夏の植物は意気衝天だ。
蔦草は自由奔放限りなく、一日手入れを怠るだけで地面をたちまち覆い尽くす。
人の身には堪える刺すような日差しも湿気をたっぷり含んだ熱風も、彼等にとってはまさに極楽、程よい加減であるのだろう。剪定しても剪定しても枝葉は好き勝手に伸びゆき、脇芽を摘んだ端からまた別のそれが顔を出す。丹精した収穫物の数々もそれだけ見れば嬉しいものだが、鈴なりに実るそれらを置いたままにすれば食べ時を逃すのみならず、次の結実の障りとなる為に放置してはおけない訳で。
要するに、畑仕事というのは大忙しなのだ。それが夏の畑であれば尚更に。
「そろそろ、人参の間引きをせねばならんな」
天高くから射貫くような太陽の光を避け、縁側に並んで腰を下ろしながらそう呟く。
とは言っても、休憩を挟んですぐにまた作業へ戻る訳では無い。いくら頑健な刀剣男士の肉体といえど、この炎天下の真昼間に作業をし続けるのはいささか身に堪えるのだ。続きの畑仕事は日が傾いてきた午後遅くからになる。
早くも午後の作業予定を組み始めた山伏に、二杯目の麦茶を注ぎながら兄弟――山姥切国広が「そうだな」と相槌をうつ。
「大根と玉葱も来週には撒き時だ」
「おお、そうであったな。となれば、西瓜はそろそろ片しておくべきか……」
「それは賛成だが……あそこにも撒くとなると、多すぎはしないか? 馬鈴薯が植えてあった辺りは、だいぶ空いているだろう」
「カカカカ! あれは貯蔵が利くのが救いであったな!」
豊作が本丸の常とはいえ、掘っても掘っても尽きない馬鈴薯にはさすがの山伏も辟易としたものである。
山と積まれた馬鈴薯を前にどうしたものかと二人揃って煩悶していたのも、今となっては笑い話だ。破顔一笑する山伏に、国広の兄弟刀も釣られたように頬を緩めた。
陰鬱と虚無が張り付いた、能面染みて暗澹とした表情の下から、幼子のようにやわい素顔が顔を出す。
それは最近ようやくみられるようになった、好ましい感情の発露であった。
(善哉、善哉)
山伏と山姥切国広は、畑の管理を主から任せられている。
それは単純な、日々行われる草むしりや収穫、水やりといった畑当番としての仕事ではない。年間を通して行われる作付けの計画や病害対策、肥料の選定といった、いうなれば畑当番の総監督業であった。
当初は主も交えて行われていたものだが、今年に入ってからは主があまりにも忙しい事もあって、もっぱら山伏達二人が決定し、主には報告するのみとなってしまっている――当初は落胆もあったが、最近ではこれで良かったのかも知れない、と思うようになった。
どうにも彼女を前にすると、兄弟は肩に力が入り過ぎてしまうのだ。主の役に立とうとする気持ちは山伏とて分からなくもないが、行き過ぎた献身、万事に至って我が身を削るが如き挺身は、双方にとって毒にしかならない。
頼られていると自覚ができてさえいれば、兄弟はたぶん、主とは、今くらいの距離が丁度いいのだ。
「しかし、畑も随分と広くなったものである!」
時の流れにしみじみ感じ入りながら、麦茶の冷水筒を兄弟から受け取る。
山伏が来たばかりの頃は、まだ畑も今の三分の一程度しか面積が無かったものである。
目に見える変化、というのも成果が分かりやすくて良いものだ。
刀剣男士も随分頭数が増えたからと、本丸の食料自給率向上の為にと大幅な拡張に踏み切ったのは今年になってからだったが、去年細々とながらも試行錯誤した経験がなければ、今頃もっと苦労していた事だろう。
整然と作られたはずの畝は毎日手入れしていても獣道の如き風情を備えているが、生き生きと天に向かって伸びる緑は、闊達な生命力に満ち溢れている。夏特有の抜けるように澄み渡る青空の下、青々とした緑が日差しを浴びる様は美しく、何よりその光景を作ったのが自分達である事を思えば感慨もひとしおであった。
「ああ。……畑の管理は、完璧にできているとは言い難いが」
「カカカカカ! 何事も日々の積み重ねである。向上心を持ち、研鑽を怠らねば良いだけの話よ! 兄弟はよく学び、その知識を元に試行錯誤しておるのだ。いずれは極めたと言えるまでになろうぞ!」
「――そう、だろうか」
「そうとも」
自身への色濃い不信を滲ませる兄弟に、山伏は力強く肯定を返した。
兄弟、山姥切国広は自身に対する根深い不信を抱えている。元来、写しの身である事からくる劣等感を抱える刀ではあるのだが、彼という分霊に限って言えば、その劣等感はかつての主によって舐めさせられた辛酸によって、自己否定の域にまで至っている。
……山伏国広は、今の主に顕現された。彼と彼の同期にあたる刀剣男士達が顕現された頃には、主は既にこの本丸の“主”であった。だから山伏は、兄弟を顕現したという前任者のことをほとんど知らない。
知っているのは主の語った、“結構な外道で、ろくでなし”という人物評と、それを裏付けるかのような、前任者のモノであった刀剣男士等の有様のみであった。
(顕現されて一年、か)
目が眩むような日差しをものともせず、空を渡る鳥達が、地上に影絵を落としている。
青空と地上。どちらへも等しく黒い斑点を落としながら、カラスの群れが自由気儘に飛んでいく。
あちこちの木陰から蝉時雨が沸き立つ。湯の中にでもいるかのような熱を帯びた空気の中、時折通る涼風が、汗ですっかり重くなった服をひんやりとした手で撫で上げていく。
「拙僧は兄弟の努力をよく知っている。ゆえに、この信頼が間違っているとは思わぬ。自分が信じられぬのであれば、兄弟を信じる拙僧を信じれば良い。それで万事解決である!」
「――……」
山伏を見ながら、国広が眩しそうに目を細める。
瞳に込められた無垢なまでの信愛と親しみは、ひとえに、これまで積み重ねた“日常”に拠るものだ。
そこに含まれるじっとりと絡みつくような執着と、いくばくかの憧憬までをも含めて。
みぃんみぃんみぃんみぃんみぃんみぃん――
蝉が鳴いている。
顕現されたばかりの頃と同じ季節を、違う命が、同じように謳歌している。
「気にかけてあげて欲しいんです」
主に頼まれたあの日の手入れ部屋でも、蝉の声が途切れる事無く響いていた。
その頃はまだ顕現されたばかりで日も浅く、前任者のモノであった彼等に対してうっすらとした違和感は抱けど、言語化するには至っていなかった。
主が刀剣男士を何振りかでまとめて顕現する事、同時期に顕現した刀達をひとつの部隊とし、他の刀を混ぜるにしても入れ替わり立ち代わりで固定はしなかった事が、彼等に対する理解を遅らせた一因だったように思う。
それでも、山伏にとって“山姥切国広”は、刀派を同じくする刀剣男士である。堀川国広が顕現されていない本丸において、山姥切国広はただ一振りの兄弟刀。当然、それゆえの心安さで幾度となく声をかけようとしたのだが、目が合うたびに逃げられること再三となれば、避けられているのだと嫌でも気付く。
「主殿。情けない話であるが、拙僧は兄弟に避けられている身。その頼み事を引き受けるには役不足であろう」
「知ってますよ。結構露骨ですからね……」
困ったように眉尻を下げて「国広さんのことだから、自分が山伏さんの“兄弟”であるなんて分不相応だ、とか思ってるんでしょうけど」とため息をつく主に、当時の山伏は「何故そんな発想になるのか」と困惑したのを覚えている。
嫌われているとは思っていなかった。そうであれば、ああも頻繁に目が合いはしないだろうし――あんな、輝かしい、尊い何かを見るような目で、こちらを見ていたりはしないだろうから。
「……まあ、何度か接点持たせちゃえば観念するでしょう。山伏さんにお願いしたいのは、その後の継続的な見守りというか声掛け運動というか……」
山伏に向かって話をしている、というよりは思考を纏めようとしている様子で、主が視線を彷徨わせる。
しばしの逡巡の後。眉間に寄りつつあった皺を放棄して何やら頷くと、「これは独り言なんですけどね?」と前置きした。
「国広さん、周りから結構頼りにされてるんですよ。でも、自虐が過ぎてそれが全然認識できてない。一番いいのは自虐思考に陥ったらその場で“それは違う”って誰かに突っ込んでもらいながら修正していく方法なんですけど……これ、信頼関係が成り立ってないとできない事なんですよね。下手な相手に頼むと、その突っ込み役の価値観に染まっちゃいますから」
少しばかり声の大きな“独り言”を山伏に向けて語った主は、「国広さんを祐筆にでも据えて、私がやるのが一番いいんでしょうけど……」と溜息交じりに言うとキュウ、と唇を引き結んだ。何かを思い悩むように――あるいは、何かを憂うように、ゆるやかに半ば瞼を伏せたその瞳が、深い陰りを帯びる。
けれど、それもほんの数秒のこと。覗かせた陰りを霧散させ、穏やかではあるが、どことなく日向で微睡んでいる最中のように気のない様子で、「……向いてないんですよね。書類仕事」と肩を竦めた。
疑念はあった。
何故これだけ理解し、分析できていながら、何を考えてああなるまで手を打たずに放置していたのか。
そもそもこの主の下で、どうしてそこまで自虐的な考え方になってしまったのか。
最後に濁され、飲み込まれたのであろう“独り言”についても。
けれど、あくまでも独り言だと前置きされた主の言葉を、顕現されて日の浅い山伏に追求できるはずがなかった。
そういうものなのだ、と飲み込んで欲しい。口にされなかった思いを汲み取れないほど、山伏国広は鈍い刀でも、気遣いのできない刀でも無い。
「以上、独り言終わりです」と言って、主が止まっていた手入れを再開する。
(踏み込む事を恐れる、か。……拙僧も未熟であるなぁ)
傷口から総身に染み渡る主の霊気を感じながら、ひっそりと山伏は苦笑した。
例えば。そう、例えば。言葉にされなかった思いを汲み取らず、追求したとして。全て明らかに、とはいかずとも、いくらかは彼の疑問に答えてくれたかも知れない。そうしてその予想が正しかっただろう事も、“今”の山伏は知っている。彼女はきっと、怒りなどしなかったろう。失望も。
――自分のやり方が正しいかどうか。主とて、迷いと無縁ではないのだから。
「……主」
ふ、と。
兄弟の視線が、山伏の更に後ろへと逸れた。
無意識にだろう。落とされた呼び声に含まれた熱に、懐かしいばかりの過去から引き戻される。
兄弟の視線を追って、山伏は後ろを振り返った。外出からの戻りだろうか。こんのすけを肩に乗せ、後ろに和泉守と長曽祢虎徹を従えた主が、難しい顔で何かを話しながら歩いていくのが目に入った。
「おお、そういえば」と大仰な仕草で手を打って、山伏は兄弟へと視線を戻し、にっと笑う。
「西瓜の後に植える野菜は、主の希望も聞いておかねばなるまい! 兄弟、頼まれてくれるな?」
「待っ、兄弟……! 俺が、か? 一緒に――」
「兄弟。じゃーんけーん――パー。うむ、拙僧の勝ちである」
「~~兄弟! 今のは反則だろう……!」
「カカカカカ! さぁさ、主殿は忙しい身。早く行かねば見失ってしまうぞ! 駆け足である!」
「うらむぞ兄弟……っ!」
弱々しくも可愛らしい呪詛を吐いて、兄弟が荒い足取りで駆けていく。
遠ざかっていくその背を見送りながら、思いを馳せる。
あの時飲み込まれた言葉を、過去を、主に追求していたとしたら。
今以上に仔細に、この本丸での過去を、知ってしまっていたとしたら。
同じ積み重ねを経たとしてもきっと、自責と後悔に囚われ続ける兄弟は、今ほどには心を許してはくれなかっただろう。兄弟だけではない。きっとこの本丸で、かつて前任者に顕現された男士達も同様に。
「特別扱いはしなくていいんです。ただ、兄弟として、できるだけ気にかけてあげてくれれば。
自分に向けられる信頼も、友愛も、心配も。どれもこれも全然見えてない国広さんですけど、山伏さんからの言葉なら、ちゃんと響くでしょうから。……勘ですけどね」
思い返せばあれこそが、主から初めてされた“頼み事”だった。
今でも山伏は、兄弟、山姥切国広が過去に受けた仕打ちをよく知らない。本丸の仲間達が受けた屈辱をよく知らない。けれど。きっと、それでいいのだ。過去を知るのは、互いをよく知り、心を許し合ってからでも遅くはない。
ひとつ順番が違うだけで、変わってしまうものもある。
好奇心や探求心で、暴いて良い過去ではない。それはあくまでも手段であって、目的ではないのだ。どうしても知りたいと願ったとしても、相手から、明かしてくれるのを待つべきなのである。
リィン。リリ――……ン。
蝉時雨に交じって、風鈴が高く奏でられる。
夏に耳を傾けながら見守る先では兄弟が、何とか自分から、主に話しかけられたようだった。
興味深そうに身を乗り出す長曽祢とは対照的に、和泉守は一貫して、一歩引いた距離で佇んでいる。鋭い刃そのままに冷徹な、常に揺るがぬその横顔は、それでも時折、少しばかりの人間味を覗かせる。
(浮足立っては、何も得られぬな)
ここまで積み重ねてきた。これからも、それは変わらない。
信頼は石垣と同じだ。地道な日々の積み重ねこそが肝要なのである。
だから、山伏は怠らない。いつかは訪れる変化の際、決して揺るがぬ礎としなければならないのだから。
万物流転。生きる限り変わらぬものなど何もなく、どんな記憶も、いずれは色褪せ過去になる。
仮初の命である、刀剣男士にとってもそれは同じこと。
怒りも、憎しみも、苦しみも、悲しみも、喜びも、憂いも、迷いすらも。
けれども。色褪せ、日毎遠ざかっていこうとも。けっして、失われはしないのだ。
底なしに青い夏空の下。焼けるほどに鋭い光が、そこかしこで濃い影を作っている。
長く伸びた主の影に視線を落とせば、陽炎めいて淡い影が寄り添っている。――百足の下肢をした、少年の影が。
この本丸は光も闇も、あまりに色濃い。ともすれば覗き込む自身すら、足を掬われそうになるほどに。
「さて。しばし、瞑想の時間としよう……」
ゆるく息をついて目を伏せる。
秋は未だ遠い。静かな縁側に、夏の声だけが響いていた。
巡り往く
「どうしましょう。カブ……ああでも大根多めに欲しいんですよね。干したのあると便利ですし。折角ならたくあんも漬けてみたいしなぁ……」
「殿、漬けてる間があるとでもお思いで?」
「やめてお願い希望を持たせて。漬けれるもん……冬までには余裕できるって信じてるもん……」
「……あんたが望むなら、大根は多めに作っておこう。蕪も」
「ありがとうございます、国広さん。楽しみにしてますね」
「――ああ。必ず、期待に応えてみせよう」
「和泉守さんと長曽祢さんは、特に希望無しで良かったんです?」
「構わねぇ。あるモンで事足りる」
「おれは……そうだな。主の沢庵、皆と食べるのを楽しみにしておこう」
「鋭意努力させて頂きます……」
TOP