朝の四時。夜が明け、空がうっすらと朱に染まり始める時間。その時間 が、夕方と並んでこの村が最も忙しい時間帯。 「早くしろぉ〜日が昇るぞ!」 小さな村を喧噪が包み込む。 この日取り入れ当番のラナとクラーレは、梯子の上で星を取り込んで いる最中だった。 「あのさクラーレ、いつも思うんだけどさ……」 ラナは手を休めずにすぐ横のクラーレに話しかけた。 「何?やけに含んだ言い方じゃん」 「別に大したことじゃないけど……忙しいね」 「それは毎日のことだし。何を今更?」 「そうだけど、これだけ忙しくて、何でもっと人を増やさないのかな、 って。増やせば楽になるのに」 その疑問にクラーレはとまどった。少しして、 「そんなの俺は知らないって。長にでも聞いてみれば?」 と言った。この「長にでも聞けば」というのは、クラーレがラナをあし らう最終手段だった。 ラナは16歳にして、この北の四等村に来た。それに対して長は少な く見ても55歳は過ぎているのに、未だにこの村にとどまっている。つ まりはそういうことなのだ。出世上手な部下と、それをねたむ上司?ち ょっと違うか。まあ、ラナ自身はそれを意識したことはなく、単に才能 とか、運とかだと割り切っている。でも、それが余計に長の気に障るら しい。 「これでラストっと」 最後の一個を篭に載せて、終了の合図に紐を引く。篭はするすると降 りていった。 夜空には他の四等星は既に無かった。どうやら今日は「北」が最後だ ったらしい。 「明日から、もう少し入れないとね」 手慣れた手つきで梯子を下るラナ。 「そ、そうだね」 対照的にクラーレはぎこちなかった。 「大丈夫?捕まる?」 「うん、お願い」 ラナの申し出に、クラーレは案外と素直に応じた。 「でも、作業中は何ともないのに登り降りだけ苦手って変わってるよね」 「作業中は集中してるから大丈夫なんだけど……」 結構な時間をかけて梯子を降りる。下にはもうみんなの姿はなかった。 唯一、シンを除いて。 「お疲れさま」 シンはこの村ではラナの次に若いが、一番の磨き師だ。同時に人望も 村一番。それがこういう所に現れているのかも知れない。 「ありがと、ところで星は?」 「ああ、作業所のいつもの所に置いてあるから」 「ありがと」 ラナは軽くお礼を言い、その場を去ろうとする。そこをクラーレが呼 び止めた。 「あのさ……」 「何?出来れば簡潔に言って。星が心配だし」 「うん、分かってる。でさ、ラナは怖くないの?高い所」 「怖いとか、そういう事じゃないと思うな」 答えたのは、ラナではなく、シンだった。 「どういうこと?」 ラナは興味を持ったときにする、独特の相手の顔を覗き込むようなポ ーズをした。 「口で説明するのは難しいんだけど……」 シンは、ラナの顔があまりに接近していたので、顔を仰け反らせるよ うにした。 「普通の人は怖いとか、高いとか、あまりそういう意識をしたことがな いんだと思うよ。大体、星が高いのは当たり前だし」 「要するに、クラーレは普通の人じゃないってこと?」 「まあ、そうとも言えるね」 「良かったね、クラーレ。普通に人とは違うんだってさ」 そう言って肩を叩いた。 「褒められてるって訳じゃないと思うけど」 「そんなこと無いって。クラーレは村一番のシンに褒められた、だよね? シンさん」 いきなり話題を振られたシンは苦笑して答えた。 「そうだな、他人と違うことは確かにすごいことだな。良い意味でも悪 い意味でも」 やはり実力を伴った人の言うことは重みが違う。ラナはそう感じた。 若いラナにとって、年齢が近く貫禄もあるシンは、心の師であり尊敬す る人でもあった。 「それより、星の方はいいの?僕の方は軽いメンテは済ませてあるけど ……君たちはしてないんじゃない?もう取り込んでから三十分くらい経 つよ」 「あ、しまった!」 ラナとクラーレは声を合わせて言った。一つのことに没頭すると、他 のことを忘れてしまう性格は二人に共通していた。性格が似ているから こそ、村ではカップルと呼ばれるまでに二人は仲が良いのだろう。 「シンさん、良い話をありがとうございます」 シンに軽く会釈をすると、ラナとクラーレは作業場までの短距離ダッ シュに移った。息が上がったが、叱られるよりはずっとましだ。それに 自分の星のことも気になる。 作業場は実にシンプルな建物だ。四方に太い木柱が立っていて屋根を 藁で葺いた、ただそれだけの建物である。星は日光を嫌うし、風通しが 良くないといけないから、必然的にこういう作りになる。二人が近づく と長が出てきた。長が何かを言おうとして口を開いた。瞬間、間髪入れ ずしてラナが言った。 「遅れてすいません」 まず最初に謝って出鼻を挫く。ラナが一六年の人生で学んだ処世術で ある。だが、それも長には通用しなかったようだ。 「何を考えているのだね、君たちは。星をほったらかしにして、みがき 師失格モノだぞ、まったく。大体が……」 元々根を持っていたせいか、やたらしつこく二人を責めたてる。二人 とはいっても、そのほどんどはラナに向けられていたが……。長説教を 聞く気にはなれないラナは言葉が途切れた隙に割り込んだ。 「長くなりそうなので、先に星を見てきていいですか?心配なので」 ラナは間違ったことを行っているわけではない。だが、相手を挑発し たとも取れる言い方だ。 「よ、よろしい。先に星の手入れをしてきなさい」 「分かりました」 青筋を額に浮かべている長の横を平然と通り過ぎていくラナ。クラー レも後に従う。 「よくやるよな、長を黙らせるなんて」 ラナはクラーレから見たら子どもだ。しかし、クラーレはそんなこと を全く気にせず、心底ラナに感心した。 「こういうのには慣れてるから。それより早く星見てあげないと」 そう言うと、ラナはいつもの位置に向かった。作業場はただの屋根しか ない場所だから、特に区切りがあるわけではない。けれど、北東の柱の ふもとがラナとクラーレの定位置になっている。ラナはそこに自分の星 を見つけると、駆け寄っていった。 「ごめんな。少し遅くなっちゃったよ」 五芒星の形をしたそれは、上から布でもかぶせたみたいなくすんだ輝 きになっていた。「ごめんな、遅くなって」ラナは大事そうに胸に抱き しめ、手でさすりながら語りかける。こうなったらたとえ一番仲のクラ ーレの声だろうと、ラナには届かない。クラーレも何も言わずに、懐か ら布を取り出して自分の星を磨き始めた。 「ラナ、もう夕方だって。ラナってば」 クラーレはラナに呼びかけること16回。その時になってようやく顔 を上げた。 「夕方、もう飾らないと」 きょとんとした顔のラナに伝える。 「ああ、もうそんな時間か……。あれ、昼ご飯食べたっけ?」 「食べたよ、とっくに」 その言葉にラナは「本当に食べたかなぁ」とぼやいたが、いつものこ となのでクラーレは無視して話を進める。 「早くしないと日が暮れちゃうよ」 「うん、分かってる」 ラナはみがき布をベルトに挟んで立ち上がろうとする。だが、長時間 座っていたせいで、足が痺れている。 「大丈夫?立てる」 本来みがき師は、こうならないように一時間おきに休憩時間がある。 しかし、ラナは休憩も取らずに黙々とみがき続けるから、こうなるのだ。 「大丈夫、立てるよ」 そう言って、自力で立ち上がると、ラナは星を空に掲げた。 「うん、いいまあまあかな」 星は先ほどとは全く違った輝きを帯びていた。明るさはそれほど変わ らないけど、青白く光るそれは存在感が段違いだ。 「相変わらず、ラナの星は綺麗だよな。俺の星とは比べものにならない よ」 「そんなこと無いって、クラーレの星も素敵だよ」 お世辞ではなくそう言った。クラーレの星はラナとは違って、真っ赤 な色をしている。星は、人によって青、黄、緑さまざまな色に磨けるけ ど、赤色に磨けるのはこの村ではクラーレただ一人だ。 「星磨きは心が現れるって言うし、クラーレのは情熱の赤だね」 「よせよ、照れるから。それより早く持っていかないとまた長にどやさ れるぞ」 「そうだね、これ以上怒られるのはご免だよ」 星を出し入れする梯子は村の中心にある。というより、梯子を囲むよ うに村の建物が造られている。 二人がそこに着くと、既に今日の飾り当番であるシンが梯子に登って いた。 |