物吉貞宗ものよしさだむねの主は多忙である。

 年末年始の事件以来、主は政府の呼び出しもあって更に忙しくなったようだった。
 政府上層の施設への刀剣男士の同伴は、基本的に許可されていない。主も無論その例に漏れず、結果として物吉は政府施設への転移門がある相模演練場で、寂しくその戻りを待たされる事になってしまった。
 主が職員に顔が利くからこそ、特別に本来なら立ち入り禁止である相模演練場の事務室で待たせてもらえているものの、歯痒い気持ちに変わりは無い。危なっかしいところのある主だけに、大丈夫だろうか、また何かに巻き込まれていないだろうかという不安もひとしおである。

「めっっんどかったぁあああー……。
 ああもう、なんで同じ話を微妙に表現変えながら回りくどくループさせるかな。失言でも誘ってるの? いちいち記録とってる訳ないんだから覚えてるはずもない事を姑みたいにネチってくるのほんと無理なんですけど。主任さん、ひょっとしなくても上の人達って時間を無駄に浪費する趣味とかあったりするんです?」
「あー……まぁアレだアレ。具体的な後始末もしちゃあいるけど、お前さんの事に関してだけ言えば派閥同士で足の引っ張り合いとか何処に責任取らせるかとか、そういう内輪揉めが絡んでるっぽいぞ? あとは手柄の奪い合いな」
「わぁい今後も調書の名目で呼び出し食らう予感。
 そんな暇あるんなら戦況好転にミリ単位でも貢献して欲しいんですが」
「いやなんつーか、葦名あしな政務官が出たから話がややこしくなった面もあってだな……」
「あれ。でも葦名おじさんに繋いだの、主任さんでしたよね?」
「オウ聞きたいんだな? とっておき政府縄張り争い裏話聞きたいんだな? よっしゃ流石大将ちゃんだ耳貸せや」
「おおっと地雷を踏んだ予感」

「主様ぁー!!!」

 だから、まぁ。
 主が会話に興じているのが分かっていたとしても、我慢できなかったのは仕方の無い事なのである。
 さして身長は変わらなくとも、物吉とて刀剣男士。主一人の体重程度は難なく支えられる。湧き上がる喜びのままに駆け寄って抱き上げ、くるくる回りながら血の臭いも返り血も一切無い事をさり気なく確認して床へと降ろす。勿論、そこらに主をぶつけるような愚は犯さない。ちなみに主は最初から最後まで目をまんまるにして固まっていた。うちの主が今日も可愛い。

――っ、と。ああはい、ただいま戻りました物吉さん」

 少しだけ足をふらつかせながら、硬直から回復した主が律儀に応じた。
 それに満面の笑みで「はい、おかえりなさい!」と返す。何でも無い些細なやりとりではあるが、刀であった時分にはできなかったこの応答が物吉はわりと気に入っている。
 無事の再会を喜ぶ物吉を見て取って、集まってきた演練場の職員達が口々に声をかけてきた。

「良かったなあ物吉君、さん早いこと帰ってきて」
「無邪気に喜ぶ物吉貞宗ちゃん可愛い……天使……胸が熱くなる……」
さーん、物吉くんめちゃくちゃ良い子で待ってたんで褒めてあげてくださいねー」

 職員達の言葉に、主はぱちぱち、と目を瞬かせる。
 何だろう。ちゃんと主の言いつけを守って大人しくしていたのだが、何かまずかっただろうか。

「……随分馴染みましたね?」
「みなさん、とっても優しい方ばかりでしたので!」
――そうですね」

 ふ、と柔らかく主が表情を綻ばせた。良かった、どうやら間違っていなかったらしい。
 つられて頬を緩めながら、物吉はほっと胸を撫で下ろす。最近は忙しさが極まっているせいなのか、何かと険しい顔をしている事が多かったのだ。自分の行動で少しでも主が笑ってくれたのは、物吉にとっても僥倖だった。

さん疲れてるでしょ、休憩してきなさいな」
「そうそう! で、その間だけちょーっと物吉くんで荒んだ心に癒しを! 癒し系イケメン観賞させて! ね!?」
「先輩必死過ぎです。さん、これどーぞ。甘いものは疲労回復に良いですよ」
「はあ、別にいいですけど……あ、お菓子ありがとうございます。
 でも刀剣男士くらい、演練で飽きるほど見ますよね? 物吉貞宗連れの審神者、ちょいちょい演練で見ますよ?」

 職員達に手近な席に押し込まれ、お菓子を受け取りながら主が首を傾げた。
 その隣の席を確保し、貰ったお菓子の封を切る。顕現したの影響なのか、彼女の刀剣男士は例外なく食べる事が好きだ。物吉もその例に漏れない。現世のお菓子はとても色鮮やかだったり不思議な形をしていたりで、見ているだけでも面白いと思っている。一番は勿論、主が気紛れに手作りして振る舞ってくれるお菓子なのだけれど。
 主の問いに、職員の一人がやさぐれきった様子で「へっ」と吐き捨てる。

さん。演練場での政府職員の扱いなんて基本、便利なにぎやかしモブですからね?」
「審神者の眼中にはぎりぎりあるけど、刀剣男士は眼中にもない感じー……」
「夏の一件以来、距離は縮まったっちゃ縮まったんだけどな」
「使用人感覚ってんですかねえ、ああいうの」
「そうなんですか?」

 はむはむと緑と茶色が入り混じったお菓子を頬張りながら、主を真似て首を傾げる。
 使用人感覚。物吉にはよく分からない話だ。審神者も政府職員もその他の人々も、さして大差ないと思うのだが。

「あああああ物吉きゅんは優しいねえ癒しだねええええええええええ」
「眩しい……この愛嬌たっぷりな感じが眩しい……尊い……」
「なんだかよく分からないけど、大変なんですね」

 うへへへへと病んだ感じで五体投地して拝んでくる職員をよしよしと撫でる。
 言っている事はいまいちよく分からないけれど、とりあえず疲れている人間は労わって然るべきだろう。それに、主は彼等と関わる事が多い。こういうちょっとした繋がり、好意の積み重ねが巡り巡って主の助けとなる事を、物吉は感覚的に理解していた。

「うちの連中が悪いな」
「いいですよ。日頃お世話になってますし、物吉さんも嫌がってないですし」

 主の言葉を肯定するように、目線を向けてきた“主任さん”に向かってにっこり笑って頷いて見せる。
 ぐ、と数瞬息を詰めた主任さんが、「敵意を向けられないっていいもんだな……」と何故かやたらしみじみした口調で、重苦しい溜息と共にそう呟いた。同様に沈痛な面持ちで、職員の一人が「そうですね、刀剣男士の嫉妬とか怖いですよね……」と天井を仰いで目頭を押さえる。

「嫉妬? 警戒とか、うちの主に失礼な事するなよー的な牽制じゃなくって、ですか?」

 主が不思議そうに眉を顰めた。
 職員達が顔を見合わせ、無言で視線を交わし合う。目線だけで会話をしているようだった。
 ボクもあれやってみたいなぁ、とぼんやり考えながら、物吉は個別包装されたお菓子の中から特に目を惹くものを吟味しながら寄り分ける。あんまり食べ過ぎるのは宜しくない。こういうのは節制が大事なのだ。

「……男女のアレコレは、刀と審神者でもあるんだよなあ……」
「……衆道のアレコレも、刀と審神者であるんですよお……」
「あぁーそういう……」
「ま、神様っていうのは元来嫉妬深いものですから」
「えー? ボクら、そこまで心狭くないですよ?」

 唇を尖らせて反論するも、職員達は苦笑いするだけだった。

「それは、ねぇ」
「人間生活一ヶ月じゃ、なあ」
「刀剣男士の“主”に対する執着に恋慕とか肉欲混じると、すっごい厄介なんですよねえ……」
「……。……にくよく?」

 何か引っ掛かるものがあったらしい。
 すとんと表情の抜け落ちた顔で、主が平坦にその単語を繰り返す。初めて見る反応だった。
 職員達にとっても意外な反応だったらしく、「あれっなんで鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔してるんですか」と突っ込みが入る。主は無表情だった。ぎぎぎ、とそんな音が出てそうな緩慢な動作で物吉を見て、無表情のまま繰り返す。

「…………。…………肉欲?」
「そうですね。それはまあ、ボクらも男ですし」
「……………………」
「主様?」
「……ひょっとして大将ちゃん、そこらへん無いモンだと思ってたクチか」
「…………かんがえたことなかった…………」
「マジか。刀つっても男だぞ」
「だ、大丈夫ですよ主様!? ボクらだって解消の仕方くらい分かってますから!!」
「そっか……そっかー……ああうん、そうだよねぇ……食欲と睡眠欲あるんだからそりゃ性欲もあるよねぇ……」
「女審神者だとそこいら気ィ回らないもんなんだな」
「いや、つっても気遣われた方が気まずくないか? 上司にシモの事情心配されるとか、俺なら絶対嫌だわ」
「どうすんだこれ。性教育マニュアルでも配布した方がいいのか」
「それなら初期配布される、提出書類の仕様書兼ねた審神者の概要マニュアルあったわよね。
 あれに組み込んだ方がいいんじゃない? ちょうど審神者の徴集年齢大幅引き下げされるし、教育の必要な審神者も出てくるでしょ」
「馬鹿、あんなもん読む奴の方が少数派だ。
 そもそも最低年齢四歳だろ? 四歳児にあの辞書とか無茶すぎるっつの」
「そこは初期刀とクダギツネに読み込ませてフォローをだな……」
「でもあれ審神者向けですし、クダギツネはともかく初期刀に読ませるのはちょっとヤバくないです?」

 ああだこうだと議論を始める職員達を余所に、主は顔を覆って「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」と呻きとも唸りともつかない声を上げている。ひょっとしてこの話題、触れないでいた方が良かったのだろうか。後悔するも、既に後の祭りである。
 こういう時にクダギツネがいてくれれば、悔しいけれど物吉よりもよっぽど的確に主を元気付けられるだろうに。へにょんと眉を八の字にして、物吉は厳選したお菓子をぎゅうと握りしめた。そっと顔を覗き込もうと身を屈めるも、主の両手に阻まれてその表情は伺えない。情けなく右往左往するしかない現状が、とても悲しかった。

「あの、主様元気出してください」
「……」
「お菓子食べます? このまどれえぬ、美味しかったですよ?」
「……」
「そうだ! ボクの目貫見ます? 主様手入れの時に良く眺めてますよね!」
「……」

 主は無言だった。無言のまま、ぽす、と物吉の頭に片手が乗せられる。
 そのままわっしゃわっしゃと頭を撫で出す主にされるがままになりながら、物吉は主を伺い見る。なんともいえない複雑な表情で、主がはぁあああああ、と溜息をついた。撫でてもらえるのは嬉しいが、今ここで素直に喜んではいけない気がする。物吉はゆるゆるになりそうな頬に力を入れ、神妙な顔を取り繕った。
 物吉を撫でながら、頬杖をついた主がぼそりと呟く。

「……春本とか、用意した方がいいかな」
「それならボクにお任せ下さい! 主様に代わってばっちりしっかり、みなさんのお手伝いをして見せます!」

 物吉の主は多忙だ。しかし、本丸内では新参である物吉にできる手伝いはあまりにも少なく、目下勉強中の身の上である。目指せ本丸さん! を密かな合言葉にしていたが、ここにきてまさかの大チャンスだった。正直、この手の事については短刀の方が詳しいだろうが――それでも、主の役に立てる絶好の機会である。逃す手は無い。
 ぐ、と力強く請け負って見せれば、主はへにゃり、と眉尻を下げた。

「……。……まあ、私がするより話しやすい、かな。ありがと、物吉さん。助かる」

 使命感と熱意に目を煌めかせ、物吉は「がんばります!!」と満面の笑みで頷く。
 巻き込んだ後藤藤四郎ごとうとうしろう共々、やりすぎで歌仙兼定かせんかねさだ宗三左文字そうざさもんじに大目玉を食らう数日前の出来事であった。

物吉貞宗の、お手伝い事情。


「………………」
「まさか半日も説教されるとは……いったい何がいけなかったんでしょう……」
「あっはっはっは! そりゃアンタ、あれだけの前で春本春本連呼してりゃあ当然さね!」
「えぇ……? でも、主様は何も言いませんでしたよ?」
「………………」
「だろうねえ。ただ、が許すからって他の連中も許すとは限らないって事さ。
 ――で、後藤は大丈夫なのかい。死にそうな顔色してるけど」
「……………………ぉぅ」
「……後藤くん、逃げて良かったんですよ?」
「うっせ……関わった以上、ほっとけないだろ……」
「後藤くん……!」
「うんうん、仲良き事は美しき哉。
 ま、どこまでなら許されるかってえのは追々学んでいきゃあいいさ。アンタは焦り過ぎだよ、物吉」
「はぁい。今後は気を付けます……」




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春本=今風に言うとエロ本。
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