何があろうと、時間が止まる事は無い。
それは時間遡行軍との戦いの真っ只中であっても同じ事で、現世ならざる本丸であろうと、その摂理は変わらない。主たる審神者が健在であり続ける限り、彼等が顕現し続ける限り。大なり小なり変化は訪れ、季節は移ろう。
「やあ、御手杵。日本号には振られてしまったみたいだね?」
「そうなんだよなぁ。物吉はともかく、あいつは絶対来た方がいいと思ってんだけど」
道中、偶然にもはち合わせた青江と歩調を合わせ、御手杵はしかめっ面でそうぼやく。
脳裏に浮かぶのは、最後まで「行く」とは言ってくれなかった槍仲間の顔だ。彼も、彼なりに思うところがあるのだろう。分からなくはないのだ。彼等の交流は、大抵が御手杵を挟んだものだった。だからこそ、遠慮したのだろうとは思う――それでも来て欲しかった、というのは我が儘過ぎるだろうか。
「……なー、前はどんな感じだったんだ? 部屋の片付けって」
「前? ――いや、無かったよ」
「無かったって……そりゃまたなんでだ? 前の時の三人も、それなりに長かったんだろ?」
「あの頃はのやり方がようやく馴染んできて、余暇を楽しむゆとりを持ち始めたばかりだったからね。片付けるだけの私物自体が無かったんじゃないかな」
「あー……」
さらりと告げられた闇の深い話に、御手杵はきまりの悪い思いで口を閉じた。
横目に見下ろす青江はといえば、常と変わった様子も無く、薄い笑みを湛えたままだ。誤魔化すように自身の髪をかき回して、御手杵は足を止めないまま、話題を変える。
「……国広には青江が声かけたんだっけ? もう先に行ってるのか?」
「それが、僕も振られてしまってね。ま、君と主がいるんだ、彼も満足だろうさ」
「そうかぁ?」
「おやおや。あれだけ甲斐甲斐しく尽くされておきながら、随分とつれない反応をするね」
「ヤな言い方すんなぁ。……気があってつるむのと、小姓の真似事で尽くされるのは違うだろ」
関係こそ不本意なものではあったが、同期で顕現された男士を除けば、一番多くの時間を共にしてきた相手だった。だからこそ、と言うべきか。今でもまだ、御手杵はその不在に馴染み切れていなかった。
ぽっかりと、空いてしまった一人分の空白。
例えこの先、同じ男士が顕現されたとしても――きっと、それが埋まることはないのだろう。そう思う。
「それに。……あんた達と一緒で、あいつも腹ん中は見せなかったからなぁ」
好きか嫌いかで言えば、嫌いではなかった、としか言えない。
仲が良かったかと問われれば、返答に窮する。
そういう距離だった。そういう関係だった。その境界線を、決して、踏み越えさせようとはしない男士だった。
だから御手杵も、無理に踏み込む事はしなかった。自分の許容できる範囲で、好きにさせていた。受け入れていた。それが良かったのか悪かったのか、御手杵には分からない。
――ひらり、
ふと。廊下の先で、桜が舞った。
「あ、来た来た」
目指す先の部屋から、ひょこりと彼等の主が顔を出す。
見慣れた巫女服をたすき掛けにして、とっくの昔に準備万端、といった風だ。予定より早めに来たつもりだったが、どうやら出遅れていたらしい。多忙極まりない主を待たせていた、という事実に、慌てて歩調を早める。
駆け寄ってきた二人を見上げ、が小首を傾げて問うた。
「青江さんと、御手杵さん――の、二人だけですね。後から誰か来る予定あります?」
「いいや、僕らだけだよ。……すまないね。待たせてしまったみたいだ」
「気にしなくていいですよ。そんな待ってもいないですし、予定より早くに始めたの私ですからね」
「悪い、主。もうちょっと早く来りゃ良かったなぁ」
「いいですってば、本当」
言って、が困ったように笑う。
「それじゃ、始めましょっか。――蜻蛉切さんの、部屋の片付け」
あの大規模演練から一ヶ月。
蜻蛉切がいなくなってから一ヶ月が過ぎた、弥生の末の事だった。
■ ■ ■
何度か入った事のある蜻蛉切の部屋は、主人の性格を現わすように、整然としたままだった。
物が少ないからだろうか。蜻蛉切が健在の頃から一貫して変わらず、生活感の薄い部屋だ、という印象に変わりはない。部屋に備え付けの布団や座布団を運び出しながら、が言う。
「形見分けを兼ねてますから、持っておきたい物は取り分けておいて下さいね。それ以外は全部処分しますから」
「……形見分け、か。成程、それで親しかった男士限定な訳だ。
とりあえずは、私物をどこかに纏めておけばいいかな? 取り分けるのはその後で」
「そうですね、それでお願いします。御手杵さん、そこの箪笥とか文机とか、いったん全部部屋の外に出しちゃってもらっていいです? 全部とっぱらっちゃって、それで掃き掃除しますから」
「ああ、分かった」
頷き、手分けして任された仕事に取り掛かる。
元から物の少ない部屋だ。三人がかりな事もあって、私物を纏めるのも、掃除をするのも、それほど時間はかからない。合間に他愛のない会話を交えながらでも、片付けはいっそ拍子抜けなほどに順調だった。
「なぁ、主。この部屋、誰か新刃入れる予定あるのか?」
「まさか。部屋は他にもたくさんありますからね。当分は空き部屋にしておく予定です」
「……なら、もうしばらくこのままでも良かったんじゃないのか?」
「まぁ、そうなんですけどね。……こういう片付けって、区切りには丁度いいんですよ」
掃除しながら返されるの声音が、柔らかに陰る。
数瞬、その横顔を過ぎった哀惜の色に、御手杵はへんにゃりと眉尻を下げた。
「そういうもんかぁ」
「そういうもんです」
自分にとっても、これは区切りになるだろうか。そんな事をぼんやりと思う。
腹の中を読ませない男士だった。自分の事は、何一つ語ろうとしない男士だった。最期の瞬間まで、力強く勇敢な、誉れ高い槍だった。――最後の最後。救われてしまった事を、重荷に感じてしまう程度には。
(……練度だけじゃ、ないんだよなぁ……)
パッとしない逸話しか持たない身ではあるが、それでも、御手杵とて練度は上限に至っている。
肩を並べるに不足は無いと、そう思っていた。
今ではもう、分かっている。あの状況下で蜻蛉切が助かることは不可能だった。一人助かるか、二人死ぬか。あの時、選べた選択肢はそれだけだった。瞬くようなほんの刹那、その合間にだけ選ぶことの許された未来。
(俺が、逆の立場だったら)
選べただろうか。判断を、間に合わせる事ができただろうか。
敵わない。ああはなれない――……とは、決して言うまい。仮にも、“三名槍”と並び称される身だ。上回る事はでいなくとも、せめて、見劣りしないだけの能力はあるのだと証明しなければならないのである。
そうでなければ、あの時。助けられた自分を、御手杵は許せそうにもなかった。
「。お客さんが来たみたいだよ」
「ん、お客?」
雑巾片手に押し入れから顔を出して告げた青江に、が首を傾げる。
その言葉に応えるように、ぱたぱたと足音を立ててやってきた後藤藤四郎がに言った。
「大将、ちょっといいか?」
「?」
不思議そうにぱちりと目を瞬かせるに、後藤がなにやら耳打ちする。
それになんとも言えない顔をして頷くと、は申し訳なさそうな表情で青江と御手杵を振り返った。
「ごめんなさい青江さん、御手杵さん。分かる範囲でいいから、二人で進めておいてもらっていいです? 後藤さんの用件が済んだら戻ってきますから」
「おー」
「ああ、任されたよ」
「ありがとな、二人とも! 大将借りてくぜー」
にかっと笑ってを連れて行く後藤に、ひらひらと手を振る。
(あいつらもとうとう先輩かぁ)
つい最近顕現されたばかりな気さえするというのに、月日の経つのは早いものだ。
もう数日後には本丸の誰かに「会いたい」と望まれた、新顔連中が顕現される予定になっている。
「今回は、ゆっくり育てる予定ですから。――それに。助けてあげて、くれるでしょう?」
多忙なのだから予定を先送りにしたって誰も文句は言わないのに、そうやって楽しそうに笑うから、誰も、何も言えやしなかった。
(そりゃまあ、助けるけどさあ……)
特に物吉達は大はしゃぎで、日本号ですら、初めての後輩を楽しみにしているようだった。
自分が、かつて主の為に折れた三振を、人づてにしか知らないように。あの蜻蛉切のことを、直接知ることのない新顔達がやってくる。
「……」
「御手杵、ちょっといいかい?」
「ん、ああ」
呼ばれ、御手杵は思考を切り替えた。
振り返って見れば、押し入れ掃除に戻っていったはずの青江は、蒔絵の施された塗箱を持っている。
御手杵の疑問を読み取ったらしい。塗箱をこちらに押しやりながら、青江が答えた。
「押し入れの天上板を外したところで見つけたんだ」
「え、掃除ってそこまでするもんなのか?」
「そうでもないけど、本丸さんがあまりにも熱心に急き立てるものだからつい、ね」
「ふーん……?」
部屋から出てきたのなら、これも蜻蛉切の私物、という事でいいのだろう。
受け取った塗箱を、御手杵はしげしげと観察する。花の意匠の、可愛らしい塗箱だ。飾り気の無い他の私物を思えば、これだけ明らかに浮いている。隠していただけで、実はこういうのが趣味だったのだろうか。考えてみるも、いまいち――どころか、だいぶしっくりこなかった。
ありのままを受け入れる、というのもなかなか難しいものである。御手杵は神妙な面持ちで塗箱を開けた。
「……おや」
横から覗き込んでいた青江が、思わずといった様子で呟く。
枯れた花、何かの包み紙、文字の綴られた紙片。塗箱の中には、そんなものが整然と詰め込まれていた。
中でも目を引くのは、まだら模様の細長い布束だろうか。洗濯しても落ちきらなかったと見て取れる血の痕が残った、おそらくは包帯だったのだろう白い布。
中身も塗箱同様に可愛らしいものが詰まっているのでは、という予想が外れ、御手杵は残念なようなほっとしたような、複雑な気分だった。どちらにせよ、拍子抜けな事には変わりないが。
「なんだろうな、これ」
「さあ」
肩を竦めて青江が言う。
なんとはなしに、御手杵は紙片に目を通して。
「あ」
内容は至極ありふれた、なんてことのないものだ。
買い物内容らしき品の数々が、見覚えのある筆跡で羅列されている。
内容は違えど、自身でも何度か見た事のあるそれは、間違いなく彼等の主であるの手だった。
気付き、御手杵は改めて塗箱の中へと視線を移す。他にも何枚かある紙片は、どれもこれもが主の書いたものだ。最近はすっかりご無沙汰だが、包み紙も、がお菓子を作る時によく使っていた模様の紙である。
(――……まじか)
我知らず、御手杵は真顔になった。
分からないものもいくつかあるが、ここまでくれば関連なのだろうと自然、察しは付く。
見てはいけないものをみてしまった。じんわりと背中に嫌な汗を滲ませ、御手杵はそっと塗箱の蓋を閉めた。
「どうしようか、これ。捨てるかい?」
今更ながらに押し寄せてきた罪悪感が胸に痛い。真顔で黙り込んだ御手杵に、変わらぬ調子で青江が提案する。その声音に含まれた僅かな嫌悪の念に、御手杵は思わず青江の顔を凝視した。
そこにあったのは、いつも通りの薄笑いだ。何一つ、そこから読み取れるものはない。顔を顰めて首を振る。
「いや。……あー、そっか。でもなぁ……」
ぐしゃぐしゃと髪の毛をかき回しながら、思い返すのはといる時の蜻蛉切の姿だ。
よく仕えていた、と思う。少なくとも御手杵の知る限り、蜻蛉切は“従者として”の分を超える事は決して無かった。褒美を強請ることも、気安く言葉を交わすことも、苦言を呈することさえしなかった。
ただひたすらに忠実に、どこまでも従順にあり続けた。いつだったか、が言っていた。
「“家康に過ぎたるものの二つ有り、 唐の頭に本多平八”――って言葉があるんですけど。
……うん。蜻蛉切さん、そういうとこ元の主人と一緒ですよね……」
自分には過ぎた従者だと。苦笑いしながら、そう零していた。
良い槍だった。良い槍で、自分には過ぎた従者だった。は蜻蛉切をそう評した。
折れるまで。死ぬまで隠し通したのだ。なら、今更自分がどうこうするのは無粋過ぎるというものだろう。
「……そうだな。燃やすのが一番だろ、たぶん」
悩んだ末、御手杵はそう結論した。
せめてこれくらいは、伴っていくのを許されたっていいはずだ。
「主が戻ってくる前に焼いてくる」
「付き合うよ。火遊びなら、秋に何度か経験してるからね」
「おー。助かる」
塗箱を丁重に抱え直して、青江と連れ立ち廊下に出る。
主人を失い、からっぽになった部屋を後にして。そういえば、ついぞ以前いたという“御手杵”について、蜻蛉切と話したことは無かったなあ、と。何故だかそんなことを、さみしく思った。
誰かがいなくなっても、時間は過ぎる。
――蜻蛉切がいなくなっても、春は来るのだ。
すべて墓下
「いないと思ったら、何してるんですか二人とも。たき火?」
「んー……なんだろうなぁ。送り火、みたいな?」
「彼岸こないだ明けたばっかだったと思うんですが」
「それより。掃除は粗方終わったけど、不要物はどう処分するつもりでいるんだい?」
「え? そこはまあ、無難にお焚き上げかなぁ、って思ってますけど……」
「じゃ、それもついでに焼こうか。持ってくるよ」
「なー主、ついでにあれも焼こうぜ。白くてふわふわしてるあれ。甘いの」
「いやお焚き上げの火でマシュマロ焼くのはちょっと……。あとでマシュマロ入りのホットココア作ってあげますから、それで手を打ちません?」
「……焼きましゅまろも食べたい……」
「……うん、じゃあ火鉢で焼きましょっか……」
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