金曜日の予選の予選1日目。
ジョーダンのルーベンス・バリッチェロがバリアンテ・マールボロの進入でミス。
ジョーダンを操るバリッチェロは速すぎるスピードでシケインに進入。
横滑りするマシーンは縁石に乗り上げ宙を舞い、最後は横転して止まった。
意識不明のまま、ボローニャのマジョーレ病院に運ばれ翌日退院。
右腕捻挫・鼻の骨折だけですんだのが奇跡ともいえる事故だった。
しかし、この事故もこの後に起こる「悪夢」の前奏曲にすぎなかった。

予選二日目、イモラに潜んでいた悪魔が目覚めた。
小さなカーボンコンポジットの空力パーツが宙に舞ったことからこの悲劇は起きた。
ヴィルヌーブカーブへ続くストレートで、シムテックの左フロントウイングが外れ、操縦不能になったシムテックはヴィルヌーブカーブの外壁に激突した。
救助隊の作業は迅速に行われたが、シド・ワトキンスらが現場に駆けつけたときには、すでにラッツエンバーガーの心臓は停止状態にあり、医師団は心臓マッサージを施しながら救急車からヘリコプターへと経由して、ボローニャのマジョレー病院に移送した。
しかし、ラッツェンバーガーが再び息を吹きかえすことはなかった。
12年ぶりのグランプリ開催中の死亡事故となった。
ローランド・ラッツエンバーガー 2時15分 死亡
そして、運命の時がやって来る・・・・・1994.5.1 決勝。
前日にドライバーを亡くしたシムテックはFIAに出場辞退を申し入れるが、連盟側の説得により、デビット・ブラバムを出場させる。チーム全員が左腕には喪章をつけての決勝レースとなった。
レースのスタート前に行われたドライバーズミーティングにおいて、1分間の黙祷がラッツエンバーガーのためにささげられたが、このときセナの顔は疲れ果てていたという。
前日にはポルトガルで待つ恋人のアドリアーナ・ガリステューに電話で「明日は走りたくない」と打ち明けていたらしい。
決勝開始。
グリーンランプが点灯した。いいスタートを切ったセナはシューマッハを抑えて1コーナーへ消えていった。
ところが、後方でエンジンストールしたレートのベネトンに、ラミーのロータスが激突。
この時、マシンの破片がグランドスタンドに飛び込み、警備員を含む観客十数人に重軽傷を負わせてしまう。
この事故によりレースは赤旗中断かと思われたが、セーフティーカーがセナの前に入り、セーフティーカーのスローペースでサーキットを5周走る。
再びグリーンランプが点灯し、ローリングスタートの状態で再スタートが切られた。
そしてこの日最大のアクシデントが、セナを襲った。
午後2時17分10秒。セナはシューマッハを後方に従えて全開走行に入り7周目、コントロールラインをすぎて1コーナーを抜け、フルスロットルでタンブレロコーナーに入った瞬間、急にコースを外れ、一瞬のうちにアウト側のコンクリートウォールに右サイドから激突。
何百Gもの衝撃を受けた、ウイリアムズ・ルノーは、前後ウイング、右前後輪、そしておびただしいパーツ類を宙にまき散らしながらね返り、ノーズをコース側に向けて滑ったあと、エスケープエリアに出て停止した。
コクピットの中で、セナの黄色いヘルメットは一度かすかに揺れたが、それ以降セナが動く事はなかった・・・・・。
レースは中止されることなく、2ヒート制で争われることになる。
午後2時52分30秒、21台のマシーンがフォメションラップに入った・・・・。
レースも終盤にかかった49周目、ピットアウトしようとした、ミケーレ・アルボレートの右後輪が外れ、フェラーリのメカニック3人と、ロータスのメカニック2人の計5人をなぎ倒してしまった。
そして、この呪われたレースを制したのは、ベネトンのミハエル・シューマッハであった。
レース終了後、シューマッハは
「こんなレースに勝っても、満足できるはずがない・・・」と短くコメントした。
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