「父母恩重経(全文=意訳)」

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(一)
ある時、お釈迦さまが王舍城(おうしゃじょう)の耆闍崛山中(ぎしゃくつせんちゅう)に、
菩薩、声聞(しようもん)の人たちと共にいたとき、比丘・比丘尼・優婆塞(うばそく)・
優婆夷(うばい)・一切諸天の人民及び龍鬼神などが、法を聞こうと集まった。この時、
お釈迦さまが、このように説かれた「汝等大衆(なんじらだいしゅう)、よく聞くがよい。
父に慈恩(じおん)あり、母に悲恩(ひおん)あり。すなわち、山より高き父の恩、海よ
り深き母の恩を知ることこそが道の始めである。人がこの世に生れたのは、宿業を因(いん)
とし、父母を縁(えん)としている。気(き)を父の胤(たね)に受け、形(かたち)を母の
胎内に宿(やど)す。
この因縁ゆえに、母の我が子を思ふことは、この世に並ぶものがない。その恩は未形
(みぎょう)に及ぶ。始めて命(いのち)を受けてからは、ただ胎児(こ)のために祈っ
てやまない。十月(とつき)を経る間、日々もろもろの苦悩を受け、苦悩がやむことがない。
常に、ただ一心に安産であることを思う。
母は月満ちて出産の時期が来れば、業風(ごつぷう)吹きてこれを促し、骨(ほね)節(ふし)
ことごとく痛み、あぶらあせが流れて、其の苦しみ堪え難く、父も心身おののきて、母を気づか
い、子を憂(うれ)い、親族は集まって、ただただ安産を願うのみである。

※宿業・・・前世の善、悪業の結果を今世に受けつぐこと。
※気・・・心
※未形・・・まだ子が人間に形をしていない状態。
※業風・・・陣痛のこと

 

(二)
やがて生れれば、父母の喜びはかぎりなくて、まるで貧しい女が如意珠(にょいじゅ)を得た
のと同じである。子の泣く声を耳にして、母も初めて、この世に生まれ出たごとくになる。母
のふところを寝床とし、母の膝を遊び場とする。母の乳を食物とし、母の情けをいのちとする。
飢えて食を求めるが、母でなければ食わない。渇く時、飲みものを求めるが、母でなければ飲
まない。寒い時、服を着せるにも、母でなければ着ない。暑い時、衣を脱(ぬ)ぐにも、母で
なければ脱がない。母は、自分が飢(うえ)えていても、噛んで含めたものを子に食わせ、寒
さに苦しむときは、母は自分の着たものを脱いで子に与える。母でなければ養われず、母でな
ければ、育てられない。又、そのらん車で粗相した排泄物の不浄も気にもしない。幼な子の乳
を飲むことは百八十斛(こく)を越す。まことに父母の恵みこそは無限のものである。
※如意珠・・・願いが思いのままにかなえられる宝玉。
※らん車・・・乳母車
※百八十斛(こく)・・・180リットルの180倍

 

(三)
母は東西(とうざい)の隣村に雇われて、水くみ、火焼き、あるいは、臼(うす)つき、臼ひ
きなどの様々な仕事でいそがしくて家に帰れないと、幼な子が家で泣き叫んで、自分を慕うと
思ふと胸がさわぎ、心が不安になり、両乳は流れてとどまらない。いつかしか仕事も打ち捨て
て家路に急ぐ。子は母の姿を見て、らん車の中にいるときは、頭を遙(ゆる)がし、外にいれば、
はらばいして出て来て、泣きながら母を求める。喜び踊る幼な子を見ると、母は駆けよって、
憐(あわ)れとばかりに幼な子を抱きしめて、早速、乳ふくませて顔を見つめると、母も喜び
乳児も笑らう。二つの心は相和(あいなご)む。恩愛は誠に有難きものである。子が2才にな
って歩くようになると父は、火傷(やけど)の心配をし、母は刃物の怪我を心配する。子が3才
になり、乳を離れて何んでも食べるようになると、父は毒の心配をし、母は病気になれば必死で
薬を探す。父母は宴席に呼ばれて美味しいものを出されても、自分では食べずに、持ち帰って子
に与える。一度でも、父母が何も持ち帰らないと、子は泣き叫んで父母を責め立てる。

 

(四)
幼な子が成長して、友達ができると、父は子に服を買い与え、母は子に着物を与え、自分たちは
着古したものを身にまとう。やがて子は成人して妻を娶(めと)れば、とたんに父母をないがし
ろにする。そして、子は部屋にこもって妻と二人だけで語り楽しむ。父母が年老いると頼れるの
はただ子のみ、頼みは、ただ嫁のみなのに、若夫婦は朝から晩まで一度も父母の元に訪れない。
やがて、連れ合いに先立たれた一人暮らしの父か母が、常に恩愛の情なく、また談笑のたのしみ
もなく、夜半には夜具が冷えて安んじて寝ることもできない。又、洗濯もままならず、着物には
蚤虱(のみしらみ)多くて、夜明けまで寝られない。いくたびも、寝がえりをうって、老いのくり
ごとを言う「ああ、わたしはどのような罪があって、このような不幸な息子をもったのだろう」
孤独と寂しさに子を呼び寄せれば、子は目をいからせて怒りののしる。嫁や孫もこれを見て共にの
のしり、はずかしめる。嫁も不孝、孫もまた不順であり、夫婦和合して五逆罪をつくる。また、急
用が出来て呼び寄せれば、十度よんでも九度はこず、ようやく来たかと思うと、床に臥している父
や母に向かって、何んで呼び寄せたのだと枕元に立って怒声を吐く「老いぼれて生きているより
早く死ね!」こんな言葉を聞いて、父や母は怨みが胸に満ち、涙を流し、悲しみ叫ぶ「おまえが
幼少にときは、私たちでなければ養われず、私たちでなければ育てられなかったのに。今のおま
えがあるのは、いったい誰のおかげというのか。ああ、私は、おまえなど生まなければよかった」
と。もし子にして、父母に このように嘆かせれば、子は、その言葉と共に地獄に落ちて、餓鬼、
畜生の仲間になり、いかに如来、金剛天、五通仙でも救い護(まも)ることはできないのである」

※五逆罪・・・主人、父、母、祖父、祖母の五人を殺(無視・怒号も同様)すこと。

 

(五)
お釈迦さまは、更に説かれた「汝等大衆、よく聞くがよい。父母に十種の恩徳がある。一つは懐
胎守護(かいたい しゅご)の恩。二つは臨生受苦(りんしょう じゅく)の恩。三つは生子忘憂(し
ょうし ぼうゆう)の恩。四つは乳哺養育(にゅうほ よういく)の恩。五つは廻乾就濕(かいかん
 しゅうしつ)の恩。六つは洗灌不淨(せんかん ふじょう)の恩。七つは嚥苦吐甘(えんく とかん)
の恩。八つは爲造悪業(いぞうあくごう)の恩。九つは遠行憶念(おんぎょう おくねん)の恩。十
は究竟憐愍(くきょう れんみん)の恩。このように父母の恩、重きことは広大無辺である。
(参考)
(1)懐胎守護… 子を十ヶ月の間、腹の中で育ててくれた恩。
(2)臨生受苦… 子を生むときの苦しみに耐えてくれた恩。
(3)生子忘憂… 子を生む時の苦しみ忘れて愛してくれた恩。
(4)乳哺養育… 子にお乳を飲ませてくれた恩。
(5)廻乾就濕… 子のおしめを替え、乾いた布団に寝かせてくれた恩。
(6)洗灌不淨… 子の排泄物を洗い清めてくれた恩。
(7)嚥苦吐甘… 子にだけおいしいものを与えてくれた恩。
(8)偽造悪業… 子のためなら悪事をもいとわない親の恩。

(9)遠行憶念… 子が遠くにあっても気遣ってくれる恩。
(10)究竟憐愍… 年老いても生ある限り子を心配しつづける恩。

 

(六)
お釈迦さまは、さらに説かれた「汝等大衆(なんじらだいしゅう)よ、このような無限の恩コ
にいかにして報(むく)いるべきか。母は、子を胎(はら)めば、十月(とつき)を経(へ)る
間、日々もろもろの苦悩を受ける。月満ち、日足りて産(う)まれる時には業風(ごつぷう)
吹きてこれを促(うな)がし、骨(ほね)節(ふし)ことごとく痛みその苦しみは堪(た)えが
たいほどである。命(いのち)も絶えそうになる。その子、声を発すれば、母も初めてこの世
に生れ出たような心地である。美しかった若妻も、幼な子を一人、育てれば花の顔(かんばせ)、
いつしか衰え行く。身を切る如き、雪の夜も、骨さす霜の朝も、乾(かわ)いた所に、子を置く。
尿で懐中(ふところ)をけがし、背をぬらす。不浄を嫌がることもなく、洗う日々が幾度(いく
ど)あったことか。己れは寒さに凍えつつ、着ているもの脱いで、子を包み、甘い食物は噛んで、
子に与え、苦(にが)い食物は自ら食う。父母は吾子(わがこ)のためならば、たとえ悪業をつ
くり、罪をかさねて、もし地獄に落ちようとも、少しも悔(くやみ)は無い。もし子が遠くへ行く
ならば、帰ってきてその顔を見るまでは、どこにいても子を憶(おも)い、寝ても覚めても子を
念(お)っている。年老いても、生きている限り子のつらさ、悲しさの身代りになろうと念(お
も)い、死んだ後も子の身を護(まも)ろうと願う。
※業風(ごつぷう)・・・ 陣痛のこと。

 

(七)
それなのに、長(ちょう)じて成人と成ると、語気荒くして父の言葉には従わず、母の言葉にも怒
りを含む。そして、妻を娶(めと)れば父母に背(そむ)き違(たが)って、恩なき人の如くで、兄弟
を憎み、嫌(いと)うことは怨(うら)みのある者のようである。それなのに妻の親族が来れば、
喜んで部屋に上げて供応し談笑する。ああ、ああ、何と言うことだ。親(した)しき者を疎(う
と)み、疎きものと親しむとは。父母の恩の重きことが無限であることを、少しも分かっていない。

 

(八)
この時、弟子の阿難が起(た)って、合掌してお釈迦さまに聞いた「世尊よ、そのように無限な父
母の重き恩に対して、私たち出家の子は、どうして報(むく)いるべきでしょうか」お釈迦は答
えた「汝等大衆(なんじらだいしゅう)よ。孝養については、在家出家の別はない。外で新しい
食物を得たならば、持ち帰って父母に差し上げよ。父母はこれを得て歓喜し、自ら食うに忍びず、
先ずこれを三宝(仏法僧)に廻(めぐら)し施(ほどこ)して菩提心(信仰の心)をおこす。父母
が病気になったら、傍(かたわ)らを離れずに、親(した)しく自ら看病せよ。一切の事は、こ
れを他人に委(ゆだ)ねてはならない。時には、粥飯(かゆ)を勧めよ。親は食べる気がなくても、
子がすすめれば粥飯を食べる。親が暫(しば)らく眠(ねむ)れば気を静めて息を聞き、眠りから
さめたら医者に聞いて薬をすすめよ。日夜、三宝を敬(うやま)い、親の病気の癒(い)えんこと
を願い、常に報恩の心を懐(いだ)きて片時も忘れることがないように」

 

(九)
この時、阿難は、さらにお釈迦さまに聞いた「世尊よ、そのようにすれば、父母の恩に報いたこ
とになるのですか」お釈迦さまは答えた「否、まだまだ父母の恩に報いたことにはならない。親
がかたくなにして三宝を奉ぜず、不仁にして物を残(そこな)い、不義にして物を盗(ぬす)み、無
礼にして色欲に荒(すさ)み、不信にして人を欺(あざむ)き、不智にして、酒に耽(ふけ)ったなら、
子は、これをきびしくたしなめて改悟させるべきである。それでもまだ悟ることがなければ、譬
(たと)え話などをして、よく因果の道理を説いて、未来の苦しみから救うべきである。もし、な
おも頑(かたくな)にして、まだ改めることがなかったならば、泣き悲しんで、自分の飲食を絶(た)
ちなさい。そうすれば、いかに親が頑であろうと、子が死ぬかも知れないとおそれ、恩愛の情に
ひかれて我慢しながらも、改悟して正しい道に向かうであろう。
※5常… 仁(思いやりの心)・義(正しい行い)・礼(豊かな心)・
智(正しい判断)・信(周りの人
からの信頼)

 

(十)
もし親が改悟して、佛(ほとけ)の五戒を大切にし、仁ありて殺さず、義ありて盗まず、礼あり
て淫せず、信ありて欺(あざむ)かず、智ありて酔わなければ、すなわち家庭において、親は子
に対して滋愛をもち、子は親に対して孝行を尽くし、夫は妻に正しく、妻は夫に貞淑、親族和
睦し、使用人も忠順なら、六畜虫魚にいたるまで、すべてが恩恵をこうむる。また、諸仏、も
ろもろの神さま、為政者、忠実な家臣、一般人民にいたるまで敬愛しないものはなく、暴君も、
へつらう臣下も、悪徒や妖婦も、あらゆる邪悪怪異なものでも、このような改悟した人をどう
することもできない。かくして父母は、現世では安穏に暮らし、死後には善(よ)いところに
生(うま)れ、佛を見、法を聞いて、長く輪廻転生の苦しみからのがれることができる。こう
して、始めて父母の恩に報いる者となるのである。
※五戒・・・(1)不殺生戒(ふせっしょうかい)=生き物を殺してはいけない。
(2)不偸盗戒(ふちゅうとうかい)=他人のものを盗んではいけない。
(3)不邪淫戒(ふじゃいんかい)=自分の妻(夫)以外と交わってはいけない。
(4)不妄語戒(ふもうごかい)=うそをついてはいけない。
(5)不飲酒戒(ふおんじゅかい)=酒を飲んではいけない。
※六畜虫魚・・・さまざまな生きもの。

 

(十一)
お釈迦さまは、さらに説かれた「汝等大衆(なんじらだいしゅう)よ。よく聞くがよい。父母
のために心の限りを尽くして、あらゆるおいしい食物、美しい音楽、妙なる衣、乗り物、立派
な家をささげ、父母が一生遊んで楽しく暮らせても、もしまだ三宝を信じないならば、もって
これを不孝という。なぜなら、慈(いつく)しみの心があって他の者に施(ほどこ)しを行い、
礼儀があって身を正しく、柔和にして他からの辱(はじ)を忍び、勉強して徳に進み、心を静寂
に潜(ひそ)め、志(こころざし)を立てて学問に励む者とは言っても、一度、酒色に溺(おぼ)
れれば、悪魔がたちまち隙(すき)を伺い、妖魅は即座に力を得て、財産を惜(おし)げもなく使
わせ、情におぼらせ、いかりを起させて、すぐに怠(なま)けるようになり、心をかき乱し、
知恵をくらまして、行いを獣(けだもの)と変らないようにさせる。

 

(十二)
汝等大衆よ。古来より今に至るまで、こうして人の道を踏みはずして身を亡ぼし、家を滅(ほ
ろぼし)し、君主を危くし、親をはずかしめなかった者はいない。そのため、仏道修行者は独
身にして家庭を持たず、その志を清潔にして、ひたすらに仏道をはげみ、それ以外の親の子た
る者はこうしたことを深く思い、遠い先まで考えて、もって父母の孝養の重要さ、大切さを知
るべきである。このようにしてこそ、父母の恩に報いることができるのである」

 

(十三)
この時、阿難、感激のあまり涙をうかべて合掌し、お釈迦さまに言った「世尊よ、このお経は
何いう名前でしょうか。又、どのようにして使うべきでしょうか」お釈迦さまは阿難に答えて
言った「阿難よ、このお経は、父母恩重経と名づける。もし一切衆生が、一たびこの経を読み
唱(とな)えれば、生み育ててくれた父母の恩に報いることになる。一心にこのお経を持って
念(ねん)じ、又、人々にこれをすすめて念じさせれば、その人はよく父母の恩に報いること
になる。一生の間に犯した十悪・五逆・無間の重罪も、みな消滅して、無上道を得るのである」
この時、梵天、帝釈天、もろもろの神々、多くの人民などのお釈迦さまの説法に集った人々は、
この説法を聞いて、ことごとく菩提心を発し、五体投地の最高礼をおこなって、感涙を流すこ
と雨のようであり、皆すすみ出て仏さまを礼拝した。そして、再びもとの座にもどって、各々、
心から法のよろこびにひたり、お釈迦さまの教えを実行した。
(参考)
※無上道… この上なきすぐれた道(仏道)で、仏になる道のこと。