鵜飼屋には、地元のみなさんが「岩西さん」とか「御廟所」と敬われている「日子坐命墓(ひこいますのみことのはか)があります。明治時代には御墓所と定められ、今では長森の琴塚古墳(岐阜市最大の前方後円墳)と同じように陵墓参考地に指定され、宮内庁管理地として大事に保護される場所です。
日子坐命(ひこいますのみこと)は、第9代開化天皇の皇子といわれ、勅命により美濃国の治山治水など開発を担当し、この地で亡くなったものといわれています。
歴史上では初代から第9代までの天皇はその実在が疑問視され、その皇子という日子坐命(ひこいますのみこと)は実在の人物であるのか、疑問が残りますが、芥見から岩田・岩滝方面もふくんだ岐阜市東部から各務原市にかけての地域を支配していた人物が存在し、そこに伝承が誕生したのでしょうか。
墓は、清水山の山麓に100メートル以上の参道を整備し、石柵に囲まれた境内は東西13.5メートル、南北25.2メートル、墓は縦2.4メートル、横1.8メートルの巨岩により造られています。岩校区の岩滝の毘沙門道の参道東に見られる「龍磐石」という大きな石が数個並んだ場所がありますが、それは明らかに横穴式石室の天井石が長い年月の間に露出をしたものですが、この巨岩も同じように古墳の石室の天井石の可能性があります。
日子坐命墓の東には伊波乃西神社がありますが、この祭神は日子坐命とその皇子の八爪入日子命(やついりひこのみこと)であると言われています。
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