今でも耳から離れない言葉がある。
 恐怖と嫌悪の入り交じった、本心からだったのだろう侮蔑の言葉だ。

「化物め」

 ろくろく言葉も交わさなかった、かつて、己を顕現した審神者。
 気狂いのように朝も昼も夜もなく、遡行軍の殲滅に血道を上げていた――ある日、ぱたりと倒れてそのまま逝った、かつての“主”。彼女が吐き捨てた一言を、いまも、彼は忘れることができないでいる。


「本日付で、正式に身柄引受人になった訳ですが」

 言って、その審神者は彼を見上げた。
 小柄な女審神者だ。身の丈は短刀や脇差連中と似たり寄ったり。女審神者にはありがちな紅白の巫女服に、墨染めの羽織といった出で立ちをしている。奇異な格好をしている訳でも、特別整った目鼻立ちをしている訳でもない。群衆に紛れれば、そのまま埋没してしまうかも知れない。しかし彼は、即座にその考えを否定する。
 これほどまでにうつくしい“人間”、早々お目にかかれるものではない。

 “雛鴉ひながらす”と呼ばれた審神者。
 “”と名乗った人間は、何処までも平静な、理性的な目で彼を見ながら続ける。

「実質、処遇については丸投げなんですよね。どうしたいです?」
「君の刀になりたい」
「いや刑期九十九年じゃないですか。どうやったって無理ですよ。とりあえず刀解はナシって解釈でいいです?」

 真顔で即答するも、の回答はつれなかった。
 斜め後ろに控える彼女の近侍、初期刀だと言う次郎太刀は、面白そうに笑って口を挟む様子も無い――もっとも、妙なそぶりを見せれば直ぐさま斬り捨てられてしまうのだろうが。

「そうだな。じゃあ、刑期明けたら君の刀にしてくれ」

 多くの犠牲を出して終わった大規模演練。
 首魁であった二振は折れ。彼等不在本丸連合軍は、審神者に対して膝を屈した。
 けれど。当然ながら、それで終わりとはいかない。政府にも、審神者にも面子というものがある。
 けじめはつけなければならないのだ。そうでなければ示しが付かない。
 燭台切しょくだいきり一期一振いちごひとふり、彼等のどちらかが生き残っていれば、彼にお鉢が回ってくることは無かっただろう。
 特別に親しかった訳でも、信頼されていた訳でもない。審神者憎しで盲目になるほど冷静さを欠いておらず、さりとて審神者に組する気も無く。練度上限であった事、彼等の理想に賛同しながらも盲従しない姿勢を貫いた事――ひとつひとつを数え上げればキリが無いが、彼が実質的なNo.3であったのは他に丁度良い人材がいなかったから、というだけの事でしかない。
 刀時代からの縁があると言っても、しょせんは異なる本丸の出だ。元が同一の刀であろうと、顕現されてからの経験によって、その性質にはどうしたって差異が出る。あの二振は彼を信用はしていたが、決して、信頼してはいなかった。彼とてそれは同じことだ。ただ、現状の閉塞感ゆえに誘いに乗って、賭けに負けた。

 見せしめの側面もあるのだろう。彼に科された制限は多い。
 中でも大きいのは、“鶴丸国永つるまるくになが”の名を封じられた事か。剥奪を免れたのは彼の立ち位置に加え、大百足討伐に助勢した功績が認められたからだ。自刃は禁じられ、実質、首の皮一枚で繋がっているのが現状である。
 身柄引受人であるの許可無くしては抜刀もできず、その命に逆らうことは許されない。特定の“主”を持つことも許されない。――要するに、“ご自由にお嬲り下さい”と敵軍の首領に引き渡された状態な訳だ。

「……刑期明けまで生きてたら一考します。で、刀解はナシですね。戦線には出ます? あくまでもうちでの“預かり”って扱いですから、顕現解いてお休み、っていう選択肢もありますけど」

 それが分かっていないのか。いっそ拍子抜けするほどの素っ気なさで、詰まらない仕事でも片付けるようには問う。反逆者を処断しよう、相応しい刑罰を科してやろう――そういう心積もりは、欠片も無いらしかった。

「俺が言うのも何だが、謀反人にそんな手温い事でいいのかい、君」
「なんで人間が司法制度なんて作ったか知ってます? 感情論で量刑決めると、際限なく刑罰が重くなるからなんですよ。刑罰を決めたのは政府と、何より“鶴丸国永”の本霊です。私もあの件の責任者の一人ですから、貴方を監督する義務は引き受けましたけどね。判決に異議申し立てするほどの熱意も暇もないですし、何より、仕事に私情は持ち込まない主義です」
「ふぅん? つまるところ、俺が穀潰しの無駄飯食らいでも一向に構わないって訳か」
「そうですね。預かり代ってことで、政府から特別手当付いてますし。そうしたいなら止めませんけど」
「うへぇ。そりゃまた、ぞっとしない話だな」

 考えるだけで錆び付きそうだ。ぶるりと身震いして、彼は思いきり顔を顰めた。

「ちなみに、俺の扱いを君に委ねたとしたらどうなる?」
「……そうですねぇ。相模の不在本丸、ぜーんぶ好きにしていいよって後始末丸投げられたんですよ。折衝だけでもめちゃくちゃめんどくさいんで、それ手伝ってもらおうかな、と」
「アタシの審神者は人使いが荒いよぉ? ま、尽力すりゃあ恩赦が望めるかも知れないね!」

 ひょい、との頭に顎を乗せて、次郎太刀が悪戯っぽく笑う。
親しみやすい表情に砕けた物言い。それだけを見れば、かつて己の本丸にもいた次郎太刀と大差無い。しかしこの大太刀としては異質な事に、随分と酔いの程度が浅いようだった。冴え冴えと鋭い黄色の目は、彼の心根を抉り出すようにすら錯覚させる。
 そんな己が初期刀の言に、は拗ねたように唇を尖らせた。

「次郎さん、人聞きが悪い」
「事実だろ? ま、アンタの場合は働かせる以上に働くけどさ」
「……、……適性は見てますし、希望も聞いてるから、無理はさせてない、と、思うんですが……」

 もにょもにょと弁明らしき事を呟き、しかし、だんだん自信が無くなってきたらしい。

「………………まあ、うちの刀と同程度に働いて貰えたら助かるなあ、とは思ってますけど」

 たっぷり数十秒黙考した後、どことなく疲れたような声で、次郎太刀を張り付かせたままが言う。
 当然のように次郎太刀の行為を受け入れる姿からは、慣れと、親密さが見て取れた。
 あの戦場で見せた勇猛さも、決着後、両陣営の撤退指揮を取っていた時に見せた、将としての鋭さもそこには無い。委ねていても大丈夫、と。次郎太刀のことを信じて疑わない、そういう無防備さすら伺える。

――いいねえ。ここの次郎太刀は、中々に難物のようだ)

 それでこそ、己が見込んだ“人間”の初期刀を務める付喪神である。
 血の沸き立つ感覚に、自然と笑みが零れた。この人間に率いられ、この刀と肩を並べて戦場を駆ける。――想像するだけで昂ぶってきそうだった。これほどの愉しみを得られたのだ。それを思えば顕現を解いてしまうなど、もったいなくてできやしない。

「そりゃあ嬉しいね。俺はこの通り、通常の分霊より弱体化している身だが――十二分に戦果は上げてみせると請け負おう」

 トントン、とそれまであった金鎖に代わって首元を飾るしめ縄を指先で示してみせる。

「……戦働きだけが仕事じゃないですよ?」
「勿論、折衝も手伝うさ。だが、俺は刀だ。戦働きができんのでは、顕現している甲斐が無い」
「んー……まあ、それは別にいいですけど。ああでも、どのくらい戦えるのかは確認しとかないとまずいですね。今の状態次第で、任せられる仕事の範囲も違ってきますし」
「アタシもさんせーい。普通に動く分には問題無さそうだけど、身体の感覚掴めるまでは戦場に出すより手合わせ優先で組んでやった方がいいだろ。あの二人より酷いだろうしねぇ」
「あの二人? なんだ、他にも似たような立場の刀を預かっているのか?」
「いや、その二人はうちの刀なんですけど……まあちょっと、昔色々あったもんで、それで」
「“約束げんまん、嘘ついたら針千本のーます”ってね。自業自得の代償があの程度なら、まあ軽いもんだろ」
「私も悪かったんですよ。頭回って無かったとはいえ、誤解させるような状態でしたから」

 気になったが、それ以上、に語るつもりは無いらしい。
「処遇の話に戻りますけど」と話題を変えるに頷き、彼はその疑問を棚上げした。
 どのみち今後、彼女の本丸での預かりになるのだ。聞く機会はいくらでもある。

「鶴……じゃなかった。陵丸みささぎまるさんは、うちの刀と同じように働きたいって事でいいんですね?」

 陵丸みささぎまる

 それが“鶴丸国永”の名を封じられ、名乗ることを許されない今の彼に与えられた名前だった。
 いくつかある異称の中からあえてそれを与える辺り、我が本霊ながら、なかなかにいい性格をしていると思う。

「ああ、せいぜい好きにこき使ってくれ。無駄飯食らいじゃあ君の刀は務まるまい」

 名を封じられ、弱体化させられ、行動にどっさり制限を科された。本霊の意向だろう。戦装束からも鶴の意匠は取り除かれ、たいそう貧相な有様となってしまった。顕現してからの一年ですら長いと感じていたのに、これが九十九年続くとなると流石に厳しいものがある。幸いと言うべきか、忙しいのには慣れている。次郎太刀の言う通り、恩赦を狙うのはアリだろう――少なくとも、退屈を持て余すより遥かにマシだ。

「なんでそうやる気に満ち溢れてるんですかね……。主に選ぶならもっといい審神者、他にいくらでもいますよ?」
「はははははっ! まあ、確かに他にもうつくしい“人間”はいたな! えん、それに司馬しばと言ったか? あの人間等も良かったが、やはり主と仰ぐなら、俺は君くらい化物じみている方が好ましい」
「ばけもの」
「俺のような化物を従えるんだ、そうでもなければ手綱を握っていられんだろう?」

 かつて。彼を顕現した人間は、自分達を「化物め」と怖れ、厭った。
 遡行軍を憎み、刀剣男士を拒絶して。この戦争を、審神者になってしまった我が身を呪いながら死んでいった。
 ほんの二ヶ月ちょっと前、他本丸からやって来た審神者などは「あなたは化物なんかじゃない!」とほざいてくれたが――あまりに不愉快だったので、喉を潰して達磨だるまにして、燭台切達へくれてやったのを覚えている。

 心の脆い“人間”だった。
 しかし、かつての“主”の言は正鵠を射ていた。

 刀剣男士は化物だ。
 神で、妖で。刀で、人で。どれでも正解であるはずなのに、決して、“そう”であるとは言い切れない。
 どこにも属してはいない半端物。担い手の扱い次第で、神にも、妖にも、刀にも、人にも成り得る。
 どれにでも容易く傾いてしまう、そういう存在なのである。

「陵丸さんは」

 何故だかなんとも言えない顔をして、はそこで、口を閉ざした。
 言葉に悩むように目を伏せて、ふ、とため息をついて言う。

「……化物呼ばわりされるより。人間呼ばわりされる方が好きですね、私は」
「そうか。それは残念だ……」

 この、“人間”でありながらも化物じみた審神者なら、理解してくれると思ったのだが。
 落胆はあったが、それは怒りや不快感を伴わなかった。悲しい、とでも形容すべき感情に、眉を下げて肩を落とす。あっけらかんとした調子で「アタシも化物呼ばわりよりは、付喪神呼ばわりされる方が好きだねえ」と次郎太刀がのたまった。

「まぁ、何を自称するにも好みってありますからね。有名どころだとアレです、第六天魔王とか毘沙門天の化身とか」
「……そんなものか?」
「そんなものじゃないですか? 結局のところ、自分がどう見られたいかだと思いますけど」
「そうか。――そういうもの、か」

 の言葉を、声には出さずに反芻する。
 それは新鮮な驚きをもって、彼の胸にすとん、と落ちた。

(俺は、化物でいたいのか)

 今でも耳から離れない言葉がある。
 恐怖と嫌悪の入り交じった、本心からだったのだろう侮蔑の言葉だ。

「化物め」

 ろくろく言葉も交わさなかった、かつて、己を顕現した審神者。
 気狂いのように朝も昼も夜もなく、遡行軍の殲滅に血道を上げていた――ある日、ぱたりと倒れてそのまま逝った、かつての“主”。
 心の脆い“人間”だった。審神者として、主と戴く相手としては、お世辞にも好ましいとは思えなかった。
 今でもその意見に変わりはない。だからこそ、彼と同じ本丸だった刀剣男士達は折れることを選んだ。「もう疲れた」と、そうとだけ言い残して。
 ああ。けれど。――自分はあの、弱くて愚かな“人間”が。きっと、嫌いではなかったのだ。

「……うん。やはり、主と仰ぐなら君が良いな」

 晴れやかな気持ちで、陵丸は心から笑う。
 化物のままでいてやろう。化物を自称し続けよう。かつての“主”が厭った通りに。
 今となっては自分のその有り様だけが。憐れなあの人の子が遺した、唯一の爪痕なのだから。

骸の共寝


「まぁーた随分と拗らせたのが来たねえ。加州で大丈夫かい? 付けるの」
「……不在本丸対応中心で手伝わせたいから、それを思えば加州さんが一番だと思ってたんだけど……当分、様子見でもう一人付けた方がいいかなぁ」
「うーん。付けるにしてもありゃ、下手なのは付けない方がいいだろうね。前田辺りどうだい」
「ん、前田さんなら確かに堅いね。それでいこっか。……ねぇ、次郎さん」
「なんだい?」
「あの、さ。……私って――……、……」
「……」
「……ん。やっぱりいいや。ごめんね次郎さん、忘れて」
「構いやしないさ。それがアンタの望みなら、ね」
「うん。――……うん」




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