鶉田神社(通称 お天王さん)は、天武天皇の第三皇子舎人(とねり)親王の孫、権中納言式部卿秀重が、宝亀2年(西暦771年)に鶉の森を開き「鶉郷」と名付け、鎮守の祠(ほこら)を建て「スサノオノミコト」をお祀りしたのが始めといわれています。ちょうどこの頃に人が住み始めたと考えられています。鶉田神社には、左甚五郎の作と言い伝えられている「尾なし龍」が本殿前の柱に巻き付き、その姿は畏怖すら感じられます。 | |
尾なし龍 今から350年ほど前、加納城があった頃、貧しい農家に生まれ早く父親を亡くした「おはつ」という足の不自由な娘がおりました。母親は、年貢を納めるために昼夜を通し働き続ける毎日でしたが、「おはつ」はいつもお宮さんで「木彫り龍」と楽しく遊んでいるうちに不自由な足も快方に向うようになっていました。そんなある日、年貢を納められなかった母親が突然、加納にある役所の牢(ろう)につながれてしまいました。 母親に会いたい「おはつ」は、まだ治っていない足をひきずりながら加納の役所へ向かいましたが、境川の流れに巻き込まれ死んでしまいました。 これを聞いた「木彫り龍」は烈火のごとく怒り、舞い上がって口から火を出し加納城下を焼き払ってしまいました。 畏れをなした者は、龍が空を翔べないように龍の尻尾を切り捨てたといわれています。 |
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