は眠る時、警護の者を離れに置こうとはしない。
 この本丸が正しくあの娘の所有となって以降、刀剣男士達は等しく交代で、本丸の守りに立つ事が義務付けられるようになった。不測の事態に備えておくべきだろうと告げたその唇で、彼女は離れに警護を置く事を拒んだ。
 それに何故、と問うたのは、当時鍛刀されたばかりの小夜左文字さよさもんじだった。
 刀剣男士の過ごす本邸と、の過ごす離れにはどうしても距離がある。
 不測の事態に備えてと言うのなら、住居を本邸へ移すべきではないとかと提言したのだ。

「あっちは落ち着かないんですよ。
 警護なら薬研やげんさんが常に手元にありますし、それで問題無いでしょう」

 物憂げに、些末事を語るように娘は答えた。
 追及を厭うたのだろう内心そのまま、うすらと冷えた声音の温度。
 根本的なところで、彼女は未だ、刀剣男士を信頼してはいないのだろう。
 闇夜のような双眸の奥底ではいつだって、娘を娘たらしめる慈悲と冷徹が、生き生きと鮮やかに煌めいている。守られず、そうして不利な状況になったとして。それでも娘はその心に些かの痛痒も覚える事は無いだろう。
 戦う事を厭わぬ娘だ。そうして、戦いの中で死ねる娘だ。それが自然の摂理である、とばかりに。
 戦場こそが彼女に誂えられた寝所であるのだと、無言のうちに語るように。
 ――だから、刀剣男士達が自主的に警護を行うようになったのは当然といえば当然の流れだったのだろう。
 守られるべき当人が、それを望んでいないのだとしても。

「……おや。今日はアンタかい」

 悠然と寛いだ有様で、男が歌仙かせんに声をかける。
 娘の瞳を思わせる、柔らかな闇。茫洋と、浮かび上がるように。或いは従えるように。男の姿は夜目にも明瞭だった。離れの縁側に胡坐をかき、酒を呷る姿が不思議なくらいよく馴染んでいる。大太刀である男にとって、夜目の利かない闇夜は不利であるはずだ。しかし男は、それを露ほども感じさせる事は無かった。
 泰然と、まるで、男こそがこの場の主であるかのように。

(……何を馬鹿な)

 一瞬脳裏を過ぎった思いを否定する。
 この場の主である娘は、男の向こう側で眠っている。人間には休息が必要だ。障子戸に仕切られた部屋で、安寧の中にある。障子戸の前に正座で佇む小夜左文字が、歌仙に無言で黙礼した。
 鼈甲色に影を落とした男の瞳が、とろりとした酔いを含んで歌仙を捉える。
 ほんのりと酒気を帯びて上気した肌。しかしその瞳は、磨き抜かれた刃のように清冽だ。
 動かずにいる――動けずにいる歌仙へ情けを賜すかのように、鷹揚に微笑んで杯を掲げる。

「アンタもどうだい? 一献」
「雅なお誘いだが、遠慮しておこう。気分じゃなくてね」
「そうかい。ったく、青江あおえの台詞じゃあないが、どいつもこいつも堅物だねぇ」

 刀剣男士は、人間と同じ意味での睡眠を必要としていない。
 眠らない事に疲労感は覚える。しかし、それだけだ。疑似的に与えられた人の肉は、所詮は紛い物に過ぎない。彼等の本質はあくまでも刀剣である。一睡もしなくとも支障はないのだ――それこそ、この男のように。

(……危険だな)

 心地良く微睡む静寂が、じんわりと脳髄を蕩かすようだ。
 会話は無い。男には既に会話をする意思が無く、小夜も口数の多い方ではない。
 歌仙自身、娘の眠りを妨げるような真似をするつもりは無かった。昼間は溢れんばかりに咲き乱れる花々は恭しく頭を垂れ、慎ましく主の目覚めを待っている。従属すべきは彼等であった。
 彼等は器物の神であり、妖怪だ。使われる事こそが本懐である。
 担い手を好くのは本能とでも呼ぶべきものだ。人の肉を得て、五感を得て、感情を得て、欲望を得て。そうして顕現し、情を交わすからこそ道を誤ってしまうのだろう。快くも煩わしいもの。他の刀剣男士達が審神者へ抱く執着を目にするだに、歌仙としてはうそ寒いものを覚えずにはいられない。
 大切な主人だ。守り慈しむのが正しい在り方だろう。その道程を阻む敵を斬り捨て、些末事に憂える事の無いよう周囲を整えてやる事こそ、主へ示すべき情の形だろう。
 嘆かわしいばかりだ。ひっそりと溜息を零して、横目に男の姿を伺う。
 娘が望み、娘が欲し、そうしてその傍近くを許した、娘にとっての“最初”の刀剣男士。
 堂々と、誰に恥じる事も無く男はそこに座っている。娘の傍に在る。そこが男の指定席であるのだと言わんばかりに。――なのに、このどうしようもなく胸を騒がせる違和をどう表現すれば良いのか、歌仙にはとんと見当が付かない。ただ、警戒だけが胸の奥でひたすらに凝る。

 臆病さと豪胆さを併せ持つ彼女を、歌仙は好ましく思っている。
 女だてらに戦場へ出向くようなお転婆で、いささか抜けたところもあるが、情け深い心を持った、とても可愛らしい娘だ。ついあれこれと世話を焼いてしまって嫌そうな顔をされる事も再三だが、どうしても放っておけないのだから仕方あるまい。そんな顔すらも、可愛くて仕方が無い。
 成程、目に入れても痛くないとはこういう事かと歌仙は心の底から納得した。かつての主人も妹をいたく可愛がっていたものだ。斬りかかられてなお、手を上げなかった程に。

 あの子に、に傾倒する男士は多い。
 その全てが庇護欲や、まっとうな主従愛であれば歌仙としては嬉しいのだけれど――黙して語られない腹の内、不埒な感情を抱いている慮外者は果たして何人いるものやら。しかも演練へ出ればそのたびに、何処の馬の骨とも知れぬ輩を次から次へと引っ掛けてくるのだから頭の痛い話である。

(皆、手討ちにしてしまえれば良いのだけれど)

 馬の骨然り慮外者然り――昔馴染みの少年も、酒を呷るこの男の事も。
 何かと無防備な可愛い“主”の為だ。あの子の心を煩わせるものを斬り捨て、二度とその目に映す必要のないよう処分する事もまた、刀剣男士として、歌仙が成すべき事である。
 だが、それは今ではない。

(仕方のない子だ)

 まぁ、そんなところがまた一段と可愛らしいのだけれど。
 障子戸の向こう側、今頃夢の中にいるだろうを思って、歌仙は優しく微笑んだ。

人はそれを過保護と呼ぶ。


「……おはよう、次郎じろうさん。小夜」
「おっはよう! 今朝はとびきり不機嫌だねぇ!」
「眠いんだよ言わせんな」
「おはよう、。寝直す?」
「いい。おなかすいた」
「分かった。朝餉の準備、手伝おうか」
「いい。いらない。……ん、今日は歌仙さんもいたんだ。おはよ」
――ああ。おはよう、





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歌仙さんはモンペ予備軍。まだ予備軍。
審神者「気配なんぞ感じずぐっすり寝たい(しんだめ)」