明治24年10月28日の濃尾震災を受けて、11月7日に岐阜別院に提出した書類
・ 御本尊など法宝物 焼失
・ 本堂など其他建物皆 焼失
・ 後妻で入った坊守「古澤常」四十二歳 死去
旧笠松村では、建物の被害率が99%、総人口4700人のうち200人が亡くなったという
福證寺では、明治27年に庫裏が再建されたが、同年のうちに住職の義城師が亡くなり、三人目の妻として迎えられた「さと」と、義城師の七人の子どものうち、一人成人した9歳の「さふ」、そしてその9歳の娘と仮祝言を結んだ22歳、一宮柚木颪の専精寺長男智導師に、福證寺の行く末が託されることになる