間桐 雁夜は一般人だ。
少なくとも彼は自分をそう定義しているし、それ以外の何物にもなりたくはないと考えている。彼は人生というものが平穏である事に至上の価値を見い出しており、ありふれた平和を心の底から愛し、また至極一般的な常識を持ち、世間一般の定義する道徳に基づいた行動を行う事をこよなく愛していた。
その割に職業がジャーナリストなどという不定職であるのは、学歴:中卒というどう足掻いても変えられない学歴ステータス社会の前に屈した雁夜が、手持ちのスキルを持ち前のガッツで補った結果でもある。
しかしその職業選択には、幼少期から周囲に羽虫の如く湧いて出ては実にならない助言やら意味不明な同情やら身勝手な罵倒やら、あるいは暴力行為や誘拐などといった傷害罪にきっちりと当て嵌まる行為までこなすラインナップ豊富なキチガイ連中から逃げながらでもクビにならずに済むから、という極めて非一般的な理由も含まれていた。
間桐 雁夜は一般人に憧れている。
虐待が常習化している十八歳未満お断りの家庭環境、人間の暗部を具現するような間桐の魔術という非日常、兄弟だろうと気遣う程度にも余裕のない兄、全てを知っているような言動でありながらも助けてはくれない羽虫共。
そういった環境に置かれていたからこそ、雁夜の目には隣り合わせに存在する「一般的で」「平穏で」「至極当たり前の」「平凡な日常」が、どんなものよりも尊く美しいものに見えている。
けれど、雁夜の生い立ちから零れる異質さ故だろうか。それとも周囲に集まる羽虫のせいか。
兄ほどの頭脳も、器用さも持たない雁夜は学校という日常でも孤立しがちだった。
そんな彼が「尊く美しい」日常の象徴ともいえる、親しく付き合ってくれる優しい幼馴染へ崇拝に近い恋慕を抱き、傾倒していったのは当然の成り行きであった。
間桐 雁夜は一般人でありたい。
現人神の如く、理想の具現のように現実味の薄いフィルター越しに交流してきた幼馴染にすら、何も告げずに家を出た。元々考えていた行動であったし、密かに愛する幼馴染を煩わせたくない、というのが理由である。
彼の憧れる“葵さん”が、 「魔術師を妄信する女だ」などとという、羽虫の戯言を信じた訳では断じて無いのだ。
出奔以後の数年間、幼馴染と連絡を取り合う事が無かったのも生活を安定させるのと、キチガイ連中から逃れるのに必死だったからであって、それ以外の含みなどあるはずもない。そんな事は、あり得ない。
新しい生活も、そして仕事も雁夜の憂いを払う程度には忙しく、また楽しくもあった。
辛い事も苦しい事もたくさんあったが、実家にいる頃の比ではない。
何より、それは彼の憧れ続けた日常だったのだ。
取材先で、ある女と知り合うまでは。
間桐 雁夜は一般人だと思いたい。
初めての出会いは取材先での大立ち回り。
ただの不良少年達へのルポが、女が絡んだ途端におかしな方向へ転がっていった。
最終的にヤクザと中国マフィアの武器密輸の現場に立ち会う事になったのは今でも忘れられない記憶である。人間は銃弾を避けられる生き物であると目の前で実証されてしまった。
実家が実家だけに度胸だけはあった雁夜は、始終ツッコミに徹していた記憶しかない。
それが良かったのか悪かったのか、事態が終わる頃には連絡先を交換する程度の仲になった。
世間的に善と分類される行動であったのも手伝い、雁夜は女を“親しい知人”と定義づけておく事にした。友人と呼ぶには、女は少しどころでなく常識から道を踏み外しすぎていたので。
間桐 雁夜は一般人だと主張する。
ルポライターを続ける中で、女と関わった事件に近しい「臭い」があるものは区別がつくようになった。分かるならそれに近づかなければいいのだが、彼の学んだ「世間一般的な道徳」は、彼に命懸けの綱渡りを強要する事がしばしばあった。そして大事になる時には大抵、何故か女も途中参戦してきた。
命を助けられた事は数え切れないほどにあるが、女の物理に訴える方針の後始末に奔走する役目は主に彼へと回ってきた。雁夜は女を、そしてその女とよく行動を共にする者達を“何故か縁の切れない悪友”に分類した。その頃には、彼女らが一般的には外道とか呼ばれる方向性にある事は理解していたので。
間桐 雁夜は一般人でいたい。
以降、連続失踪事件に女と巻き込まれたら犯人一味が宇宙人で協力者も宇宙人だったり、吸血鬼が跋扈する廃村で女が制圧作業しつつも元凶をぶちのめす手伝いをする羽目になったり、アメリカに本部を置くとある大企業の生物兵器の開発を破棄する片棒を担がされたり、高名な画家の残した謎を辿って、某大手宗教の組織とそれを巡った死闘まっさかりの大学教授達を手助けしたり、そんな命がいくつあっても足りないような、ハリウッド映画にでもありそうな事件に遭遇しまくり、当然ながら身を守るためにと護身術を習い、日本であっても特殊警棒やらナイフを常時携帯する習慣が違和感のないほど身についてしまったり、あまつさえ、かつては嫌い抜いた魔術師(女の親友たる師匠曰く、魔術師でなくイテイガン、らしいが)から、基礎とはいえ魔術を学ぶようになっていたり。
そんな日常を過ごす事になろうとも、間桐 雁夜は一般人に憧れ、一般人でありたく、一般人だと思いたい、一般人を主張するただの平凡な男なのである。女を通して誼を通じた、もしくは同じ事件に巻き込まれて得た知人友人からは主に否定か憐憫か同情かなまぬるい慰めを頂戴する主張であったが、少なくともそれ以外の人間からはおおむね同意を得ているので聞こえない振りを決め込んでいる。
ともあれ。
間桐 雁夜は一般人なのである。
彼は自分をそう定義しているし、それ以外の何物にもなりたくはないと考えている。
そしてその思想に相応しく、彼は至極一般的な常識と、世間一般の定義する道徳に基づいた行動を行う事を自らに課している。
だから偶然知り合った高校生と、その向かいに住まう女子高生が宇宙人というSF的な非日常に巻き込まれるのを黙って見過ごす事ができなかったのだ。
困っている人(しかも年下)を助けるのは人(しかも年長者)として当然の行為だったので。
だから手に負えそうにないと判断した時点で、確実になんとかできる腐れ縁な悪友に手助けを求めたのは彼にとって至極当然の行動だったのだ。
だから雁夜は知るはずもない。自分の電話によって、巻き起こされる事が確定した騒動を。
と、魔術師は知っているが気にしていない。
手助けを求めてきた友人、雁こと雁夜が、いわゆる原作キャラであったという事実を。
そして、SFしている高校生達も宇宙人達も現時点では知りはしない。
間桐 雁夜が、一般常識外に定義される連中への対応がかなり外道な部類にある事を。
騒動が無駄に大きくなる事だけが、どうしようもなく明らかであった。
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