「白隠禅師の坐禅和讃(意訳全文)」
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(一)

生きとし生けるもの(人間)は、本来、仏である

水と氷の関係のように

水のないところに、氷はなく

人間以外に、仏はいない

人間は、近くにある仏(自分)を知らなくて

遠くに、仏を求めることの虚しさよ

例えていえば、水の中にいて

喉(のど)の渇きを求めるようである

金持ちの家に生まれても

貧しい村に迷う子と変わらない

六道に生まれ変わりめぐる因縁は
             ※六道・・・地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上。

 

おのれが無知ゆえの暗闇の道である

愚かな暗闇の道を、幾つもかさねて

いつ、その闇から抜け出すだろうか

(二)

ところが大きい教えの座禅(禅定)は

どれだけ賞賛してもよい

施しや戒めや精進、智恵などや

念仏や懺悔や修行など

それやこれやの多くの善行は

すべてが、この大きな教えの中にある

一度その教えに入れば

積んできた多くの罪もなくなる

地獄・餓鬼・畜生の世界はどこにもない

清浄なる世界(極楽)は近くにある

ありがたいこの教えを

一度、耳(心)にしたときに

賛嘆し、随喜する人は

福(安楽)を得ることが、間違いない

また、聞くだけでなく自ら日々努めて

ついに仏性を得れば

仏性、すなわち人間の本性であって

ここにいたって戯(たわむ)れの世界はなくなる

(三)

原因と結果が一体であることを明らかにし

唯一無二の道を進み

目に見えず触れられない実相を、実相とすれば
      
※実相・・・真実の姿、かたち。

 

何をしようが道のうちである

何も求めない心を、心とすれば

何をしようと法(道理)にかなう

心にこだわりがなく、自在ならば

生滅しない本当の心が冴えてくる

このときに何を求めるべきか

悟りの境地が現れるから

これがすなわち極楽浄土

この身がすなわち仏である

白隠禅師の坐禅和讃(終)