ピシィイイイッ!

 鞭がしなって肉を打つ。
 聞くだけで身が竦む、鋭い打擲ちょうちゃくが何度となく無機質な牢獄に響き渡る。
 円を描いて立ち並ぶ檻のほど近く。隠れ場所としてはあまりにも用を成さない通路の片隅で、雑巾代わりに使われている薄汚れたチラーミィ達がガタガタ震え、脅えながらひしと身を寄せ庇い合う。
 サファイア・ブルーの瞳を憤怒に燃え立たせ、ビューティーは憎々しげに口角を歪めた。

「商品でっ! 憂さ晴らしをっ! するなとっ! 何度っ! 言えばっ! 学習っ! しますのっ!」

 言葉を区切るたび、鞭が裸の大男の背中を容赦なく叩く。
 音は苛烈、歪む美貌は鬼のごとく。そこに手加減などあるはずもない。だというのに男の広い背中には、うっすら赤みが差すばかりで皮膚が裂けるどころか痕が残る気配すら無い。
 不幸にも居合わせてしまった下僕がそろって青ざめ、うつむいて、必死に怒れるビューティーと目を合わせないよう苦心する中。ただ一人、諦念と妥協を漂わせながら他人事のようにそれを眺めていたスキンヘッドに出っ歯の小男が、ひっきりなしに唸りを上げていた鞭が止まった絶妙なタイミングで、ビューティーに揉み手しながら声をかけた。

「マ、マ。ビューティー様、お怒りはごモットモでヤンスが、ストレスは美容の大敵でゲス。こちらの特製きのみジュースでも飲んで、リラックスなさって下さいでゲス」

 小男の言葉に合わせ、ササッと、しかし恭しくお盆に乗った豪勢なドリンクが差しだされる。
 ピシ、と鞭を両手の間で張り伸ばし、ビューティーが下僕を冷然と眺めやる。フッと息をつくと、ビューティーは鞭を納め、優雅に髪をかき上げた。

「気が利くじゃない。褒めて差し上げましてよ、ワンダフォー」
「ははっ! お褒め頂き光栄でヤンス~!」

 張りつめていた空気が弛緩する。
 鞭打っていた大男を椅子にして、ビューティーが脚を組む。
 慌てた様子で、別の下僕がタオルを差し出す。
 うっすら額に浮かんだ汗を拭いながら、ビューティーは「それで」と話題を切り替えた。

「道具の調整、進捗はどうなのかしら。当日に使えなくてはお話にならなくてよ」
「ラグラージ、それにグレートが道中で確保してきたガオガエンの二匹は最終調整にあと三時間ほど頂きたいでゲス。大事なところで誤作動を起こされでもしたら、アッシの沽券に係わるでヤンスからね」

 ガヅッ

「椅子は勝手に身動きしないの。よくって?」
「~~~っ♡」

 ピン・ヒールの強烈な一撃に、口枷を兼ねた面頬の奥からくぐもった声が漏れる。
 椅子にされている男が、恍惚に目を潤ませて熱い吐息を漏らした。
 構わず、ビューティーはロングブーツに包まれた長い脚を元通りに組み直す。椅子を道端へ撒き散らされたゲロ以下を見る目で一瞥し、ワンダフォーは咳払いして口を開く。

「二匹は調整が完了次第、仮宿へ運ばせるでゲス。ゴルダックは下げ渡すとの事でゲスが、良かったでヤンス? ホウオウのタイプを考えれば、ビューティー様がお持ちになっていた方が……」
「お馬鹿さん」

 タオルをグラスへ持ち替え、ビューティーは喉を湿らせた。
 腑に落ちていない様子のワンダフォーへ流し目をくれ、グラスを戻すと呆れたように続ける。

「頭数を揃えれば良いってものではなくってよ。あなたもあたくし達の会談は聞いていたでしょう。横やりが入る可能性も予定に入れておかなくてはね」
「ア、ここのジムリーダー、そういうタイプでヤンスかぁ~……。了解でゲス。では、バックアップ・プランもそれ込みで組み直すでヤンス」
「そうなさい。――ゴルダックとグラエナをここへ」
「はっ」

 深々と頭を下げ、ワンダフォーが手を打ち鳴らす。
 それを合図に整然と立ち並ぶ檻から、二つの影が歩み出た。
 ゴルダックとグラエナだ。唸り声ひとつ上げず佇む二匹の首には、揃いで誂えたような同じ光沢、同じデザインの金属的な黒い輪が嵌められている。
 忠実な下僕のように。あるいは、自我を持たない道具のように。まったく同じ、感情の欠落した目でそろって二人を見上げ、従順に命令を待つ二匹にビューティーは満足げに頷いた。
 ヒールの音も高らかに、優雅な動作で立ち上がって椅子へ向き直ると、ビューティーはガッ! と鞭の柄で殴りつけるように、椅子の顔を上げさせる。

「追い込みは終わりでしてよ。そこの道具二匹を使って、必ず〝鈴〟を狩っておいでなさい。――返事は? グレート」
「グゥオオオオオオゥ!」

 四つん這いで、モヒカンにグランブルを模した面頬の大男。グレートが喜色満面で大きく吼えた。
 口枷でくぐもっている点を差し引いたとしても、知性というものが感じられない、あまりにも獣じみた返答だった。
「ちゃんと装甲着てくでヤンスよー」道具二匹を引き連れ、はしゃぐような足取りで勇んで部屋を出て行くグレートの後ろ姿へ、ワンダフォーがおざなりに声をかける。
 さっき念入りに躾けたばかりだ。さすがに忘れはしないだろう。
 ……たぶん。
 一抹の不安を抱きつつ、ビューティーはふと思い出し、直立不動で沈黙していた下僕達へと命令した。

「誰でもいいから、そこの小娘を手当しておきなさい。
 予約済みの商品ですもの。引渡しが死体では、あたくしの面子に関わりますわ」


 ■  ■  ■


 ――ドォオオオン!

 轟音が響き、足元が揺れる。近い。それも相当にだ。
 早くから寝静まっていたセンター内が一転、一気にスピアーの巣をつついたような騒ぎになる。「ビヴゥウウー! 地震かー!?」「敵襲ー!? こわいのきたー!?」「あっだだだ! 暴れんな踏んでる踏んでる!」「逃げろ逃げイヤアアア海ないー!」「えーとこういう時は机の下机の下……」ツキネも寝ぼけまなこで飛び起きた。

「すいみんぼーがーい!」
「ぷゅあーぅ!?」
「みんなはここ守ってて! あーもー、ツキネ待ってよー!!」

 ぱぴゅーんと飛び出していくツキネ、慌ててポケモン達に言い置き後を追うメタング。
 何やらピンクのまるころした物体が巻き込まれているが、それを気にするにはツキネにはお目覚め度が足りず、メタングには余裕が足りなかった。
 地震ではない。では音と振動の何かといえば、その答えはポケモンセンターからそれほど離れてもいない、打ち捨てられた廃工場にあった。

 ドォオオオン!

 風を切るツキネ達の目指す先で、二度目の轟音と共にコンクリートの破片が紙くずのように巻き上がる。
 真昼の明るさの中心街とは異なり、正常な夜が支配するその場所。溶け切らなかった残雪が満ちる寸前の月光を受け、もうもうと上がる土煙を不穏に照らし出している。
 薄闇の上を、小さな影が駆け抜けた。

「じゅーじ!」
「っ了解!」

 ズガァアアンッ!!

 影を追って土煙から飛び出してきた鋼の巨体を、メタングの両腕が押し留める。
 立ち込める煙がツキネのサイコパワーを受けて一気に晴れ、敵の細部が鮮明になる。
 機械人形。第一印象を言語化するなら、そんな単語が適当だろう。メタングよりも大きい、見上げるような巨体。てっぺんから爪先まで、全身を余さず分厚く艶の無い黒装甲で覆っている。装甲の無い関節部分から見えるのは、絡み合った太いチューブ状の連なりだ。
 人型ではある。だが、ニンゲンかポケモンか。そもそも中身自体あるのかないのかは、一見だけでは判別ができそうにない。

「ィ……!」

 ぎりぎりと。巨体を留める腕が押し込まれる。
 ゆっくりゆっくり、機械人形が嬲るように、力の差を誇示するように圧力をかけてくる。
 久しく無かった力で押し負ける感触に、メタングは思わず顔をしかめた。

「グギギッ」

 機械人形の隙間から、笑い声が這い出てくる。
 さながら望外に出会った獲物を前に舌なめずりするような、嗜虐と喜びを含んだ、獣じみた笑い声。
 聞き覚えのある声だ。それもつい最近、ほんの数日前に。

「おまえ――……!?」

 驚愕に目を見開いたメタングの視界の端。機械人形の後ろから飛び出した黒が、メタング目がけて躍りかかった。

「させない!」

 両手を封じられた状態だ。ひとりであればまともに食らっていただろう鋭い牙の一撃を、駆け抜けた小さな影が跳ね飛ばす。追撃のように降ってきた瓦礫の雨に、四つ足の黒が夜の奥へと身を溶かす。
 間近での攻防。瓦礫の雨の余波を受けながらも、機械人形の押し込む腕には揺らぎがない。メタングの腕がギシギシと軋む。
 痛みに顔をしかめながらも、メタングは衝撃にそなえて体にぐっと力を入れた。

「とんでけっ!」

 ツキネの一喝と共に、目の前でつかみ合っていた巨体が吹っ飛ぶ。
 叩き起こされた時など比にならない轟音が地面を揺るがす。わりとポケモンでもシャレにならない吹っ飛び方で倒壊した瓦礫の山に突っ込み埋もれて姿を消した機械人形に、メタングは「ギィイイ―っ!」と悲鳴を上げた。

「ヤバいよツキネあれ中身ある! ニンゲン!」
「え゛っ」

 ぐぁんっ!

 眠気が吹っ飛んだツキネへ、不定形の赤黒いエネルギ―――〝サイコキネシス〟が、明確な害意でもって襲いかかる。

「ぷゅあーぅ!?」

 ツキネの頭上。びょいんと跳び上がったピンク色のまるころ花柄クッション……もといムンナが慌てたように目を瞬かせ、淡い輝きと共に〝まもる〟を発動させた。瞬時に出現した半透明の青い盾と〝サイコキネシス〟がぶつかり合い、煙のように霧散する。
 青い影と対峙しながら、小さな影がメタングに向かって鋭く叫んだ。

「来るぞ!」

 瓦礫の山が弾け飛ぶ。
 土煙と石つぶてを猛然と巻き上げながら、鋼の巨体が迫り来る。

「ウッソだろ!?」

 毒づきながらも迎え撃つ体勢を取るメタングに、ツキネが命じた。

「〝アイアンヘッド〟!」

 ゴガァアアアッ!

 交錯一閃。
 骨髄、反射の域に至るまで叩き込んで来た反復は、無駄な思考/判断のプロセスを省略する。当然、容赦や手加減の入る余地すらも。
 先程のダメージに加え、全力の〝アイアンヘッド〟を受けてなお、その装甲にヒビが入った程度、というのは賞賛に値する頑強さだ。しかし、外側はともかく内側はそうもいかない。ただでさえ重量級の一撃。そこに突っ込んでいった自身の速度、重みが加算されているのだから、受けた衝撃はいかほどのものか。

「……!」

 さすがに堪えたと見え、機械人形の巨体が揺らぐ。足がもつれる。
 即座に場を離脱したメタングの後を継いで、ツキネが指を振り下ろして吠えた。

「そのまま――沈めッ!」

 ズガァアアアンッ!!

 墓穴のようなクレーターを作って、機械人形はようやく動きを停止した。
 だが、息をついている暇はない。敵はひとりだけでは無いのだ。

――ァ、ガ――!」
「!」

 夜の下、赤黒い光の束が小さな影を濁流のように押し流す。
 完全に呑み込まれて溺れる小さな影を、ツキネのサイコパワーが強引に、先程の〝サイコキネシス〟同様、禍々しい色合いをした〝サイケ光線〟の進行方向から叩き出した。

 ジジジジジッ

 ノイズが叫喚する。
 不快極まりない機械音が、ぅわん、と鼓膜を裂いて脳を揺らす。
 いつから潜んでいたのか。夜闇の狭間から飛び出してきた影の群れ――ドローン群が派手な音を伴って、ツキネへと殺到する。驚いたムンナが頭上からぽてんと転がり落ちた。

「ツキネ!」

 メタングが振り仰ぐと同時に青い影。ゴルダックが駆けた。
 向かう先は小さな影――マーシャドー。
 バトルというのは水物だ。時に一瞬の油断、数秒のスキ、一手の狂いが勝負を決する。それはルールありきのバトルでも、ルール無用の野良バトルでも変わらない。
 ツキネは突如殺到したドローン群を、反射的に振り落としにかかった。メタングもまた、とっさにツキネを優先した。
 マーシャドーはダメージが深く、満足に動ける状態にない。
 そのままだったなら攻防は決していただろう。ふいの乱入者さえ無かったなら。

「み゛づけ゛だじゃ゛ー!!」
「……ッ!?」

 弾丸の速度で乱入してきたルリリが、ノーブレーキでゴルダックの横っ腹目がけて突っ込んだ。

 ドゴォッ!

 木の葉のように空を舞ったゴルダックが、きりもみ回転して受け身も取れずに地面へと叩き付けられる。
 しかし、気を失うほどでも無かったようだ。呻きもせず、ゆらりと身を起そうとしたゴルダックに、ツキネはとっさに、ポケットに入れていた石をサイコパワーで射出した。

 ――ヒュガッ!

 カクン、と。糸の切れた人形のようにゴルダックが崩れ落ちる。
 凶行に及んだルリリが、倒れたゴルダックに「ぶじだっ゛だじゃ゛! どごい゛っ゛でだじゃ゛! み゛ん゛な゛じん゛ばい゛じでだの゛じゃ゛!」とびぇびぇ泣いてキレ散らかしながらひっしと飛びつく。
 ひしゃげたドローン群がばらばらと落ち、黒い風が月明かりの切れ目を駆ける。

「っ下に〝バレットパンチ〟!」

 ツキネの言葉に、メタングの右腕が真下に向かって振り抜かれる。
 銃弾の名を冠するわざが名称に違わぬ鋭さでもって、今まさにその場を駆け抜けんとしていた黒を捕捉した。

「ギャウッ!」

 短い悲鳴を上げ、黒が片足を引きずりながらもメタングと距離を取る。その攻防から視線を外さないままに、ツキネは気絶したマーシャドーを腕の中へとかくまった。

――ア、〝鈴〟回収は無理でヤンスねコレ。退却退却ぅ~」

 ひしゃげて転がったドローンが、なまりの強い男の声でそう呟く。
 赤い光が瞬き、モンスターボールの放つ光が一瞬、四つ足の黒――グラエナの姿を夜の底から引き上げる。
 露わになったその姿に。あまりにも見慣れた、見間違いようもない相手との思いもかけない邂逅に、ふたりは愕然と目を見開いた。

「なんで」
「おばさま――……?」

 夜が押し寄せる。月が、分厚い雲の向こうへと姿を消す。
 ケーシィらしき影と〝テレポート〟して消えたその姿に、絞り出すようにメタングが唸った。

「これ、どういう事だと思う?」
「わからないのです」

 作ったばかりのクレーターを見れば、そこにいたはずの機械人形も、すでにそこにはいなかった。
 機械の羽音も既に絶え、遠くから聞こえるのは街の喧騒ばかり。
 険しい顔を崩さないまま、メタングがルリリをそっとどかし、ゴルダックの首元でパチパチと火花を散らす黒い首輪を力任せに取り外した。弾に使った〝かわらずのいし〟の破片が、その拍子にぱらぱらと落ちる。

――――……」

 人形のようだったゴルダックの表情が、途端に悪夢にうなされているかのような、苦悶のそれに変わる。
 はくはくと。何かを訴えるかのように口ばしを震わせるゴルダックに、メタングがマーシャドーを抱えたツキネを振り返る。

「ゴルダック、なんて?」
「……〝逃げろ、ホトリ〟」

 どかされたルリリが、再度寄ってきてぽてり、とゴルダックの腹に倒れ込んだ。

「ぴぃぅうううう……」初めて見る弱々しさで嘆くルリリを、思わず、といった様子で近付いてきたムンナが「なんかよく分かんないけど、元気出すのよぉ」と短い前足でよしよしと撫でる。

「とにかく、ふたりをポケモンセンターに。事態を整理するのはそれからなのです」

 険しい顔をかすかに緩め、ツキネはマーシャドーを抱え直した。




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