出た。
世界を渡る行為は、やり方を間違えれば痛い目にあう。
あの呪具の定員容量は一人分だったのだろう。が世界を渡る際に共にいた二人の配下のうち、本来かなりの上位に位置する魔であるはずの影呪が存在自体が危うくなる程に欠損を負い、珠厨は行方知れず。

も直属の配下に対しては、多少なりとも気をかけている。
中でも珠厨は、の式鬼の中でももっとも古株で、彼女にとっては育ての母でもあった。
力はそれほど高くは無いだけに、下手をすれば消滅している可能性も高い。
あっちに残ってるといいんだけど、と考えながら、はひとつため息をついた。



 ■   □   ■   □



カートを引きずりながら、リストを上から下まで眺めて。
いい加減多いよコレ、というツッコミは多くの同意を勝ち取る正論だろう。
カタカタと単調に転がる、“漏れ鍋”の店主が貸してくれたカートの上には鍋やら真鍮の棒やら教科書やら教科書やら教科書やら薬草やら天秤やら。
とにかく、大量の荷物を乗っけたそれを引きずり、次の目的地へと向かう。

「んーと。後は“オリバンダーの店”だけかな」

最後の買い物は、自分の杖だった。
昨日の魔法をかけた魔法で使われていた杖を思い浮かべて、やっぱりあんな感じなんだろうなぁと考える。
無駄な装飾など一切存在しないそれは、よく言えば機能的、悪く言えば味気ない。
ステッキがあるだけ魔法使いっぽい感じはあるかも知れないが、あんな中途半端な杖なら無い方がカッコいいんじゃないだろうかとは失礼な事を考えて一人で頷く。慣れたら杖ナシにチャレンジしてみよう。


[ オリバンダーの店――――紀元前三八二年創業 高級杖メーカー ]


・・・・・・・きげんぜんさんびゃくはちじゅうにねん?

その単語に首を傾げる。
まぁ取り敢えず、かなり古い事だけは確かなんだろう。
学校に行った事が無く、勉強は独学か式鬼に教えてもらうくらいなは、勝手にそう判断した。
実家にいた頃に教わった「勉強」らしい事といったら、せいぜい礼儀作法ぐらいなものである。
いたのは6歳までだったが。

狭くてみすぼらしい店の扉をくぐると、奥の方でチリンチリンとベルが鳴った。
小さな店内には、細長い箱が整然と――――それこそ、天井まで届きそうな数、積まれている。

「・・・・・・・すご」

この店に入った瞬間に感じられる静謐な波動の波に、はぽつりとそう漏らす。
ただ静かに、自らを持つべき人を待ち望んでひたすらに眠る。
それでも漏れ出すソレらの意思の強さは、長い年月を経て力を蓄えた品が多く置かれている骨董品の店に酷似していたが、ここに宿る気配はそれ以上のものだった。さすがは魔法の道具、と言うべきだろうか。

「いらっしゃいませ」

ホコリっぽい店内の空気に感じ入っていると、後ろから柔らかな声がした。
気配は最初から捉えていたため、ふいをつかれてもが驚く事は無い。
振り返ってみれば、薄暗い店内にあってぼんやりと輝く老人の双眸は、まるで猫の目のようだった。

「あなたが来る事は、アルバスから聞いておりますよ。遠い国からようこそ、さん」

「こんにちは、おじいさん」

ぺこん、と挨拶をする彼女を見ながら、老人はメジャーをポケットから取り出す。

「どちらが杖腕ですかな?」

「・・・・えっと、利き腕は右です」

「では、腕を伸ばして」

素直に右腕を差し出すと、老人はの肩や指先、手首などの寸法を測っていく。
その途中、オリバンダー老人はメジャーを放って店の奥へと入っていったのだが、それでもメジャーは彼女の頭の大きさや耳の大きさなどを測り続けていた。は無言のままに、視線でその動きを追う。
とうとう胸囲へと差しかかろうとするメジャーを捕獲しようとが手を伸ばそうとした寸前、戻ってきた老人が「もうよい」とメジャーに向かって声をかけた。とたんに、メジャーが床の上に落ちてくしゃくしゃと丸まり、大人しくなる。

「ではさん、これをお試し下さい。
 黒檀にドラゴンの心臓の琴線。二十センチ、良質で呪文学に最適。手に取って、振ってごらんなさい」

「はーい」

オリバンダー老人に渡されたそれを、何気なく受け取って軽く振る。




バキャッ




「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」」


見事に威勢の良い音がして、杖はばっきり半ばから折れた。
あれ、ひょっとしてこれって弁償?と冷や汗をたらす、目を丸くする老人。
しばしの沈黙の後、オリバンダー老は気を取り直したようにその杖を取り上げた。


「成る程・・・・・これは面白い、非常に面白い。杖が壊れるなど、これはまた珍しい客人じゃ」


嬉しそうに言いながら、再度奥に消えていく老人。
怒り出さないしその話題も出さなかったので、弁償はしなくていいようだ。


「なまじ弱い杖は向かんだろうの・・・・強力な杖でなくば、さんには合うまいて。
 こうも強大な魔法力の持ち主は、創立者ですらいなかっただろう。君は、きっと偉大な魔女になるじゃろうの」

「はぁ」


ってゆーか、創立者って誰?

疑問が頭をかすめたが、とりあえず黙って見ている事にする。
それより個人的には壊れた杖の行く末が心配だった。
ごめん杖。キミがご主人に出会う前に人生(杖生?)終了させちゃって悪かったよ。
生返事を返すのもとに、老人は一抱えくらいの量はある幾つもの箱を持って現れた。

「さて、これは如何かな?滅多に無い組み合わせなんじゃが・・・・・まぁ良かろう。
 柊と不死鳥の羽根、二八センチ、良質でしなやか」




バキィイイイイイイインンッッ!




今度は、杖は無事だった。
が、派手な音と共にガラスというガラスが粉々に砕け散ってしまった。
うわぁ。 と何とも言えない表情になるに、キラキラと目を輝かせて笑う老人。

「うーむ、これはかなり難航しそうだ」

口ではそう言いながらも、オリバンダー老は楽しそうだ。
それから、イチイと一角獣のたてがみ、伽羅とバジリスクの毒牙、マホガニーと・・・・などなど、次々と杖が渡され、何かを破壊し、または取り上げられというのが20本ばかり続いた。
これだけ多くの杖があっても強力な魔法力に耐えうる、それでいて彼女に合いそうな杖はそう無いらしい。

とうとう、杖を出さずにうー・・・・・ん、と苦悩の表情で唸りだした老人。
それを聞き流しながら、暇を持て余し始めたはカートの上の教科書を読み出す。


「・・・・・おお、そうじゃ。君なら、あれが合うかも知れん」


しばしして、オリバンダー老はぽつりとそう漏らした。
だがその声は、どことなく気が進まなさそうにも聞こえる。
「これが合わなかったら、特注するしか無いのだが・・・・」と呟きながら店の奥へと戻っていく。
その数分後――――それまで出された杖とは明らかに違うものを差し出したのを見て、は思わず口笛を吹いた。
見た目はそれまで出されたものとまったく代わり映えしない。

しかし、その杖が纏う雰囲気は、ひどく不気味で静謐だ。

気位の高い杖だと思った。同時に、これだ、とも。 オリバンダー老人に視線を向けるが、杖の説明はされなかった。
触れた指先から伝わるのは“歓喜”――――そして、“陶酔”とでも呼ぶべきだろうか。
ひどく肌に馴染むそれを軽く振ると、杖先から黒銀の粉が零れ落ち、周囲に紅い花弁が舞い上がる。
ひらり、ひらりと、舞い降りる花弁・・・・それは、桜の花びらだった。
明らかに違う反応を示したその杖に、オリバンダー老は安堵とも、苦悩ともつかぬため息をつく。

「・・・・・やはり、お合いになりましたか」

積み上げられた杖を箱に戻しながら、オリバンダー老は淡々とした口調で語り始めた。

「その杖はかなりの曲者でしてな、ヤドリギにセストラルの心臓の琴線という・・・・まぁ、何とも厄介な組み合わせで作られておるのです。それだけに、使い手に対する選り好みも激しい。
 いやはや、東洋からはるばるお越しになった貴方がこの杖を手にするとは・・・・・これも運命、という奴なのでしょう」

「ふぅ・・・・・ん」

まぁ、自分は本来出会うはずの無い異世界にいたのだから、運命といえば運命である。
どういった類のものかは知らないが。

「ですがさん、くれぐれも注意されると宜しい。
ヤドリギは本来、宿主に寄生して成長する植物・・・・そして、芯に使っているセストラルは、見た者にありとあらゆる災難が降りかかる――――などという曰くを持った生き物。強力だがその分気難しく、一度“使い手に相応しくない”と感じれば、貴方を見捨てる事でしょう」

「そんな事があるの?」

「ええ。その杖は、実は以前一度だけ人の手に渡った事があるのですよ。一週間もたたずに帰ってきましたがな。
 他人に貸すのも止められた方がよろしい。それを試した者が皆、病院送りになったいわく付きの杖ですから」

本当に買いますかな?と、念を押すようにこちらを銀の瞳が見詰める。
しばらく、手に持った杖を見ていたが―――――は、顔を上げてにっこりと微笑んだ。





「買います。この杖は、ボクにとって最高のパートナーになってくれそうだから」





何とも不吉な、いわく付きの杖。
それが、彼女を唯一にして絶対の主と決めたのも――――この日の出来事だった。






TOP  NEXT  BACK



影呪’の読みは[ えいじゅ ]、‘珠厨’は[ すず ]。
珠厨は00で出てきた「すず」です。