マヨヒガに本来、四季は存在しない。
 巡る月日から乖離して穏やかに緩やかに、居心地の良い小春日和だけが延々と在る。
 気候が変動するのは、それを主たる審神者が望むからだ。萌え出づる春、命が盛りを迎える夏、結実して朽ちる秋、そうして沈黙と眠る冬。人の器を得て初めての、冬らしい冬。
 何時しか主好みに整えられるようになった本丸の庭は、前任の頃とは打って変わって賑わしい。
 篝火花、水仙、紅弁慶、桜草に葉牡丹、そして蝋梅。
 溢れ返る花々は雪化粧の施された庭にあって尚鮮やかに華やかに、見る者の目を楽しませる。
 けれど、特に目を惹くのは椿だろう。ぽとりとそのままの姿で落ちる、猩々緋の色を宿した首の花。

「……主君。あまり、お身体を冷やされませんよう」
前田まえださん」

 ほんの十数分。前田が離席している間を、は休憩時間と定めたようだ。
 顔を上げたの腕には、椿の花がいくつか、大事そうに抱え込まれている。対してその足元は簡素な履物であり、雪の中を歩むにはあまりにも心許無い。悪戯が露見した子どものようにばつの悪い顔をして、戻ってきたが縁側へと腰を下ろす。
 ふわり、と桜の花弁と共に、その横に拭き物が現れた。やはり、足を濡らしたらしい。

「ありがと、本丸さん」

 マヨヒガに礼を述べ、が視線を彷徨わせる。何かを探しているようだ。腕に抱えた椿を床に置こうとする様子が見えない事から、前田は足を拭う間、花をどうするか悩んでいるのだろうと当たりをつけた。
 前田が足を拭えば良いのだが生憎、はそういった身支度を他人に任せる事は好まない。戦働きのみならず、小姓としても主人の役に立つのだと示してみせたい身としてはどうにも歯痒い事であった。
 の横に膝をつき、前田は両手を広げて見せる。

「お預かり致しましょうか?」
「いや、それより何か入れ物を――ってさすが本丸さん仕事が早い」

 の言葉に前田が動くより、マヨヒガが応じる方が早かった。音も無く現れた黒漆の盆に、主は親しみの籠った素朴な賞賛を投げかける。ひらりと舞う花弁は心なしか得意げであり、同時に酷く嫌味たらしい。自分の方が信頼されているし、主の役に立っている。それを眼前で見せ付けてくるマヨヒガに対して平静を装っているのは、多大な自制心を必要とした。
 他所がどうかは知らないが、少なくともこの本丸において、刀剣男士とマヨヒガの関係はあまり良好とは呼べない。
 主人に頼られたい、使われたい、役に立ちたいと願うのは器物の性であるが、特にそれが顕著な傾向にある短刀や脇差のほとんどは、マヨヒガを疎ましくさえ思っている。マヨヒガを素直に尊敬し、目標にしているのは、最近顕現された物吉貞宗ものよしさだむねくらいなものだろう。マヨヒガの方も歩み寄る気がまるで無いので、それで関係が好転しようはずも無かった。水面下の争いに気付く様子も無く、が足を拭いながら前田に告げる。

「前田さん。それ、何処かその辺りに置いといて下さい」
「はい、主君」

(何故このような、落ちた花など愛でるのでしょう)

 一言命じてさえくれれば、庭でいっとう美しい枝を手折ってくるのに。
 ここに居合わせたのが前田以外であったとしても、おそらくは似たような感想を抱いただろう。不満と言うには些細に過ぎる、けれど心をささくれ立たせる悋気の情。だが、前田はそれを口に出す事はしなかった。あくまでも平静な顔を装ったまま従順に、前田はの言いつけに従う。
 主君が愛でているのだ。それが屑にしか見えなくとも、そうである以上相応に扱うべきだろう。
 それに、所詮花は花、だ。“マヨヒガ”という一種の異界に咲こうとも、その寿命の儚さは変わらない。せいぜい数日で醜く萎み、主から見向きもされなくなる。それを思えば、溜飲も下がる。

「それで、資材と備品の在庫状況ですけど――

 足を拭ったが、文机の前に腰を下ろして問うてくる。
 それに「はい、ご報告させて頂きます」と頷き、「ただ、主君。その前にこちらをどうぞ」と、本邸で在庫確認がてら、用意してきたものを差し出す。が、きょとんとした顔で瞬いた。

「? 湯たんぽ、ですか」
「月の障りの際は、腹部を温めるのが効果的だと聞き及びましたので。どうかご自愛なさって下さい」
「ああ、うん……。…………うん?」

 が分かりやすく眉間に皺を寄せた。
 先程までの無防備な、ともすれば幼い少女のようにも見える表情が一転して険しいものになる。

「……いやいやいやいや待って待って前田さん? なんでそれ知ってるんです?」
「一昨日から五虎退ごこたいが、主君の纏う血の臭いが普段より濃いと気に掛けていましたから。それに、血の気の薄い顔をなさっておいででしたので……当て推量でしたが、外れてはいなかったようですね」

 何でもないように微笑んで見せれば、は「ミスった……!」と呻いて額を押さえた。
 実際のところ、前田とてそれだけの要素で判断した訳では無い。
 は本陣で指揮を執る審神者だ。必要とあらば危険に身を晒す事も厭わない。その為だろう。刀剣男士ほどではないが、彼女は常に血と、死の臭いを漂わせている。特に睦月に入って以降、行方不明の審神者捜索であちこちの本丸を駆け回っている関係もあり、多少血の臭いが濃い位は気に掛けるほどの事でもない。そもそも、そんな小さな変化を察知できるほど、人間の器は鼻が利かないものだ。
 五虎退が気にしていたのは本当だが、それも「なんとなく」で、明確な理由あっての事では無かった。
 自身の一部として仔虎を引き連れている五虎退は、前田達より嗅覚が優れているのに加え、些細な変化にも敏感に反応する。だから、「なんとなく」気になったのだろう。

 前田の推測の材料は、些細なものばかりだ。
 五虎退の気掛かり。普段より長い睡眠時間。無意識にか、気怠い様子で時折下腹部を撫でる仕草。そして何より、陰へと傾いた霊力。

 肉体と精神は連動している。霊力もまた然り。
 月の障りは血の穢れだ。命を孕み、育む為の――限りなく死へと近付く、女にだけ許された営み。胎の内で疑似的な生と死が繰り返されるからこそ、女は男よりも霊力が多く、“ひとでないもの”との親和性も高い傾向にある。
 ただ、それ故に霊力が安定しないのもまた事実だ。霊力が大幅に増減したり、霊的性質が大きく陰へと傾いたりとする。はどうやら後者のようで、霊力量に変動がさほど無い代わりとでも言うかのように、その性質の傾き方が著しいのである。

(主君の月の障りが、重いものであれば良かったのですが)

 肩を落として「っていうかそんな血の臭いするのか私……つら……消臭スプレー買ってくるべき……?」と煩悶するの言葉を記憶しながら、そんな事を考える。人によっては、月の障りが身動きすらままならない程に辛い、苦しいものであると聞く。しかし前田にとって残念なことに、は軽い方であるようだった。ただ霊的性質が陰に傾いているせいだろう、雑鬼の類をよく引っ掛けてはいるのだが。

「……内緒にしといて下さいね?」

 顔を上げたが、困ったように、何処となく悲しげな顔で懇願する。
 自分の他にも、恐らく察しているだろう数振りの顔が頭を過ぎったものの、前田は言わないでおく事にした。月の障りを把握されているというのは、にとってあまりいい気分のする事では無いらしい。そうであると知った以上、彼等に釘を差しておくのは前田の役目だろう。

「主君がお望みとあらば」
「うん。ありがとう、前田さん」

 安堵を滲ませてが笑う。柔らかなその笑顔には、戦の采配者としての面影は無い。
 その向こう側、今は刀置きで沈黙している薬研藤四郎やげんとうしろうが視界に入って、前田はゆるりと目を伏せる。

 前田藤四郎は、が。彼の主君が戦場へ出る事を、快く思ってはいない。

 戦う事は刀剣男士の本分である。主の指揮で戦場を駆けるのに不満はないし、喜びさえ抱いている。
 ただ、が本陣へ出向く必要は無いと考えているだけだ。この本丸内では少数派なのかも知れない。けれど彼女は審神者であって、かつての主達のような武士では無いのである。まして女の身である主君がわざわざ危険な場所で指揮を取る必要など何処にも無い。厄介事に首を突っ込む必要も、だ。彼女が喪われれば彼等は、薬研はどうすれば良い? に付き従い、色々な審神者を見る機会を得てその思いは強くなるばかりだった。

(薬研に顕現する気がない事だけは、幸いですが……)

と、薬研と。

 叶うならば安全な場所で、ただ平穏に安穏と、日々を過ごしていてくれれば良いと前田は常々考えている。
 前審神者がまだ健在だった頃、前田は持ち合わせていなかった。あの男の目を欺けるだけの狡猾さも、“仲間を護りたい”と願ったが故に壊れた薬研を、その意思を無視して、無理矢理逃がせるだけの傲慢さも。

「……では主君。改めて、資材の在庫状況をご報告をさせて頂きますね」
「あ、そうですね。それじゃあ前田さん、お願いします」

 の、ようやく前田と同じ程度にまで伸びた髪がさらりと揺れる。
 彼等とは違う速度で歩む“人間”という生き物は、同じ形をした今となっても、あまりに遠い。
 そういう意味では彼等刀剣男士より、咲いては枯れる花々の方が、余程人間に近しいのかも知れなかった。

(本当に花であったなら、気を揉む必要も無いのですが)

 は五月人形さながら薬研を佩いて、微笑んでさえいればそれでいい。
 他の刀剣男士など、前田を含めて視界に入れる必要さえ無い。ただ前田は主君が薬研を大切に扱い、時々は手入れして、そうして穏やかに、怪我も無くあり続けてくれればそれだけでいいのだ。――この先も、ずっと。

 機会は少なく、取るべき手段も限られる。それでも、諦める気はさらさら無かった。
 例えそれをも、薬研さえも望んでいないのだとしても。

 椿の如し彼等の主君は、未だ永遠にはほど遠い。

秘するが花


「おや。活けた花を変えたんだね」
「さすが歌仙かせんさん、やっぱり真っ先に気付きましたね」
「お褒めに預かり恐悦至極。黒漆の盆に紅椿か。銀の盆にしようとは思わなかったのかい?」
「それも考えたんですけどね、椿は銀より黒の方が似合うし映えるなーと思って」
「ああ、それは確かに。……うん、これはいいね。とても雅だ」
「でしょう? まぁ、一輪だけは味気なかったんで結局盛り合わせみたくなっちゃったんですけど」
「一輪だけでは満足できなかったんだろう? いいじゃないか、僕らの主らしくて」
「なんだろう、今ものすごい悪女だって言われたような気がする」
「なに馬鹿な事言っているんだい……。
 そもそも君の場合、悪女だとしても“首をお刎ね”と声高に命じる方だろう?」
「……あれっ否定できない!?」




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女審神者の霊力事情については用語解説にブチ込みました。よろしくな!
ちなみに歌仙さんとの会話は「サロメ」と「不思議の国のアリス」を念頭に置いてます。そして更に言うと椿は散るのではなく落ちる為、首が落ちるに繋がると特に武士階級に忌まれました。なお本丸ではの趣味で落ちる方です。これだから首狩り族は。