日々は目まぐるしく過ぎていく。やるべき仕事は山とある。
 審神者としての通常業務、は最低限をこなす程度に。城下町治安向上を主眼にした審神者仲間達との巡回の片手間、城督としての不在本丸管理業――二月末の後始末は、本腰据えてきっちりと。
 一人でやっていたら数十年がかりになるのは目に見えてるので、政府から貰った予算と権限で審神者仲間を雇う形で、管理業を本格的にやってる訳だけども。あのね、城下町の巡回も同じメンバーでやってたしやってるんだよね。ボランティア民間組織ならゆくゆくは有能な後輩に丸投げ! ハッピー引退!! 完!!! とかできるんですけども予算と役職がセットになっちゃったからこれ城督クビにならない限りは引退丸投げ無理なやつですね。
 NPOとか地域ボランティア的なのやろうとしてたのにガッツリ首輪つけられて公的組織に組み込まれたっていうね。さすがきたないせいふきたない。

「自分の分霊が欲しい……三、いや一人でもいい……」

 そりゃ背負うと決めたのは自分だし、皆を巻き込むぶんだけ期待に応えると決めたのも自分だけど、それはそれとして大変なものは大変だし面倒なものは面倒なのである。うちの刀剣男士にも城督業手伝ってもらってはいるけど、最終的な意思決定するのは全部私だからな……。
 なにせできたてホヤホヤの組織だ。基礎はなんとか出来上がったとはいえ、男士動かすにしろ審神者動かすにしろ、後から後から「ああした方がいい」「こうした方がいい」な不具合と反省点と軌道修正のオンパレードである。
 当然、ある程度時間をおいて様子見する事も大切ではあるのだが、対処すべき仕事やトラブルが数十件と平行して発生してくるとなればぶっちゃけ優先順位の低い案件なんて様子見するまでもなく記憶の彼方だ。そして後から「やべぇわこれ」ってなるっていうね。とてもつらい。
 何をするにも時間を要する。そのくせ何事も暗中模索、タイムリミットも優先順位も明確ではない。それでもやらなきゃいけない訳で。目の前の仕事だけに忙殺されてればいい状況って、意外と精神的に楽だったんだね……そういうの知りたくなかった……こんさんと怨嗟を吐きながら前任の書類片付けてた頃が懐かし…………いや別に懐かしくはないなあれはあれでくそほど辛かったな。バリエーション違うだけでどっちも地獄だなこれ。
 一回本格的に殺し合ったから解決早いとこは早いんだけど、処理終った分だけ不在本丸のおかわり突っ込んでくるのはどういう事なの本当……なんで新規発生してんのほんとわけわかんないです追加とかマジで勘弁して……?

 相談相手と協力者に事欠かない点だけは、不幸中の幸いと言えるだろうけども。
 慰めるようにひらひらと落ちる本丸さんの桜を受けながら、ぐりぐり目頭を揉みほぐす。
 顕現した新入り達も、それなりにうまくやっているらしい。兄二人が何かにつけて張り合う、と浦島うらしまさんは愚痴ってたけど、本丸内で抜刀騒ぎを起こした訳でも無し。出陣の時の様子にしても、許容範囲内と言えるだろう。
 心配してた陵丸みささぎまるさんも、加州かしゅうさんや宗三そうざさん筆頭に上手いことやっているようである、とは三日月みかづきさんの言だ。
 他の面々も多少もめ事や衝突はあるみたいだけど、  次郎じろうさん曰く、私が出るほどでもない事ばっかりらしいし。
 なんにせよ、懸念事項がそのぶん少なくて済む、というのは有り難い。
 新入り組顕現するの後回しにすれば良かったんだろうけどなー。陵丸さん預かることになっちゃったから、一人にしとくとヘイト集中しそうかなって思ったんだよなー……。そこまで気を回す必要無かったかな、これ。

「ごめんなさい、あるじさま。影武者くらいなら、なんとかご用意できそうなんですけど……」

 私のぼやきをしっかりがっつり聞いていたらしい。
 悲しげに眉尻を下げた五虎退ごこたいさんが、心底しょんぼりとした様子で肩を落とす。
 いやこんなアホ発言真面目に考えてガチ凹みしないで……? っていうか影武者なら用意できるってどういう事なの……? なんか妖術とかそういうアレなん……?

「いいですって、無いものねだりなのは分かってますから。でも、ありがとうございます」

 内心疑問を抱きつつも、とりあえずお気持ちだけ頂いておく系スルーで対応。
 決裁スピード上げたいが為に自分の分霊が欲しいんであって、影武者は別にご入り用でないからな……そしてどうご用意するのかは突っ込まない……突っ込まないぞ……時たま感性と常識の相違でえげつない発言かますからな君ら……。しかし、五虎退さんに限った話じゃないけど、どうしてこうも尽くしたがりが多いのか。もうちょっとこう、同田貫どうたぬきさんの雑さ加減とか三日月さんのゆるゆる具合とかいいかんじに伝染してくれないもんかな……。
 そんな真面目に尽くさなくったって審神者としての役割を投げ出す気はないし、見捨てていったりもしないのだが。
 まぁ、窮屈ではあるけど、それはあくまで私の気持ちの問題だ。積極的に仕事を手伝ってくれるのは助かってるしね。一年前を思えば彼等との関係は格段に改善している。急いては事をし損じる、だ。心を変えるのは一朝一夕にはいかないんだから、気長にやっていくしかないだろう。
 ぱっと頬を染めてはにかんだ五虎退さんから、手元の書類(決裁待ち)へと視線を戻す。

 警戒の必要性無し、本人達の意欲も十分、なとこにはそろそろ誰かしら審神者をあてがってもいい気はしてるんだけど、引き継ぐ審神者の確保は確保で難航しているのが実情である。
 今はよその国に空きがいっぱいあるもんな……。
 かと言って保護した審神者達はまだまだ療養と休息が必要だし、サポートするからとはいえ、彼等をまた本丸に入れるのは多少どころではなく躊躇いがある。引き継ぎ希望の新人を弟子に、という話も政府から来てはいるのだが――個人的には、現在引き継ぎをしている審神者で、うまくいっていない人達をこそ引き抜きたい。

「……気ばかり急くなぁ」

 上手くいかない引き継ぎなんて、審神者も、刀剣男士も不幸にするだけだ。
 それが痛いほどに理解できていようとも、審神者を配置転換する権限はさすがに与えられていない。
 与えられればまた次を。与えられればまた先を。人材は足りない、組織も未成熟、手の届くだろう範囲内ですら、未だ、十全に救える訳でも無い。今その権限を与えられても有効活用しようがない事ぐらい分かっている癖にそれでも望んでしまうのだから、我ながら嫌になるほど欲深い。

 ため息をついて自省する。
 政府だって、何も変化が無い、という訳では無い。
 大陸にまで及ぶ歴史改変の影響を受けて、中国でもシステム“刀剣”の運用が開始されたという話だし、かねてから配布されていた“賜物”――刀剣男士の更なる強化、“極修行”を行える道具も解放された。
 新しい戦場も解放され、それに合わせて、という訳でもないだろうけど、ブラック本丸取り締まりの為の特別チームも編成されたと聞いている。審神者関連法案も夏までには成立する運びらしいから、全体としての労働環境も良くなっていくだろう。……いくといいなぁ。


――ってば! 自分で言うから……!」
「はいはい、暴れない暴れなーい。――、邪魔するよぉ!」


 スッパァアアアアン! と豪快に障子戸を開け放って乗り込んできた次郎さんに、思考の海から浮上して顔を上げる。五虎退さんが障子戸を閉めに行くのを視界の端に捉えながら、思わず首を傾げた。
 うん。漏れ聞こえてた声からみだれさんが一緒なのは予想ついたけど、何故に俵担ぎスタイル……?

「珍しい取り合わせだね、次郎さん。なんかあった?」
「ん~、見ててじれったかったからさあ。ちょっくらお節介を、ね」

 言って、次郎さんが悪戯ッ子のような顔でにひひと笑う。
 わりと抵抗を受けたらしい。髪はぼさぼさだし、何気に蹴りを食らったらしき跡もある。しかし当の乱さんはと言えば、今や借りてきた猫のように俵担ぎされたまま、器用に身を縮めて微動だにしていない。
 お節介はここまで! とばかりにそんな乱さんを畳の上にぺいっと放り出して、次郎さんは「なんかいいツマミない~?」と聞きながら、早々に厨を漁る構えである。うーんこの。

「空豆あるけど、食べていいの半分だけだからねー?」
「はいはーい」

 うきうき土間に消えていった次郎さんを見送って、放り出された乱さんに視線を戻す。
 投げ出された体勢から正座に移行していた乱さんは現在、ご不満です!! と全力で主張する怒りの形相で髪を整えている最中だった。あっその顔懐かしい。身嗜みを整えるのを甲斐甲斐しく手伝っていた五虎退さんが、はっとした様子で「乱兄さん、かお、お顔を……!」とあわあわしながら乱さんをつつく。
 おお、般若が一瞬で乙女……で、なんか腹括ったっぽい?
 真剣な表情で居住まいを正した乱さんに合わせ、書類を文机に置き、身体ごと向き直る。

「あるじさんっ!」
「はい」
「おねがいが、あり、ます……っ!」
「はい」

 今更だけどこれ、五虎退さん同席させたままでいい話なのかな。どのみち隣に次郎さんいるけども。
 うーん。いったん話中断するの……は、気の毒か。
 だいぶ緊張してるみたいだし、このままの勢いで言わせちゃった方がいいかな。
 そう判断し、無言で見守る中。畳に額をこすりつけるようにして、乱さんが平伏する。

――ボクを、修行に行かせてください!!」

 ……。

 …………えっこれそんな切り出しにくい話なの? マジ? ちょっくら強くなってくるぜ! くらいの軽いノリで済む話だと思ってたんだけど、ひょっとしなくてもわりと重たいかんじのパワーアップイベントだったんです……?
 内心のそんな戦慄なんて知るはずもなく、乱さんは平伏したままだし五虎退さんもはらはらした顔で、固唾を飲んで成り行きを見守っている。わぁい申し訳無さで胸が痛い!

「顔を上げて下さい、乱さん」

 ごめん……ものすっごい葛藤とかあったみたいなのに全然理解できてないです……ぶっちゃけまだ修行の重みとかまったく理解できてないですほんとごめん……ごめん……。
 出来うる限りの柔らかい声で告げれば、不安げに揺れる瞳で、乱さんがじっとこちらを見上げてきた。
 いや本当申し訳無い。誤魔化し半分、安心させたい気持ち半分でにっこりと笑ってみせる。

「いいですよ、修行。出立の日取り、希望とかあります?」
「えっ……無い、けど……」

 何故そんなにも唖然としていらっしゃるのかな乱さんは。
 修行の申し出はいったん断るのが正しい作法だったり……いやそれはないか。
 首を傾げて様子を窺っていると、何かを怖れるように瞳を揺らしながら、乱さんがおずおずと口を開いた。

「……あの。いいの、かな。ボクが、一番で」
「? 戦力強化、喜ばしい事じゃないですか。何か気がかりな事でも?」

 修行で何をしてくるのか、何が起きるのか。別に修行解禁初日という訳でなし、調べる方法ならいくらでもある。
 城督業の関係上、他の審神者や余所の本丸と関わる事は普通より多いくらいだ。なんなら、既に修行を終えた別本丸の同じ分霊から話を聞く機会だってあったはずである。不安に思う事なんて無さそうなものだが。

――ボクで、いいのかなって」

 消え入りそうな声で、ぽつり、と乱さんがそう零す。
 強張った表情で、うつむいて畳をじっと睨みながら、憂鬱の滲む声音で続ける。

「ボクは、あるじさんの刀だけど。ボクを顕現したのは、あるじさんじゃない、から。
 だから。……一番に、修行に行って。いいのかな、って」

 ……うーん。

「人間は、生きてる限り細胞が新しくなり続ける――って説がありましてね」

 努めて呑気な調子で始めた話は、どうやらいい具合に意表を突けたらしかった。
 分かりやすく困惑した様子で、乱さんが顔を上げる。五虎退さんも困惑顔だ。元が刀の刀剣男士だ、兄弟と呼び合う関係だろうと容姿に似通ったところはないのに、その表情がなんともよく似ていて、思わず口元が緩む。

「皮膚から心臓に至るまで、まるっと総入れ替えになるのに七年くらいかかるそうで。
 だから七年後の私、もしくは七年前の私は、細胞の同一性、って意味ではまったくの別人になるんですよ」

 まぁ、あくまでも与太話でしかない訳だけども。
 実際には神経系とか一生モノだし、心臓だって半分くらいしか置き換わらない。ただ、この手の与太話で大事なのは真偽ではなく、それっぽく聞こえる事である。乱さん達も分からないなりに「そうなの?」という顔だ。

 さて。ここからが本題。

「短刀を鍛刀するのに必要な最低資材量はオール五十。刀解したって残る資材量は全部足しても十足らず。
 ――で、ここで問題ですが。乱さんが私の刀剣男士になってから今までに手入れで使った資材量。オール五十で足りると思います?」

 言わんとする事が呑み込めてきたらしい。
 小さな声で、乱さんが「……おもわない……、です」と答える。
 よしよし満点回答。まあ、いまいち納得しきれてない感じあるからあと一押しくらいは必要かな。

「なら、乱さんを構成する資材は全部私のです。イコール、乱さんはてっぺんから爪先まで私の刀剣男士。手入れでも霊力使いますしね、顕現した時の霊力がまだ残ってたとしても誤差です誤差。
 修行に行きたいから行く。まだ他に誰も行ってないから、一番で行く。それでいいじゃないですか」

 正直なところ、本当に全部置き換わっているとは思っていない。
 傷を負う部分は大抵同じような部分になりがちだし、特に茎の辺りなんかは、どうやったって手入れが必要にはなりようもない。だから、大事なのは真偽ではない。乱さんが、そう信じられればそれでいいのだ。

「……あるじさんのこと、殺しかけたのに?」

 ――

 一瞬。無意識に、自分の首を撫でようとした手を理性で留める。無言で、乱さんと距離を詰めた。
 乱さんが肩を震わす。何かを言おうとした五虎退さんを目で制し、片手を伸ばして。

 びしっ。

「ひゃんっ!」
「悪い子。その話はとうに終わったでしょうが」

 こっちも振り返りたくない思い出なんだからむし返すなっつの。
 あと何で乱さんはそんな色気EXみたいなおかおをしているのかな。デコピンされてする顔じゃないよねそれ。やめろもっとして欲しそうに見るんじゃない。そんなふうに育てた覚えはありませんよ。

「乱さんは私を殺せなかったし、殺さなかった。私の刀剣男士になってから今日まで、とてもよく働いてくれたと思ってます。修行に行くのだって、私の為に強くなりたいから――でしょ?」

 出そうになる溜息を呑み込んで、瞳を潤ませる乱さんと視線を合わせる。
 まったく気にしないのが難しいのは、分からないでもない。刀解していた方が、きっと互いに楽だっただろう。
 でも。私はかつて、全部ひっくるめて背負うと決めて。彼等も私の判断に従って、受け入れた。

 だから、まあ。
 こうして惑う背中を押してあげるのも、たぶん。私が果たすべき責務、なんだろう。

「胸を張って。堂々と顔を上げて、前を向いて。……貴方は私の、“乱藤四郎みだれとうしろう”なんだから」
――はい、あるじさん」

 見返す瞳に、もう、迷いは存在しなかった。

はじめての、極修行。


「礼を言うよ、次郎。せっかく仕向けたのに、どうにも踏ん切りがつかないみたいだったから」
「いいさ。こういうのはアタシの方が適任だからね。
 しかし良かったのかい? 小夜さよ。修行の一番手、譲っちまってさ。アンタの権利だろうに」
「……それを言うなら僕か貴方の、だと思うけど」
「アタシはどうせ当分先だ、そこまではも呑気しちゃいられないさ。で。どうなんだい? そこんところ」
「別に構わないよ。どうせ遅いか早いかの違いでしかないし、にとってその順序は重要じゃない」
「そうだねぇ。でも、周囲はそう思わないよ?」
「乱に貸しを作れた事の方が遥かに有意だ。それに――同情されるにしろ、軽んじられるにしろ。どちらにせよ、下に見られていた方が腹の中は探りやすい」
「あっはっはっは! まったく、本当に小夜はソツが無いねえ!」
「そういう次郎は意地が悪い。分かっている癖に、そうやってわざわざ突いてくるのはどうかと思う」
「ごめーん。でも、アタシくらいはアンタの愚痴を聞いてやらなきゃ、だろ?」
「……いらない世話だよ」




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