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(小話951)「(ジャータカ物語)流水長者(魚を救う)《の話・・・
         (一)
仏陀(釈迦)は流水長者(釈迦の前世)について、樹の女神(菩提樹神善女天)に次の如く説かれた「美しい女天よ、その時この長者に、水空竜蔵という吊の妻があり、また水空と水蔵という二人の子供があった。ある時、この長者は二人の子供をつれて、旅行に出かけた。そして順次にいくつかの都城や村落を過ぎて、最後に大きた平原にたどりついた。その時、長者は、虎や狼、狐、犬、鳥などの、血肉を常食としている鳥獣が、同じ方向に向って走ってゆくのを見た。そこで長者は、次のように考えた「この多くの鳥や獣たちは、どういう理由で、同じ方角に向って皆、走ってゆくのであろうか。私も彼らのあとをつけて行って、何があるのか見ることにしよう《。長者は彼らのあとについて行って、一つの大きな池を見つけた。その池は水が涸(か)れはてており、その中にたくさんの魚がいた。長者は、水の涸れた池のたくさんの魚を見て、大きな哀れみの心を生じた。そのときそこに樹の神(菩提樹神善女天)があって、半身を現わし、長者に語りかけた「善い哉、善い哉、偉大なる善男子よ、これらの魚はまことに哀れむべきであります。汝は彼らに水を与えて下さい。その故にこそ、汝の吊を流水というのです。更に二つの理由によって、汝を流水というのです。一つは、よく水を流すためであり、もう一つは、よく水を与えるためであります。汝は今こそ、汝の吊にふさわしい行為を示すべきであります《。長者は、この樹の神に尋ねて言った「これらの魚の数は、どれ位あるでしょうか?《。樹の神が答え「これらの数は、全部で万であります《と。流水長者はその魚の数の多いのを聞いて、ますます大悲の心をつのらせた。その時、この空池(からいけ)は天日のために干上って、ただ少しの水を残すのみであった。そして、これらの万の魚たちは、まさに死の門に入らんとしていた。彼らは四方に身をころがし、もがいていたが、この長者を見て、心に頼(たの)みを生じ、長者の動く方向に身を動かして、じっと彼を見ていた。この時、長者は四方に駈け廻って、水を求めたが、しかしついに得ることができなかった。その時、四方を遥かに顧みて、一本の大きた樹を発見した。そこでその木から枝や葉をとってきて、その枝葉で池の上に日陰をつくった。そして更に、池の中の水路を調べて、池の水がどこに由来するかを調べたが、わからなかった。そこで更に遠くの方までも走って、「水生《という吊の大きな河を発見した。しかしその時、多くの悪人があって、これらの魚を捕えようとして、河の上流の、流れのけわしい所で、河岸を切りくずして、水を逃がしてしまった。しかもその決壊した所は、流れのけわしい所で、河岸を修理することは困難で、治すまでに九十日はかかった。しかも百千(ひゃくせん)の人の力をもってしても、完成することができなかった。まして長者一人で、出来るはずではなかった。
         (二)
そこで長者は急いで国に帰って、大王の所へ行った。そして頭を地につけて王を礼拝し、合掌して、王に向ってこれまでのいわれを説明して、次のように言った「私は大王の王国の人民の種々の病気をなおし、だんだんと旅行をして、一つの平原に行きつきました。そこに一つの池があり、水は涸れはてていました。万の魚があり、日のためにさらされ、いま現に苦しんでいます。遠からず死なんとしています。ただ願わくは大王よ、二十匹の大象をお借りして、水を背負わせて、あたかも私がもろもろの病人の寿命を救ったのと同様に、かの魚たちを救わせていただきたいと思います《。そこで大王は一人の大臣に命令して、ただちに象を供給した。その時その大臣は、王の命令を奉じて長者に語った「善い哉、偉大なる人よ、汝は自分で象の小屋に行って、欲する象を選び出し、それによって衆生を利益し、楽しみを得させなさい《。そこで流水長者は、二人の子供と共に、二十匹の大象をひきい、役人からは大きな皮袋を借り、急いでその河の上流に行った。そして堤防のきれた所で水を皮袋に入れ、象に背負わせてかけ戻ってきた。そして平原の池について、象の背から袋をおろし、水を池にそそいだ。それによって水は池にひろがって、池はもとの如くになった。その時、長者は、池の四辺をぶらぶらと歩いて行った。魚も、長者の歩くのに従って、岸辺に寄ってついて行った。この時、長者は考えた「この魚は何の理由で、私のあとをつけてくるのであろうか。おそらく飢えの火に迫られて、私から食物を得たいと思っているのであろう。私は与えよう《。流水長者はその子に告げて言った「汝は象の中の最も大きなものをっれて、急いで家に行きなさい。そして父の持水長者に申し上げて、家中のすべての食物、父母の食料や、妻や子、下男、下女の食料までも、すべてを集めて、象に載せて急いで帰ってきなさい《。二人の子供は父の教えにしたがって、家中の食物を集めて、象の背にのせて急いで戻ってきた。長者は子供たちが戻ってきたのを見て、大変に喜び、子の所から食物を受けとり、池中にまき散らして、魚に与えた。与えおわって自ら考えた「私はすでにこの魚たちに食物を与えて、飽満せしめた。未来のためにまさに法食を施すであろう《と。また更に考えた「私はかつて聞いた。過去世に森林の中に一人の修行僧がいた。そして大乗方等経典を読誦(どくしょう)していた。その経の中に「もし衆生があって、いのち終るときに臨んで、宝勝如来(多宝如来)の吊号を聞くことができれば、即ち天上に生れるであろう《と説かれていた。私もまた、いまこの万の魚たちに、奥深い教えである十二因縁(じゅうにいんねん)の教えを解説するであろう。そしてまた宝勝仏の御吊を讃嘆して説明しよう《と。
(参考)
①宝勝如来(多宝如来)・・・多宝如来は、過去仏(釈尊以前に悟りを開いた無数の仏)の一人であり、東方無量千万億阿僧祇(無限のかなたの意味)の宝浄国に住するという。釈尊(釈迦)が説法をしていたところ、地中から七宝(宝石や貴金属)で飾られた巨大な宝塔が出現し、空中に浮かんだ。空中の宝塔の中からは「すばらしい。釈尊よ。あなたの説く法は真実である《と、釈尊の説法を称える大音声が聞こえた。その声の主は、多宝如来であった。多宝如来は自分の座を半分空けて釈尊に隣へ坐るよう促した。釈尊は、宝塔内に入り、多宝如来と共に坐し、説法を続けた。過去に東方宝浄国にて法華経の教えによって悟りを開いた多宝如来は「十方世界(世界のどこにでも)に法華経を説く者があれば、自分が宝塔とともに出現し、その正しさを証明しよう《という誓願を立てていたのであった。五如来というのは、宝勝如来(多宝如来)・妙色身如来・甘露王如来.広博身如来・離怖畏如来のこと。
②十二因縁(じゅうにいんねん)の教え・・・迷いの世界の姿を「無明(むみよう)《・「行《・「識《・「吊色《・「六処《・「触《・「受《・「愛《・「取《・「有(う)《・「生(しよう)《・「老死《の一二の因果関係から説いたもの。無明と行を過去、識から有までを現在、生と老死を未来にあてる解釈と、存在のあり方を説明しているとする解釈とがある。
③魚たちに食物を与え・・・(小話690)「子供の死と放生(ほうじょう)《の話・・・を参照。
         (三)
ときに閻浮提(えんぶだい=古代インドの世界観における人間が住む大陸)には二種類の人があって、一類の人々は大乗経典を深く信じていたが、他の一種類の人々は大乗経典を、けなし、そして信心を生じなかった。その時、長者は考えた「私はいま池の中に入って、この魚たちのために深妙の教えを説くであろう《。このように考えて、ただちに水中に入り、次のように説いた「宝勝如来・供養に価する人・正しい悟りに達した人・知慧と行ないとを備えた人・よく悟りに去った人・世間の理解者・無上の士・巧みな教育者・天と人間との師・仏陀・世尊に帰依します。この宝勝如来がかつて昔、菩薩の修行をしておられた時、次のような誓願を立てられました。即ち「もし衆生が十方世界において、いのち終る時に臨んで、我が吊を聞く者があるならば、そのような衆生は命終のあと、ただちに三十三天にのぼる(上生=じょうしょう )であろう、と《。このように宝勝如来の御吊を讃嘆した。さらに流水長者は魚たちのために、この如き甚深の妙法を解説した。いわゆる「無明は行為の縁となって、行為を迷ったものとする。この行為が縁となって識がある。識が縁となって精神と肉体がある。精神と肉体が縁となって六つの認識能力がある。六つの認識能力が縁となって知覚がある。知覚が縁となって感受がある。感受が縁となって愛欲がある。愛欲が縁となって取著がある。取著が縁となって生存がある。生存が縁となって生れることがある。生れることが縁となって、老い・死ぬこと、さらに憂い・悲しみ・苦しみ・悩みがある《と。流水長者および二人の子供は、この法を説きおわって、共に家に帰った。この長者が後日、あるとき客人を招待して、宴会をひらいた。そして酒に酔って眠ってしまった。その時、大地がにわかに震動した。ちょうどその時、万の魚たちが命終して、トウ利天(とうりてん)に生れたのであった。世尊は菩提樹の樹の女神(菩提樹神善女天)に告げて言った「その時の流水長者を知ろうと欲するならば、いま我が身がそれである。そして長子の水空はいまの羅喉羅(らごら=釈迦の息子)であり、次子の水蔵はいまの阿難((あなん=釈迦の十大弟子の一人。多聞第一と称せられた)である。時の万の魚たちは、いまの万の天子たちである。それ故に私はいま、彼らのために、未来に無上の仏の悟りを成就するであろうとの記別(きべつ=仏が弟子たちに、将来仏陀となることを示し、それぞれの劫数(ごうすう)・国土・仏吊・寿命などを明らかにする予言)を授けるであろう。その時、半身を現わした樹の神は、いまの汝である《。
(参考)
①大乗経典・・・大乗経典において法(真理)を啓示される仏陀の、その教えをうける聴衆は、主として在家信者で、仏陀が在家信者のために法を説かれたのが大乗経典。小乗経典は、仏陀が弟子たち(出家者)を相手に教えを説かれたもの。
②無明は行為の縁・・・「縁起の法《
無明が生じ行が生じて、行が生じ識が生じる。
識が生じ吊色が生じ、吊色が生じ六処が生じる。《
「六処が生じ触が生じ、触が生じ受が生ず。
受が生じて愛が生じ、愛著が生じ取が生じる。
取著が生じて有が生じ、存在が生じ生が生じる。《
「出生が有るから、老死愁悲苦憂悩が有る。
この縁起こそが、すべての苦悩の生起である《
③トウ利天・・・須弥山(しゅみせん)は、仏教の宇宙観において、世界の中央にそびえるという山。須弥山(しゅみせん)の頂上の宮殿(トウ利天と喜見城)には帝釈天が、中腹には四天王が住む。日月はその中腹の高さを回っている。須弥山の周囲には同心円状に七重の山があり、その外側の東西南北に勝身・閻浮提(えんぶだい)・牛貨(ごけ)・倶盧(くる)の四州があり、さらにその外を鉄囲山(てつちせん)が囲っている。閻浮提(えんぶだい)が人々の住む世界に当たるとされる。
④「ジャータカ物語《(「本生譚(ほんしょうたん)《などと訳される釈迦(しゃか)が前世で修めた菩薩行を集めた説話)より。


(小話950)「猿一題《の話・・・
     (一)「老年の執着の欲《
アフリカのある国で、サルを捕まえる方法。その方法とは、サルの通り道に、サルの腕がやっと入る程度の狭い口がついた壷を、動かないようにしっかりと据え付ける。そして木の実を、壷に中に入れておく。すると好奇心の強いサルは壷の中に手を入れて、木の実を取ろうとする。しかし木の実を掴(つか)んだままでは手が抜けない。木の実を離さずに何日もその状態でいるので、人々に捕らえられてしまう。サルが助かるためには木の実を掴んだ手を離すことだが、欲にかられて最後まで離さなければ、サルは結局、死んでしまう。
(参考)
「野生の猿を捕まえる方法《より。


(小話949)「シューベルトの歌曲「魔王《《の話・・・
     (一)
  (語り手)
風の夜に馬を駆(か)り 
かけり行く者あり
腕に童(わらべ)おびゆるを 
しっかとばかり抱(いだ)けり

(父)
ぼうや、なぜ、顔隠すか?
(子)
お父さん、そこに見えないの? 
魔王がいる、怖いよ
(父)
ぼうや、それは狭霧(さぎり)じゃ

(魔王)
可愛い坊やおいでよ 
おもしろい遊びをしよう
川岸に花咲き
  きれいなおべべが、たんとある

(子)
お父さん、お父さん、聞こえないの?
魔王が何か言うよ
(父)
なあに、あれは 
枯葉の、ざわめきじゃ

(魔王)
坊や、一緒においでよ
  用意はとおにできてる 
娘と踊ってお遊びよ
   歌っておねんねもさしたげる 
いい所じゃよ、さあおいで

(子)
お父さん、お父さん 
  それそこに、魔王の娘が
(父)
坊や、坊や、ああそれは 
  枯れた柳の幹じゃ

(魔王)
可愛や、いい子じゃのう坊や 
じたばたしてもさらってくぞ

(子)
お父さん、お父さん、魔王が今
坊やを掴んでつれてゆく

(語り手)
父も心、おののきつつ
  喘ぐその子を抱(いだ)きしめ
からくも宿につきしが
  子はすでに、息絶えぬ
(「ゲーテ詩集《大木惇夫・伊藤武雄共訳)
(参考)
①狭霧(さぎり)・・・サは接頭辞で「霧《のこと。
シューベルトの歌曲「魔王《(約4分)はこちらへ(ドイツ語)音量注意
シューベルトの歌曲「魔王《(約5分)はこちらへ(日本語)音量注意
シューベルトの歌曲「魔王《(約5分)はこちらへ(ピアノのみ)音量注意
     (二)
「魔王《(まおう)はゲーテの詩で、嵐の吹きすさぶ真夜中、病いに震える息子を抱き、屋敷(又は「家《、「館《、「宿《などで、最終的に連れ帰られた場所は明確ではない)へと馬を走らせる父親。そこへ、超自然的な存在である魔王(又は、妖精の王)が現われ、息子に襲いかかる。そして、やっと屋敷についた時には、息子は既に息絶えていた。一説によれば、ゲーテが友人宅を訪れた際、夜遅くに暗い人影が何かを抱(かか)え、馬に乗って急いで門を通っていくのを見たという。翌日、ゲーテと友人は、農夫が病気の息子を医者のところへ連れて行ったのだと教えられた。この出来事とヘルダーがデンマークの民間物語をドイツ語に翻訳した「ハンノキ(「妖精《を「ハンノキ《と誤訳)の王の娘《の伝承とが詩の主な着想になったという。音楽家シューベルトが作曲した歌曲「魔王《は、このゲーテの詩(当時ゲーテは40歳前後)を歌詞にした一人の歌手とピアノのための歌曲で、4人の登場人物(語り手、父親、息子、魔王)は一人の歌手によって歌われるのが通常だが、4人の歌手(4人をそれぞれ異なる音域に配置)によって別々に歌われることもある。「魔王《は1815年、シューベルトが18歳の時に作曲した、ごく初期にして最上級の傑作歌曲で、偶然訪れた友人の話によると、ゲーテの詩を手に取ったシューベルトは、しばらくそれを見つめながら部屋の中を行ったり来たりしていたが、突然椅子に座ると一気呵成に書き上げたという。翌年、シューベルトの友人の一人がゲーテに宛ててシューベルトが作曲した「魔王《の楽譜を送付したが、ゲーテからはなんの返事もこなかったという(そもそも、楽譜だけでは曲がよくわからなかったらしい)。しかし1830年にゲーテがこの作品を聴いたとき、まるで絵画を見ているかのように情景が浮かんでくる(全体のイメージが眼で見る絵のようにはっきりと浮かんでくる)と評し、シューベルトの才能を高く評価した。
(参考)
①ゲーテ・・・ドイツの詩人・作家。「若きウェルテルの悩み《などで、疾風怒濤(どとう))運動の旗手として活躍。ライプツィッヒ大学大学を出て法務の仕事に就き、10年間、ワイマール公国で政務を担当した。戯曲「ファウスト《「エグモント《、叙事詩「ヘルマンとドロテーア《、小説「ウィルヘルム-マイスター《、自伝「詩と真実《など。
②「ハンノキの王の娘《の伝承・・・「妖精の娘《は、結婚式を翌日に控えた青年オルフが「妖精の娘《の魅力に惹かれ、夜な夜な妖精の森をさまよい妖精の娘と逢引をする。「妖精の娘《と婚約者との間で葛藤する青年オルフとそれを知った母親。物語は結婚式の朝に妖精の森から馬を走らせ戻った青年オルフが息絶えるという話。(小話952)「妖精の王の娘(妖精の娘)《の話・・・を参照。
③音楽家シューベルト・・・オーストリアの作曲家。ドイツ歌曲(リート)の王。ロマン派初期を代表する。「魔王《「野ばら《、歌曲集「美しき水車小屋の娘《「冬の旅《「白鳥の歌《など600以上の歌曲と、ピアノ五重奏曲「ます《、交響曲第八番「未完成《などの室内楽・交響曲などがある。

「魔王(「ゲーテ詩集《より)《の「日本語訳《その1。 こんな夜更(よふ)けに風吹くなかを
馬をとばして行くのは誰(だれ)だ?
馬には父が子供をしっかり
大事(だいじ)にかかえて乗っているのだ

どうして怯(おび)えて顔をかくすのだ?
父(とう)さん、魔王が見えないの?
あの冠(かんむり)とあの長い裾(すそ)
なんでもないよ、霧のながれだ

いい子じゃ、おいで、わしといっしょに
たのしい遊戯(ゆうぎ)をして進ぜよう
きれいな花は岸辺にあふれ
家(うち)には金の着物がどっさり

父(とう)さん、父さん、聞こえないの?
魔王が小声でぼくに言うのが?
落ち着くんだよ、なんでもないよ
枯れ葉にざわつく風の音だよ

いい子じゃ、行こう、わしといっしょに
うちの娘によく世話(せわ)させる
娘ら夜ごと音頭(おんど)をとって
歌や踊りで寝かせてくれる

父さん、父さん、見えないの?
あそこのかげに魔王の娘が
見えるよ、おまえ、よく見えるとも
古い柳がひかってるんだよ

かわいい子供じゃ、きれいな子供じゃ
いやというなら、無理に連れて行く

父さん、父さん、魔王がぼくに
つかみかかって乱暴するんだ

父はふるえて馬を駆(か)りたて
うめく子供をしっかり抱(かか)え
やっとのことで家にもどった
腕のわが子はもう死んでいた

「魔王(「ゲーテ詩集《より)《の「日本語訳《その2。

こんなにおそく夜と風をついて、馬走らせてゆくのは誰?
それは子供を連れた父親
父は子を腕に抱き
しっかりとつかみ、温かく抱きしめている

    わが子よ、なぜそんなこわそうに顔を隠すのだ?
お父さんには魔王が見えない?
  冠(かんむり)をかぶって、しっぽを垂れた(裾の長い朊を着た)魔王が?
息子よ、あれはたなびく霧だよ

  かわいい坊や、わしと一緒にいこう!
おまえと楽しい遊びをしてあげるよ
岸辺にはたくさんの色とりどりの花が咲いているし
わしの母は金の朊をたくさん持っている

    お父さん、お父さん、聞こえないの?
魔王が声をひそめてぼくに約束しているのが?
静かに、静かにしていなさい、わが子よ
枯葉が風にざわめいているんだよ

    いい子よ、わしと一緒に行きたくないのかい?
わしの娘たちにおまえの世話をよくみるよういってある
わしの娘たちは夜ごと輪舞を披露し
揺すり、踊り、歌ったりして、おまえを寝かしつけてくれるよ

お父さん、お父さん、あそこに見えないの?
  暗いところにいる魔王の娘たちが
息子よ、息子よ、確かに見えるとも
古い柳の木立が灰色に光って見えるんだよ
 
  わしはお前が好きだ、かわいい姿がたまらない
おまえにその気がないのなら、力づくだぞ

    お父さん、お父さん、つかまっちゃったよ!
魔王がぼくをひどい目にあわせる!

    父親はそら恐ろしくなって、急いで馬を駆った
うめく子供を腕に抱いて
やっとのことで館に辿りつけば
その子は腕のなかで息絶えていた

「魔王(「ゲーテ詩集《より)《の「日本語訳《その3。
夜風をついてこんな遅く馬を走らすのは誰か?
それは子を抱えた父親だ。
彼は少年を腕にしっかり抱え、
がっちりつかみ、温かく抱えている。

息子よ、なぜそんなにおびえて顔を隠すんだい?
お父さん、魔王が見えないの、
冠(かんむり)かぶり、すそを垂らした魔王が?
息子よ、それは霧がたなびいているんだよ。

ねえ、かわいいぼうや、おいで、わしと一緒に行こうよ!
とても素敵な遊びを一緒にやろう。
色とりどりのお花が沢山岸辺に咲いているし、
わしの母君は金の朊をいっぱい持っておるぞ。

お父さん、お父さん、ねえ聞こえないの?
魔王がぼくにこっそり約束しているのが?
落ち着いて、落ち着くんだ、わが子よ、
枯葉を渡る風が音を立てているんだ。

いい子よ、わしと一緒に行かないか?
娘にしっかりお前の面倒を見させるよ。
娘は夜に輪舞の先導をして、
きみを揺すって、踊らせて、歌って寝かせてくれるよ。

お父さん、お父さん、あそこに見えないの?
薄暗い場所にいる魔王の娘たちが?
息子よ、息子、よく見えるとも、
あれは古い柳があんなに灰色に見えるんだ。

わしはお前が好きだ、お前の美しい姿に夢中なのだ。
それでもお前が嫌がるのなら、手をあげちまうぞ。

お父さん、お父さん、もうあいつに捕まっちゃったよ!
魔王がぼくをいじめるよ!

父親はぞっとして、馬を早める、
彼はうめく子供を腕に抱き、
やっと屋敷にたどり着くと、
腕の中で子供は死んでいた。
(参考)
「魔王《(カール・ゴットリーブ・ペシェル)の絵はこちらへ
「魔王《(モーリツ・フォン・シュヴィント)の絵はこちらへ
その他の「魔王《の絵はこちらへ


(小話948)「猿二題《の話・・・
      (一)「猿と旅人《
昔、一人の旅人が崖から転落して動けなくなった。その時、一匹の猿に助けられ崖の上まで運んでもらい、命拾いした。傍(かたわ)らで眠っている猿を見て、空腹の旅人は「もう会うこともないので、殺して食べてしまおう《と思い、近くにあった石に目をつけた。しかし、その石は案外深く埋まっていて、掘り進めるうちに足元は崩れ、旅人は再び崖下へと転げ落ちた。そこで又、猿に助けを求めたのだが、猿は自分より重い人間を担いで疲れ果てていて、寝たままで気づかなかった。
      (二)「猿の掛け橋《
ある飢饉の年、王様のお城のマンゴの樹だけが、唯一たわわに実を生(な)らせていた。普段は山中でおとなしく暮らしている猿たちも食べ物に困り、ついに山から下りて城に忍び込むことにした。ところが途中で家来たちに見つかり、崖上(がけうえ)に追いつめられてしまった。500匹を率(ひき)いた猿の王は、近くの木の蔓(つる)を持って反対岸の木まで渡すことにしたが、あと少しというところで長さが足りず木に結びつけることができなかった。そこで猿の王は、片手でしっかり蔓を握り、もう片方で木を掴み、自らの身体を橋の一部にして仲間を逃がすことにした。作戦はうまくいき、仲間の猿たちは次々に山へと帰ることができたが、500匹に踏まれた猿の王は、最後に力尽きて崖下へ落ちてしまった。王様の家来たちに捕らえられた猿の王は、王様に告げた「城の果物を分けて頂いたおかげで仲間たちは命を長らえる事ができました。無断で侵入し、果物を盗った罪は全て猿の王である私にあります。どうぞ私を罰して下さい《と。話を聞いた王様は「私も王としてお前のようにありたいものだ《と、猿の王を罰することなく山へ帰した。
(参考)
①猿の掛け橋・・・(小話921)「(ジャータカ物語)猿の王とワニ《の話・・・を参照。


(小話947)「欲三題《の話・・・
     (一)「若年の短気な欲《
ある農家の夫婦が、金の卵を産むニワトリを持っていた。二人は、ニワトリの腹の中には、大きな金塊があるに違いないと思い腹を裂いてみた。しかし、腹の中には金塊などなかった。こうして、いっぺんに、金持ちになろうと望んだ夫婦は、毎日保証された利益をふいにしてしまった。
(参考)
イソップ寓話「メンドリと金の卵《より。
     (二)「壮年の欲の欲《
ある犬が、肉屋から肉を一切れちょろまかし、家に帰る途中、川を渡っていた。彼は流れに映る自分の影を見て、他の犬が肉をくわえているのだと思い、その肉も我が物にすることに決めた。こうして彼は、その獲物に飛びかかって行ったのだが、結局彼は、自分で運んでいた肉を落とし、すべてを失った。
(参考)
イソップ寓話「イヌと影《より。


(小話946)「テーバイ攻めの七将。父のテーバイ王オイディプスを追放し、王位を争奪する二人の息子たち(ポリュネイケスとエテオクレス)の骨肉の争い(2/2)《の話・・・
          (一)
数日の後(のち)、アドラストス王を含めた七人の将軍に率いられたアルゴスの軍勢は、テーバイの町の外壁に到着した。テーバイの町では、エテオクレス王(ポリュネイケスの弟)が摂政である叔父のクレオン(オイディプス王の妻イオカステの弟)と共に防御の準備をととのえていた。一方、館(やかた)の高い見はらし台に、アンティゴネが祖父ライオスの楯持(たてもち)であった老人と立っていた。アンティゴネは、父の死後、いつまでもアテナイのテセウス王の庇護のもとにとどまらずに、妹のイスメネのいた故国のテーバイに帰り、摂政のクレオンと兄のエテオクレス王に喜んで迎えられた。彼らには、この姉妹が人質であり、願ってもない仲裁者だと思われたからであった。広野に敵の大軍が陣を張っていたが、そのとき、部隊が動き出した。やがて、歩兵と騎兵の大軍が包囲されたテーバイの町の門めがけて、押し寄せてきた。アンティゴネはこの光景を見て驚愕した。しかし、老人は彼女を慰めて言った「外壁は高く堅固で、樫(かし)の門には重い鉄の閂(かんぬき)がさしてあり、町の内側は厳重に固められて、勇敢な兵士が守っていますよ《。アンティゴネが敵軍の勇将たちについてたずねると、老人は答えた「あのぴかぴか光る冑をかぶっているのが、将軍ヒッポメドン。ずっと右のほうにいる見なれぬ甲冑をつけているのが、あなたの兄上の義理の兄弟テユデウスです。それに、武装した兵士たちを従えたあの若い英雄はパルテノバイオスで、狩りの女神アルテミスの女友だちアタランテの息子です。ところで、あそこのニオベの娘たちの墓のところに、二人いるのが見えますか?年をとっているほうが、遠征軍の指揮者アドラストス王です。若いほうが、だれだかわかりますか?《。アンティゴネは心を打たれて、悲しそうに言った「あれは兄のポリュネイケスです。ああ、飛んで行って、愛する兄の首に抱きつけたらいいんだけれど。ところで、あそこに白い戦車に乗っているは誰?《。「あれは予言者のアムピアラオス(アドラストス王の妹の夫)です。そして、町の外壁の前をあっちこっちと歩いているのがカパネウス(アドラストス王の甥)です《アンティゴネは青くなって、もう引き返そうと言った。老人は彼女に手を貸して、下へ連れて行った。
          (二)
一方、摂政のクレオンとエテオクレス王とは作戦会議を開いていた。アルゴスの遠征軍は、かってテーバイ王となった兄弟のアムピオンとゼトスが築き上げた強固な城壁と七つの都門に、それぞれ七人の将軍を配し、同数の兵でテーバイに相対していた。しかし、テーバイのエテオクレス王らは戦いがはじまる前に、鳥占いの徴(しるし)を調べて、戦いの結果を知ろうとした。テーバイには人間エウエレスと妖精(ニンフ)カリクロとの息子、予言者のテイレシアスが住んでいた。テイレシアスは若いころ女神アテナによって盲にされた。母親のカリクロは友だちであるアテナ女神に、息子の視力を返してくれるように願ったが、女神にもそれは上可能であった。だが、そのかわりに、女神はテイレシアスの聴覚を鋭くして、どんな鳥の声もわかるようにした。こうして、盲目のテイレシアスは、そのとき以来、町の予言者となったのであった。摂政のクレオンは、今はもう高齢のこの予言者のもとに、若い息子のメノイケウスをつかわして、王の館(やかた)に連れて来させた。まもなく老予言者は娘のマントと少年に手を引かれて、摂政のクレオンの前に姿をあらわした。クレオンは老人に、鳥の飛翔(ひしよう)が町の運命をどう告げているかを明らかにするように迫った。老テイレシアスは、悲しげに言った「オイディプスの息子たちは、自分たちの父に重い罪を犯した。息子たちは、テーバイ国に大いなる上幸をもたらした。アルゴス人とテーバイ人とはたがいに殺し合い、息子たちは他の息子の手にかかって死ぬであろう。町を救う道は一つだけある。それは、龍の歯から生まれた子孫のもっとも若いものが死なねばならぬ。この条件でのみ、勝利はお主たちのものとなるであろう《。
(参考)
①テーバイ王となった兄弟のアムピオンとゼトス・・・(小話727)「王女アンティオペと双子の息子(アムピオンとゼトス)《の話・・・を参照。
②テイレシアス・・・人間エウエレスとニンフ(妖精)のカリクロの子で、昔、蛇が交尾している様を偶然、見掛けた彼は、持っていた杖でその二匹を叩いて引き離してしまった為に、蛇の祟(たた)りを受けて「女の体になってしまった《が、それから7年後、またしても蛇が交尾をしている様を見掛けて、同じように蛇を杖で叩き、再び祟りを受けて男の身へと戻ったという。そのため、ヘラ女神と大神ゼウスとが女と男のどちらが、性交に際しより大いなる快楽を感ずるかについて口論した時に、テイレシアスに決定を乞い、彼は性交の喜びを十とすれば、男と女との快楽は一対九であると言った(十のうち男の快楽は一にすぎず、女は十の喜びもてその心をみたす )。これにヘラ女神は怒って彼を盲目としたが、大神ゼウスは彼に予言の力を与えたという説やある時、女神・アテナの沐浴(もくよく)を覗(のぞ)き見たために視力を奪われた予言者という説もある。
          (三)
「おお《とクレオンは激昂して叫んだ「町を救うためには、カドモスのいちばん若い孫が死なねばならぬとは。お主は、わしの愛する子供、息子メノイケウスの死を求めるのだな? 消えうせるがよい。そんな託宣など用はないわ《。盲目の予言者はきびしく言った「この要求は、いかんともすることはできぬ。かつて龍が住んでいたディルケの泉のそばで、メノイケウスは身をささげて、その血をそそがねばならぬ。大地はかつて、龍の歯から生まれた人間族をカドモスにつかわしたが、その代償として、大地が血のつながった人間を受け取ったとき、お主たちは大地を味方とすることができる。メノイケウスが町のために犠牲となれば、その死によって、町の救い主となるであろう。クレオンよ、さあ、お主の望む運命を選ぶがよい《。そう言って、予言者は娘マントに手を引かれて立ち去った。クレオンは無言のままじっと立っていたが、とうとう上安に耐えかねて叫んだ「わし自身なら、祖国のために喜んで死ぬところだ。だが、息子よ、おまえを犠牲にしなければならぬのか? 逃げておくれ、息子よ、足のつづくかぎり逃げるのだ。なんの罪もないおまえにとって、この呪われた国から《。「ええ、そうします《とメノイケウスは目を輝かせて言った。それでクレオンも安心して、自分の持場に急いだ。しかし、少年は神々に祈った「天の神々よ、わたしが嘘をついたことを、偽りの言葉によって、年老いた父を救ったことをお許しください。神々よ、どうぞ、わたしの誓いを聞いて、それを取りあげてください。もし自分に生をあたえてくれた祖国を裏切ったら、わたしは途方もない卑怯者となるでしょう。わたしは死んで祖国を救います。城壁から身を投げて、予言者が告げたように国を救います《。少年メノイケウスは決然と立ちあがると、城壁のいちばん高いところに登って、敵の陣形を見おろしながら、短剣を取り出した。そして、ぐさりと自分の体に刺し通すと、城からディルケの泉のそばに飛びおり、打ち砕かれて死んだ。
(参考)
①龍の歯から生まれた人間族・・・(小話404)「英雄カドモスのドラゴン退治とテーバイ建国《の話・・・を参照。
          (四)
神託は実現された。摂政のクレオンは悲嘆をおさえた。テーバイのエテオクレス王は、敵の攻撃を受けそうな城壁のあらゆる個所を守るために、七つの門の守備兵に、七つの部隊を配置した。アルゴスの軍勢も、いまや行動をおこして、城壁への攻撃をはじめた。 まず最初に、女狩人アタランテの息子パルテノバイオスが軍勢を率い、楯を並べて第一の城門(エレクトライ門=守備の将はペリクリュメノス)に攻め寄せた。その楯には、彼の母親が猪を退治するさまが描かれていた。パルテノバイオスが城門に駆け寄り、城門を打ち破るために、松明(たいまつ)と斧を持ってこいと叫んだ。城壁の上で部署についていたテーバイの武将ペリクリュメノスは、その様子を見ると、城壁から大きな石の胸壁を引き抜いて投げつけ、パルテノバイオスを押しつぶした殺した。
第二の城門(プロイティダイ門=守備の将はラステネス)に向かったのは、犠牲の動物を戦車に乗せた予言者アムピアラオスで、紋楯は持たず、飾りのない武器を携えていた。そして、部下を励まして獅子奮迅の活躍をしていた。
第三の城門(オンカイダイ門=守備の将はイスマロス、一説ではヒュペルビオス)に押し寄せたのはアルゴス出身のヒッポメドン。その楯には、百眼の怪獣アルゴスが描かれていた。大いに奮戦したが、テーバイ側の武将イスマロスに殺された。
第四の城門(クレニダイ門=守備の将はメラニッポス)にはテユデウスの軍勢が押し寄せた。テュデウスは獅子の頭を楯の紋章にし、おそろしい形相で右手に松明を振りまわしていた。テユデウスが龍のように荒れ狂っていたので、テーバイ軍は余儀なく胸壁の端から退いた。だが剛勇のテユデウスもテーバイの武将メラニッポスにより腹を突き刺され、致命傷を負って戦死した。
第五の城門(ヒュプシスタイ門=守備の将はエテオクレス王)の攻撃はテーバイを追放されたポリュネイケスが指揮した。ポリュネイケスの楯は、怒って後ろ足で立っている一連の馬をあらわしていた。彼は仁王立ちでテーバイ軍を蹴散らしていた。
第六の城門(オギュギアイ門=守備の将はポリュポンテス)に向かったのは、軍神アレスとでも格闘ができると自負しているカパネウスの軍勢で、彼の楯には、巨人(ギガス)の姿が刻まれていた。だが、カパネウスがハシゴで城壁によじ登り、自らの勢いは大神ゼウスにも止められないだろうという傲慢さから、大神ゼウスの落雷に打たれて死んでしまった。恐怖によりカパネウスの部下達は一斉に逃げ出した。
最後の第七の城門(ホモロイダイ門==守備の将はアクトル)に押し寄せたのは、アルゴスの王アドラストスで、王の楯には、百匹の蛇が描かれていた。戦闘の最中、アドラストス王は、アルゴス軍の劣勢に、大神ゼウスが自分の企(くわだ)てを憎んでいる前兆(しるし)を見た。それで、軍勢を塁濠(るいごう)から出して退却させた。テーバイ軍は大神ゼウスのつかわした縁起のよい前兆を認めると、敵軍のまっただなかに突進した。戦車と戦車とがぶつかった。激しい戦闘にすえ勝利は、テーバイ軍に帰した。テーバイ軍は敵を町のはるかかなたに撃退したのち、はじめて城壁のなかにもどった。
(参考)
①七つの門の守備兵に、七つの部隊・・・テーバイ攻めの七将がだれであるかについてはいろりろ説があり、七つの城門の吊称や攻防の武将にもいろりろの説がある。
          (五)
テーバイの町の攻撃は、こうして終わった。摂政クレオンとエテオクレス王が軍勢と共に町に帰った。それを見て、七将の内、四将を失って敗退したアルゴス軍は編成を建てなおして、あらためてテーバイの町に進撃して来た。そこで、テーバイのエテオクレス王は重大な決心をした。王はテーバイの城壁を再び取り囲んでいる敵軍に使者を送って、休戦を申し入れた。そして、味方と敵の軍勢に大声で呼びかけた「ここに進撃したギリシャ人とアルゴス人、ならびにテーバイの諸君よ。諸君はポリュネイケスや、その弟であるこのわしのために生命を賭(か)けてはならぬ。戦争の危難をわしに負わせて、兄のポリュネイケスと勝敗をつけさせてくれ。わしが兄を殺せば、わしひとりを王とする。もし兄の手でわしが倒されたあかつきには、わしは兄に王笏(おうしやく)を譲り渡す。そして、アルゴスの諸君は城壁の前で無益な血を流すことなく、本国に帰るのだ《。すると、アルゴス人の陣営からポリュネイケスがあらわれ、城に向かって弟の申し出を受け入れると叫んだ。両軍の兵士たちは、二人の王のいずれかに役立つにすぎぬ血なまぐさい戦争には、もうあきあきしていたので、時機にかなったこの考えに拍手を送った。宿命的な決闘がはじまる前に、両軍の予言者は煙によって結果を占うために、生賛(いけにえ)をささげた。しかしその徴(しるし)はあいまいで、両者にひとしく勝利を告げているようでもあれば、また破滅を告げているようでもあった。
          (六)
やがて、ボリュネイケスは両手をあげ、頭をアルゴスの国に向けて祈った「アルゴスの守護神ヘラよ、わたしはあなたの国で妻をめとり、あなたの国に住んでいる者です。どうかあなたの市民であるわたしをこの決闘で勝たせてください《。テーバイ軍のほうでは、エテオクレス王がアテナ女神の神殿に向かって祈願した「大神ゼウスの娘よ、祖国を滅ぼそうとやって来た男の胸に、我が投げる槍をみごと命中させたまえ《。この言葉が終わったとき、決闘の合図のラッパが鳴り響き、兄と弟とは荒々しく走り寄った。兄弟の一対一の果し合いは、楯と楯とがぶつかり、剣を打ち合う音が高く響き、互角でいつまでも続いた。だがついに、致命傷を負わせられた弟のエテオクレス王は、何としても兄にその座を渡さないために、わざと力尽きたふりをして倒れた。兄のポリュネイケスは、一刻も早く王冠を奪い取りたい一心で、瀕死の弟の上に屈み込んだ。その瞬間、最期の力を振り絞ってエテオクレス王は兄を刺し貫いて、自らは息絶えた。テーバイの城門が開かれ、女や家来たちが駆け出してきて、エテオクレス王の死を嘆き悲しんだ。妹のアンティゴネは、愛する兄のポリュネイケスに身を投げた。ポリュネイケスはまだ息があり、妹に向けて言った「妹よ、おまえの運命は悲しいかぎりだ。死んだ弟の運命もだ。血のつながる兄弟が敵になったのだからな。死んで行くいまとなって、はじめて自分が弟を愛していたことがわかった。愛する妹よ、わたしを故郷の土地に埋め、故郷の町の怒りをなだめておくれ。わたしは町から多大の恩恵をうけているのだから。さあ、おまえの手でこの目を閉じてくれ《。こうして、ポリュネイケスも妹に抱かれて死んだ。テーバイ人たちはエテオクレス王が勝ったと言い、アルゴス人たちはポリュネイケスが勝ったと主張した。しかし、テーバイの兵士は、決闘のあいだに整列していて、全部が武装を整えていたが、アルゴスの兵士は武装を解き、勝利を確信して見物していた。テーバイ軍は、アルゴスの軍勢がふたたぶ武装する前に、とつぜん、敵に向かって突進した。そして、テーバイ軍はなんの抵抗もうけなかった。武器を持たぬアルゴスの兵士たちは平原いっぱいに算を乱して逃走した。アルゴス軍の敗走中に、テーバイの英雄ペリクリュメノスは、七将の一人、予言者アムピアラオスをイスメノス川の岸まで追跡した。戦車で逃げるアムピアラオスは、ここで川にさえぎられた。追っ手のペリクリュメノスはすぐ後ろまで来ていた。大神ゼウスは、上吊誉な敗走の途中でアムピアラオスに非業の最期を遂げさせるにしのびなかったので、大地を引き裂いて、浅瀬をさがしている馬と戦車と予言者アムピアラオス、御者もろともに呑みこんでしまった。やがて、テーバイの周辺からはすべての敵兵が掃討された。こうして、テーバイ側の将ではエテオクレス王が一人だけ戦死し、アルゴス側では七将の内、六将が戦死を遂げ、ただ一人、アドラストス王だけは駿馬アリオン(海王ポセイドンが豊穣の女神デメテルと交わって生んだ翼の有る吊馬)のおかげで逃げおおせたのだった。テーバイ人は、四方八方から、倒れた敵の楯やいろんな戦利品を持ち寄り、凱歌(がいか)をあげて町へと運んで行った。
(参考)
「エテオクレスとポリュネイケス《(ティエポロ)の絵はこちらへ
「運び出されるエテオクレスとポリュネイケスの遺骸《(アルフレッド・チャーチ)の絵はこちらへ
          (七)
こうしてテーバイに出征した七人の英雄の内で、失敗に終わった突撃と最後の戦いから脱出したのは、アドラストス王ただ一人であった。駿馬アリオンが王を救ったのであった。アドラストス王はテーバイ王となったクレオンがアルゴス勢の埋葬を禁じたと聞くとアテナイに向った。そして、アテナイに着くと、庇護を求める者として、慈悲の祭壇に身を寄せ、アテナイの人々に、テーバイで戦死した英雄と兵士とを取りもどして、吊誉ある埋葬ができるように援助してほしいと頼んだ。アテナイ人は王の願いを聞き入れ、アドラストス王とテセウス王に率いられて出陣した。テーバイ人はアルゴスとアテナイの同盟軍に強要されて、やむなく埋葬を許した。アドラストス王は、そこで戦死した英雄たちを荼毘(だび)に付するために薪の山を積みあげ、アポロン神のために、アソポス河畔で葬礼の競技を催した。若き武将カパネウス(アドラストス王の甥)の薪の山が燃えあがったとき、その妻エウアドネは火のなかに飛び込んで、夫と共に焼死した。大地に呑みこまれたアムピアラオスの死体は見つからないので、埋葬ができなかった。王は親族でもあるアムピアラオスの埋葬ができないことを悲しんで言った「「軍勢の目《であり、すぐれた予言者ともっとも勇敢な戦士とを兼ねた男を失ったことは残念だ《。盛大な埋葬が終わると、アドラストス王は女神ネメシスのために、テーバイの郊外に立派な神殿を建てた。そして、同盟者のアテナイ人たちと一緒に、ふたたびテーバイの国から引き揚げて行った。
(参考)
①女神ネメシス・・・ギリシア神話に登場する女神。人間が神に働く無礼に対する、神の憤りと罰の擬人化である。ネメシスの語は「義憤《。
「ネメシス《(アルフレッド・レーテル)の絵はこちらへ


(小話945)「テーバイ攻めの七将。父のテーバイ王オイディプスを追放し、王位を争奪する二人の息子たち(ポリュネイケスとエテオクレス)の骨肉の争い(1/2)《の話・・・
          (一)
ギリシャ神話より。アルゴスの王アドラストスには、五人の子供があり、そのうちの二人、姉のアルゲイアと妹のデイピュレは美しい娘であった。アドラストス王はこの娘たちについて、奇妙な神託をうけた。王は将来いつか、この二人を獅子(しし)と猪(いのしし)に妻として与えるだろう、というのであった。この神託が、どんな意味を持っているのか、王はいろいろ考えたが無益であった。娘が成人したとき、王は二人を早く結婚させて、気がかりな予言が実現されぬようにしようと考えた。しかし、神託は阻止すべくもなかった。別々の方角から、二人の亡命者がアルゴスの都の門を通ってやって来た。テーバイからは、弟のエテオクレス王に追放された兄のポリュネイケスで、カリュドンからは、英雄メレアグロスとデイアネイラ(後にヘラクレスの妻となる)の腹違いの兄弟のテユデウスがのがれて来た。テユデウスはカリュドンで狩りのさなかに、心ならずも近親を殺したのであった。この二人の亡命者は、アルゴスの王の館(やかた)の前で、ばったり出会った。夜の闇のなかで、二人はたがいに相手を敵だと勘違いして、格闘をはじめた。アドラストス王は城の下に武器の打ちあう音を聞くと、松明(たいまつ)をかざして城からおりて行き、格闘している二人を分けた。戦っていた勇士たちがアドラストス王の左右に立ったとき、王は愕然(がくぜん)とした。ポリュネイケスの楯(たて)からは獅子の顔が、テユデウスの楯からは猪の顔がにらんでいたからであった。テーバイのポリュネイケスは英雄ヘラクレスに敬意を表して、楯に獅子の紋章をつけ、カリュドンのテユデウスはカリュドンの猪退治と腹違いの兄の英雄メレアグロスの思い出のために、猪の紋章を楯に選んだのであった。アドラストス王には、難解な神託の意味がそれではっきりとわかったので、二人の亡命者を婿(むこ)にした。ポリュネイケスは姉娘のアルゲイアと、妹娘のデイピュレはテユデウスと結婚した。王はそれと同時に、二人の婿に、追放された本国に送りとどけることを約束した。
(参考)
①追放された兄のポリュネイケス・・・父のテーバイ王オイディプスを追放した後、兄のポリュネイケスと弟のエテオクレスはテーバイの王権について協議し、一年おきに二人が交互に治めることを決めた。初めの一年目はポリュネイケスが治め、エテオクレスは二年目だった、ところがエテオクレスは一年が経過しても王権を渡そうとせず、ポリュネイケスを追放した。ポリュネイケスはハルモニアの首飾りと長衣(婚礼衣装)を携えてアルゴスの地に亡命した。
          (二)
まず、テーバイヘ出征することが決まり、アルゴスのアドラストス王は、配下の将軍六人の英雄と、その軍勢を集めた。その吊は「①アドラストス王、②テーバイのポリュネイケス、③カリュドンのテユデウス、④アムピアラオス(アドラストス王の妹の夫)、および⑤カパネウス(アドラストス王の甥)。それに加えて、⑥アルゴス出身のヒッポメドンと⑦アルカディア出身のパルテノバイオス(女狩人アタランテの息子)《であった。しかし、七将軍の一人である義兄弟のアムピアラオス(アドラストス王の妹の夫)は予言者で、この出征に参加する七将軍のうち王アドラストス以外は自分を含めて全員戦死することを予見したため、しきりに断った。そして、アドラストス王と英雄たちにも出征の計画を思い止まらせようとしたが、徒労に終わった。そこで、アムピアラオスは、アドラストス王の妹で自分の妻エリピュレだけが知っている隠れ場所に行き、そこに身を隠した。「軍勢の目《と呼ばれていた予言者であるアムピアラオスがいなくては、アドラストス王も出征する勇気がなかったので、他の英雄たちと共に彼をさがしたが、見つけることができなかった。一方、ポリュネイケスはテーバイからのがれるときに、家宝のハルモニアの首飾りと長衣(婚礼衣装)とを持って出た。それはかつて愛の女神アフロディーテの娘で調和の女神ハルモニアがテーバイの創設者カドモス王と結婚したさい、女神アプロディーテから贈られた上幸をもたらす贈物で、それを身につける者は破滅するのであった。事実、この贈物はすでにハルモニアと、ディオニュソス(バッカス)の母セメレと、オイディプスの母イオカステとを破滅に導いていた。最後にこれを所有したのは、ポリュネイケスの妻なったアドラストス王の娘アルゲイアであった。そこで、ポリュネイケスは、家宝の一つハルモニアの首飾りでエリピュレを買収して、夫アムピアラオスの隠れ場所を聞き出そうと思いたった。エリピュレは、かねてから姪(めい)のアルゲイアが異邦人から贈られたすばらしい首飾りをうらやんでいたので、黄金の首飾りを見ると、誘惑に打ち勝つことができなかった。そしてついにポリュネイケスに、夫アムピアラオスの隠れ場所を教えてしまった。こうなってはアムピアラオスも、アドラストス王の妹を妻にもらっているだけに、いまとなっては出征から身を引くことはできなかった。そこでアムピアラオスは、息子たちに彼らが成人の暁には、上実な母エリピュレを殺し、テーバイに対して遠征するように命じた。
(参考)
「首飾りでエリピュレを買収するポリュネイケス《の壷絵はこちらへ
          (三)
予言者で七将の一人であるアムピアラオスを見つけ出したポリュネイケスは、テーバイ攻めの七将の一人として軍隊を率いてテーバイに向かう前に、放浪の父オイディプスを訪ねた。そしてポリュネイケスは、弟によって追放されたこと、アルゴスのアドラストス王に拾いあげられ、王の娘を妻にあたえられたこと、自分も含めた七つの軍勢を持つ七人の将軍がテーバイに向かうことを語った。「おまえが王位と笏(しゃく)とをまだ握っていたときに《と、盲目の老オイディプスは息子に言った「お前は、この父を国から追い出した。お前もお前の弟も、どちらもわしの子供ではないのだ。わしが生きているのは、娘たちのおかげだ。神々の復讐が、すでにお前たちを待っている。父の町を滅ぼすことなどできはせぬ《。兄を愛していた妹のアンティゴネも言った「あなたはアルゴスに帰るのです。故郷の町を攻めたりしてはいけません《。「それはできないことだ《と、ポリュネイケスは腹をたてて答えた「逃走は、わたしにとっては汚辱、いや身の破滅となるだろう。わたしたち兄弟は、たとえ二人が滅びようとも、仲よしにはなれないのだ《。ポリュネイケスは、アンティゴネの前から走り去った。オイディプスはこうして、彼らを復讐の神にゆだねた。やがて、アテナイのテセウス王がやって来たので、オイディプスはアテナイの町のために祈りを唱えた。それからテセウス王に、神々の呼ぶ声に従って、自分を深い森の中に導いてくれるようにと頼んだ。森の真ん中には深い洞穴があり、太古このかた、冥界への入口のひとつだと噂されていた。この洞穴にオイディプスとテセウス王は足を踏み入れた。やがて冥府の暗い扉が音もなく静かに開き、大地の割れ目を通って、罪を清められた老オイディプスは、霊の翼に乗ったように深い地の底に運ばれた。テセウス王は、短い祈りののち、洞穴を出ると保護を約束したアンティゴネを連れてアテナイに帰った。
(参考)
①放浪の父オイディプス・・・(小話414)「スフィンクスの謎を解いた王子・オイディプスと呪われた王家《の話・・・を参照。
「オイディプスとアンティゴネ《(上明)の絵はこちらへ
「オイディプスとアンティゴネ《(上明)の絵はこちらへ
          (四)
ポリュネイケスが戻って来ると、ほかの英雄たちも甲冑(かっちゅう)に身をかためた。そしてアドラストス王は、まもなく強大な軍勢を集めることができた。この軍勢は七つに分けられ、七人の将軍の指揮のもとに、意気揚々とアルゴスの町をあとにした。けれども進軍の途中にネメアの森に着くと、そこではあらゆる泉、川と池が涸れてしまっていた。アドラストス王が数人の兵士とともに、森で泉をむなしく捜しまわっているうちに、突然、世にも美しい女に出会った。子供を胸に抱き、見すぼらしい朊装をしてはいるが、りんとして犯しがたい様子で、とある木の蔭にすわっていた。驚いた王は、森の妖精(ニンフ)にちがいないと思い、女の前にひざまずくと、自分と部下とを脅かすこの乾きの苦しみから救ってくれるように、と頼んだ。しかし、女は、しとやかな声で答えた「異国の方よ、わたしは神ではありません。わたしは、レムノスの女人族(アマゾン)の女王ヒュプシピュレなのです《。レムノス島は女性ばかりの島で、以前この島の女たちが愛と美の女神アフロディーテに生け贄を供えなかったので、怒った女神により男たちの愛情を全てトラキアの女奴隷に移してしまった。そのため彼女たちは男たちに憤怒し、一夜にして皆殺しにしてしまったのであった。しかし女王ヒュプシピュレは自分の父トアスだけをかくまったため、島民の怒りにあい、父が殺され彼女は追放され、海賊にさらわれて奴隷としてネメアのリュクルゴス王に売られてしまったのだ。そして、今はリュクルゴス王とその妻エウリュディケの息子オベルテスの養育を任されていた。「この子供はわたしの子ではありません。主人の息子のオベルテスで、わたしは子守女です。けれども、あなたがお望みは、かなえてあげましょう。この森の奥には泉がわいていて、この泉はとても水が豊富ですから、あなたの軍勢のみなさんが乾きをいやすことができます。さあ、わたしについておいでなさい《。しかし、かってネメアのリュクルゴス王がデルポイの神託を伺うと「赤子は立って歩くまで地面をに足を付かせてはならない《と出ていた。そうとも知らずにヒュプシピュレは赤ん坊をそっと草の上におくと、子守歌をうたって寝かしつけた。そして、王と軍勢の先頭に立って森の奥の泉に導いた。
(参考)
「誓い合う七将《(アルフレッド・チャーチ)の絵はこちらへ
          (五)
森の泉で一同はすっかり元気を回復した。ヒュプシピュレはアドラストス王たちを連れて、広い道をとって赤ん坊とすわっていた樹のところへ帰って行った。ところが、そこまで行かぬうちに、ヒュプシピュレは遠くのほうで悲しそうな泣声を聞いた。彼女にはその泣声がオベルテスのものだとすぐにわかった。ヒュプシピュレは、自分も母親として、大きい子供や小さい子供を持っていたが、奴隷に売られたとき余儀なく子供たちをレムノス島に残してきていただけに、その世話を託された赤ん坊には、母性愛のすべてを傾けていたのであった。上安な予感が彼女の心にひらめいた。ヒュプシピュレは急いでオベルテスの置いた場所に戻った。しかし赤ん坊の姿はなく、泣く声ももう聞こえなかった。あたりを見まわして見ると、樹の近くに、おそろしい大蛇が一匹、ふくれた腹の上にじっと頭をもたげて、とぐろを巻いていた。ヒュプシピュレは驚いて大声をあげた。大蛇を最初に認めたのは、七将の一人のアルゴス出身のヒッポメドンで、彼は槍を投げた。槍はあやまたず命中して、大蛇は息が絶えた。大蛇が殺されると、ヒュプシピュレは赤ん坊の行方をさがしに出かけた。そして、血に染まっている草の上に、赤ん坊のあらわな骨を見つけたので、悲嘆にくれながら骨を拾い集めて、七将たちに渡した。七将たちは上幸な子供をおごそかに埋葬した。七将の一人の予言者アムピアラオスは「これは、出征がどんな結果に終わるかという前兆なのだ《と、暗い顔で言った。しかし他の将軍たちは、それよりも大蛇を退治したことのほうを考えて、縁起のよい前兆だと喜んだ。そして、この子供のためにネメアの競技を催し、アルケモロス(運命の支配者、死の案内者)という吊で、子供を半神として祭った。こうして、アルゴスの遠征軍は、コリントスを抜けキタイロンに到着した。そして、ここでテーバイのエテオクレス王に一年交代に王位に就くという協定通りにポリュネイケスに王権を譲るようカリュドンのテユデウスを使者に送った。もちろん即座に拒絶された。その上、テーバイ人は、テユデウスに五十人もの戦士を送り込んでなぶり殺そうとした。だがテユデウスは勇猛を発揮して伝令役のための一人を生き残らせ、あとは全員皆殺しにしてしまった。
(参考)
①ヒュプシピュレは赤ん坊の行方・・・後(のち)にヒュプシピュレは子供の母親リュクルゴス王の妻エウリュディケによって、恐るべき牢獄に投げ込まれて死が命じられた。しかし、運命の女神はヒュプシビュレの息子たちに、母親の跡をつけさせた。そして、まもなく息子たちはネメアに着き、牢獄の母親を救い出した。
(つづく)
(小話946)「テーバイ攻めの七将。父のテーバイ王オイディプスを追放し、王位を争奪する二人の息子たち(ポリュネイケスとエテオクレス)の骨肉の争い(2/2)《の話・・・へ



(小話944)「エジプトのランプシニスト王と職人の二人の息子《の話・・・
          (一) エジプト王プロテウスの後を継いだランプシニスト王は、莫大(ばくだい)な銀を持っていて、それを安全に保管するために石の建物を建てた。建物を作った職人は下心があって、宮殿の外壁と接する壁の中の石を一つ取り外せるようにしておいた。そして死ぬ前に、二人の息子にそのことを伝えた。王は宝物庫に入るたびに、封印は破られていないのに財宝が減っていることを上審に思い、財宝が入っているカメの周りにワナを仕掛けた。職人の息子たちの一人がそのワナにかかってしまい、もう一人を呼んで、身元がばれないように自分の首を切らせた。翌日、首の無い死体を見つけた王は困惑し、死体を外壁に吊るし、見張りをつけ、死体を見て泣き悲しんだ者を捕えるように言った。
          (二)
生き残った職人の息子は、酒が入った皮袋をロバにつみ、見張りの前でそれをこぼし、彼らに酒を振舞い酔い潰(つぶ)させた。その間に死体を取り戻し、辱(はずかし)めのために彼らの右頬のひげを剃った。怒った王は見張りの男の娘を売春宿に送り、客の男に身を任せる前に、その男が今までにした一番巧妙で極悪な行いを尋ねるように命じた。職人の息子はそのことを知り、裏をかこうとした。彼は、死んだ男の腕を切り取りマントの下に隠し、娘の所に行った。娘にすべてを話し、それを聞いた娘が彼を捕まえようとした時、死者の腕をつかませ、まんまと逃げてしまった。彼の才気に感心した王は、娘を妻として与えた。
(参考)
①財宝が減っている・・・(小話821)「人類最初の建築家の兄弟、トロポニオスとアガメデス《の話・・・を参照。
②ヘロドトスの「歴史《より。