声がした。
――刀剣さん 刀剣さん
落ち着いた、囁きかけるようなやわらかな声音。
眠る幼子を揺り起こすような、穏やかな声が呼びかける。
――私と一緒に戦って頂けるのでしたら、どうぞ御出で下さい
無理なら構わないと。
眠ったままでいいのだと、言下に告げる声だった。
このまま眠ったままでいても、彼女はきっと許してくれるだろう。
(いやだ)
胸を突いた衝動のままに、与えられた霊力を取り込む。
ほんのりと甘いうちに苦味を帯びた、清水にも似た、潤すような霊気。
自分に注がれるそれを、一欠けらだって取り零したくは無かった。
目の前が白くなる。世界が色を帯びる。
茫洋とした視界が焦点を帯びて、目の前に佇む女性を捉える。
その姿を認めた瞬間、心臓がきゅう、と握り込まれるような心地がした。
(このひとだ)
小柄なその人を抱き寄せるのは、少年の姿を与えられた彼にとってすら容易かった。
やわい、暖かな身体。肩口に顔を埋めれば、微かに身じろぐ気配がした。鼻腔を満たすのは石鹸と、ほんのりと甘い体臭と――服に染み付いた、酒精の匂い。
(似合わないのに)
彼女の気配に、当然のような顔をして入り混じるそれも不快だった。
胸に満ちる暖かな感情の中に、一滴、苦い気持ちが入り混じる。
長年身の内に抱いた闇とはまた違う、どろどろとした、粘着質な情動。
「……僕は小夜左文字」
ほんの少し背伸びして、耳朶へ唇を寄せて名乗りを上げる。
願うように。縋るように。彼を――小夜左文字を顕現した主へ。
ふかい、底の無い闇の奥深くで、手を差し伸べてくれたそのひとへ。
――おちてあげる。
――いっしょに。
「小夜左文字、さん?」
「小夜でいい」
「……小夜」
(ああ。このひとだ)
戸惑いがちな声が名を呼ぶ。それだけで、足元が覚束無くなりそうだった。
この人だ。この人に呼ばれてここへ来た。この人のために、この身は顕現した。
他の誰でもなく、この人のためだけに。それが、震えるほどに嬉しかった。
よく仕えよう。頼られる存在となろう。
ほかのものが、一瞬だってその目に映る必要がないくらい。
「あなたを……僕は、なんと呼べばいい」
「……あー……便宜上と名乗っていますので、そちらの名か、あるいは審神者とでもお呼び下さい。
呼びやすい方で構いませんよ?」
「分かった。だね。……は、何を求めるの?」
至近距離で覗き込んだ“”が、困ったように眉尻を下げる。
真っ直ぐに見据えた黒瞳。その瞳に映るのが自分だけであることに、仄かな満足感を覚える。
淡い色合いの唇が開かれた。軽く肩を押し返す手を捉えて、頬を摺り寄せる。
「……そうですね。では、戦場に出る事を。それがお役目ですから」
「あなたが望むなら」
喜んで従おう。喜んで叶えよう。
いくらでも勝利を捧げよう。敵の首級を積み上げよう。誰よりも誉れを得てみせよう。
小夜左文字として顕現したこの身のすべては、目の前の女主人のためだけにあるのだから。
(そうすれば、きっと)
小夜左文字は、うっそりと微笑んだ。
ほしいもの。
「初対面で好感度カンストしてる気がするんですがどういう事なの……」
「折れた刀剣達から得た玉鋼で鍛刀したからじゃありませんか?」
「いやだって、あれ手入れに回すのも刀装に使うのも良くない気がしましてですね?」
「まあ、あの懐きぶりを見る限りその判断は正解だったと思いますよ」
「デスヨネー。斬りかかられる予想してた身としては、いつぶっすりくるかとすっごいヒヤヒヤさせられたけどね! ……何処まで覚えているのやら」
「さて。それは小夜左文字様のみが知る事でございましょう。
しかし、不安だったのでしたら次郎太刀様を控えさせておけば宜しかったでしょうに」
「室内の次郎さんとかただの肉壁でしかないじゃないですかやだー」
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