「般若心経=意訳全文」
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観自在菩薩(観世音菩薩=観音さま)が、

※観世音菩薩は、十界(人の心が定まるところの境地)の仏・菩薩・声聞・縁覚・神・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄の内、2番目の菩薩界の一人で、大慈大悲で衆生を済度する。勢至菩薩と共に阿弥陀如来の脇侍である。

 

深い般若波羅蜜多(知恵・悟りの境地に到る道)を実践されている時

※「般若」・・・知恵(深い意味で)
                「波羅蜜」・・・到彼岸(とうひがん)。迷いの岸である現実の世界
                から彼(か)のさとりの岸である仏の世界へと渡してくれる実践行の
       ことで、普通六波羅蜜といって、六種類がある。
@布施「ほどこし」
A持戒「どうとく」
B忍辱「がまん」
C精進「どりょく」
D禅定「せいしんとういつ」
E智慧「ただしいはんだん」

 

人間の心身を構成している五蘊(ごおん)はすべて空であると見極めて、 

※「五蘊」

   @色蘊は、物質的構成要素(肉体を含む)。

   A受蘊は、感受作用(見る、聞く、触るなど)。

   B想蘊は、表象作用(心に想うこと)。

   C行蘊は、意志作用(能動的なはたらき)。

   D識蘊は、識別する作用(分別、判断)。

 

すべての苦厄から、ときはなされたのである。

 

そして、舎利子(舎利弗、お釈迦さまの弟子で智慧第一)に向かい、舎利子よ、

 

形(色)あることは、なにもない(空)ことと同じである。

 

なにもない(空)からこそ、一時的な形(色)あるものとして存在する。

 

したがって形(色)あることは、そのまま、なにもない(空)ことでもある。
※「色即是空」・・・形(色)を否定して、空を求める「色即是空」だけでは浅い

 

なにもない(空)ことは、そのまま、形(色)あるものとなっている。
※「空即是色」・・・形(色)を全うして空を見る「空即是色」になって深くなる

 

残りの心の四つの受・想・行・識(感受・表象・意志・識別)の働きも、

 

また同様である。

 

舎利子よ、

 

この世のもろもろの存在や現象は、空の相(すがた)であるから、

 

もともと生ずるのでもなく、滅するのでもない。

 

汚れているのでもなく、清らかでもない。

 

増えるのでもなく、減るのでもない。

 

このゆえに、実体がないという立場においては、

 

色(形あるもの、森羅万象のすべて)もなく、受・想・業・識もなく、

 

眼・耳・鼻・舌・身・意といった感覚器官もなく(六根)、

 

色・声・香・味・触・法といったそれぞれの器官に対する対象もなく(六境)

       ※「六根」によって、「六境」を認識する。
@眼で「色」を見る
A耳で「声」を聞く
B鼻で「香」を嗅ぐ
 C舌で「味」を味わう
 D身で「触」に触れる
              E意は意識で、「法」(さまざまなこと)を考える

 

それらを受けとめる眼界(初めの眼界)から、意識界(最後の意識界)までもないのである。

              ※「人間存在の構成要素」の「十八界」(眼界・耳界・鼻界・舌界・
              身界・意界・色界・声界・香界・味界・触界・法界・眼識界・
      耳識界・鼻識界・舌識界・身識界・意識界)

 

さらに悟りに対する無知(「十二縁起」の最初)もなく、また無知がなくなることもなく、

※「十二縁起」
(1) 無明(無知)
(2) 行 (潜在的形成力)
(3) 識 (心作用、認識作用)
(4) 名色(精神と肉体、名称と形態)
(5) 六入(六つの感覚器官、眼、耳、鼻、舌、身、意)
(6) 触 (心が対象と接触すること)
(7) 受 (感受作用)
(8) 愛 (愛欲、妄執)
(9) 取 (執着)
(10) 有(生存)
(11)生(生まれていること、生きること)
(12) 老死(老いゆくこと、死ぬこと)

 

それから老と死(「十二縁起」の最後)までもなく、

 

また、老と死がなくなることもなく、

 

苦しみも、その原因も、それをなくすることも、そしてその方法もない。

※「四諦(したい)=苦集滅道」

(1) 苦諦(くたい)・人生は苦であるという真理

(2) 集諦(じつたい)・苦悩の原因は人間の欲望の心にあるという真理。

(3) 滅諦(めつたい)・苦悩の原因である煩悩が消滅した状態(涅槃)。

(4) 道諦(どうたい)・涅槃に到達するための実践方法(八正道を指す)。

@正見(正しい見解)

A正思惟(正しい決意)

B正語(正しい言葉)

C正業(正しい行為)

D正命(正しい生活)

E正精進(正しい努力)

F正念(正しい思念)

G正定(正しい瞑想)

 

知ることもなければ、また得ることもなし、

 

得ることがないのだから、

 

菩提薩捶(悟りを求めて修行する人)は、

 

般若波羅蜜多(彼岸=悟り=に到る知恵)に依るが故に、

 

心にこだわりなし。

 

こだわりがない故に、

 

恐れることがない。

 

一切の顛到(てんどう)を夢のように想い描くことを遠ざけて、

※4つの「顛到」

(1) 常顛到・無常である自分の命・身体が、いつまでも元気という錯覚
(2) 楽顛到・苦に満ちた世の中で、人生は楽であると見る錯覚
(3) 我顛到・無我の身である自分を、我ありと見る錯覚
(4) 浄顛到・汚れた身である自分を、清浄なりと見る錯覚

 

涅槃(迷いのない境地)をきわめつくすのである。

 

三世(過去、現在、未来)にわたる諸仏(悟った者=釈迦仏、阿弥陀仏、弥勒仏等)も、

 

般若波羅蜜多(彼岸=悟り=に到る知恵)に依っているので、

 

この上ない正しいさとりを得られた。

 

故に知るべしである、般若波羅蜜多は、

 

これ、偉大にして神聖なる真言であり、

※真言・・・真実を伝える仏の言葉。

 

これ、ものごとがよく見える悟りの真言であり、

 

これ、この上ない真言であり、

 

これ、比較するものがない最上の真言である、

 

これこそが、よく一切の苦しみを除き、

 

真実そのものであって、虚妄ではないのである。

 

故に般若波羅蜜多(彼岸=悟り=に到る知恵)の真言を説く。

 

すなわち、真言を説いて曰わく。

 

行ける者よ、行ける者よ、

 

彼岸に行き、

※彼岸・・・悟りの世界

 

完全に彼岸に行ける者こそ、

 

悟りを得る、幸あれ。

 

般若心経(知恵・悟りの境地に到る道を説いた経典)。

 

般若心経(終)