梶の木神社(領下) | 延命地蔵尊(領下) |
元児安宮の跡ともいう大和時代伊勢湾の入江また、洪水の為常に浸水した湿地帯か、近年まで片葉の葦が生えていた。舟旅の安全を願い船梶を祭る。逆巻・梶の木は地名となる | 鎌倉時代の創立。尾張街道への村はずれの地蔵尊。村中への疾病の侵入を防ぎ、子どもの成長や長命を祈願。輪廻の教えでは地獄から助けてくださる仏さん |
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八幡神社(領下) | 閻魔堂(領下) |
祭神不詳。摂社3社(豊受・秋葉・稲荷)貞観(860年頃)三野厚見郡の大領各務吉宗の居住した地に一族の守護神を祭る。以後霊地として領下地区の産土神(鎮守の森) | 1368年革手城を築いたとき頼康公が城の北東鬼門除けとして閻魔大王を祭る。当時は木曾川北岸堤防上にあり石切神社・領下延命地蔵とも、治水と死者の冥福を祈願 |
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下神明神社(上川手) | 上神明神社(上川手) |
祭神。天照大神 児安宮関係の広大な屋敷跡。安産・子育てを祈願したことから、別名を児安神社。元屋敷にあり貞観(860年)以降村の起源と農耕生産を祈念した産土神(鎮守の森) |
祭神、天照大神 自然崇拝の霊地として誕生。国生み伝説の起源に基づいて信仰され天照大神を祭る。農耕生活の豊作と安全、元木曾川沿いの治水を祈念した産土神(鎮守の森) |
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厚見小学校とスズカケ | 石切神社 |
明治30年領下・上川手・下川手の3か村合併。稲葉郡厚見村を結成。現在地に大正2年厚見尋常小学校を創設。校庭にスズカケを植林。昭和30年岐阜市合併。岐阜市立厚見小学校 | 祭神。石凝姥命。銀幣社。古来厚見郡10か村、現厚見地区と下印食の一部の産土神。860年頃各務大領の氏神、革手城築城後八幡・春日・諏訪・鹿島・香取を加え6神社(おろくしょ) |
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順勝寺 | 八坂神社 |
帰正山順勝寺。 浄土真宗、阿弥陀如来、土岐最後の守護職頼芸公は斎藤道三公の援助で本寺建立。創立天文十年、家臣杉山刑部尉政定公出家して教秀坊杉山家を引き継ぎ今日に至る |
祭神。素盞鳴尊 自然発生神霊化した森を貞観(860年)頃、各務大領によって統治。国生み伝説による子育て安産の神、下川手地区の産土神(鎮守の森) |
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正福寺 | 岐阜中教院 |
霊正山正福寺 浄土真宗、阿弥陀如来土岐3代守護職頼康公、禅宗正法寺建立後、天台宗に改宗。船田の乱で焼失、9代守護職政房公浄土真宗に改宗して本寺を再建 |
神道 明治3年神道の国教化により、岐阜公園内に岐阜中教院誕生。大正6年岐阜市に払い下げ、岐阜公園拡張に伴い現在地に移転 |
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ぶたれ坊と鏡岩 | 正法寺跡 |
江戸時代の力士鏡岩、この地に生まれ関取となる。素行悪くこれを恥じて自ら等身大の像を造り、傍らに叩き棒を置いて旅人にぶたせ、罪業消滅を祈願。像は現在加納妙泉寺に預けられる | 霊楽山正法寺。薬師寺如来。土岐3代頼康公は1353年長森から川手に革手城築城。城の北側に禅宗正法寺を創設し、後、天台宗に改宗し7堂伽藍をもつ氏寺。船田の乱で焼失 |
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厚見中学校 | 大日寺 |
昭和22年稲葉郡厚見村と同郡茜部村組合立厚茜中学校開設。昭和25年新校舎完成羽島郡八剣中学校合併。組合立厚八中学校開校。昭和48年新校舎完成、岐阜市立厚見中学校開校となる | 光照山大日寺 曹洞宗、大日如来を祭る 文政13年(1830年)関市小屋名村円通寺10代「雲和上人」によって開山された |
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神明神社(西川手) | 八幡神社(加納) |
天照大神。銀幣社 荒田川流域の自然崇拝の霊地。1353年土岐頼康公革手城築城するや城内の守護神を祭る。昭和初期西川手地区の産土神10社を合祀(鎮守の森) |
祭神。応仁天皇 摂者4社(琴平・稲荷・秋葉・塞)加納城の東北鬼門の地に当たり厄除けとして祭神、家内安全、地域安泰を祈念する産土神(鎮守の森) |
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革手城跡(なわてじょう あと) | |
土岐3代頼康公は美濃尾張・伊勢3か国の守護職となり1353年長森から革手城に移る。以後、11代頼芸公まで約180年間美濃の府城、斎藤道三公に攻略され廃城 | |
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