明けとも暮れともつかない、朱い日差しがちゃぷちゃぷと揺れている。
 本丸の春は絢爛だ。細部まで拘り抜いて作り込まれた、主の為の花束の庭。歌仙兼定かせんかねさだが手掛け、迷い家マヨヒガが保ち続ける、永遠に清く、美しいばかりの春の庭。
 ……表面上だけの話だ。繚乱と咲き乱れる花々の足元では、地を覆うおびただしい亡骸が折り重なって横たわる。奥底で薫るのは、湿った土と、カビの臭気。ぐじゅ、と足裏で粘着質な音が鳴る。汁気をたっぷりと含んだ腐敗物が、綺麗に整った薄皮の下、密やかに死と戯れている。

(嗚呼)

 胸が浮き立つ。それは不安のようであり、期待のようでもあった。
 始まるのだ、という予感があった。だからこんなにもそわそわとして落ち着かない。呪わいのらずにはいられない。上手くいくだろうか。いってくれればいい。どうかどうか、我等の■が無事にお■り下さいますよう――

「妙な空気だな」

 意識が引き戻された。

(……えぇ、と?)

 何を言われたか理解できず、青江あおえは困惑しながら国広くにひろを振り返る。
 この距離だ。聞き逃すほど弛んではいなかったはずである。目深に被ったボロ布越しに向けられた視線も、心なしか訝しげだ。

「カラスの姿が無い」

 ぼそりと付け足された言葉に、言われてみればと合点する。
 いつもなら、声はせずとも誰かしらの姿は見かけるはずなのだが。
 鼻先を、甘い匂いが掠める。常に薫る花の香気ではなく、甘い中に爽やかさも混じった、作意を伺わせる匂い。
 不愉快では無い。むしろ良い匂いに分類されるだろう。嗅いでいると心が解放されていくような、奇妙な清々しさすら感じさせる。
 明らかに異常だ。青江は目を細めた。

「可笑しな匂いが混じっているね。これは……香かな? あまり吸わない方が良さそうだ」
「噂の呪具か」
「ッフフ。どうやら、お仕置きが必要なようだ」
「……時間はかけるな」
「分かっているさ」

 口ではそう答えれど、国広を残して地を蹴る足取りの軽さは否めない。
 直接関わってこそいなくとも、アレの主張は嫌になるほど聞こえていた。配慮も現実味も欠いた、反吐の出るようなあるべき姿の理想論。
 やんわりと、あるいは真っ向から反論する長谷部はせべ達相手に一歩も譲らぬその姿勢は、“話せば分かる”人間の有難みを改めて噛み締めさせてくれるモノだった。

(さて、どうしてやろうか)

 呪香によって姿をくらませ逃げようと、ここは迷い家マヨヒガの只中だ。
 刀剣男士の知覚は誤魔化せても、彼女までもは誤魔化せない。
 煙をなるべく吸わないように口元を覆い、本丸さんの先導を頼りに見習いを追う。
 四肢を斬り捨てるのが一番手っ取り早いが、止血の手間が面倒ではある。腱を斬ると面倒が少なくていい、とは陵丸みささぎまるの言であるが、生憎、その手の加減は実践の機会に恵まれていなかった。

(やはり、殺してしまおうかな)

 本丸内で呪具を使ったのである。始末する理由としては十分だ。自然、唇の端が緩む。
 アレを始末したら、首は主に贈ろうか。
 流血と死とが何より映える、主の美しさは磨いてこそだ。
 出会ったばかり、戦いなど碌々知らなかったあの頃は、まだほんの蕾でしかなかった。修羅道の地獄を天上楽土と成さしめる、見る者を陶酔させる美しさ。
 友をその手で殺した悲嘆も、信じて疑わなかった懐刀の凶行も、いっそう彼女を美しく魅せる事だろう。
 主の身体を損ないさえしていなければ、薬研やげんを擁護してやっても良かったくらいである。
 見習いは彼女を磨くに値せずとも、飾る程度には役立ってくれるはずだ。
 想像するだけで高揚してくる。どう殺そう。どう捧げよう? こんなにも腹の底から愉快になるのは、本当に久しぶりだった。
 塵芥に等しい小物の首ではあるが、きっと主も、青江の贈り物に喜んで――

 今、何を考えた?

 冷却水を浴びせかけられたようだった。
 良くも悪くも甘い人だ。死んで当然の行いにすら情けをかける。
 だから彼等は引き継がれた。……だから青江はあの日、を受け入れたのだ。彼女であれば大丈夫だと。

(まずいな。この香、聞いていたより厄介だ)

 気付いてしまえば否が応でも自覚する。
 自分に都合のいいように、自然とじんわり歪む思考。
 理性も判断力も蝕まれ、代わりに色濃く浮かび上がるのは、普段であれば包み隠しているような我欲である。
 怒りが、殺意が思考を炙る。日頃の自制を踏み躙られる不快さが、常になく激しい情動となって殊更に欲を煽り立てる。見習いを殺さず捕らえるのは、かつてなく困難な仕事になりそうだ。


 ――ガァ


 声がした。
 ざらりと神経にヤスリをかける、ぞっとするようなカラスの鳴き声。
 ドッと全身から冷汗が噴き出す。足が止まる。頭の中、我に返ったように本能が最大音量で警戒しろと喚き散らす。(何処に)視線を周囲に走らせる。
 どうしてだか、酷く嫌な感じがしていた。何か、致命的な間違いを犯してしまったかのような。

「いけないよ」

 兄の無作法を咎める妹のように、弟のおいたを諭す姉のように。
 ひそりとした囁きが、やわやわと青江をたしなめる。
 どうしようもなく既視感を覚える、けれども誰ともつかぬ声。
 包み込むように優しい気配が、青江の意思に反して緊張を弛緩させてくる。
 怖れる事など何も無いと、根拠もないのに安堵させる。

 にっかり青江は幽霊斬りの霊刀である。
 物語に語られる通り。その霊威は生半な幽霊、怨霊の類など物ともしない。

 刀の鍔にかかった指を、青褪めて血の気を失った手がそっと抑える。
 愕然とした。これだけの至近距離を許していながら、まるで危機感が湧いてこない。
 むしろ、それが当然であるかのようにさえ思えて青江は静かに惑乱した。この女は何だ。その存在に、ここに在る事が当たり前なのだと一欠けらの違和感も覚えさせない、この女幽霊は――

ぼくの物語は、あるじの害と成り得るのだから」

 何処かから聞こえる女の声は、彼自身の喉から出ていた。
 刀を抜こうとした右手を諫めていたのは、彼自身の左手だった。

 瞬間、理解する。

 誰も気付けるはずがない。
 彼女は“にっかり青江”の物語であるのだから。


「ちゃあんと、狂っておかなくちゃあね……?」


 笑う。
 笑う。
 笑う。
 笑う。

 赤目の女幽霊カラスが、にっかりと。



   
         ァ




 背中を押され、青江は飛ぶように駆けていく。
 見習いへの殺意以外、何もかもを置き去りにして。


 ■  ■  ■


 目が覚めて真っ先に感じたのは、異様なまでの静けさだった。
 群れの声が途絶えている。

「…… 、 ?」

 全身を覆うのはとびきり重い倦怠感。
 口を開くのもおっくうで、けれど相反するように、意識はひどく明瞭だ。
 ひとまず起き上がろうとするも、何故か身体は思った通りに動いてくれない。なんだこれ。

「おはよう、主。よく眠れたかい?」

 ……。

 …………???????

 群れに代わって歌仙さん(とうけんだんしのすがた)がログインしている件について。
 えっマジで何事? 視界修正パッチいつ入ったんです……?

「ぉ ぁ、 ょ」
「……無理に喋る必要は無いよ」

 殊更に優しい声音で、いたましげな顔の歌仙さんが私の肩をそっと押さえる。
 はい。押し負け以前に触れられた感覚すらありませんねどうなってんだ。ひょっとして身体機能さん一足先にご臨終あそばされた?

――君に、戦い方を覚えさせてしまったのは失敗だったな」

 横たわっている私の傍で膝をついて、歌仙さんが憂いたっぷりにため息をつく。
 わぁ二次元。修正パッチ入れるんならせめて現実感も実装しといて欲しかったな。ゲームウインドウが無い事に頭がバグる。てかここ、さっきまでいた部屋じゃないっぽいけど拝領屋敷のどこの部屋だ。
 手掛かりは――あダメだコレ目もやられてら。実体のある物質しか見えなくなってるっぽい。
 しっかし、随分と一気にガタが来たもんだ。まだ猶予あると思ってたんだけど。

「あんまりにも君が戦場に馴染んでいるから、すっかり忘れてしまっていたよ。ここへ来たばかりの頃の君は、審神者としてやっていけるのかと心配になるほど弱々しくて、頼りなげで。……ふふ。まあ、勇敢さだけは人一倍だったか」

 就任したばっかの頃って、歌仙さんと思い出話するほど仲良く無かったはずだけどなぁ。
 思い返してみても出てくるのは、ゴミ箱にゲロし本丸さんに弱音を吐き泣き言を喚き散らしながらこんさんをモフり倒した記憶オンリーである。当初は次郎さん相手ですら、殺気やら戦意やら引きずったギラギラ感あると傍にいるのキツかったんだよなー。

「懐かしいね。あれから随分と、色々なものが変わってしまった」

 あの頃の私も私なりに頑張ってたけど、なんせ主として認められてた訳でも無い未経験新人ド素人な訳で。
 審神者への信頼マイナス、更には今まで支援皆無の中を生き残ってきた叩き上げの刀剣男士が、あんなおっかなびっくりで腰の引けまくった采配に従ってくれるはずもないのだ。
 毎日が心折イベントみたいな日々でしたね。本丸さんとこんさんには随分迷惑かけちゃったな……。次はいい審神者に巡り合ってくれるといいんだけど。

「本丸が安定して、刀も増えて、君はぐんぐん逞しくなって、たくさんの人に頼られるようになって、平気な顔で無茶をしているのが普通になって……」

 ところでなんで歌仙さん普通に喋ってるんです?
 呪い解けるならそれらしきイベントのひとつも挟んで然るべきでは。

「 、せん……さ゛、 ……」

 うわぁ声ガッタガタ。
 歌仙さん読唇術とか使えたりしないかな。しないか。
 群れの誰か一人でもいてくれれば話が早……、……身体の中の霊気の流れ、完っ全に阻害されてますやん。道理で動けない訳だ。

「あの頃のままの君であれば、こんな傷だらけになる事も無かった」

 群れも出入りできないし私も内側に潜れんなこれ。
 力の差があるから押し負けてるんだろうな~ってのは感覚的に分かるけど、家主に出禁喰らわせる意味とは。

「君の頑張りを尊重してあげたかった……というのは、いささか言い訳がましいか」

 薬研さん、今になってこんな事してくるなんて一体どういうつもりだろ。
 意外と粘るなコイツはよ死ねの意? 見習いを三代目にする気にでもなったかな。半年近く待たせた私が悪いっちゃ悪いんだけど、私の決意やら意思やらって亡きものになる定めでも背負ってたりしますかね。
 に、したってこの状況もよく分からんなー。歌仙さんいるのはさて置くとしても、私の群れが全員出払ってしまうなんて事はありえない。
 となれば、じゃあ引き離した犯人誰よ? って話になるんですけども。

「すまなかったね。さっさと全員手討ちにしておくべきだった」

 いきなり過激に振り切れるじゃん容疑者兼定。
 しんみりしっとりイマサラタウンな語りのオチがあまりに物騒。

「だ、れ    を゛」
「君に戦いを強いる者全て」

 その蕩けるような微笑みだけなら、乙女ゲーのスチルやれちゃう美しさなんだけどなあ……。

「審神者である君は本丸の奥で、何より大切に守られていて然るべきだった。料理や書を楽しみ、花鳥風月を愛で、琴を吟じる……そういう平穏を享受させてやるべきだった。今更ではあるが、僕は、そういう日々を君に贈りたいと思っている」

 …………………………。

 あー……うんうんうん、うん。
 そういや歌仙さん、思い返してみれば最初から友好的な方ではあったか。
 今では引継ぎ組の中でも指折りに仲良くやれてる男士だし。私に向いた事は無くとも、苛烈な面もあるのはよく知っている。だからって軟禁宣言出るのはだいぶ想定外だったけど。細川忠興もとあるじは反面教師にしてどうぞ。

「ともあれ、喫緊の課題はその器か」

 あ、そこ認識できる程度には判断力残ってるんだ。

前田まえだが新しい器を用意してくれている。我らと同じ炉で作られた、我らと同じ玉鋼の器を」

 なにて?

「だから、手段を選ばなければ延命可能なのだけれど……」

 言葉を切って、歌仙さんが私をじっと見詰める。
 私も歌仙さんをじっと見詰めた。前田さんが私1/1スケールフィギュア作ってたとか初耳ですね。作ってたの仏像だけじゃ無かったんです? 製作動機によっては前田さんへの刃物じんぶつ評が真面目でお固いクール系しごできショタ(詐称)からとんでもねぇ捻じれ方する新事実。

「うん。まあ、君の趣味では無いだろうな」

 寂しそうに。それでいて仕方ないなと言わんばかりの慈愛を滲ませ、歌仙さんが苦笑を零す。
 はい。うん。そうだね。お気持ちだけで結構――ん、あれ。あの襖、さっきまで閉まってなかったっけ?

「生を望んでくれないのならば、せめて、君を介錯する誉を僕に」

 線香のようにたなびく煙を引き連れて、黒い何かが細く開いた襖の隙間からぬるりと入ってくる。スライムみたいな動きするなぁ。
 逸れた意識を咎めるように、歌仙さんの指先が、私の顔を固定した。
 真摯に私を見詰めたまま近付けられた顔は、慎みを大事にする歌仙さんにしては異例の近さだ。

「誓おう。歌仙兼定のに懸けて――誰より雅に、君という花を散らしてみせると」

 ワァ、こんな情熱的に口説かれたのなんて人生はじめてェ~……。
 予想してたのと全然違う反応ではあるが、まあいわゆる武士の情けってやつなんだろうな、というのは分かる。分かるけど絶対本丸の総意では無いんだよな歌仙さんだから。
 それに、こっちとしても最期の一仕事(予定)がまだ残っている。
 いま自力で動けないからできれば協力して欲しいんだけど、これどう説得したもんかな……。

  ヒ ょ   ゥ

 耳慣れない鳴き声がした。
 顔を強張らせ、歌仙さんが反応するよりも早く。
 忍び寄っていた鵺が、こちらに向かって飛び掛かった。


 ■  ■  ■


 箒衆の手伝いをしていれば、呪香絡みの現場を避けては通れない。
 だからといって馬当番で戻った本丸じたくが馴染みの現場と化すなど、想定外もいいところだった。

――ッに、合ったぁっ!」

 音を置き去りに肉薄した槍の切っ先を、青江が即座に跳んで躱す。
 マトモに食らえば頭蓋だろうが容易く貫通する、確殺の一撃。しかし騎馬の勢いを利用しての、ほとんど投擲に近い攻撃である。ついでに言えば車同様、馬も急には止まれない。
 引きずられて遠ざかる御手杵おてぎねを、けれど長曽祢ながそねに見送っている余裕は無かった。

「させんッ!」

 青江と見習い。
 両者の間を貫き通して捻じ込んだ隙間だが、埋まる時は一瞬だ。
 手加減できる相手では無い。自身を盾に見習いを庇いながら、長曽祢は鋭く青江に斬り込む。
 いなされるのは予想通り。練度差もあるが刀種差もある。返す刀は避けるも止めるも間に合わない。
 だから長曽祢は刀を手放し踏み込んだ。肉薄。青江が目を見張る。

「シィッ――!!」
「ッ……!」

 振り抜かれた拳が肉を打つ。
 手応えはあった。が、決定打にはほど遠い。
 先程よりも広がった距離。視線を青江に固定したまま、長曽祢は本体を蹴り上げて握り直した。
 ゆら、と青江が構えを取る。衰えるどころかいや増す戦意に皮膚がひりつく。

「随分とよく躾られているねぇ。……戦い方が、だよ?」
「おかげ様でな!」

 和泉守いずみのかみにしごかれた経験が無ければ、咄嗟にあの対応は出なかっただろう。
 辛うじて首が飛ぶのを免れた。嫌な実感に、今にも口から心臓がまろび出てしまいそうだった。

 ――ヒュゴォッ!!

 青江の背後。戻ってきた御手杵の槍が、轟音と共に振り抜かれる。
 脚を折り砕かんばかりのひと凪ぎ。息をつく間も与える事なく、流れるように逃れた青江を狙う穂先は淀みない。無駄も、遊びも、加勢の隙も伺えない攻防の成り行きを注視しながら、長曽祢は声を潜めて問いかける。

「見習い、動けるか」

 四つん這いになった見習いが、震えながらもコクコクと頷く。
 それでいて立ち上がる気配は無いので、どうやら完全に腰が抜けているようだ。これでは自力で逃げられまい。
 加えて問題なのは、ここまで薄っすら漂ってくるほどに濃く振りまかれた芳香である。いったいどれだけの量を持ち込んでいたのやら。本丸を中心に、視認できるほどの濃さで漂う呪香の煙は依然、途切れそうに無い。
 刃を交わす合間を縫って、御手杵が困り切った調子で諭す。

「なあ青江、ここは引いちゃくれないか? あんたの持ち場はここじゃないだろ」
「そうだねぇ。君達がどいてくれれば、もっと早く片が付くのだけれど」
「見習いを殺して、ってのを止めて欲しいんだよなぁ……」

 呪香は自制心のタガを外し、思考を単純化させる。目先の欲以外見えなくする。
 余程深く吸ったらしい。邪魔する者は全て斬る、と行動で示す青江の狙いはこれ以上なく明白だ。逃げれば確実に追って来る。
 あと一振り、練度の高い男士がいれば余裕を持って制圧する事も叶うだろうが――

(望み薄だな)

 呪香の煙はここまで届いている。吸わないで戦い続けるのは不可能だ。長曽祢達もいつまで正気でいられるか。
 何より見習いに対し、彼等が抱いているのは程度こそ違えど悪感情である。青江の加勢に入られる可能性の方が高い。

「今のあんたは正気じゃない。呪香の効果が抜けるまで、大人しくしててくれると嬉しいんだが」
「フフッ」

 青江が笑う。
 軽やかに、楽し気に。

 白装束が翻る。

 火花が散る。鋼が打ち合う。
 目まぐるしい連撃が、四方八方から御手杵を削り取りにかかる。
 練度は同じでも得意とする間合いが違う。速度が違う。
 それに何よりまずいのは、今の青江は仲間殺しを躊躇わない。

「御手杵殿! 外に!」

 いつの間にか大きく開いていた扉の向こうへ、長曽祢は見習いの襟首を掴んで力の限り投げ飛ばした。
 絶叫が尾を引く。即座に長曽祢が後を追い、示し合わせたように青江と御手杵がそれに続いて。


 ぎぃいいいいいいい。ばたん。


 誰もいなくなった裏門で、かんぬきが下りた。


 ■  ■  ■


 足を止め、同田貫どうたぬきは顔を顰めて北東を見やった。
 誰かの悲鳴が聞こえた気がしたのだ。
 斜め前を歩いていた次郎じろうが、歩を緩め、肩越しに問いを投げかけてくる。

「気掛かりかい?」
「ねェよ。さっさと済まそーぜ」

 頭を振って、同田貫は歩みを戻す。
 刀剣男士では無いと感じた。なら、あれは見習いのものだ。
 呪香の使用に気付いた段階で、青江が身柄の確保に走った事は国広から聞いている。
 弱者を嬲る悪趣味さは持ち合わせていないが、ご多分に漏れず、あの刀も相当に血の気が多い。どうせ手荒にやっているのだろう。叫ぶ理由は知れていた。

「それより、何で離れの方に向かってんだ? 本丸さんも異常無しっつってたろ。こっちに何かあんのか」

 呪香の持ち込み経路と手段を吐かせるのが先じゃないのか、とは問わない。
 この大太刀の視座は、道具寄りの自分とも、他の連中とも異なる。普段陽気に呑んだくれているから分かり辛いだけで、他の分霊より浮世離れの感が強いあの石切丸いしきりまると、根っこのところは同類だ。

「あるある、とびっきりのがね。ほら、カラスが消えちゃったろ?」
「ああ、そういやいねぇな……。それに何の問題があんだよ」
「大ありさ。アレ、の眷属みたいなモンだからね。ま、本人にそんな自覚は無かったろうけど」
「眷属ぅ? ハ、冗談――
「じゃ、ないんだな~これが」

 カラカラ笑う次郎に、同田貫は真顔になった。
 この大太刀の言で無ければ、ハナから相手にもしなかったろう。
 何せの眷属だと言われたカラス達は姿形も行動も、どう考えても鳥畜生そのものであったのだ。わざわざ気にかけもしないような。

「確かに、随分お行儀のいい連中ではあったけどねえ。だからって遊びに来てた訳じゃない」

 軽い雑談のような調子で言葉を続けながらも、その足取りは淀みない。
 あまりにも淀みが無さすぎる。戦場にあってすら、ここまで酔いが覚めている事は稀だ。
 口を真一文字に引き結び、同田貫は無言で刀の柄へ手をかけた。

「アイツ等は本来、呪詛と怨嗟がお家芸な連中だからね。主を害した刀から目を離す訳ないんだよ」

 前を進んでいた足が止まる。遅れて立ち止まり、顔を上げればそこは離れの前だった。
 久しく訪れていなかった主の住居は、雨戸が閉め切られ、中の様子が一切伺えない事を除けば記憶にあるのと変わりない。

「強引に引き離されでもしない限りは、ね」

 ざわり、と空気が揺れた。
 普段であれば気にも留めない、常にそこにある感情の色に刺々しい敵意が混ざる。
 流れで薄々察しはしたが、今まで疑ってもみなかった相手の裏切りだ。読めない思惑は棚上げし、同田貫は刀を抜き払つ。大太刀から鞘が落ちる。片腕とは思えぬ力強さで、次郎が刀を振りかぶり。


 ゴガァアアアアアアアッ!!!!


 雨戸が盛大にひしゃげ飛ぶ。
 外では無い。内側からだ。礫の雨が横殴りに迫り来る。
 全身の皮膚が粟立つ。強敵だと本能が叫ぶ。
 とっさに後ろへ跳んだ同田貫の目前で、小柄な影が次郎目掛けて斬りかかった。

 ガギィイイイ!

 鋼が甲高い悲鳴を上げる。

「いよーぅ旦那、首飛ばされた以来だなぁ! 見ない間に随分と男ぶりを上げたじゃねえか!」
「そっちも取り繕うのがお上手になったねえ! 見目になんて拘りないと思ってたよ!」

 飛び出してきたのは薬研藤四郎だった。他の本丸の分霊とまるで変わらない姿の。
 しかし気配は勿論その霊圧も、刀剣男士とはまるで違う。目を逸らす事も動く事も躊躇わせる、桁違いの存在感。ただの道具として、主の手元で使われていた頃の面影など欠片も無い。

 けれど、そんな事はどうだって良かった。

 次郎は避けなかった。
 来ると察して、その場で迎え撃つことを選んだ。
 対して自分はどうだ。留まることなく回避を選んだ。選んでしまった。
 今、自分は戦う事を恐れて引いた!

「キエェェアァ!!!!」

 喉をつんざく猿叫を道連れに、同田貫は走った。
 後先など考えない。連携すら思慮の外。
 叩っ斬る。首を狙って放たれた斬撃が、薬研の腕に阻まれる。

「懸けまくも畏きあま照らす日輪、至尊の主神あるじ

 薄皮一枚の下、鉄塊の手応えに刃が軋む。
 にわかに空気が熱を帯びる。
 視界の隅。影が跳ねた。

――ッ!」

 衝撃。
 息ができない。
 あばらの折れる音が聞こえる。
 踏み止まれたのは意地か、それとも執念か。

「かの禍事まがごとを断ち祓わんが為――

 力の差は歴然。拮抗は刹那。
 喉が灼ける。肌が燃える。血が沸騰する。
 恐怖はあった。臆してもいた。
 けれど、二度も逃げるなど論外だった。
 力の限りで振り抜いた刃が、薬研の腕を斬り飛ばす。


「神威が一灯いっとうを賜し給え!」


 白が弾けた。

 溶けた鉄と、煤と、土と、肉とが焼けた嫌な臭いが鼻を刺す。
 反応の鈍い身体に鞭打って、同田貫は跳ね起きた。

「……ぁ゛?」

 先程まで交えていた一角に、真っ黒な窪みができている。
 意味が分からない。だが、窪みの傍で力なく膝をつき、崩れ落ちる寸前の仲間に気付き、同田貫は「ジロ!」と叫んで駆け寄った。
 抜身の刀を携えたまま、隣に膝をつく。それだけで伝わる熱が温度を上げた。地面に投げ出された隻腕は、大太刀を握り込んだままの形で炭化している。お守りが発動していないのが不思議な状態だった。絶え絶えな呼吸の合間に、次郎が白濁した目でこちらを見て、自身の腰元へ視線を滑らせる。

(いつもの酒甕? 中身は……なーる、備えはしておいたって訳か)

 ともすれば熱を孕んだ悪臭に掻き消える、さらりと甘い独特の酒気には覚えがある。
 霊力がたっぷり込められた、主手製の果実酒だ。先程の戦闘で封が焼き切れ、中身も零れてしまっていたが、これなら少量だろうが応急処置には事足りる。
 次郎の口元に宛がえば、漂ってきていた熱気が収まってくる。炭化していた肌が、見る間に色を戻していく。
 予想以上の効果だ。少なくとも見た目上は"そこそこ動ける程度の重傷"まで回復した次郎が、はぁあああ、と大きく息をついて酒甕を押し戻す。
 促されるまま口をつければ、沈黙していた痛みが今更ながらに騒ぎ始める。
 自覚していなかったが、思っていたより己も傷が深かったらしい。同田貫は顔を顰めた。

「ありがと、助かったよ。思ってたよりキツくてさぁ」
「おう。何やったんだ、コレ」
熱田神宮ウチ主祭神じょうしに、ちょこーっとばかりお力添えをね」
「それでこの威力か……」

 窪みに視線を転じれば、ゆらゆらと陽炎が立ち昇っている。
 その中心では人の形をした黒い塊が、うずくまるようにしてこごっていた。

(……まあ、加減できる相手じゃねえわな)

 生かしたまま鎮圧する事は、殺す事より難しい。
 対峙した後だから理解できる。アレは二振りでどうにかなる相手では無かった。
 こんな隠し玉を持っていたとは知らなかったが、たぶん、アレは相当な博打技である。先程までの次郎の状態、それにあの瞬間感じた、逃れようのない絶対的な神威ねつを思えば、もっと広範囲を同田貫は勿論、次郎ごと焼き滅ぼしていても可笑しくは無いぐらいの。

「あだっ。なんで叩くのさ!?」
「るせぇ馬鹿ジロ」

 鼻を鳴らして同田貫は立ち上がった。
 薬研が壁を壊した事で、離れは随分と風通しが良くなってしまっていた。
 丸見えの中身は完全に廃墟と化している。あれではもう使えまい。中にいたはずの鯰尾と骨喰の姿は無いようだった。破壊されたか、瓦礫の下にでも埋もれているか。

「見てくる。そこ座ってろ」

 どちらにしても離れは後だ。
 警戒を保ったまま、同田貫は窪みの中へと踏み入って。

 びしり、

 薬研だった塊がひび割れた。
 下から溢れた黒い波が、同田貫達目掛けて一目散に殺到する。

「なめんな――ァア!?」

 斬り捨てようとし、同田貫は失態に気付いた。
 黒い波に見えたモノ。それは、百足の群れだった。
 容易く死ぬ。容易く斬れる。しかし全身に噛みつき、纏わるそれ等はあまりに数が多すぎる。

「! たぬ、離れ――
「させるかよ」

 足下が消えた。

――ッ!」

 穴に落とされた。
 直感的な理解と、再び礫の雨が降ってくるのは同時だった。
 背後で次郎が呻く。悲鳴を上げるあばらを無視し、同田貫は歯を食い縛った。自身と次郎、二振りを狙って飛んでくる礫を叩き落とす。
 睨み据える上空で、瞬く間に穴の入り口が塞がれていく。瓦礫が、そこから出てくるなとばかり積み上がる。

「分霊だったか……!」
「正解。ま、しばらくそこで寛いでてくれや。こっちも急いでるんだ」

 薬研の言葉尻が、喜びを帯びて僅かに跳ねる。
 その異質さに首裏がざわめく。同田貫は、今更ながらに疑問を抱いた。
 離れへ来る時、次郎が普段通りを装っていたのは、本丸さんの裏切りを疑ったからだった。
 なら、本邸に人手を割く事へ口を挟まなかったのは何故だ。呪香による陽動を疑い、何か仕掛けられてはいないか確認しておこうと言った国広に、異議を唱えなかったのは――

「せっかく戻った主を、あんまり待たせちゃらんねえからな」




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