鮎鮓の献上は、慶長8年(1603年)長良川の鵜飼いでとれた鮎を使って作った鮎鮓を、徳川家康と秀忠に献上したことに始まります。 岐阜の御鮓元から岐阜街道、美濃路、東海道を経由して約5日で運ばれました。このとき、岐阜から加納問屋を経て鮎鮓が到着したのが笠松問屋でした。笠松から、農民が毎回15人で運ぶ仕事をしていたということです。 文政年間に笠松村年寄株を引き受けた高嶋家は江戸末期まで笠松問屋の任を務め、「鮎鮨御三荷継立帳」など、鮎鮓継立ての詳細な記録を今に残している。