掲示板のことば |
時期 |
拝むとは 拝まれて居た事に 気付き醒めること 高光大船 |
令和6年10月 |
月かげの いたらぬさとは なけれども ながむる人の こゝろにぞすむ 法然上人 |
令和6年9月 |
満腹な人と 空腹の人は 意見が違う |
令和6年8月 |
不安はなくすべきものではなく 活かすべきものなのです 上田紀行 |
令和6年7月 |
知らないということよりも 知っているということが 人生をせばめるのです 宮城 |
令和6年6月 |
傍観 見て見ぬフリは やがて 異常を普通にする |
令和6年5月 |
自分に先だって生まれた人々の存在が 私の歩みを支え導いていてくださる 宮城 |
令和6年4月 |
難が無ければ無難な人生 難が有れば苦難の人生 難有ればこそ有り難し 江田智昭 |
令和6年3月 |
福證寺今年のコトバ 飛龍 岐阜女子大学川瀬久瑠実 |
令和6年2月 |
福證寺今年のコトバ 迎和 住職 釋智俊 |
令和6年1月 |
サビは鉄より出でて鉄をくさらす グチは人より出でて人をくさらす |
令和5年12月 |
すぐわかるものは消えやすい むずかしいものは努力して一生の宝となる 豊島学由 |
令和5年11月 |
誰かが幸福になったからといって、そのせいで僕が不幸になるわけではない。穂村弘 |
令和5年10月 |
亡き人を供養することは 生者自身の生き方を問う道です 池田勇諦 |
令和5年9月 |
こどもは学校が仕事 おとなは仕事が学校 小学3年生(水戸市)
朝日新聞「折々のことば」 |
令和5年8月 |
他力に生きる人は 精一杯やっても おかげさまがでる 豊島学由 |
令和5年7月 |
一切の衆生は みなもって世々生々の 父母兄弟なり 親鸞聖人「歎異鈔」より |
令和5年6月 |
四食の教え 段食 いのちの食事 識食 他者との学び 触食 心のふれあい
思食 思いをかける |
令和5年5月 |
京都東本願寺慶讃法要 慶讃テーマ 南無阿弥陀仏
人と生まれたことの意味をたずねていこう |
令和5年4月 |
誰かが幸せになったからといって、そのせいで、僕が不幸になるわけではない。穂村弘 |
令和5年3月 |
過ちが人間を決めるのではなく 過ちのあとが人間を決める |
令和5年2月 |
大切なものは、私たちが当たり前と 思っていることの中にある |
令和5年1月 |
愛国者は 愛する国を 滅ぼす 暁烏敏 |
令和4年12月 |
われわれは、頭を下げることはできますが、頭の下がることは、一切ありません
松井憲一 |
令和4年11月 |
子煩悩 比べてはならない ということは 知っている 海法龍 |
令和4年10月 |
本当のすくいとは 自分勝手な決めつけから 開放されることです 一楽真 |
令和4年9月 |
信は是れ 儀の本なり 事毎に 信あるべし 十七条憲法 |
令和4年8月 |
忘恩 借りた傘 雨が止んだら 邪魔になる 伊東恵深 |
令和4年7月 |
知恵、行徳なくとも、穢土をいとひ、浄土を願ふ志深くは、などか往生を遂げざらん
空也上人 |
令和4年6月 |
福證寺ZATSUDAN窓口 予約TEL(058)387-3614 |
令和4年5月 |
偉そうにしてもえらくはない 馬鹿にされても馬鹿ではない |
令和4年4月 |
コロナでもせめて 一日一笑 一日三人話 一日百字書 一日千字読 |
令和4年3月 |
人生を破壊するのは無関心 |
令和4年2月 |
わからないと気づいたときが始まりです |
令和4年1月 |
自分を愛せない人は 他人も愛せない ジョセフ・マーフィー |
令和3年12月 |
生きているということは 誰かに、知ってもらって 覚えていてもらうことだ
葬送のフリーレン 山田鐘人 |
令和3年11月 |
十月十日稚児行列 おちごさん募集中 |
令和3年8月 |
虚仮知るのみぞ真実 安田理深 |
令和3年7月 |
帰敬式を受けましょう 十月八日 福證寺第九回帰敬式 |
令和3年6月 |
世尊よ、法を説きたまえ。この世には眼を塵に覆わるること少なき人々もある
梵天勧請 阿含経典 |
令和3年5月 |
「この蜘蛛の糸はオレのものだぞ。下りろ。下りろ。」カンダタは誰のことか
芥川龍之介「蜘蛛の糸」より |
令和3年4月 |
正義という刃は 常に自分を刺すべきだ 村田沙耶香 |
令和3年3月 |
深い悲しみ苦しみを通してのみ 見えてくる世界がある 平野恵子 |
令和3年2月 |
人生に失敗がないと 人生を失敗する 斎藤茂太 |
令和3年1月 |
「私」の中に「仏」あり 字にも身にも |
令和2年12月 |
悩むというのは自覚である 悩まされるというのは無自覚である 曽我量深 |
令和2年11月 |
他人と過去は変えられないが 自分と未来は変えられる エリック・バーン |
令和2年10月 |
-命終わる時 仏になる‐ これが今現在の言葉でなければなりません 藤代聰麿 |
令和2年9月 |
死にむかって進んでいるのではない 今をもらって生きている 鈴木章子 |
令和2年8月 |
人間の目は外を見る 仏さまの眼は内を見る |
令和2年7月 |
人は当事者にならない限り 物事を真剣に考えることは難しい |
令和2年6月 |
なくなったのは トイレットペーパーではなく 他者性です 同朋新聞5月号 |
令和2年5月 |
疫は役なり すべての人が担う 人類みなともに |
令和2年4月 |
私たち人間も所詮 自然が許してくれる範囲でしか 生きていけない |
令和2年3月 |
鬼は外なんて言われたら 家に誰もおらんくなる |
令和2年2月 |
門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし 一休宗純 |
令和2年1月 |
古い化粧品は捨てよう |
令和元年12月 |
世の中の大事なことって たいてい面倒くさいんだよ 宮ア駿 |
令和元年11月 |
私は私でありたいと 願っているのに 比べてる 松田亜世 |
令和元年10月 |
限りある命の最期の時間を 川をひたすらサケは上り 新たな生命を生み落とし
安らぎの場所に眠るのだろう 松田亜世 |
令和元年9月 |
変わりようのない事実を ほじくりまわすだけまわしては 無責任な正義振りかざす
自分だけはどこかの善人 松田亜世 |
令和元年8月 |
数えきれない もしもを超えて たった一つの 今、ここがある 松田亜世 |
令和元年7月 |
ありがとうの反対語って何でしょう? |
令和元年6月 |
子の自覚のところに親がある 安田理深 |
令和元年5月 |
結婚とは 自分の一番身近なところに これだけ自分と意見の違う人がいるんだと
教えて頂ける御縁です 榎本栄一 |
平成31年4月 |
人の為と書いて「偽」と読む |
平成31年3月 |
一本の草さえ生きねばならぬ使命を持っている 藤原鉄乗 |
平成31年2月 |
嘘を剥がして本当の相になる これが仏の教えの目的である 暁烏敏 |
平成31年1月 |
自分以外のものをたよるほど はかないものはない
しかし、その自分ほどあてにならないものはない 夏目漱石 |
平成30年12月 |
咲いた花見て喜ぶよりも 咲かせた根元の恩を知れ |
平成30年11月 |
秋、実りとみ法に 合掌!! |
平成30年10月 |
耳は二つ 口は一つ 喋る倍だけ 聞きなさい |
平成30年9月 |
さよならが迎えに来ることを 最初からわかっていたとしたって
もう一回 もう一回 何度でも君に逢いたい 桜井和寿「HANABI」 |
平成30年8月 |
愚者は教えたがる 賢者は学びたがる チェーホフ |
平成30年7月 |
道に惑える者はおおく これを悟るものはすくなし 仏説無量寿経 |
平成30年6月 |
水はつかめません すくうもの 心もつかめません 汲みとるもの |
平成30年5月 |
人間は一体、何のために 生まれてきたんやろ 高橋法信 |
平成30年4月 |
妄想は 自分ひとりのことしか 考えない 安田理深 |
平成30年3月 |
人間は偉いものではない 尊いものです |
平成30年2月 |
和顔愛語 仏説無量寿経 |
平成30年1月 |
自分を悩ませている問題しか、自分を立ち上がらせる御縁はない 坂東性純 |
平成29年12月 |
わがこころよければ 往生すべしと おもふべからず 親鸞聖人 |
平成29年11月 |
人間に生まれた喜びは 人間に生まれた悲しみが 超えられたところにある |
平成29年10月 |
落ちこむ人っていうのは 自分のことを過大評価しすぎやねん 明石家さんま |
平成29年9月 |
十七にいわく それ事は、独りさだむべからず 十七条憲法 |
平成29年8月 |
生まれ子が 次第次第に知恵つきて 仏に遠くなるぞ悲しき 一休禅師 |
平成29年7月 |
本当に自分を知るには やはり 人という鏡がなくてはならない 高光大船 |
平成29年6月 |
本願の名号は正定の業なり 親鸞聖人「正信偈」 |
平成29年5月 |
たまわった生命だから、私の生命であって私のものでない 正親含英 |
平成29年4月 |
いのちの 娑婆にあらんかぎりは つみはつくるなり 蓮如上人御一代記聞書 |
平成29年3月 |
またひとつ しくじった しくじるたびに 目があいて 世の中すこし 広くなる 榎本栄一 |
平成29年2月 |
道徳はいくつになるぞ 道徳、念仏申さるべし
1493年正月一日 京都勧修寺村 道徳の年始の挨拶に対し蓮如上人の御返事 |
平成29年1月 |
[報恩講」 金子みすゞ |
平成28年12月 |
行き先がはっきりすることで 今現在の生き方が決まる
「浄土往生」とは、そういうことを課題にしている 結柴依子 |
平成28年11月 |
悟るといふても 迷ふていることを 悟るのである 安田理深 |
平成28年10月 |
二にいわく 篤く三宝を敬え 三宝とは 仏・法・僧なり 十七条憲法 |
平成28年9月 |
家族には それぞれの家族の 痛ましい歴史がある 浜田晋 |
平成28年8月 |
身障の 妻の散歩に付き添えば 我がよろけて 妻杖で止む |
平成28年7月 |
どんな小さな草花でも 決して花どきを 間違えない |
平成28年6月 |
いくつになっても 育児は育自 育自は育児 |
平成28年5月 |
われ必ず聖なるにあらず 彼必ず悪なるにあらず 共にこれ凡夫のみ 十七条憲法 |
平成28年4月 |
一にいわく 和をもって貴しとなし 十七条憲法 |
平成28年3月 |
人間の弱さは それを知っている人たちよりは
それを知らない人たちにおいて ずっとよく現れている パスカル |
平成28年2月 |
傷一つ 翳一つなき 初御空 高浜虚子 |
平成28年1月 |
うらを見せ おもてをみせて 散るもみじ 良寛 |
平成27年12月 |
比べて悲しむと自己を見失う 比べて喜ぶと他を傷つける 豊島学由 |
平成27年11月 |
人間は自分一人で 自分を名告ることができないのです |
平成27年10月 |
信心の人は その心すでに 浄土に居す 善導大師 |
平成27年9月 |
君と好きな人が 百年続きますように 一青窈 |
平成27年8月 |
人の悪きことはよくよく見ゆるなり
我が身の悪きことは覚えざるものなり 蓮如上人
|
平成27年7月 |
思いどおり生きることが 自分を大切にすることではない |
平成27年6月 |
人間とは 自分で自分の始末を仕切れぬ者の 別名です 高光大船 |
平成27年5月 |
私たちの敵は 無関心です マザーテレサ |
平成27年4月 |
本願を信受するは 前念命終なり 親鸞聖人 |
平成27年3月 |
人と比べると そこに地獄が生まれる |
平成27年2月 |
宝の山に入りて 手を空しく帰ることなかれ 源信僧都 |
平成27年1月 |
たとえ未熟であり稚拙であったとしても
粗雑であってはならない |
平成26年12月 |
悲しみは乗り越えるものではなく その意味を訪ねていくべきもの |
平成26年11月 |
死してなお 親は子を育てる |
平成26年10月 |
笑ったぶんだけ幸せになれる 泣いたぶんだけ優しくなれる |
平成26年9月 |
暇つぶし以上に何をしていますか |
平成26年8月 |
ひとりひとり持ってる「ものさし」は全部違う |
平成26年7月 |
他人を変えることはできないが 自分から変わっていくことはできる |
平成26年6月 |
もし念仏する人はまさに知るべし この人はこれ人中の分陀利華なり |
平成26年5月 |
眼をひらく 心をひらく |
平成26年4月 |
自分の思いにかなう自分だけを愛しているのなら
それは本当に自己という存在を愛したことにならない |
平成26年3月 |
亡き人と もう一度 出会い直していく道がある |
平成26年2月 |
世の中には ”こうでなきゃいけない”っていうことはないんだ |
平成26年1月 |
世間の価値観でのみ生きる者は 必ず生き詰まる
自分の価値観でのみ生きる者は 必ず生き詰まる |
平成25年12月 |
眼を開けば どこにでも教えはある |
平成25年11月 |
念仏は易きが故に 一切に通ず |
平成25年10月 |
当たり前という感覚は 必ず人を乱暴にさせる |
平成25年9月 |
生きるために 「労働」と「所有」以外の 別の根拠が欲しい |
平成25年8月 |
自分の足で 歩いてきたと思うなよ |
平成25年7月 |
子は親の言うようにはならず 全く親のするようになる |
平成25年6月 |
この泥が あればこそ咲く 蓮の花 |
平成25年5月 |
仏説は 仏弟子によって 証しされる |
平成25年4月 |
おれは 助けてもらわねェと生きていけねェ自信がある!!! |
平成25年3月 |
道に迷うのは 自分が今 どこにいるのかわからないからです |
平成25年2月 |
わたし「が」仏教「を」学ぶのではなく 仏教「に」わたし「を」学ぶのです |
平成25年1月 |