本日のラチナ地方は冬らしく、寒さの厳しい一日となるでしょう。
ところにより遭難、落石、滑落、雪崩、高レベルポケモンとの偶発的遭遇。
マシロタウンにお立ち寄りの皆様は、エスパー少女による人災にご注意下さい。
「きゃいーん!」
悲鳴を上げて吹っ飛んだガーディが、雪深い場所に頭から突っ込んで動かなくなる。
目が合ったらポケモンバトル。トレーナーのお約束だ。レベルに開きのあるトレーナー同士のバトルともなれば、開始十秒で勝負終了、なんて悲しい出来事も時には起きる。
「フんガァアアアアアアア!」
トレーナーである男が、小さな目を吊り上げて地団太を踏む。
ゴーリキー並みの巨体に蛍光色のトサカ頭、顔の下半分を覆う、グランブルを模した面頬。さながら悪役レスラーといった風体の成人男性が全身で不満を表明する様は、大人でも身の危機を覚えずにはいられないだろう。
攻撃的な見た目の大男の地団太に、しかし勝者側には少しの動揺も見られなかった。
いや、動揺が見られない、というのは語弊がある。
「すやぁ」
秒で圧勝したメタングの上で、トレーナーの少女は寝ていた。
なんならバトル開始前からずっと。
「ギ」
メタングが淡く瞳を輝かせ、浮かび上がったポシェットが男に向かって開かれた。
折りたたまれた紙がひとりでに飛び出し、広げられてメタングの主張を言語化する。
――〝賞金はポシェットに入れて下さい〟
「んゴォオオオ!!」
顔を真っ赤にして激怒した男が、腰につけられていた複数のモンスターボールをつかみ放った。
ポポポポポン! 続けざまに出てきたポケモン達が、怒れるトレーナーの地団太に急き立てられていっせいに襲いかかる。
メタングがふわりと高度を上げ、瞳を煌めかせた。
放たれた〝サイコキネシス〟に地面が爆ぜ、強烈な衝撃派をもろに食らったポケモン達が吹っ飛ばされる。
「むぬ」
盛大な破裂音に、ぱちり、と少女が目を開いた。
いまだ現実と夢の境目を漂っているように眠たげな表情のまま、自分達へ殴りかかってくる赤黒い顔の大男を指差して。
ヅンどむッ
その指先から放たれた緑色のごんぶとな光線が、メタングの二倍はあろうかという大男を吹っ飛ばした。
「ぼぐォー!?」
悲鳴と共に天高く打ち上げられた大男が、空の彼方にキランと消える。
反動で、少女はメタングの上からころんと転がり落ちた。
「ぷぁ~あ」
ふよふよぷかぷか。
落ち、けれど当然のように中空で浮き沈みしながら大あくびする。
ゆらゆらと服の裾が、ネオラントの尾びれのように揺らめく。眠気にとろんと曇った翡翠の瞳をしばたかせるその様は、可憐な容姿も相まってさながら真昼の夢のよう。
飛んでいった男の軌跡を見送って、メタングが金属の擦れるような音で問いかける。
「ツキネ、どこまで飛ばしたの?」
「ソルトタウンあたり」
ふわふわと頬にかかった金茶色の髪を払って少女、ツキネは気絶した男のポケモン達へと指先を向けた。
さっき光線で吹っ飛ばした男に対するより丁寧に、きちんとサイコパワーの膜に包む。
千里眼で狙いを定め──それっ!
一、二、三。
十秒きっかりで狙い通り、ポケモン達はソルトタウンのポケモンセンター手前に着陸した。
千里眼を閉じてうーんと大きく伸びをする。
ぱちぱちと数度のまばたきを経た頃には、翡翠からエメラルドの色合いへと移り変わった瞳に、眠気は欠片も残っていなかった。
「めた、今の何だったです?」
「トレーナーの恥さらしだよ、ツキネ」
めたと呼ばれたメタングが、腹立たしげに言い切った。
とはいっても、それが理解できるのは聞き手がツキネであるからだ。普通のニンゲンは、ポケモンの言葉を同族さながらに理解できたりはしない――生まれつきポケモンの言葉が理解できるツキネにとっては、何故できないのか、まったくもって不可解極まりない事だったが。
「負けそうになったとたん、他の手持ちぜんぶ出してきたんだ!」
「えー……そんなやつだったのです?」
強力なエスパーであるツキネは、一日の大半を寝て過ごす。
持って生まれた力が大きすぎて、そうしないと体が持たないのだ。
だから寝ている間にポケモンバトルを挑まれた場合、受けるかどうかはメタングの好きにさせている。
「サザナミ湾に放り込んでやれば良かったですね」
なんのためにこんな辺鄙な田舎町まで来ていたのかは知らないが、トゲトゲした見た目の通り、あまりタチのよろしくないニンゲンだったようだ。
「また来たらぜひ、そうして欲しい」
唇を尖らせたツキネに、まじめくさってメタングが頷く。
それが何だかおかしくて、ふたりは同時に噴きだした。
ひとしきり笑って中空を転がり回った後、ふたりは中断していた、縄張りの見回りを再開した。
縄張りのものらを守り、助けてやるのはヌシたるものの大事な務めだ。
とはいっても縄張りのマシロタウンはド田舎とはいえとても広いし、本来のヌシである〝おじさま〟……父の手持ちであるガオガエンは、お昼寝大好きなのんびり屋だ。なのでお務めはもっぱら、同じく父の手持ちである〝おばさま〟。グラエナと子ども達、ツキネ、メタングのお仕事となっている。
小さな坂道、半分凍ってて滑りやすい。コラッタ達が開通したミニトンネル、埋もれてしまって使用不可。デコボコあぜ道、落ちてくる雪にご注意。マシロでいちばん日当たりの悪い草っぱら、積もった雪でまっしろけ。
異常ありの知らせが飛び込んできたのは、マシロで十一番目に日当たりのいい草っぱらで、ポッポ達から三丁目の軒先で今朝バニプッチが八年ぶりに産まれたという話を聞いていた時だった。
「ねーさまねーさまたいへんたいへーん!」
「にーさまにーさまやばいやばーい!」
「ねーさまにーさまどうしよどうしよどうしよぉおー!」
泡を食って駆けてきたさんにんのポチエナに、驚いたポッポ達が一斉に飛び立って逃げていく。
ガオガエンとグラエナの子、ツキネ達の兄弟分である末っ子達だ。いつだって元気いっぱい、知りたがりでやんちゃ盛りなこの三つ子は、なんでもかんでも大げさに騒ぎ立てる癖がある。
今日はどんな異常だろう?
川べりに住むコイキングの誰かが〝はねる〟の高さ新記録を出したか、それともコッソリ埋めておいたきのみが無くなってしまったか、さもなければ崖下に住むヤドンの尻尾でも取ってしまったか。
ひょっとしたら最近仲良しのキャタピーが、とうとうサナギになって動かなくなったのかも知れない。
「なにごとなのです?」
ツキネの問いに、待ってましたとばかり三つ子がキャンキャンキュンキュンまくしたてる。
「喋るのは! ひとりずつ!」
メタングが語気を強めて注意した。
「一気にまくしたてられると、ちゃんと聞き取れないのですよ」
ツキネも眉間にシワを寄せて同意する。
ふたりに叱られ、そろってシッポを後ろ足の間に挟んでシュンとうなだれる三つ子に、険しい顔を緩め、優しく付け足した。
「ひとまず、何を喋るかさんにんで相談するです」
ひそひそこそこそワンワンキャンキャン。
お互いの鼻と鼻をひっつけて、三つ子がいつになく深刻な様子で話しあう。結論が出るのを辛抱強く待つことしばし、話がまとまったらしい三つ子が、口を揃えて元気に叫んだ。
「「「見たことないポケモンが、大ケガして倒れてる!」」」
ツキネとメタングは、思わず顔を見合わせた。
■ ■ ■
三つ子の見つけたポケモンは、マシロから伸びる道沿いにある、大きな藪の中に倒れていた。
藪の影に同化しそうな暗灰色の肌にヒトガタの見た目。背丈は、同年代では小柄なツキネよりもさらに小さい。
三つ子の言った通り、見たことの無いポケモンだった。
「ほらほら見てよ、ウソじゃないでしょ!」
「なんてポケモンかな、ヘンな臭いだ!」
「動かないや、死んじゃった!?」
「「「それなら埋めようそうしよう!!」」」
「まだ生きてるから。埋めちゃだめ」
メタングが冷静に三つ子を止めた。
かすかに上下する胸は、このポケモンがまだ生きていることを示している。しかし〝生きている〟が〝死んでいる〟になるのに、さして時間はいらないだろう。そのくらいには、酷い有様だった。
倒れているポケモンを、傷に響かないようそーっと浮かせる。
――ち、りん。
鈴の音。
妙に耳に残るそれに、ツキネはぱちりと瞬きした。
ポケモンをもう一度、てっぺんから爪先まで観察する。
けれどやっぱり鈴どころか、持ち物らしきものも見当たらない。
ひとまず疑問を棚上げし、ポシェットから取り出した元気のかけらを口元に押しつけてみる。
薄い膜で包まれた煙を触っているような、実体のある空気を触っているような肌の感触。このポケモン、どうやらゴーストタイプのようだ。半実体、とでも言うべきゴーストタイプが、これほどのケガを負っているというのも珍しい。
とにもかくにも先っぽだけでもねじ込もうと、つんつんぐりぐり、さっきより強めに力を入れてみるが、固く食い縛った歯は、元気のかけらをちょっとも受け入れる気配がない。
「元気のかけらだ元気のかけらだ!」
「もりもりむきむき、元気になるやつ!」
「いいないいなぁぼくも食べたい!」
「相当弱ってるね」
まわりをぐるぐる駆け回りながら大騒ぎする三つ子を無視し、メタングが難しい顔で、ツキネのポシェットをのぞき込む。
「これだと、オボンでも強いかも」
強い回復アイテムは、弱り切っている時だと毒になってしまう事がある。強すぎる効き目に体の方が追いつかないのだ。こういう時は効き目の緩やかな漢方か、弱い回復アイテムで少しずつ回復させていった方がいい。
「めた、おやつのオレンもらっていいのです?」
「もちろん」
メタングの即答に少し笑って、受け取ったオレンをサイコパワーでぎゅううっと絞る。あふれてくる果汁を、気絶したポケモンの口に垂らした。ぽたん、ぽたん、ぽたん。駆け回るのを止めてひくひく鼻を動かしながら、三つ子がじゅるりとヨダレをすする。
「いいないいなぁぼくも飲みたい!」「いいないいなぁオボンで飲みたい!」「バンジのほうがおいしいよぉ」「マゴのみがさいうま」「さいうま?」「さいこーにうまいのりゃく」「さいうま」「さいうま?」「さいうまー!!」
ぽたん、ぽたん、ぽたん、ぽた、ぽたた……。
ほとんどは肌を伝って流れ落ちてしまったものの、ポケモンはかすかに口をもごつかせた。
「家までテレポートするですよ。急いで診せないと」
オレンの果汁はあくまでも応急処置だ。実を食べさせるより効果も薄い。
ゴーストタイプだって、弱りすぎれば消えてしまう。
幸いにして、ツキネの家のお抱えジョーイは腕がいい。
自宅の医務室はポケモンセンターに比べれば設備で劣るが、マシロタウンにはポケモン研究所がある。未知のポケモンを診るのだから専門家の知見を得やすく、何よりひとりの治療に専念できる環境の方がいいだろう。
「ぼくらもぼくらも!」「おてつだいするよ!」「ハッケンシャだもん!」フンフンと鼻息も荒く三つ子が主張する。
「えぇー……」
「じゃあ家についたら、おじさまとおばさまに今あった出来事を報告しておいて欲しいのです」
どうしようと表情で語るメタングの腕を任せろとばかりに軽く叩き、ツキネは両手を腰にあて、ことさら重々しく三つ子に向かって言いつけた。
「とびっきりの異常ありですからね。大事なお仕事なのですよ?」
「りょーかいしました!」
「だいじなおしごと!」
「じゅーだいにんむだー!」
キャッキャと大盛り上がりでぐるぐる走り回る三つ子を眺めながら、メタングが神妙な調子で呟いた。
「その手があったか」
それにしても。
気絶しているポケモンを両腕で抱え直して、ツキネは思った。
性質のよろしくなさそうなニンゲンに見知らぬポケモン。
今日はなんだか、いろんな事が起きる日だ。
■ ■ ■
ピ、ピ、ピ、ピ……。
ラチナ地方地図を広げたディスプレイ上で、赤い光が波紋のように幾重にも広がる。
その中心にある赤い点が、マシロタウン上で明滅していた。
「対象、いまだマシロタウンで動きを止めています」
「行動停止から現在、三時間四十七分経過」
「……アー。こりゃ案外、予定以上の深手負わせたかも知れないでヤンスね」
薄暗い室内に画一的な黒服の中、白衣にゴーグルの小男がつるりとした頭を撫でた。
贅肉以前に筋肉からも縁遠そうな、骨格標本に皮だけ着せたような人物である。
「ビューティー様ぁ~どうするでヤンスか?」
かくり、と首だけ後ろへ向けて、男は目立つ出っ歯を突き出した。
「出してる追っ手、何人か戻らせるでゲス?」
「必要なくってよ」
有無を言わせぬ女の声が切り捨てた。
カツリ、カツリとヒールの音も高らかに、一人の女が薄暗がりの底から姿を現す。
美しい女だ。
ただ立っている、それだけでスポットライトを総身に浴びているかのような華がある。他の面々同様、ぴったりとした黒いボディスーツ。浮き上がったボディラインは魅惑的な曲線を描き、完成された芸術品のよう。
鮮やかな桃色の縦ロールに、黒い羽根飾りがよく映える。
つんと澄まし返ったニンフィアを、そのまま人の形にしたような女……ビューティーは、透き通ったサファイヤ・ブルーの瞳を眇め、優雅に髪をかき上げた。
「追っ手を減らして万が一にでも〝鈴〟を捕らえ損ねては、元も子もありませんもの。
こちらの手は足りているのだから、そのまま追わせておきなさいな」
そこまで言って、ビューティーはふいに眉を寄せる。
「でも、そうですわね。グレートにだけは戻るよう言っておいて頂戴」
憂鬱を乗せた吐息が、諦めたように付け足す。
「あのお馬鹿さん、もう目的を忘れている頃でしょうから」
「了解でヤンス。それともう一つ、ご報告が」
「なんですの?」
「使えそうな道具を見つけたそうで。仕入れとくでヤンス?」
ガイコツめいた小男の言葉に、ビューティーはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「好きにおし。それよりナギサの小娘、いい加減引きずり出しておいでなさい。一世一代の大仕事を控えているのだから、道具の仕込みも万全でなくてはね。時間の浪費は美しくなくってよ」
「いやはやマッタク、おっしゃる通りでゲスね。では、ビューティー様の御心のままに!」
おどけて小男が追従し、室内の者達が声を揃えて唱和する。
ビューティー様の御心のままに!
高らかに響く甲高い女の笑い声が、薄暗い室内に回遊していた。
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