今まで着ていた修行着はベッドへ。
そして、長い間のお付き合いだった大量の重りは部屋の隅へ。

脱ぎ捨てた衣服と戯れるアークは気にせずに、は椅子の上に掛けられていた真新しい濃紺のジーンズに足を通し、肩紐の接続部分に金具のあしらわれた、淡いクリーム色のキャミソールを着込む。
ベッドに腰掛けて白のソックスを履くと、最後に胸の所に鳥のモチーフの入った白のパーカーを羽織った。

「よっし、準備完了」

ぺちっと頬を叩いて、気合いを入れる仕草をする。
肩に触れる程度の長さで切りそろえられた、黒水晶と明るい紅のツートンカラーの髪が揺れる。
ベッドの上にいたアークが、茶色寄りの薄いベージュ色をしたバッグの中へと入り込む。
それを見届けて半分だけバッグを締めると、無造作に背負ってスニーカーを履いて立ち上がった。
古びた木造の部屋の全体を、朱燈の瞳がぐるりと見回す。
ほぼ一年余りを過ごした、の部屋。

その全てを視界に収め、は無言で扉を閉めた。




ぱたん、




主のいなくなった部屋で、カーテンだけが揺れていた。



 ■   □   ■   □



今期のハンター試験がとうとう始まった。
開催場所はマンガを読んだ人間ならピンと来るだろう。
そう、H×Hの主人公であるゴン達が受験したあのザバン市である。
是非とも偶然の一致であって欲しい、というのがの正直な感想だ。
なにせ、その場合は主人公一行にもれなく危険とランデブー☆なイベントが満載して憑いてくる。
もともと熱烈なH×Hファンという訳でも無し、危険は低いに越した事は無い。
もしいるようだったら自主脱落したいが、にっこり笑顔で師匠に言われた「ライセンス取れなかったら、今までの2倍の修行だからね☆」との発言があるので涙を呑んでどんな場合でもベストを尽くさざるを得なかった。
いつだって瀕死な修行だったのに、あれの2倍とか普通に死ねる。

「・・・・・マンガと同じっていうなら、知識利用できる分だけ有り難い、か」

てほてほとザバン市内を歩いて目的の場所を探しながら、は憂鬱と諦めの混じった声で呟いた。
主人公組はザバン市までたどり着くだけでそれなりの苦労をしていたが、はそんな事もなく、拍子抜けするくらい簡単に到着した。なにせ単独飛行可能。
重力操りの薙刀 【ウィッチ・グラヴィティー】で飛んでくれば手っ取り早い話だった。
上空は気温も低いしそれなりに距離もあったので、さすがにかなり疲れてしまったが。

「途中のどっかの街で、休憩すれば良かったかなー」

同行者はアーク一匹、ここまでは飛んできたので試験仲間はナシ。
まぁ、誰か実力の違いすぎる相手に足を引っ張られるよりはマシだろう。

さて、これからどうするか。
ハンター試験資格会場は毎年変わる、と師匠は言っていた。
つまり、受験するためにはナビゲーターを見つけて、連れて行ってもらわなければならないのだ。

「アーク、どうしよっか?」

背中のバッグにちらり、と視線を向ける。
が、聞こえてくるのは安らかな寝息ばかりで。
アークがしゃべれる訳でも無し、返答も期待してはいなかったが。
それでも小さく肩をすくめ、思考を切り替える。
指定の日時までは、まだまだかなりの余裕がある。街中にはちらほらと受験生らしい人間も見かけるが、少なくともH×Hのマンガで見た記憶のある相手は見ないし数もまばらだ。ここにたどり着いた者自体、そんなに多くないのだろう。

・・・・・お腹も減ったし、試そうかな。

会場はゴン達と同じくザバン市、これで同期なのだとするならば、ナビゲーターを見つけて聞き出すまでもない。
幸いな事に、例の合い言葉はしっかりちゃっかり記憶に残っている。
これで間違っていてもお腹が満ちるだけで不都合は無いし、もう一つの能力でなら探し出すのは簡単だ。
そこまで考えて、はある事に思い当たった。

「・・・・・これでアタリだったら、絶対会うよね」

イルミに。

うわどうしよ。なるべく目立たないよーにすべきかな?
あーでも最後まで残れば結局解っちゃうし。


更に言うならヒソカ付き


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・せめてそっちにだけは目、付けらんないよーにしよう。うん。

心の中で固く誓いを立てる。
としては、これ以上危険な知り合いなんて欲しくない。
not危険人物、そして少しでも平穏ぷりーず。
刺激も危険も師匠一人で充分すぎる。
ってゆーか危険も刺激も行き過ぎでなければ構わないけど、師匠でおなかは既に破裂寸前だ!

それに、ヒソカは生理的にイヤだし。(関わるのが)

そうなると、目を付けられるゴン達とは関わらない方がいいだろう。
自分の身が可愛いは即決した。
見つけた磨りガラスの扉をガラッと開けて、目的の店内に足を踏み入れる。


「いらっしぇーい!!!」


恰幅の良い、店主と思わしき男が大きな声でそう告げる。
ジュージューという食欲をそそる音、おいしそうな匂いが、空腹を更に強く感じさせた。

そういえば、こういう店での食事は久しぶりだ。

しみじみした気分で店内を見回しながら、懐かしさに浸る。
この世界に来てからの食事といえば、大半が家で師匠が作ったロシアンルーレット料理(毒入り)か、自身の手料理というのが主だった。賞金首狩りをする時はする時で、コンビニのおにぎりとかサンドイッチとか(気が付くと賞味期限切れになってたりする)野生してる果物(水分はあっても品種改良されていないだけに甘味の無いものも結構多い)とかあんまりおいしくない携帯食料とかもっと悪いと水だけとか――――


「御注文はー?」


そこはかとなくしょっぱいものになってきたの回想を、野太い店主の声が断ち切った。
意識がここ1年と数ヶ月の苦くて渋い思い出から、目の前の現実へと戻ってくる。
いけないいけない、注文しないと。
えーっと確かメニューは・・・・

「ステーキ定食、をお願いします」

だった(はずだ。)
その注文に、店主らしいオジさんの目がキラリーン☆と光る。

ごめんなさい、ちょっとキモいって心から思いました。

「焼き方は?」

「“弱火でじっくり”」

「あいよー」

ニヤリ、と笑って返事を返すオジさん。

・・・・この行き方、間違えて来る人出るんじゃ?
そしたらどうする気なんだろう。やっぱ受けさせられるんだろうか。

「お客さん、奥の部屋へどうぞー」

素朴な疑問を抱いたを、にっこり笑顔な店員さんが奥へと導く。
奥まった個室には、先ほど頼んだばかりのステーキ定食が用意してあった。
煙を上げて焼かれるステーキは、非常に美味しそうである。


が。


「・・・・・・・なんで二人分?」

疑問は、自然に声になって外へと出た。
この部屋にはが一人。
ステーキ定食を二人分も頼んだ覚えはないし、そんなに食べるような体格にも見えないだろう。

つまり本来なら、一人分で事足りる。

ガチャリ、

後ろの扉が再度開いた。
やっぱりもう一人いるのか、と思ってそちらを見ると―――――




「すみません、相席になりまーす」



完全に硬直したの耳に、店員さんの明るい声が届く。

「クククク、よろしく◆」

相席相手のハンター試験受験者は、素敵ピエロメイクのお兄さん でした。
何でこんなにタイミング悪いかな・・・・・・・・・・ッ!?!?
その場で頭を抱え込みたい衝動が、を襲う。

どこ行ったアタシの決意!
何このイベント何の呪いだ、むしろ誰かの陰謀じゃないのかホントにっ!!
これならイルミと相席になった方がマシだったんだけどっ!?

そんな、内心絶叫しまくりーなの心情など関係なく、エレベーターは動き出したのであった。


ごめんなさいすいません、何に対してかはよくわかんないけど誤ります土下座しろと言うなら喜んでします。
だからお願いしますマジ帰らせてください本当(せめて一人で乗らせて・・・・・!)



 ■   □   ■   □




ウィ――――――ン・・・・・



エレベーターが動く、無機質な音。
それを聞き流しながら、は一心不乱にステーキを咀嚼していた。
なるべく正面の顔は見ない。意識を向けるな気にするな自分気にしたら終わりだ。
たかが相席になっただけの間柄だそうさそれだけそれだけそれだけそーれーだーけー!

自己暗示エンドレス。
それでもステーキ美味しいなぁとか感じていられるは、確実に本人が考えているより図太くできていた。
これで目の前の人物さえいなきゃなぁ、とひっそり意識をとばしながら、肉汁滴るお肉を口の中へと詰め込んでいく。
そういえば、とは牛肉を食べるのは久しぶりだという事に気付いた。
師匠の元にいた時に食べる肉は、あの山に生息している鳥獣のものなのでクマとか狸とかウサギとかが多い。
イノシシの肉やワニの肉も悪くないが、慣れ親しんだ肉はやっぱりほっとする。
意図的に食事に集中するに向かって、ヒソカが沈黙を破って口を開いた。

「ねぇ、キミ名前は?」


ギョりッ


絶妙な不協和音でナイフが滑った。
視線だけを上げてみればニコニコと、妙に上機嫌な顔でこちらを見ているヒソカ。

・・・・え、何、これってまさか興味もたれた?(汗)

そんな考えが頭を横切って、は頬を引き攣らせる。
答えるべきか無視するべきか。数瞬程度ためらった後、結局諦めて口を開いた。

「・・・・・人に名前を尋ねる前に、自分が名乗るのが礼儀だと思いますけど」

しかしその返答は、いっそ素直な程に内心の葛藤を表している。
素直に答えるのも何だかシャクだし、答えないのは礼儀に反した行いだ。
関わりたくない、早く到着しないかという願望に、時間稼ぎの意味も込めての言葉。

こんな台詞があのヒソカ相手にキッパリ言えたのも、師匠の影響の一つだろう。
うっすら感じる薄ら寒いような感覚も(あと生理的嫌悪も)、師匠の威圧感に比べればそよ風に等しい。

ってゆーか師匠の方が怖いかな!!!

修行の成果か、たとえ襲われても逃げ切れるだろうという確信は持っている。
ガチンコでバトルすれば負け確定、だろうが。
そもそもこの男、性格がけっこーアレなので関わりたくないのが本音の所だ。

「それもそうだね◇」

挑発的、とも言えるの台詞に、さして気分を害した様子も無く頷くヒソカ。
うぁ、笑顔だよ笑顔で言ったよこの男!
ってゆーかなんで楽しそうなのかな理解できないよアタシ!理解したくないけど!!

「ボクはヒソカ☆ キミは?」

すでに知っていた名前が本人の口から発せられる。
心の何処かで期待していた「実はただのそっくりさん☆」説が覆されて更にもの悲しくなる
いやもういい加減危険人物はのーさんきゅーなんですけどね神様!?(半泣)

「・・・・・・・・・・・・です」

本来なら戸籍上は師匠の養娘となっているので、そのファミリーネームである“スノウフレイク”を名乗るべきだろう。
けれど師匠曰く、「そっちを名乗るのは危険」だとの事でそれは止められている。
・・・・・・・なんで名字名乗るだけで危険?(汗)
師匠のファミリーネーム、結構気に入ってるんだけどなー。
それでも、生まれてからずっと親しんできた名字を名乗っている方が確かに違和感は無い。 “スノウフレイク”と呼ばれてもとっさには反応できない可能性は高いのであの時は頷いたが、としては今でも残る疑問の一つだ。
本能の部分は全力でその話題に触れるなと警鐘を鳴らしていたりするので、今でも突っ込んではいないが。

「ふぅん、か◇ ちょっと変わった名前だね★」

妙に可愛い仕草で首を傾け、にこにこしたままで言うヒソカ。
その一言に、はわずかに目を細める。

「・・・ひょっとしてケンカ売ってますか」

「いーや、褒めてるんだよ☆」

どこがだ。

内心そう突っ込みつつ、滑ったナイフを持ち直した。
半分程を胃に収めたステーキを切り分けて、堂々とした佇まいで鎮座する肉へとフォークを突き刺す。
ちょっと勢いあまって鉄板が悲鳴を上げたのはご愛嬌だ。気にしない気にしない。

「ねぇ☆」

「何ですか」

いい加減一々反応するのも馬鹿らしいなと思い直し、いそいそと食事に集中し直す
あ、ここちょっとコゲてる。

「『お兄ちゃん』って呼んで◆」


げほげほげほっ!?



予想もしていなかった斜め47度を逝く台詞に、は危うく肉を噴出しそうになった。
あっぶな、もう少しで吐くトコだったよ!
ってゆーか何考えてんのかなこのピエロ!!
実は妙な趣味でもあるのかそうなのか、ただでさえ変態的なのに勘弁してよアタシ泣くよ!?

「ボク、みたいな妹が欲しかったんだよねー♪」

ニコニコと明らかに上機嫌なままで、爆弾発言するヒソカ。
そのまま、あ、敬語もナシね♪と踊るような語尾で続けてくれやがりました奇術師さん。

「えーと、あの、ヒソカ?」

「だから『お兄ちゃん』って呼んでってば★」

戸惑いがちの

何やら押せ押せGOGOなヒソカ。


本気か。本気なのかこのピエロ男!


「・・・・・・・・・・・いやだから」

「よ・ん・で☆」




・・・・・・・・・・・・・・・(汗)




しばし、見つめ合う二人。
エレベーターの機械音だけが響く室内で、先に折れたのはの方だった。
がっくり、と肩を落として片手で顔を覆う。

「・・・・・二人だけの時だったら」

公衆の面前でこの男を『お兄ちゃん』呼びする度胸も勇気もありません。
如何にもしぶしぶ、といった様子では譲歩した。
声に満ち溢れるのはストレートに苦渋の感情一色である。

当然だ、本当は呼ぶ事自体もイヤなのだから。

だが、譲歩するしかないだろう。
だって目で脅して来るんだもんこいつ!

断ったら呼ぶまでまとわりつく気だ!!!



明確な確信を胸に、ため息をつく。
そんな彼女を見ながら、ヒソカは至極満足そうに目を細めて。

「ククククク、それでいいよ☆」

と、笑った。






―――――チン







到着を告げる音。
それに次いで、扉が無機質な音を立てて開く。

なんか、試験始まる前から疲れた。

はぁぁ、と肺が潰れそうな重いため息が自然と漏れる。
今日この日この時をもって、の中でのヒソカの評価が「危険人物」から「単なる変態(しかも疲れる)」に変更されたのは、余談に分類されるどうでも良い話だろう。多分本人以外には。






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