穏やかな笑みで、「初めまして」を告げた女の刀剣となった。
小さな身体の割に肝は太い。例え戦線を押し込まれてもその指揮が恐怖に鈍る事は無く、目の前で血が流れようとも、ぎゃあぎゃあと姦しく喚き立てる事も無い。戦以外に関しては、良く言えば寛容かつ鷹揚。悪く言えば大雑把で間の抜けたところのある女主人を、新しく顕現した彼等はおおよそ好ましく感じていた。
――彼等の先達にあたる者達への印象は、ともかくとして。
「主ぃ、邪魔すっぞー」
「失礼致す。うむ、先客がおったか!」
同田貫正国と山伏国広が審神者の部屋を訪ねると、そこにいたのは御手杵と博多藤四郎。彼等の同期にあたる刀剣男士だった。書類仕事の手伝いを頼まれていた博多はともかく、何故御手杵がいるのか。疑問を抱く二人を余所に、ボウルを抱え込んだ御手杵は二人を振り返ると、頬をぱんぱんにふくらませたままで口を開いた。
「ふぉ、ふぉふぁふぇふぁふぉふぃふぁふぉふぁ」
「わかんねーよ。食ってから喋れ」
「主殿、こんのすけ殿の姿が見えぬようだが如何なされた?」
「政府からの呼び出しですよ。
戦力拡充計画、第二次大阪城攻略戦に次いで、新しい戦場が解放されるらしくて」
「出陣か!」
「そうですね。まずは情報収集が先になりますけど」
「丁度良かったばい。二人も食べん? 主が西洋菓子作ったんよ、うまかよー」
片手に大皿を持った博多が、人懐っこく笑って二人を手招く。
対する彼等の主は微妙な顔だ。御手杵は切なそうな顔で、抱え込んだボウルと彼等を見比べている。どこからどう見ても自分の取り分が減るのを悲しむ顔だった。にやぁ、と同田貫が意地悪く笑う。
「そーかそーか、じゃあ遠慮なくもらおうじゃねぇか。いいんだな、主?」
「……失敗作なんで、過剰な期待はしない方がいいですよ?」
「構わねぇよ、ちょうど腹減ってたんだ」
「うむ、拙僧もご相伴に預かるとしよう!」
「こっちん皿ん取って、そっちん白いんつけて食べるんばい」
「いや御手杵さん、そんな悲壮な顔しなくてもまだありますから。
っていうかあんま食べると気持ち悪くなりますよ? 夕餉入ります?」
「ン、ぐっ……ふぃー。大丈夫だ、主のメシならいくらでも食う。腹が破裂しても食う」
「自制しよう!?」
「せからしか御手杵! 腹の破裂したら手入れ資材かかるばい!
そげな浪費、主が許してもこの博多藤四郎が許しとらん!」
「おい、気にすんのそっちかよ」
「主殿、この菓子はなかなかの美味であるな! 何処が失敗しておるのだ?」
「ああそれ、ほんとはそんなぺったんこじゃなくて膨らんでるんですよ。
シュークリームってお菓子なんですけどね……どうも膨らますのが難しくって。
ムキになって焼いてたらいつの間にかこの量に」
「菓子も日々修行、という事であるな! カカカカカ、感心感心!」
「修行っていうか気晴らしっていうか……まぁ、たくさんあるので消費に付き合ってもらえると有難いですね。
御手杵さんのお腹が破裂してもアレですし」
「相分かった。任されよ!」
しょんぼり肩を落として正座する御手杵。背後に般若を背負い、仁王立ちで説教する博多。
その光景をぬるく見守りながら、審神者が思い出したように二人に問う。
「そういえば二人とも、何か用でもありました?」
「ああ。それな」
頷き、同田貫は眉間に皺を寄せた。
どう話を切り出したものか。山伏を横目に見やれば、同田貫同様に思案気な、難しい顔をしている。しかし、今のように先達の男士がいない時にしかできない話題であるのも事実だ。
数秒間の無言の応酬の末、先陣を切るのは山伏と決まった。咳払いして口を開く。
「主殿。以前から気になっておったのだが……先達の同輩ら。あれらの主は、誠に主殿か?」
「……、唐突ですね。ひょっとして、誰かと何かありましたか?」
「何もねぇよ。ただ、主が顕現したにしちゃどうにも、な……」
良い主だ。そう思う。
ひとつの事に集中すると周りが見えなくなるところとか、自己評価が低いところとか、自分の命を軽く見ているフシのあるところとか、刀剣男士と積極的には関わっていこうとしないところとか。短い付き合いの彼等でも分かる主の悪癖、不満は相応にあるものの、それも含めてこの女審神者は彼等の“主”だ。彼等を顕現し、従える主。
背負ったものが何かを、知っている女だ。
背負っているものの重みを理解してなお、担う覚悟を決めた女だ。
青く、稚い。しかし彼女は彼等にとって良い“主”で、好い“人間”だった。
守り支え、従っていく事について何ら異存は無い。たとえ他人からすれば凡百の屑石だったとしても、少なくとも彼等にとって、主たる女審神者は唯一無二の替えられざる主人であった。
だからこそ解せない。理解できない。
先達たる刀剣男士達が主へ捧げる忠誠の、その歪な有様が。
隠してはいるのだろう。しかし同じ本丸で生活を共にし、戦場を共に駆ければ次第に察しはつくものだ。
狂気はふとした瞬間に顔を覗かせる。戦意が高揚している時などは尚更だ。
普段は理性で覆い隠している歪さを、戦場特有の狂騒が露呈させるのである。
主の言葉を借りるなら、“めんどくさい”連中。
それが偽らざる、先達の同輩達に対する彼等の意見だった。
「……彼等も間違いなく、私の刀剣男士ですよ。
ただし次郎さんと小夜以外は、私が顕現した刀剣男士じゃあないですけど」
「えっ。あの二人も主が顕現したのか?」
「そうですよ? 私が鍛刀して、顕現しましたもん」
「……ん? あん二人以外はなして主の下にいるとよ? あん人ら顕現したばい主、一体どげんしたと?」
説教よりも、こちらの話の方が重要度が高いと判断したらしい。
何気に聞き耳を立てていた博多が、腕組みして主に問う。
それに、主は眉を八の字にして中空を睨んだ。しばし視線を彷徨わせて、言葉を選びながら口を開く。
「……あー。まぁ、話しといた方が良さそうですね。
そもそもこの本丸自体引き継ぎなんですよ。私は二代目。で、前任者が彼等を顕現した主にあたります」
「そいつはどうしたんだよ」
「結構な外道というか、ろくでなしでして。
んー……ざっくり纏めると、刀剣男士に謀反起こされてお亡くなりになりました」
「謀反ん!? 刀剣男士がか!」
「俄かには信じ難い話であるな……」
叫ぶ同田貫、沈痛な表情になる山伏。
人の器を得ようとも、刀剣男士は付喪神で、器物の神だ。その性質はあくまでも従である。
それが、主に反逆。道具は使い手に使われてこその存在だ。
使い手に反旗を翻す道具など、もはや“道具”とは呼べまい。
心底分からない、といった様子で、御手杵が首を捻る。
「わかんねぇなあ。なんであんた、謀反起こしたような連中従えてんだ?」
主は優しい。しかし、それだけの人間ではない。
冷徹に、時に非道と謗られるような選択をする事の出来る人間だ。
謀反を起こすような道具を抱え込む、そのリスクを理解していないとも思えない。
確かに先達の刀剣男士達は、主に忠誠を誓っているのだろう。けれど、それでも自分達と違い、互いに埋め難い溝があるのを彼等とて薄々察している。四対の視線に見つめられて、主は困ったように微笑んだ。
柔らかい――許容と諦念が入り混じったような、それでいて、ふかい慈しみの籠った笑みで。
「……しかたないなぁ、って、思っちゃったんですよねぇ……」
我が子の駄々をあやす、母親のような。
弟妹の癇癪を許す、姉のような。
それは憐れみで、同情で、優しさだった。
どこまでも許されているのだと、何もかもを受け入れてくれるのだと。そう錯覚するような。
独り言めいた呟きは、彼女の霊力の甘やかさによく似ていた。
乾いた身体を潤す清水のように、さらりと優しく、深くまで染み渡っていく。
「“絶望は、死にいたる病である”」
主の言葉に、山伏の眉が跳ねた。
「前任者は、殺された事を恨んでやしませんよ。興味も無い。
……望むところですらあった。主の願いを叶える事は、別に罪では無いでしょう?」
「? 自死やった、いう事たい?」
「そうですね。……まぁ、互いにその自覚は無かったでしょうけど」
「添わせてはやらなんだのか」
「結局は部外者でしたしね。猶予はあげましたから、それ以降の判断は彼等の裁量ですよ。
主の介錯を務めるのも、刀の仕事の一つでしょう」
「残酷な事すんなあ、主は」
御手杵が、へにゃりと眉尻を下げた。
主はさして堪えたふうもなく、肩を竦めてその手に抱えられたボウルを取り上げた。
「自分で考える頭があって、それを伝える言葉もある。
そうである以上、あんまり口挟むのも可笑しな事でしょう。
不満があるなら言えばいいんですよ。私の刀剣男士が嫌なら、今すぐにでも本霊にお帰ししてあげますけど?」
「あっ嫌じゃない。全然嫌じゃない」
ぐりぐりと眉間を押されて、御手杵は慌てて言い募った。その目は取り上げられたボウルに釘付けである。
冗談めいてはいるが、主はそういう冗談を口にする人間ではない。願えば、それは当然のように叶えられるだろう。博多と一緒にシュー生地をさくさく消費しながら、同田貫は皿を抱えて憮然とした。
「俺らは人間に使われたくて来てんだ、今更やっぱ嫌ですとか言わねえよ。
特に、しつこく来たがってる連中なんかはな。いい加減顕現してやれよ、あいつら」
「……考えておきます」
「主、目を見て言おうぜ?」
「いかんばい御手杵、あれは問題ば先送りにしておきたい顔ばい」
「カッカカカカカ! 主はもっと自信を持つべきであるな。精進されよ!」
「うっさいシュークリーム黙って食べてろ」
主よ憐れみ給え
「……で、いざって時は腰のそいつに任せんのか」
「私、腹切るくらいなら刺し違えたい派なんですよね」
「主殿はまっこと勇ましきおなごよな!」
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