小話集の書庫にようこそ
(これまでに書物や新聞等で気に入ったり、感じたりした小話等をまとめたものです)
(小話21)から(小話40)はこちらへ
(小話20)「智恵」の話・・・
昔、ある人が「なまけ者よ、蟻のところへ行き、そのすることを見て、智恵を得よ」と言った。すると、なまけ者が得意顔で答えた。「蟻は習性に従って働いているのであって、それを勤勉などと言うのは見当違いだよ」
「確かにそうだが、それは蟻についての知識だけから得た答えであって、蟻を通して得られる智恵ではない。もし蟻の働きを見ることによって、自分の怠惰に愕然と気づき、勤勉な人生へと転じることが、蟻についての知識とは別に、蟻を通して得られる大切な智恵なのだ」
(小話19)「小さな会社」の話・・・
今から30年前、仕事が有り余るほどあった時代のこと。ある小さな会社の社長が言った。「今、うちは小さな企業だが、あと十年、いや五年したら、大企業の東芝さんや三菱電機さんを抜きますよ」「その理由は?」と聞くと、小さな会社の社長が言った。「僕は今日も、おそらく十時ころまで仕事をするでしょう。副社長のM君も残ってやります。部課長も・・・みんなやります。一日に五時間余計に働いたら、一ヶ月、一年たったら、どうなります。ところが先方さんはこの時間には、みんな帰っていますよ」。この予言は見事に当たった。小さな会社の名は「ソニー」。社長の名は「井深大」。
(小話18)「99セント」の話・・・
アメリカでの、昔のこと。商品の値段には、「1ドル」「2ドル」ときりのいい数字がついていた頃、店員は簡単にドル(紙幣)をくすねることができた。お釣りをお客に渡す必要がないので、レジに計上する前に一枚や二枚ポケットにしまいこんだ。ある大手の百貨店は、シカゴに店を出すときこの悪習慣を憂慮して、店員の不正行為をなくす方法を考えた。それが値段に1ドル未満の端数をつけることだった。こうして、店員は必ずその場でレジにお金を入れ、お釣りとレシートをお客に渡すようになった。
(小話17)「でんでん虫」の話・・・
一匹のでんでん虫は、ある日突然、自分の背中の殻に、悲しみがいっぱい詰まっていることに気付き、友達を訪ねて「もう生きていけないのではないかと」と話した。友達のでんでん虫は「それはあなただけではない。私の背中の殻にも、悲しみがいっぱい詰まっている」と答えました。どの友達からも返ってくる答えは同じでした。でんでん虫は、気付きました。悲しみは誰でも持っているのだ。自分だけではないのだ。私は、私の悲しみをこらえていかなければならないのだ。そして、でんでん虫は、もう嘆くのをやめました。
(小話16)「ある自殺」の話・・・
一人の少年が優しい母親と二人で暮らしていた。まじめで成績も優秀、前途を期待される少年でした。ところが、高校一年の時、好奇心から覚せい剤に手をだした。最初は母親の財布からお金を盗んでいたが、やがて、母親を脅し、暴力を振うようになった。覚せい剤におぼれた子供の姿に、途方にくれた母親は、彼を病院に入れて何とか立ち直らせようとした。その前に彼はお金欲しさに帰宅中の女性を襲い、大けがをさせてお金を奪った。だが、すぐ逮捕され少年院に入れられた。彼の母親は、彼が少年院にはいている間、彼が傷つけた被害者への賠償に日々苦しんだあげく、彼の出院をまたずに前途を悲観して自殺してしまった。少年は、出院して自らの犯した過ちの重さに耐えきれず、数ヶ月後に母親が首をつったその場所で自ら命を断った。
(小話15)「友情」の話・・・
古代ギリシャで、二人の仲のいい少年がいた。その一人が、貧しさゆえに泥棒をして人を傷つけたため、絞首刑になろうとした。少年は涙ながら頼んだ。「遠くのお母さんにさようならを言ってきたい」と。人々は口々に逃げる口実だと非難した。そのとき、その友達の少年が叫んだ「彼は逃げるような子ではない。もし彼が帰ってこなかったら僕が身代わりになります」
こうして、泥棒をした少年は母の村へ一目散に飛んで帰った。日が昇り、そして沈む。すると、はるか地平線の彼方から、息をはずませて少年が帰ってきた。
@太宰治「走れメロス」は次のHPにあります。
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(小話14-2)「母と息子」の話・・・
母が息子に「久しぶりだから、背中を流してあげようか、」と言って、たすきをかけようとした。「いいえ自分で流しましたから」と息子。母は「もう一度私に流させておくれでないか」。彼は素っ気無く「いいえ沢山」と言った。「そうかい、つまらない」と、母は寂しそう。 人は喜んで貰うこと、又、喜ばせて貰うこと。そして、「この世に得難し、誰をか二人とす。一は先に恩を施す人。一は恩を知り、恩を感ずる人なり」と。
(小話14-1)「塞翁(さいおう)が馬」の話・・・
塞翁の馬が遠くへ逃げてしまった。人々は「お気の毒に」と慰めた。塞翁は「却って幸福になるかも知れぬ」と気にしない。5〜6ヶ月たつと、その馬が、西方から良馬を連れて帰ってきた。人々は「あなたはうまいことをした」と祝ったが、塞翁は「却って禍になるかも知れぬ」と静かに喜んでいた。果たして、彼の息子がその馬から落ちて片足を折ってしまった。人々は「お気の毒です」と慰めたが、塞翁は「いや、これがどんな幸いになるかも知れ」と楽観していた。1年ほどすると、隣国と戦争が始まり健康な若者たちは戦争にかり出されてほとんど戦死してしまった。塞翁の息子は、足が悪かったために無事であった。
(小話13)「ある和尚」の話・・・
昔ある和尚が弟子たちの部屋を見回っていた時、一人の弟子が大小便に苦しんでいるのを見た。「病気はどんなか」「苦しくてたまりません」「看病人は?」「誰も看病してくれません」「看病人がいないのか、一体お前は、もと健康な時に病人を世話したことがあるのか」「いやありませ」「若さにおごり健康におごり、情愛を知らなかった。それだから、お前は今こうして不自由を苦しまなくてはならない。しかし案ずるな、私が万事世話してあげるから」そして、和尚自ら、汚物を除き、部屋を掃除し寝具を清め、着物を洗い、弟子を立たせて沐浴させ、さらに食を与えた。
(小話12)「お母さんの請求書」の話・・・
ある日曜日の朝、子供がお母さんの前に1枚の紙切れを置いた。それには次のようなことが書いてあった「(お母さんへの請求書)○おつかい代=50円。○おそうじ代=30円。○おるすばん代=20円。合計=100円」と。読み終わったお母さんはにっこり笑って子供をみたが、何も言わなかった。夕食の時に、お母さんは子供の前に100円玉と小さな紙切れを置いた。子供が紙切れを取り上げて読んでみると、次のように書いてあった「(**君への請求書)○親切にしてあげた代=0円。○病気のときの看護代=0円。○洋服やおもちゃ代=0円。○食事代、部屋代=0円。合計=0円」
(小話11)「顔面問答」の話・・・
人間の顔の一番下にあるのが口です。その上が鼻、その上が眼で、一番上にあるのが眉毛です。口や鼻や眼の不平不満は、この眉毛の下にあるということです。彼らは期せずして、眉毛の「存在価値」を疑ったのです。口、鼻、眼から「何ゆえに君は僕らの上で偉そうに威張っているのか、一体君にはどういう役目があるのか!」と詰問された。眉毛は答えた「いかにも君らは重大な役目を持っている。食物をとり、呼吸をし、物を看視していてくれる君たちのご苦労には、実に感謝している。しかし、私は全くお恥ずかしい次第だが、自分が何をしているのか、これだといって答えられない。ただ、先祖伝来、ここにいて一生懸命に自分の場所を守っているだけで、なんと答えてよいかわからない」


(小話番外・小話11=差替版)「顔面問答」の話・・・
          (一)
あるとき、顔の中の口が考えた。自分は、三度の食事をして生命の維持しているにもかかわらず、顔の中でも最も下位にいるのは納得がいかない。そこで、口は、上にいる鼻に文句を言った「おい、君は飲み食いのような重要な働きをせぬにもかかわらず、僕の頭の上に胡座(あぐら)をかき傲然と構えていてあまりに酷(むご)いじゃないか」。すると、鼻は笑い出して切り返した「それはもっとものようだが、僕は君よりもっと重要な呼吸という任務に服している。君も多少はしているが、それは君の本来の任務じゃない。大きな口を開いて呼吸をしていたら、喉を痛めて病にかかるし、そうやって市中を歩いてごらんよ、他人が馬鹿にするよ。それに、食事は二、三日しなくとも死ぬようなことはないが、呼吸はそうはいかぬ。しかも、食事と違って、呼吸には休みというものがない。実に不眠不休の大活動である。だからこそ、顔の中で最高の地位を占めているのさ」。なるほど、そういわれれば、口も同意せざるを得ない。ともかく、口と鼻の間には意思の疎通ができたが、口は鼻に言った「ところで、眼という奴はおかしな奴だ。飲み食いも呼吸もせんくせに、偉そうに一つならずとも二つまでも鼻の上にがんばって僕らを見下(みくだ)している。こんな不合理はない。君はどう思うか?」すると鼻は、いかにもそのとおりだと同意した。そこで今度は、彼奴(あやつ)を難詰してやろうということになった「僕らは、日頃から飲食と呼吸をもって人の生命をつないでいる。しかるに君は何ら重要な任務をなすこともなしに、おこがましくも僕らの上位にあって、始終(しゅうし)僕らを眼下に見下ろしておるとは怪(け)しからんじゃないか」と詰(なじ)った。
        (ニ)
すると眼が言った「いかにも、君らの言うとおり飲食も呼吸もしない。しかし、僕には僕の重大な任務があるのをご存じか?」と切り出して、さらに続けた「君らは知るまいけれど、およそこの世の中には種々の危険物があって、一つ間違えれば、人の生命を奪おうと待ちかまえている。それを僕が高いところから監視しておるからこそ避けられるというものである。万一、僕がその任務を怠ったら、たちまち一大災難にかかって横死しなければならんことになる。もし、僕が口の下にでも降りて顎(あご)の下へでも移ってみたまえ、大切な任務が果たせなくなってしまうよ」。これには気負い込んだ口も鼻も反駁する余地がない。二者は了解して話はおさまった。しかし、口には今一つ腑(ふ)に落ちないことがある。それは眉毛(まゆげ)の存在である。ほとんど無能無役でありながら顔の最上位にいるとは、いかにも気に入らぬ。そこで今度は、口は鼻と目と三者連れだって眉毛に談判することにした「僕らは、飲食とか呼吸とか監視とか、それぞれ重要な任務を負(お)っている。いったい君はいかなる任務を負って顔の最高位を占め、しかも一人ならず、二人ならず、多数の同族を群居せしめておるのか、その理由を承(うけたまわ)りたい」と。これを聞いて、眉毛は別にその姿をひそめるでもなく、答えた「いかにも、君たちの労苦には大いに感謝している。ただ、僕自身は何をしているかということになると、お恥ずかしいことだが、一向に判(わか)らん。君らは自己の職務について他に対して誇るべきものをもっていられるが僕にはそれがない。ただ、こうせいといわれるままに、古往今来(こおうこんらい)こうしているばかりである」と。
(参考)
@中国は清朝の詩人、兪曲園(ゆきょくえん)の「顔面問答」より。兪曲園は、この問答の後、自分は今まで口とか鼻とか眼のような心がけで過ごしてきたが、今後は、眉毛のような心がけをもって世の中を渡ってゆきたいと結んでいる。
A(小話822)「「人間のからだ」」の話・・・と(小話697)「体の器官」の話・・・を参照。

(小話10)ある教授が、猿の赤ん坊を使って実験した話・・・
第一群=生まれたばかりの赤ちゃん猿を親猿からはなして、独りにしてミルクを与え、すばらしい環境においたが、三、四日しか生きなかった。
第二群=針金をまいて親猿の形をしたものを置き、胸からミルクの出る装置をして、その中に赤ちゃん猿を入れると、これも二十日たたないうちに死んだ。
第三群=布製で親猿の形をしたものを置き(胸からはミルクがでない)この中に赤ちゃん猿を入れると、何かに驚いた時などは布製の親猿にしがみついたりして、三ヶ月ほど生きた。
第四群=親猿と一緒に生活させた赤ちゃん猿は、何の不安もなく、すくすくと成長した。
(小話9)「婆石」の話・・・
姫路城を築くにあたり、各大名は競って巨大な石を運びこませた。いよいよ現場で石垣を築く段になると、大きな石ばかりで、どうしてもうまくかみ合わない。そばで見ていた一人のお婆さんが「大きな石ばかりじゃできませんよ。小さな石をかみ合わせてごらんなさい」と言った。言葉通りに従うと、あっという間に堅固な石垣が出来上がった。
(小話8)二人の先生の話・・・
小学校で、算数の時間に先生が「リンゴが四個ある。これを三人で分けるにはどうするか」という問題をだした。一人が手をあげて「一人一個ずつ分けて、もう一つはほとけさまにお供えする」と言った。A先生は「駄目!!」と否定した。ところがB先生は「おまえは、いいことをいうなあ。では、ほとけさまに供えてから、もう一度持ってきて四個になった。それを三人で分けたらどうするか」と。
(小話7)ある地獄と極楽の話・・・
ある男が閻魔大王に地獄と極楽とを見せてもらった。地獄の食堂で人々はテーブルをはさんで座っていたが実に騒々しい。見ると、人々は両手で、1メートルもの柄の付いたフォークとナイフで、テーブルの上のご馳走を食べようとしていたが全然食べれない。みんなやせ衰えている。次に、極楽の食堂を見せてもらうと実に静かだ。食事をしている人々は、やはり同じように両手で、1メートルもの長い柄の付いたフォークとナイフで食事をしていたが、みな楽しそうに食べていた。それは、互いに向き合った者同士が、相手の口に食べ物を入れているからだった。
(小話6)ある猿の話・・・
広場に馬の飼料にするための豆を入れた桶があった。それを見た一匹の猿が、木から飛び降りてきて、口にいっぱい豆をほうばり、さらに両手でわしづかみにして、もとの木に駆けもどってむさぼり食べた。そのうち、一粒の豆が猿の手から落ちた。猿は何を思ったのか、口中や手の中の豆をみな放り出し、地面に飛び降りて、落した一粒の豆をあちこち探したが見つからなかった。猿は木にもどると、空っぽの両手を見て、歯をむき出して怒りだした。
(小話5)ある牧師の話・・・
ある牧師が、戦後ドイツの子供達のために図書館をつくり、児童の図書の寄付をベルギーに募った。ベルギーは二度ドイツに攻撃されていたので、丁重に断ってきた。そこで牧師は言った「三度目の攻撃がないように、ドイツの子供達に図書を通じて平和の尊さを知ってもらいたいのです」と。ベルギーから大量の図書が届いたのはいうまでもない。
(小話4)ある親子の話・・・
親子で馬を引いて歩いていると、行き違った人が「誰か乗ればいいのに」と 言った。これを聞いて息子は父を乗せて自分は手綱を持った。しばらく行く と「息子がかわいそうだ」との声が聞こえた。そこで入れ代わって父が馬を 引いた。すると「親不孝者よ」との声が聞こえた。そこで親子は考えて、誰 からも文句が出ないように二人して馬に乗った。これでいいと思っていると 「馬がかわいそうだ」と怒鳴られた。もっともだ、と思い、二人は降りて馬 をかついで歩いた。
(小話3)ある女の人の話・・・
「私は生きるのが辛くて死のうと思い、身を清め、最後の化 粧をと、この前切ったばかりの、額に伸びた髪の毛を切り、マニキュアをしよ うと、この前切ったばかりの爪をみると、爪が伸びていた。このとき私は愕然 とした。自分が死のう考えている間にも、髪の毛が伸び、爪が伸びている。髪 や爪は必死に生きて私の体を守っているのだ。私の体は私だけのものではない」
(小話2)自分についての話・・・
建物に例えていうと、2階というものは1階がなければ出来上がらない。47 階は46階がなくてはありえない。我々は土台も1階もなくて2階があると錯 覚しているが、そういう途中がなくて、物それだけがあるにではない。 私た は自分1人で自分というものがあるのではなく、自分ではない、いろいろな ものが集まって自分というものがある。 俺が、俺がというけれども、俺でないものばかりでできている。
(小話1)ある小鳥の話・・・
山火事が起きた。そこに住むシシやトラや象などが懸命になって消火したが、 火勢はつのるばかり。さすがに彼らも力つきて、安全な岩陰に逃れて山火事 を傍観した。そのとき、一羽の小鳥が、遠くの沢の水を自分の羽に乗せては 火事場を往復して消火につとめていた。彼らは小鳥を嘲笑して言う「やめよ !やめよ!おれ達でさえ消火できないものを、小さなお前がそんな水滴を運 んだところで、この大火が消せるものか」小鳥は答えた「私の力で不可能な のはよく知っています。しかし、大切な山が焼けるというのに、出来ないか らといって、そのまま傍観は出来ません」