美濃郡代笠松陣屋・笠松県庁跡

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 当初、美濃郡代の陣屋は、1604年(慶長9年)に可児郡徳野に置いた徳野陣屋にありました。

 1650年(慶安3年)に、美濃国代官の岡田善政(岡田将監善政)は、木曽川の堤防工事のため、
羽栗郡笠町に仮陣屋を置いて、美濃国の治水事業を行います。
 1662年(寛文2年)、正式に美濃郡代を笠松に移転します。その際、笠町を笠松に改めました。
(1669年という説もあります)
 江戸時代、美濃国天領の中心として、また木曽川水運の中継地点として、笠松は大いに栄えます。

 1868年(明治元年)、美濃国の旧天領・旗本支配地を治めるため、中央政府から知事が派遣さ
れます。美濃郡代笠松陣屋は、笠松県庁舎にそのまま使用されました。

 1871年(明治4年)、新制明治政府は全国に廃藩置県を命じます。
 笠松県は、美濃国内のほかの8県と合併し岐阜県となり、笠松県庁舎(旧笠松陣屋)は、1873年
(明治6年)に本願寺岐阜別院の仮庁舎に移転する迄の2年間、岐阜県庁舎として使用されました。
 これらのことから、笠松は岐阜県政始まりの地と言われています。

 
 岐阜県庁旧庁舎は、笠松小学校として払い下げられましたが、1891年(明治24年)、濃尾震災で
倒壊します。その後、校舎を新築し、明治期の終わりまで開校されましたが、手狭なため小学校が
下新町の現在地へ移転。跡地は全て払い下げとなりました。


 払い下げ用地の大部分を購入して、岐阜絹綿工業を興し、戦前戦後の笠松の経済界を牽引したのが
昭和5年に和田邸を建築した和田家です。
 岐阜絹綿工業の跡地は、明治期の旧事務所を残し、現在は空き地となっています。敷地の一部が
笠松町に譲られ、当時を偲ぶ史跡として整備されています。
 

 

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