彼の主であるは、相模国に数多と存在する、不在本丸群の城督に任じられている。
その主な職務内容となっているのは、審神者を失った刀を仕分けし、使えるなら再利用、なまくらならば処分するというものだ。わざわざ仕分けなんてしなくとも全部纏めて廃棄処分にしてしまえばいいのに、面倒だとぼやきながらも手を抜かない辺り、主はちょっとお人好しが過ぎるんじゃないかと鯰尾藤四郎は常々考えている。
「"審神者なんていらない"と主張していた、と報告で聞いていたんですけどね」
斜め前に立つが、小鳥のような仕草で首を傾げる。その耳で、大振りの耳飾りが重たげに揺れた。
背後に控える鯰尾からは、主がどんな表情をしているのかは窺い知れない――部屋の奥に居並ぶ、身形だけは小綺麗な刀剣男士達はばっちりしっかり見えているのだけど。からりと晴れた空とは対照的に薄暗くてじめじめした本丸に似付かわしく、陰湿で粘着質な、恨みがましさ全開の目だ。敵意も侮蔑も、どちらも隠そうとすらしていない。
(最近追加になったとこだったっけ、ここ)
そのはずだ。多分。女如きと侮った、心底舐め腐った態度は、あの大規模演練に参加していた不在本丸の刀剣男士ならばするはずもないものである。なにせを侮るということはそのまま、自分はそうやって侮って見下している女如きに助けられたし完全敗北しちゃったなまくら刀です、と全方位に主張する行為であるからだ。
むしろ、中には見苦しく取り縋ってまで自分の主になってくれ、と懇願し出す者すらいた位である。
「とりあえず、監禁している審神者を返して頂けません? 話はその後で伺いますから」
「黙れ、女。決めるのは俺達だ。お前如きに指図される謂われは無い」
恩情溢れる主の言葉に、身の程知らずの錆刀が言い放つ。
その姿は同じ本丸で見慣れた三日月宗近と、傷痕を除けばほぼ同一の見た目をしている。
なので鯰尾は、神妙な顔で頬肉を噛んで笑いを堪えた。何故って一番記憶に新しい三日月宗近像はといえば、一昨日の馬当番で、掃除中に足を滑らせて馬糞に全身ダイブしていた姿であったので。
コレと三日月が同じものだとは欠片ほども思っていなかったが、ちょっとその記憶が新しすぎて直視に耐えない。
「……まあ、一応確認はしておきましょうか。今回の蛮行の理由は、気に入った審神者なら主にして戦働きをしてもいい、って気分になったからって事で良かったです?」
「なんという無礼なことを!!」
舐め腐った錆刀共が口を開くより、怒り狂った様子でクダギツネが噛み付いてくる方が早かった。
ぶわりと毛を逆立たせ、きゃんきゃんと吠え立てる姿は狐というよりは駄犬とでも称したくなる。なんにせよ、刀剣男士の為に怒るクダギツネ、というのは単語だけで怖気が走るものだなぁと鯰尾はこっそり腕をさすった。
「刀剣男士の皆様が、これまでどれほど辛い思いをなさってきたことか……! 皆様は辛い過去を、それでもなんとか乗り越えようとなさっているのですよ!! その気持ちを考えもせず、また彼等をこき使おうというのですか!? これだから審神者は傲慢なのです! 恥を知りなさい!!」
今日の面子が我慢できるのばっかで良かった、と鯰尾は思った。
隠れて様子を伺っているだろう骨喰……と、ついでに後藤の顔を思い浮かべながら、鯰尾はこっそり鼻を鳴らす。
そもそも、もっと辛い目に合って追い詰められた本丸であったならこんな悠長にオハナシすらしていない。ほとんどは問答無用で殺しに掛かってくるし、なんなら会話自体が成り立たないからである。
この本丸に下された評価は“非友好的”だが“要注意”程度。既に彼等は主であるの部下である審神者達によって手入れを施されているし、この本丸も穢れや呪詛の元になりそうな要因の排除がてら、幾度か清掃も行われている。それでこのカビ臭い空気なのだから、あとの発生源はここの錆以下共以外あり得ない。
しかも、さてそろそろ今後の話し合いでも、という段になってこれだ。率直に言って馬鹿だと思う。
「…………。そちらで監禁してる審神者が既に説明したとは思いますが、念のため。
通常、刀剣男士には適用されませんが、我々はこうした有事に際しての判断基準として人の法を用いています。それを踏まえて問いますが、今してることは逮捕・監禁罪、公務執行妨害、並びに歴史修正主義者に対する利敵行為――内乱罪に相当するという自覚あっての行動ですね?」
「だからどうしたというのだ」
歴史修正主義者への利敵行為、という部分には一瞬ばつの悪そうな顔をしたものの、それは本当に一瞬だけの事だった。ここまできて後には引けないと思ったか、それとも主が大げさに言っているだけだとでも思っているのか。
どちらにせよ、錆以下共はの通告に踏みとどまる気配すら無かった。
「お前達はいつもそうだ。我等にばかり流血を強いる」
「なァ、小娘。今此処で貴様を斬ってやっても良いのだぞ?」
軽口のようだが、叩き付けてくる殺気ばかりは本物だ。嗜虐心に濁った目も。
大仰な仕草で鯉口に手を掛けてみせたのは、ひょっとしたら示威行為くらいの感覚でいるのかも知れないが。
(はい、終了ー)
鯰尾は心の中だけで呟いた。
不在本丸対応。その中で明確に規定として定められた第一条項。
即ち。審神者は、己と護衛の安全を第一に優先すること。は修羅場慣れが過ぎて、自身の身の安全、という点については見ていて不安になるほど危機管理ができていなかったりするのだが――そして大抵、護衛判断で刀剣男士が動く事になる――流石にそこまでされて見逃してやるほどガバガバでもない。
そもそも、訪問していた審神者を監禁した時点でこの本丸はリーチがかかっていたのだ。審神者が徒党を組んで動いている意味を、ここの脳無し錆以下共は残念なくらいに理解していなかった。
「……残念です」
面倒そうに。けれども僅かながらの憐憫を込めて、が呟く。
それは最終通告でさえない。そんなものは既に終わっている。ここの連中は、その認識すら無いようだが。
だから。それは、これから積み上げられる骸への手向けで、自分達への開戦許可であった。それをよくよく理解していたので、鯰尾は即座に背後からを抱え上げて畳を蹴った。錆以下共が反応するより先に、囁くような声音でが命じる。
「銃兵」
顕現した刀装兵達が一列に銃口を定める。
淡々と。粛々と。錆が抜刀し、こちらへ駆けるより早く。
「放て」
室内を、容赦のない一斉射撃が蹂躙した。
■ ■ ■
不在本丸対応は、常に円満な大団円で終われる訳では無い。
刀剣男士が全て一寸のブレも無く、分霊として別たれた時分から変わらない性格を、誇りを保持し続けていたなら違っただろう。けれど鯰尾が思うに、そこから経た“経験”に依る変質は、誰であろうと避けられないのだ。
だから、苦労が報われないことはままある。差し出した優しさが、ゴミ屑みたいに放り捨てられて踏みにじられることだってある。そうしてもっと寄越せ、もっと捧げろ、カワイソウな俺達の為に贄を寄越せと、それがお前達がすべき当然の償いなのだと厚顔にも平然と言い放つなまくらに成り下がってしまった刀だって、いなくはないのだ。
特に刀剣男士としての本分も忘れ、貪るだけの鉄屑以下となった自身の同位体などは見た瞬間叩き折りたくてたまらなくなる、というのが鯰尾のみならず、不在本丸対応を務める箒衆刀剣男士全員の総意である。
閑話休題。
ともあれ。人間が夢見るほどには刀剣男士も高尚な存在ではないから、堕ちるモノはとことん堕ちる。
そうして堕ちて、錆び切って。“処分許可”の出る不在本丸も、多くは無いが、珍しくも無い。
「ア、ガッ――」
「こんのすけぇー。このクダギツネ、処分していいー?」
体躯の小柄さ故に弾幕を辛うじて逃れた――その場から逃げ出す体力は残らなかったようだが――クダギツネを足で固定し、ゆっくりと体重をかけながら鯰尾はおざなりに自本丸のクダギツネへと確認する。是と返るだろうとは思っていたが、たまに“情報を絞り出してから”という一文が挿入される事があるのだ。
不在本丸の中には、歴史修正主義者らしき影がちらつく事もある。まあ、楽しいばかりでないのがお仕事というものだろう。顔を向けた先、の隣で陽炎が瞬く。
現れたこんのすけが、常と変わらぬ温度に欠けた声で答えた。
「ご随意に。今回は裏も無いようですので」
「りょーかーい」
成程、つまり敵ですらないただの糞か。笑顔で頷き、鯰尾はそのままクダギツネを踏み砕いた。
汚い水溜まりが足元に広がる。それを見ることもせず、鯰尾は周囲をぐるりと見回した。鉛玉に蹂躙された室内は真っ赤に染まり上がって、最早先程までの面影を探す事の方が難しい。それでも、一部はまだ息がある。練度が高かったなら先制を耐え抜いて戦闘開始、となっただろうが、この本丸の錆共はご覧の通りだ。
(無様だなー)
展開した重歩兵達が、転がった人型の首を刎ねる。命を刈り取る。
それは蹂躙であり、収奪だった。刀剣男士としての誇りなんて何処にも無い、ただの作業。
今回は立ち上がるだけの気骨がある鉄屑もいない。だから、鯰尾は重歩兵達に作業を任せて眺めていた。ぞくぞくと、体中の皮膚が粟立つのを感じていた。それは怒りでも、畏れでもない。憐れみでは当然ない。――それは快感で、まごう事無き悦びであった。
作業的に落ちる首、刀の折れる硬質な音を聞きながら、鯰尾藤四郎はうっすらと頬を上気させて息をつく。
この瞬間が好きだった。実のところ、敵を殺すとき以上に。
趣味の悪い楽しみなのは、自分でもよく分かっている。なのでじくじくと全身に熱をもたらすその悦楽を、鯰尾は慎重に慎重に、心の奥底へと飲み下した。こんな悪趣味、主に知られでもしたら――許容範囲が恐ろしく広い彼女の事なので、受け入れてくれるかも知れないけれど――そうして万が一、億が一にでも拒絶されようものなら。
考えたくもないことだ。鯰尾は強くかぶりを振って、その考えを頭の外へと追い払った。
「鯰尾さん、骨喰さん」
自身の名を紡ぐ甘露の声に、鯰尾は満面の笑みで「はい、主!」と応じた。
同じように首狩り作業へ従事していた骨喰が、無表情ながらも期待するような目で「なんだろうか、主」と応える。
別行動している他本丸にも聞こえるようにだろう。耳飾りに偽装した通信機を口元に近づけたまま、警護役の後藤を付き従わせたが、常と変わらぬ様子で告げた。
「監禁されていた仲間の保護に成功しましたから、このまま掃討に移ります。残存数は2。腕章が奪われてたそうなので、敵味方の誤認に注意してください」
「あれ? っていう事は主。討ち漏らしの中に、味方内の分霊がいるんですか?」
「正解です。片方が堀川国広なんですよね」
「どっちも練度は特前程度だから、苦戦はしないでしょうけど」と付け足して、変わり果てた室内を眺めていたの目が彼等を見据える。ゆるやかに半ば伏せられた眼差しは、その心を容易には伺い知らせない。
それでも、その双眸が“自分”という“鯰尾藤四郎”を映しているという現状は、彼の心を浮き立たせるには十分だった。隣で、骨喰が姿勢を正す。
「降伏勧告は必要ありません。――この本丸の刀剣男士。違わず全て、破壊しろ」
耳に快い声が、覆りようのない決定を孕んで宣告する。
穏やかで慈悲深い主の、ぞくぞくするほどキモチイイ、冷酷な命令が頭から浴びせられる。
「了解した」
「任せてください、主!」
たまらない。最高だ。これだから鯰尾は、この任務が好きだった。
あまりの勢いの良さにか、後藤が苦笑するのが目に入ったが、それがまったく気にならないくらい鯰尾はご機嫌だった。これで自分達が他本丸に先んじて残党を始末できれば、はきっと笑って、いい子と褒めてくれるだろう。まだ生きているという二振りは、同胞の死に憤るだろうか、泣き叫ぶだろうか。どうせすぐに後を追わせてやるのだから、頭に血を上らせて、馬鹿みたいに真正面から斬り掛かってきてくれれば手間が省けるのだけれど。
(ああ、でも)
今回の掃討で一つだけ惜しいことがあるとするならば、この本丸に"鯰尾藤四郎"がいなかった事だろう。
鯰尾藤四郎は、骨喰以外の刀剣男士がみんな嫌いだ。だから、堂々と嫌いな連中を叩き折れるこの任務が好きで好きでたまらない。特にいっとう嫌いなのは、自分以外の"鯰尾藤四郎"だった。は約束をくれたから我慢できているけれど、本音を言えば、よその本丸の分霊も、未顕現の依り代だろうとその視界にすら入れたくない。
の刀は俺だ。俺だけが主の鯰尾藤四郎だ。他の俺なんて必要ない。
“の鯰尾藤四郎”を名乗っていいのは、俺一振りだけでいい。
顕現されて仮初なれども血肉を備え、月日を経た刀剣男士は差異こそあれ、大なり小なり本霊から乖離し、変質する。その移り変わりばかりは、誰であろうと避けようもない。それが環境によってもたらされたものだろうと、呪いによる方向付けのためにだろうと同じことだ。
傷は癒えても痕は残る。手入れで身体の傷は癒えても、心ばかりはそうともいかない。
その傷が大きく、深いものであったのならば尚更に。
「獲物は二振りだけかぁ。今回は競争だな」
「ああ。負ける気はない」
「そうこなくっちゃ!」
ひそやかに笑い、囁き交わすと一礼し、鯰尾は骨喰と連れ立って足早に主の前を辞す。
の刀剣男士としての誇りに賭けて。他の本丸に後れを取る気は、さらさら無かった。
鯰尾は、自身が他の“鯰尾藤四郎”と大きくズレているのを自覚している。自覚していて、それを隠そうともしない。
違っていても、は受け入れてくれると知っているからだ。いつかに交わした約束を破る人ではないと、信じているからだ。自分だけが彼女の刀剣男士、“鯰尾藤四郎”なのだと自負しているからだ。
これまでも、これからも。
たとえこの身が折れ、喪われたとしても。――永遠に。
指切り幸福論
「……しっかし面倒そうなのが残ったなぁ。こんさん、長丁場になると思う?」
「さて、どうでしょうね。なにせ鯰尾藤四郎様と骨喰藤四郎様は狩り慣れていらっしゃいますから」
「毎度ながらに結果待ち、か。早いに越したことはないんだけどね……あんま手間取ると、監禁されてた子のとこの男士が直訴に来ちゃうし」
「狩人としても処刑人としても、大変熱心で宜しいかと思いますが」
「凄惨な拷問私刑がトラウマになる審神者もいるし何よりそんなことさせちゃった自分を責める審神者だっているんですよ、安易な推奨ほんと止めて? もっと総責任者のちゃんを思いやって?」
「誠実に向き合って頭を悩ますその態度、こんのすけとても素晴らしいですが考えてもどうしようもない事ではないかと愚考しますね。やはり箒衆全体としての思想教育が急務では? 敵と裏切者は串刺しにして門前に飾れ、的な」
「追い落とされた挙句最終的に味方から暗殺されそう。
――ところで後藤さん。掃討任務には今回が初参加な訳ですけど、ご感想は?」
「ばみ兄もずお兄もあんなイキイキしてんの初めて見るなぁっておもいました。あと刀剣男士ってあそこまでダメになれるんだなぁっておもいました。俺の分霊いなかったけどマジで勘弁して欲しい」
「わぁ、後藤さんの目がかつてない濁り方してる。……どうしても辛いようならこの任務、今後は外しますけど」
「いい。やる。嫌だからって逃げるようじゃ、でっかい男にゃなれねえだろ」
「ん、いい子。頼りにしてますね、後藤さん」
「そういうとこだぞ大将!!!!」
「なにが」
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