「常不軽菩薩=意訳全文」
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(一)

昔、威音王(いおんおう)という名の仏がいた。すぐれた智慧を持って、すべての衆生(生きとし生き
るもの)をひきい導いていた。天界の人びとも、人間も、竜神たちも、共にまごころをささげてお仕えし
ていた。この仏が亡くなって、時が経ち、その教えもすたれようとしていた時に、一人の菩薩が現れた。
常不軽(じょうふきょう)という名前であった。その頃の出家、在家の修行者たちは、増上慢(正しい教
えを得ていないのに得たと思い込んでおごり高ぶる者)に満ちてあふれていた。常不軽菩薩はそんな修行
者を見つけると、近づいて行っては、こう言うのであった「私はあなたを敬(うやま)い、決して軽(か
ろ)んじません。なぜならば、あなた方は菩薩の道を行(ぎょう)ずることによって、必ず仏となるので
すから」人々はそれを聞いて、嘲笑したり、悪口を言ったり、ののしったり、あてこすりを言ったり、石
を投げ棒で打ちすえようとしたが、常不軽菩薩は決して怒ることなく身を避けて、なお同じことを述べ続
けた。そのために、人々は彼を「常に軽んじない者」と呼んだ。

   (二)

そんな常不軽菩薩が、自分の宿業(過去からの行いや言葉や心の三つの業)を果たして、この世の寿
命を終えようとする時、この法華経の教えを聞くことができて、心と体の汚れが洗い清められた。その結
果、不思議な力を得て寿命も延びたので、また多くの人々に対して、この教えを説き広めた。自分勝手な
教えの解釈に固執していた多くの人々は、皆この常不軽菩薩の教化(きょうげ)によって、正しい教えに
入ることができて、仏へとつながる道を歩むことができるようになった。常不軽菩薩は亡くなった後の、
次の世も、また次の世でも、その功徳によって無数の仏にお遇いすることができた。そして、それらの仏
のもとでも、この法華経の教えを人々に説き続けたために、はかり知れぬほどの福を得て、次第に功徳を
具えて行き、時を経ずして仏の悟りを得ることができた。
(参考)

教化(きょうげ)・・・人を教えさとし、苦しむ者を安らかにし、疑うものを信仰に入らせ、誤った人を
正しい道に戻すこと。

   (三)

その時の常不軽菩薩というのが、すなわち、わたしの前世の身にほかならない。そして、その時の自
分勝手な解釈に固執していた出家、在家の修行者たちは、常不軽菩薩の「あなた方は必ず仏になれます」
といつも聞かされていたために、その言葉によって仏性を開くことができ、その後に無数の仏にお遇いす
ることができたのである。今この法会(ほうえ)に集まり、私の前で教えを聞いている五百の菩薩、なら
びに出家、在家の修行者たちこそが、その人たちなのである。わたしは前世において、これらの人々に勧
めて法華経という最高の教えを聞かせ、仏性の眼を開かせ、この世の法則を示して教えることによって、
人々に安心の境地を与えてきた。そして、私自身、何度生まれ変わっても、この教えを固く信じていられ
るようにしたのである。

   (四)

しかし、仏法に出会うことは簡単ではなく、億億万劫という想像も及ばない程の年月を経て、ようや
く時が熟して初めて、この法華経の教えを聞くことができるのである。億億万劫という想像も及ばない程
の年月の中で、諸仏世尊は滅多にこの法華経の教えを説くことはないのである。 それゆえに、修行者た
ちよ。わたしが入滅(にゅうめつ)した後の世において、この法華経の教えを聞く機会があったなら
ば、決して疑惑を持ってはならない。自分でも一心になって法華経の教えを説き広めるのである。そうす
れば、生まれ変わるごとに仏に会うことができ、時を経ずして仏の悟りに達することができるのである。

常不軽菩薩(終)