2011年までの流れ



〜2004年 

特に大きな苦労もなく、健康で気楽な大学院生でした。

2004年  

この年の初めに耳の違和感を感じ始めたところからすべてが始まりました。
23歳になるちょっと前の頃でした。
突発性難聴と診断され、ステロイドの点滴やイソバイド、ビタミン剤など、一般的な突発性難聴の治療を行いました。
このころの右耳の聴力は低音域に関してはほとんど何も聞こえないレベルでしたが、聴力どうこうというよりより、耳鳴り、音の響き、強烈な圧迫感に閉塞感、耳に関する感覚がすべて苦痛になっていました。
さらなる追い討ちで、治療中に水疱瘡を発症し入院、退院してからも体の倦怠感や疲労感は回復せず、一日の90パーセント以上は布団の中という状態がひたすら続きました。
わかりやすい表現をするなら一年中毎日が高熱インフルエンザといった感じでした。

2005年  

日常生活を送れるレベルには程遠く、この年も一日の80パーセント以上は布団の中という状態でした。
原因がはっきりせず、自律神経失調症などの診断も受けました。
自分でもいろいろ調べ、全く同じ症状だと思ったのが慢性疲労症候群だったのでこの病気もあるんじゃないかと思いましたが、どちらにしろ治療法が確立されていないので、自分の自然治癒力を信じるしかない状態でした。

2006年  

一日の70パーセント以上は布団の中という生活でした。
日常生活では常に耳栓をしていたのですが、この年にようやく、少しずつ耳栓なしでも生活できるレベルになってきました。
自分の場合は右耳が難聴プラスαという感じだったんですが、左耳の音の響きが凄まじく、耳栓は左耳にしていました。
この年の進歩は熱帯魚を飼育できるようになったことです。
健康な状態ならどこがすごいのかというレベルですが、水を変えたり、苔を掃除したりするのはこの時の自分にとっては相当な重労働で、作業の後は熱を出し寝込むということもしょっちゅうでした。

2007年

一日の60パーセント以上は布団の中という生活でした。
この年の進歩は任天堂DSができるようになったこと、DVDを自分でレンタルしに行って見れるようになったことです。
最初のころは音が響くのでテレビを見るとしても音量0で見ていましたし、一日何時間もテレビをみるという体力もなかったので、大きな進歩です。

2008年

一日の50パーセント以上は布団の中という生活でした。
まだまだ毎日苦痛しかないような生活でしたが、この年になって新しくできるようになったことが二つあります。
一つ目は本が読めるようになったこと、二つ目はプラモデルが作れるようになったことです。
どちらもリハビリになると思い始めたことですが、このときのリハビリが今でも趣味として続いています。

2009年

結構大きく状況が変わった年です。
一日10分から20分くらいですが、勉強を始めました。
何かのためにというより、これもリハビリという側面が大きかったと思います。

このころまで、毎日睡眠薬を飲んでいましたが、いつまでも薬に頼りたくない、今の状況をなんとか打破できないかという思いもあり、森田療法を実践しました。
メールカウンセリングという形で指導を受け実践したのですが、森田療法の考え方は今でも大きな力になっていると思います。
もう今は睡眠薬は飲んでいません。

この年の後半になり、病気を発症してから初めて外食をしました、初めて県外にも出ました(岐阜→名古屋)。
もちろん耳や体へのダメージはありましたが、こういったことが自信にもなり、時間はかかるけどこの流れが続けばいつか復活できるときがくるという希望も湧きます。

2010年

寝るとき以外では布団の中に入らないという日が出てきました。
この年の中ごろから、かなり本格的に勉強ができるようになってきました。
さらに、勉強した分野の資格をとろうと思い、試験を受けに行くこともできました。
この年の後半だけで、7回の試験を受けに行きました。
こうしたことの積み重ねが自信にもなり、希望にもなります。

2011年(〜2月現在)

全体的に回復していると思います。
が、2010年の終わりに初めてふらつき嘔吐の症状が出て、今年の2月末までに7回ほど繰り返しています。
耳の症状も、体力も、すべてが改善に向かっている中での出来事だったので戸惑いました。
耳の圧迫感や聴力に関しては波を繰り返しながら発症時よりも確実に回復している、それなのにメニエルのような症状が出たのはなぜか、、、正直わかりません。
病院ではメニエルかもしれないしそうでないかもしれないといわれました。
どちらにしろ、今自分にできることをやりながら様子を見るしかないようです。



病気について思うこと