深淵を覗き込む夢を見る。

 暗闇に、ぽつりと置かれた白い棺。
 見下ろす其処には、もう、誰も入っていない。
 足元を埋め尽くすのは折れた鋼。踏み拉かれて原型を留めなくなった肉片。
 誰かの腕。足。顔の無い首。身を捩って悶える異形が、ずぶずぶと暗い血肉の海に沈んでいく。

 ――いっぱしの外道じゃあねぇか。よくやるもんだ。

 首の無い男が、感心したように顎らしき辺りを撫で擦る。
 気付けば、両手が赤く染まっていた。
 なまあたたかな、脈打つ血潮。いのちあるものの証。
 肉を抉り貫く、なんとも形容しがたい感触。
 こふ、と。血を吐きながら、少年姿の付喪神が微笑む。

 ――ご立派です、審神者様。

 風が吹く。

 空が罅割れる。

 赤黒い世界を割って、青色が覗く。

 遥かに高く、遠い場所。
 赤く染まった身体を、黒色が覆う。
 ずっと纏っていたかのように、墨染めの羽織はしっくりと馴染んだ。

 おいで、と誰かが囁く。

 殻を捨てて、と誰かが告げる。

 産まれておいで、と誰かが笑う。


「   」


 背後で、誰かが私の名を呼んだ。


 ■  ■  ■


 最近、とみに酒量が増えたと自分でも思う。
 しかし断じてアル中ではない。増えたと言っても月に一回飲むかどうかだったのが、数回は確実に飲むようになっただけだ。主原因は酒好きの初期刀と、あと何かと理由をつけて宴会したがる刀装兵達(二頭身Ver)である。ちなみに、他の男士が巻き込まれたり自分から突っ込んできて盛大な飲み会になるまでがテンプレだ。
 酔い潰されるの目に見えてるのに物好きな。

「……なんで死に体になるまで呑むかな……」

 完全に無事なのは、今日の夜警担当組でここに不在な蜻蛉切さんと歌仙さんくらいだろう。
 浅いうたた寝から覚めてみればの死屍累々たる有様に、すっかり常温になったウイスキーのサイダー割りをちびりと舐める。炭酸が抜け、氷の完全に溶けたそれは、既にウイスキーの砂糖水割りにジョブチェンジを果たしていた。一気に呷る。うん、甘い。

「本丸さん、お代わりー」

 ひらりと桜の花びらが舞い、干したグラスが満たされる。
 割合サイダー大目になったそれに、そこはかとなく本丸さんの気遣いを感じた。
 飲み過ぎを心配されているようだ。……そういや何杯飲んだっけ?
 駄目だ、本丸さんに注いでもらってばっかだったから把握してない……しまったな、記憶飛んだり理性イったりしないからって、自己管理できてないのは流石にまずいか。

 モフモフ鵺さん(獅子王ししおうさんから略奪)をモフりながら、体操座りのまま周囲を改めて見回す。
 すぐ傍では酔い潰れた五虎退ごこたいさんが健やかに寝ている虎に潰されながら魘されていて、横の座布団ではこんさんがぐったりと死んだように眠っている。呑んでたからね。致し方ないね。口当たりのいいのチャンポンさせたからね。
 正直すまんかった、でも管狐が酔うのかちょっと興味があったの……二日酔いになったら責任とって介抱するから許してねこんさん! ごめんもう二度とやらない。

 賑やかだった室内は、大半が酔い潰れてしまった為にしんと静まり返っていた。
 開け放たれた障子戸の向こう側には三人の人影。まだ起きている面々がいたようだ。
 行燈の明かりを頼りに、グラスを片手に持ったまま、そこらで潰れた刀装兵やら男士を避けて縁側へと顔を出す。夏特有の熱気を多分に含んだぬるい風も、夜になればその温度を下げる。
 マヨヒガの夏は、ヒートアイランド現象とも温暖化とも縁遠いようだ。心地良い温度で通り抜けていく夜風が、酔いで火照った身体に心地いい。闇夜に沈んだ庭では、日中どこに隠れていたのかと思うほどに多くの蛍が、瞬くほどに短い命の時間を求愛活動に充てていた。国広くにひろさんがこちらに気付く。

「ッ、主……」
「楽にしてくれてていいですよー?」
「主さんよ……頼むから、無茶言ってやらねぇでくれ」

 緩んだ様子から一転、はっとした表情で姿勢を正した国広さんに呆れ混じりに告げる。
 さり気なく服装を正しながら、和泉守いずみのかみさんが複雑な表情で嘆息した。解せぬ。
 唯一気にした様子を見せない次郎じろうさんの方を見る。
 内番服をだらしなく着崩したまま、私を見上げて目元を和ませた。にっこり笑ってぽんぽん、と自身の膝を叩く。
 うん。そこは嫌です。一つ頷き、次郎さんの隣に腰を下ろした。

「あっはっはっはっは! は立っても座っても小さいねぇ」
「そう思うなら身長寄越してくれてもいいんだよ? 十センチくらい」
「アンタが望むなら、刀身削ってやってもいいけど。で、削ったら代わりに何かくれるかい?」
「なにか、かぁ……。あ。こないだ政府からもらった号じゃダメ?」

 あれいらないし、いい案かも。首が痛くならなくなるといいなー。
 和泉守さんが、きょとんと目を瞬いた。

「号? 主さんの号、“”じゃねぇのか?」
「それは勝手に名乗ってるだけの通称だよ。
 最近、号が“雛鴉ひながらす”に変更になったって通知が来てた」

 前の号は興味無かったし覚えてない。
 政府の書類上では便宜的にそれで呼ばれてるんだろうけど、私が使う気の無い名前に意味も価値も無いよねっていう。そして新しい号も同様、今後とも使用していく予定は一切無い。なんか演練場での一件の功績がどうたらで、私なんかじゃお目にかかれないくらいお偉い御方が付けたらしいけど。知らんがな。

「雛鴉。鴉、ねえ……」

 次郎さんが、ひどく平坦な声音で呟いた。
 何となく不穏なものを感じて見上げれば、「ん?」と小首を傾げて次郎さんは微笑んだ。
 なんだ、平常運転か。同じように小首を傾げて問うてみる。

「いる?」
「いいや。その号は、アンタが大事に持ってな」
「使わないのに」
「そうだねぇ。だが、アンタが使わないとしても、それは大事なものさ」

 大事、ねぇ。
 心の中でその言葉を反芻しながら、蛍を眺める。
 生きてせいぜい一週間か二週間。蝉もそうだが、夏の虫は随分と生き急ぐ。
 幼虫の期間が長いから、だろうか。
 大人になった途端、瞬きするほどの早さで死んでいくのは。

 人の魂は蛍になって飛び去るもの、なんだっけ。

 地球の一生を人の一日に譬えれば、人類の発生から現在まではほんの一秒程度の話だそうだ。
 地球から見ての一秒。その一秒の更に刹那、それこそ瞬く間も無いような狭間で行われる営みは、それこそ蛍よりも儚い泡沫なのだろう。なんとはなしに差し伸べた指先に、ふわりと蛍が舞い降りる。
 これが魂だとするのなら、果たして誰の魂なのだろう。
 身に覚えがあるよりも多い、魂の光。見詰めた蛍は語らない。蛍は、言葉を持たない。
 折れた刀剣男士の魂も蛍になるのなら、納得できなくはない数だ。
 本霊に帰るのと、こうして終わるの。
 刀剣男士にとってはどちらが幸せなのだろうか。
 星の寿命と比べてしまえば、虫も刀も人間も、命の長さにさしたる違いは無いけれど。
 次郎さんの手が、髪を梳く。耳元を掠める指がくすぐったい。囁きが落とされる。

「大事に、持ってな。……いいね?」
「んー……まあ、次郎さんがそう言うのなら」

 次郎さんの刀身削っても、私の身長は増えないもんなぁ。
 首がなー。痛いんだよなー……。いっそヒール高い靴でも履くか。下駄の方がいいかな。
 考えながらグラスを呷る。舌に絡みつく甘ったるさを、炭酸の気泡が舌の上で弾けて押し流す。とろりと重い瞼に、結構酔ってきている自分を意識した。
 あー……でも、浅くでも、こっちでうたた寝してた時点でだいぶやばいか。
 蛍を乗せた指先を軽く振れば、心得たように光の軌跡を描いて離れていった。すまんね。

「私、そろそろ離れに戻るよ。寝たい」
「……送って行く」
「いーよ国広さん、すぐそこだもん」

 なんとなく、一人でいたい気分だった。
 ……こんさんどうしよ……深酔いしてる時って、振動で吐いたり気持ち悪くなったりとかあるよなぁ……まぁいっか。明日回収していこう。

「それじゃ、おやすみー」
「ああ、おやすみ」

 ひらりと手を振り、蛍の踊る庭を歩む。
 歴史を守る。過去を守り、今を守り、あるべき姿の未来へと繋げる。
 蛍のように短い命。それを燃やし尽くして、誰かの精一杯駆け抜けた生き筋を尊く思う。
 そうして護る為に費やされる、代え難い命の重みが。託される祈りの重さが。

 担うべき、その全てが。

 ――羽根のように、軽ければいいのに。

酔いの程度は肴次第


 振り返った先には、いつも女がいる。

 青褪めた肌。色を失って戦慄く唇。
 長い髪を振り乱して、髪の隙間から非難がましく私を睨む。
 強張った身体が、震える身体が。彼女が、恐怖を堪えているのだと語っていた。

 女が、固い声で非難する。

 黒いスーツの女が、怒りを込めて非難する。


 空の棺に収まる“ ”が、唇だけで告げてくる。



「  ひ と ご ろ し  」



 深淵を覗き込む夢を見る。
 くらくつめたい、いつか振り返る事すら無くなる夢を。




TOP

人の魂は蛍に限らず、蝶や鳥に譬えられる事もある。ただの虫と見るか、魂と見るかは人それぞれ。