刀剣男士として顕現しなければできない事。
食べる、寝る、喋る、動く、何かを所有する、笑う、泣く、怒る。数え上げればキリが無い。
顕現しなければできない事は、そのまま人間の器を得なければできない事、と言い換えても良い。人間のように、人間と同じように――まるで人間であるかのように。それでも、本当の肉の身ではないからできない事もある。育つ、あるいは老いること。誰の手も借りずに傷を癒すこと。主無しで。審神者無しで、この世に長く在り続けること。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。
口には出さずに考える。頭の中で、とりとめもなく。
「ですからね雛鴉様、やはりここは腕章ではなく一揃いで制服をお作りになるべきですよ。警察官をご覧なさい。一目で頼るべき人間が誰か分かる、というのは大切なことでございましょう」
「デザイン画をご覧になりませんか? 和装と洋装、両方ご用意してみたんです。新撰組みたいに羽織りを統一、というのも何パターンか作っていまして、勿論、ご希望があればそれを取り入れさせて頂きますけど」
城下町の一角にある茶屋、“薫風亭”にて。
そこに旗下の審神者達が寄り集まってああでもないこうでもないと議論していたり、あるいはやってきた客人と様々な課題について話し合い、時には商談をしている姿は、誰にとっても既にお馴染みの風景である。
とは言っても、それもあと数ヶ月。城下町に正式な詰所ができるまでの、期間限定でしかないのだが。
「ですから何度も言ってるじゃありませんか、そこまで仰々しいのは必要ないって……城下の巡回と仲裁については何ら特権が与えられてる訳でもありませんし、今後人数を増やしていく上でも、敷居を高くしたくはないんですが」
「いやいや何を仰いますか。人間というのは見た目の印象に左右されるもの、制服が格好良かったり可愛らしかったり、というのは敷居を高くするどころか、むしろ身近にすると言っても過言ではございませんよ」
「こちらをご覧下さい。連隊でお使いになったという紋を取り入れてみたんです。腕章でもお使いになっていらっしゃいますから、皆様にとって思い入れ深いものだと」
今回の客は随分としつこい。博多は口を真一文字に引き結んだ。
気持ちとしては主に加勢のひとつもしたいところだが、それをすれば窘められるのは博多の方である。
なので気を紛らわすのも兼ねて、ひとつ、ふたつと彼だけのものを数えてみる。
かつての持ち主である商人から受け継いだ商売人魂。これは、どの“博多藤四郎”も同じこと。
藤四郎、粟田口である同派との縁。これも、どの“博多藤四郎”も同じこと。
日本号やへし切長谷部といった、来歴からくる同属との縁。これだって、どの“博多藤四郎”も同じことだ。
他の博多とは違うもの。彼の主。顕現時期を同じくする仲間達との縁。一人部屋を貰っている事、も珍しいらしいとは最近になって知った事だ。そこまで数えて、博多はふと気付いた。どうにも分かりやすい違いばかり数えている。
「あんお人達もねばるね。大殿助けにいかんでよかと?」
そんな博多に、同じ顔、同じ声をした他本丸の“博多藤四郎”が、少しばかり不可解そうに問いかけてきた。
彼の主。旗下の審神者達による自警団、通称“箒衆”が集まる場所において、護衛の刀剣男士が多い時は、刀種によって中と外に振り分けられる。
付き従う事はしない。彼等は属する本丸こそ異にしているが、審神者同士の上下、指揮系統が明確である為に、統制された“群”として動く事を可能としているからだ。分担する事によって、安全性は一人で護衛するよりも遥かに高くなる――もっとも、それを承知していて、なおかつ“主”の意向であると理解していようとも、主以外の指揮を容れねばならない点に不満を抱く刀剣男士もいたりするのだが。
「審神者同士ん話に出しゃばれって? 冗談きつか」
私的な会話ならともあれ、今行われているのは商談。公式なものだ。彼は肩を竦めた。
意見を求められたならともかく、そこに刀剣男士が割って入るのを許すというのは、この審神者には自分で物を決める事ができません、と言っているに等しい。一般の審神者ならともかく、彼の主であるは、多くの審神者と本丸を束ねる身だ。それに足る器量を示す事が求められているし、本人もそれを理解している。
それを知っていながら、主の面子に泥を塗れるはずもなかった。
「俺達なら子供っぽしゃば前面に押し出していけばいくるんやなかか?」
「嫌ばい。そればしたら二度と主ん護衛任しゃれんくなる」
「そうなんか? 大殿容赦なかねえ。俺ん主やったらデレデレ顔で許してくるーっちゃけど」
隣の“博多藤四郎”が、呑気な調子でのたまう。
各本丸に所属する刀剣男士は皆、それぞれの本霊より分かたれた“分霊”だ。
元を同じくするが故にその性質も能力も均一のものであり、審神者がその気になれば同じ分霊を何体でも顕現し、従える事も可能である。けれども彼の聞く限りでは、一つの本丸に同じ分霊が何人も顕現される事は滅多に無いらしかった。“自分”があともう一人いれば。が最近よくぼやく言葉は、刀剣男士である彼等にとってはレア度からくる難易度の差こそあれど、実現可能な願いである。
昔はどうとも思わなかったけれど。今では、あまり気分の良い事ではない。
主である審神者の違い、所属する本丸環境の違い、本丸内での立場の違い。
同じ本霊から分かたれた分霊であるはずなのに、根本は同一であるはずなのに。それでも、過ごした月日は“同じ”ものであった分霊同士にすら差異を生み出す。
隣に立つ“博多藤四郎”の問いかけが良い例だ。同じ分霊であるはずなのに、彼がどうしてを助けに行かないのかを理解できていなかった。同様に、彼もまた、子どもぶりっこした程度で何故主が許してくれると思ったのか、正直まったく理解できない。どう考えても無理がある。
きっと同じ審神者、同じ本丸に顕現されたとしても、経験はいずれ明確な差異になるのだろう。
いくらだって代替の利く存在であったはずの、ただの“分霊”には戻れない。それが嬉しくもあり、寂しくもある。
呉服屋審神者達の熱心な売り込みに対し、は辟易しているようだった。
店内に危険は無い。だから彼はそんな主の姿を見ながら、とりとめのない会話を他の博多としていられる。
ただの“刀”には戻れず、かと言って本霊でも無い分霊、数多と存在する“博多藤四郎”のよりどころとなるのは、結局、顕現主であり、彼を育て、彼が仕える“審神者”ただ一人だけなのだ。
彼にとってのよりどころ。彼等にとってのただ一人。
顕現、維持という機能だけをとってみれば、審神者にだって替えは利く。
それでも、今日まで積み上げてきた経験が、感情が。彼女以外の審神者を主と呼ぶことに忌避感を抱かせ、よりどころとする事を拒否させる。代わりなんていやしない、と心の底から断言させる。
「政府がしない以上、城下の治安維持は自分達で担っていかなければいけないのは我々とてよく理解しておりますとも。ですがね、お分かりでしょう? 業務がひとつの団体による独占状態になるのは、長い目で見れば好ましい事態ではありません。だからこそ制服、独自色が必要となってくるのです。他との区別を明確にする為にも」
「だから制服を作っておくべきだ、と」
「おっしゃる通り。今後、雛鴉様と同じく、自警団を結成する者達も出てくるでしょう――ええ、ええ。きっと、近い将来必ずや。特に、わたくしどものように商売をしていて、城下に店のある審神者などにとっては安全は重要なものですからね。ですが、貴方ほど公平にはあれない。店が最優先になりますので」
「……」
「お分かりでございましょう。同じ治安維持を志せども、同じく公平に運営するとは限りません。区別でき、所属が明確であれば誰を頼り、誰を頼るべきではないかが一目瞭然となるのでございます。それもまた、必要なこと。相模一国とはいえど、城下町は広いですからね。役割分担は大事ですよ」
「帰属意識を高めることは、士気も上げることにも繋がるかと存じます。皆様は不在本丸の対処もなさっていますから、お使い頂く上で問題のないよう、実用性を第一義としながらも略式正装として十分な格を――」
「……いずれ必要にはなるでしょうけど、“今”は必要としていません。お引き取り下さい」
そんな只一人は、博多を気にするそぶりも見せはしない。
まあ、四六時中気に掛けられていてもそれはそれで怖いのだが。の事は好きだが、そこまでいくとさすがに息苦しいし普通に重い。かつて、顕現されたばかりの頃には不満を抱いた距離感も、“彼”個人としての、あるいは友と呼べる仲間達との楽しみを覚えた今となっては心地よい。
しんみりした気分になる博多とは対照的に、長すぎる商談に倦んだ内心を示して、の語調が冷ややかに尖る。彼女にとって、それは少しばかり苛立ちが表に出てしまった、という程度のささやかなものだ。けれども、荒事に馴染み過ぎたの怒気は、審神者といえども平穏に過ごす者等にとっては刺激が強すぎたらしかった。
滑らかだった舌を硬直させ、そそくさと呉服屋審神者達が退散していく。
商談が終わったからと言って、それで終了、という訳では無い。そもそも、こうして薫風亭へやって来たのは箒衆の者達と打ち合わせをする為だ。席が空いたのを幸いとばかり、勝手知ったる箒衆の審神者達がめいめいにの前や横の席に腰を落ち着け直して喋り出す。
「ようボス、お疲れさん」
「はぁいおつかれさまです……商人ならもうちょっと脈の無さを察して欲しい…なにあの無駄な粘り強さ……」
「やだっ、ものすごくお得な額で見積もりしてくれてるじゃない! ねえ、これなら別に、頷いてあげちゃっても良かったんじゃない?」
「唯織、安価であろうと無駄は無駄だ。そもそも制服というのは――むぐ」
「服の話なんざ後にしろ後に。それより巡回ルートの見直しなんだけどよ、意見が割れててな」
「そうね、制服の話は後にしましょ。巡回についてなんだけど、結構大通りの店からこっちの方来てくれって要望が出てるのよね。表通りに巡回を絞れば、なんとかフォローしきれるんじゃないかってところなんだけど……」
「しかしですねぇ、裏通りのこの辺り。遊興街とも隣接しているでしょう? 良くない噂も多い辺りですからね。完全に巡回を無くしてしまうのは危ないと思うんですよ」
「……んぐ。自分以外にも傍観者がいて、その数が多いとなれば手を貸すよりは傍観者であり続ける方が個人としての益が大きい。新人、あるいは外出を避ける傾向にある審神者ほど刀剣男士を伴わずに出歩くが、不慣れであるからこそ大通りの利用頻度が高くなるのは自明だ。以上二点の要素が噛み合う結果、仲裁必須案件が大通りに集中する事は当初より想定されていた事でもある。しかし、それを承知していたと推測される店舗運営側の対応遅延がこちらの予想以上に大きい。場当たり的対処よりは原因究明の優先を推奨する」
「全部に手を回すにはどうやったって人手が足りない、ですね。かと言って現状、やばいのにぶち当たると対処できる審神者も限られてるし――……」
箒衆の議論において、時折意見を求められる場合を別として、刀剣男士が口を挟む事は許されていない。所属する審神者は大抵、同じ分霊を自身の本丸にも抱えているからである。いくら“個”を得たとはいえど、根本として同じ刀剣男士の分霊であればその知識や発想についてはおおよそ同一のものとなってくる。
必要なら自本丸でいくらでも確認できるのだ、わざわざ各本丸の代表者である審神者間の話し合いで、いち刀剣男士に同等の発言権が与えるはずもなかった。
だから何かトラブルでも起きない限り、警護の仕事というのは基本的に退屈なものだ。
真剣な表情で話し合っているも、審神者達も。博多や、自身の護衛である刀剣男士を顧みる様子は無い。彼等の世界には刀剣男士と本丸だけが存在している訳ではないのだ、それは至極当たり前のことだった。喋りたければ本丸に帰ってからだって構わないし、なんなら帰りに何処か寄り道していったっていい。
……まあ、中にはそれでも悋気を抱いてしまう刀剣男士もいるみたいだが。博多にはちょっとよく分からない。
「書記ば務めとーんな、そっちん審神者やなあ。なして無言ですごい顔して悶えとるん?」
「ああ。俺ん主は重度ん三白眼フェチなんよ」
「三白眼フェチ」
「烈水さんがストライクだそうやけん、口に突っ込まれたもんば律儀に食べゆう様がツボに入ったんやろ」
そう言って微笑ましそうに笑っている余所の博多は、そんな主の性癖に馴染み切っているようだった。
正直よく分からない感性だったが、その要因が何であろうと、自身の主が楽しそうにしているのを見るのが楽しい事は変わりない。「そうかぁ」と曖昧に頷いて、博多も同じように、口元を緩める。
……同じ本霊から別たれた分霊同士ですら、顕現が長くなれば、理解し合えない事が増えていく。
そんな些細な違いを実感する瞬間も。逆に理解されなかったな、と気付く瞬間も。どちらも、博多の好むところだ。
泣いて、笑って、怒って、喜んで。いくらだって代替の利く分霊の器に、ただひとり、ただひとつ、自分だけの記憶を、思い出を詰め込んで。
博多藤四郎はもう、ただの“分霊”には戻れない。
――きっと。それがや、かつての持ち主達と同じ。生きている、という事なのだ。
我思う故に
「主、帰りに寄り道してよか? 長谷部にお土産買うてやりたか」
「いいですよ。せっかくだし、皆にも何か買って帰りましょっか。どんなお店です?」
「駄目ばい。無駄遣いはようなか」
「ええ……皆へのお土産なら、別に無駄でもないのでは……?」
「俺は長谷部にお土産ばあげたかけん買うばい。特別に。と・く・べ・つ・に。分かると?
主から皆に買うていったんや意味が無か!」
「あぁーそういう」
「ちゅう事で。ついでにちょっと冷やかしてから帰らん? 最近できた店ばってん、見ようだけでも面白かばい」
「皆には内緒で?」
「皆には内緒で」
「……よし、その提案乗った。博多さんお勧めのお店、期待してますね」
「お任せ下さい。最良の結果を、主に」
「似てる……!」
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